正直に言って、私は彼を心の底で見下していたんだと思う。
だって彼はアイドルで、モデルで、芸能人で。曲の振り付けであるダンスレッスンはスケジュールに組み込まれているとしても、クラシックバレエというものはあくまで彼の趣味であるが故に、練習している暇なんてないと思っていたから。特技なんていっても、素人に毛が生えたようなもの。ジャズダンスなのかバレエなのかよくわからない中途半端なポジションで、別段綺麗でもないものを、違いのわからない周りの人々から賞賛されているのだろうと。そう、思っていた。
「何これ……」
スマホから流れる華やかな音楽。そしてその中で踊る、五人のかっこいい男の子たち。この人たちは誰ですか? と街中で十〜二十代の女の子たちに話しかければ、間違いなく『Knights』だと答えが返ってくるだろう。芸能界に疎い私でも知っている、超絶人気のアイドルユニットだ。
「うわ、なまえちゃん本当に見たことなかったんだ」
「うん。テレビで歌って踊ってるのをチラ見するくらいで、こんなにがっつり見たのは初めて」
「本当に興味ないんだね……」
些か引いているように呟いた友人にうるさいな、と言葉を返しつつ、視線は画面から離れない。
どうして今更彼らのパフォーマンスを見ようと思ったかって、単純に今度の仕事相手になるからだ。次回の『Knights』の新曲MVはバレエをテーマにするらしく、バレエ団に所属している私たち数人が先生方によって選ばれた。どうして私たち下っ端が、なんて思ったけれど、考えれば簡単だ。プリマバレリーナやソリストの方々は忙しいし、MVで求められているのは群舞……つまり、真ん中で踊るような役付きではなく、周りにいるコールドバレエだ。だから普段から群舞をしている私たちが踊るのが最適なのだろう。
かっこいいな、とぼんやり思った。それは単に顔面を示すものではない。耳に残るような心地良いメロディラインを、彼らが歌って踊る。そしてその誰しもが、間違いなくそれらをきちんとした技量で身に付けている。アイドルって、ただのイケメンってだけじゃないんだ。
そしてその中の一人の動きに目がいってしまうのは、恐らく職業病だろう。人気アイドルに興味はなくても、人気アイドルの一人がバレエをやっているということは聞いたことがあったから。
見下していた、なんて。動画を見た今じゃ、そんなこと口が裂けても言えない。優美で、靱やかさを残しつつもキレキレのダンスを踊る彼ーー瀬名泉の動きは、間違いなく「バレエをきちんと踊っている人」のそれでしかなかった。
「おーい、次MVリハだって」
「やば! 行こ、なまえちゃん!」
「あ、うん」
呼ばれた声に慌ててスマホを置いて立ち上がる。スペースがないためにストレッチもろくに出来ず、縮こまっていた身体はバキバキだが、実際そんなことも言ってられない。
まあとりあえず、『Knights』がどういうグループかっていうのはなんとなくわかった気がするし、本番まで日がないのだから、意識高くして頑張ろう。
脳裏から離れない瀬名泉の動きを無理やり取っ払いながら、私も自分の踊りに集中することにした。
*
どんなことにも言えることだろうが、本番というのは意外と早く来るものである。休憩します、という声が聞こえた途端に、私は流れ出た汗をタオルで拭いつつそんなことを思った。真っ白で装飾もないふんわりとしたロマンティックチュチュにファンデーションが付かないよう気を付けつつ、ばさりとパーカーを羽織る。休憩、何分って言ってたっけ。ちょうどこちらに向かって歩いてくる友人にそれを尋ねようとすれば、彼女は私が口を開く前に興奮した様子で喋り出した。
「やっばい! 『Knights』めっちゃかっこよくない!? 実物超やばい! めっちゃかっこいい!! イケメンすぎ!!」
「自分の踊りに集中しなよ……まだ後半もあるんだよ?」
「踊りのときは集中してますー! ねえだって見てよほら! あっちで休憩してる絵面すらかっこいい絵になる〜!」
「まあ確かにかっこいいけどさ……」
ミーハーと思われないようちらりと横目で彼らを見やれば、……うーん、まあ確かにかっこいい。イケメンは何しても絵になるということもわかる。が、私は友人のように浮かれることはできなかった。それはアイドルに興味がないということももちろんだが、それよりも自分の踊りのことを考えるだけで精一杯だから。踊っている最中なんか、彼らがどの様に歌い、踊っているのかもよくわかっていない。本当は共演者なのだから、意識だけでも少しは向けなければいけないはずなのに。とどのつまり、余裕がないのだ。技術も、表現力もない、最底辺の私は。
少しだけ残ったペットボトルの中にある水を一気にあおると、ごくりと大きく喉が鳴る。自分の心とはまるで真逆のように、ペットボトルは一気に軽くなった。後半、飲み物がないとやってられないだろう。休憩時間は、確かもう少しあったはずだ。
「私、ちょっと飲み物買ってくんね」
記憶の限りでは、このスタジオに入る前の広まったスペースに自動販売機があったはず。友人は『Knights』の面々に意識を向けているのか、はーい、と聞こえたのはのうのうとした生返事だった。
目的の場所へ行けば、そこはたくさんの人で溢れていた。友人や先輩、後輩の姿だけではなく、スタッフさんも大勢いる。飲み物を買うとはいったものの、少しでも人の少ないところに行きたかった私は、そっとその場を離れる。どうせ近くにまた自動販売機があるだろう。迷子にならない程度のところまで行ってみよう。
そう思って歩き出してから少しして、狭い廊下にぽつんと一つだけ置いてある自動販売機を見つけた。丁度一人、誰かがコインを投入しているところだった。近づいて、思わず息を呑む。長い脚にぴんと伸びた姿勢、綺麗なグレーの髪。そういえば、休憩まで踊りの事だけ考えていたから、生でしっかりと見たのは今が初めてかもしれない。
「瀬名、泉」
思わず口に出して、ハッとした。やばい、いつもの癖でフルネーム呼び捨てにしてしまった! 本人が目の前にいるのに! どうか聞こえていませんように、と願うが、その願いも虚しく。彼はこちらを見ると、しかし怒ったような素振りはせずにふっと綺麗に笑った。
「飲み物買いに来たんですか?」
「あ、そうです、あの、」
「あっちの広いところ、人が多すぎますからね」
瀬名い……瀬名さんは自動販売機のボタンを押して、出てきたお水を取り出してからどうぞ、と私に場所を譲ってくれる。その一つ一つの綺麗な動作に戸惑いつつも、私はそそくさと自販機にコインを入れて、瀬名さんと同じお水を購入した。ちらりと横を見れば瀬名さんは相変わらずそこにいて、お水を飲んでいる。どうやら先ほどの広いスペースやスタジオに戻る気はないらしい。
「さすが、バレリーナの方々は綺麗ですね」
「ヒアッ!?」
ごくりと一口。水を飲んだ瞬間に突然話しかけられて、思わず変な声と共にごほごほと思い切りむせてしまう。大丈夫ですか、と瀬名さんが心配してくれるが、なんだこれ、めちゃくちゃ恥ずかしい。というか今の、もしかしなくても私に話しかけたんだよね? 他に誰もいないもんね? 自問自答しながら頭の中でぐるぐると答えを探す。いや、探す前でもなく、恐らく最初から答えなんて出ているのだけれど。
ようやくむせ返りが収まったところで一言、大丈夫ですと告げると、瀬名さんは引くどころか、また綺麗に良かった、と笑った。
「綺麗……な人たちばかりですよね。なんで私がその中に入っているのか、自分でもわかんないんですけど」
「そんなこと……」
「いいですよ、そういうの。ていうか、瀬名さんの方がよっぽど綺麗じゃないですか。バレエ、今でもやっているんでしょう?」
見てたらわかる。いや、今日彼の踊りは見てないけど。感覚的にわかるものなのだ。きちんとその動きを知っている人は、日常的に似た雰囲気を醸し出すから。
「一応、って感じです。本当に時間が空いたときに少しだけ、って感じなので、そんなに踊れるわけでもありませんし」
「そんなことないと思います。今瀬名さんの中に生きているバレエは確かに努力の賜物だし、そもそも忙しい合間にやっていること自体、すごいと思います」
「はは、ありがとうございます」
また一口水を口に含めば、いつまでたっても潤わない喉が再び水分で満ちていく。なんだかんだで私も芸能人と話していることに緊張しているのだろう。
空白の時間を埋めるようにスマホを見れば、スタジオを出てから十分ほど経っている。そろそろ戻らなきゃ。恐らく休憩も終わってしまうだろう。でもどうしよう、彼と一緒に戻るわけにはいかないしな。瀬名さんは未だ動く気配がなさそうだし、先に戻らせて頂こうかな。そう思って一歩踏み出したときだ。
「貴女も、努力したからここにいるのでしょう」
いやに綺麗な声が、凛と廊下に響いた。
「それだけで、素晴らしい事じゃないですか」
本当に、柔らかい、気持ちが良いくらいの声色だった。まるで、そう、お芝居であるかのように。
瀬名さんを見れば、にこりとこちらを見て微笑んでいる。本当に綺麗な絵だ。この人には、きっと綺麗な言葉しか似合わないのだろう。
「瀬名さんって、嘘つきですね」
だから、精一杯綺麗にありがとうございますと、そう伝えようとしたのに。ばかな私はそんなことを口走ってしまった。どうする? なんて、もう逃げる選択肢しかない。瀬名さんが何か発する前に走り出す。謝ることさえ出来ない。だって彼はあまりにも、不自然なくらいに綺麗すぎたのだ。