「失礼します。こちらブリュレパンケーキでございます」

 店員さんの言葉に嵐ちゃんがはぁい、と小さく返事をすれば、彼の前にことりとパンケーキが置かれた。ブリュレパンケーキと銘打ったそれの表面はカラメルがカリカリに焦がされており、生地そのものはとろっとろのふわっふわで、今にも崩れ落ちそうである。おいしそう、と微笑む嵐ちゃんは女子顔負けなくらいにぱしゃぱしゃと写真を撮りまくり、やがて満足してからようやくナイフとフォークを手に取った。
 少し切りにくそうなそれを一口サイズに切り分けた嵐ちゃんは、それを口に運ぶかと思えばあろうことか私の方に一切れを差し出してきた。一口どうぞ、なんてそんなおいしそうなものを目の前に出されて言われてしまえば、断ることなんてできるはずもない。あーんとそのまま一口頂けば、見た目以上のとろふわ食感、そしてカラメルのほろ苦さに思わず顔が綻んだ。

「先に食べちゃってごめんね」
「いいのよォ。ウフフ、やっぱりおいしいものはハッピーになれるわよねぇ♪」

 嬉しそうに自分もパンケーキを口にする嵐ちゃんに、うん、と大きく頷く。パンケーキをこんな風に分けてもらって、こんな会話をするなんて。まるで本当に女の子同士みたいだな、と思った。

 嵐ちゃんから連絡が来たのは数日前の話だった。以前凛月くんとお店に来たときに何故か連絡先を教えてと言われ、それ以来連絡することもなかったのだが。遊びに行きましょう、なんて突然すぎるお誘いが飛んできたのを見た瞬間、私は速攻でOKの返事を出してしまった。『Knights』の彼と会ってしまえば泉のことを考えてしまうのは必然なのに。また辛くなってしまうかもしれないのに。それでも会おうと思ったのは単に断る理由がなかった……いや、もしかしたら私が嵐ちゃんとまた会いたいと思ってしまったからかもしれない。
 キャップを被り、大きな黒ぶち眼鏡をつける嵐ちゃんは今日は丸一日オフらしい。偶然私も今日は何も予定がなくて、突発的なのにまるで照らし合わせたかのようにスケジュールが合ったとわかったときには、スマホの画面上でお互い笑いあってしまった。

「お待たせしました、木苺のパンケーキでございます」

 そんなときに降ってきた言葉を合図に店員さんの手元を見れば、そこにはたっぷりの木苺やストロベリーソースがかかったパンケーキ。当たり前のように私の前に置かれた瞬間、甘酸っぱい香りが鼻をくすぐった。たっぷり乗せられた生クリームに、雪のようにかかったきらきらの粉糖。見るからにカロリー高そう。でも、食べちゃう。いいよね、だってせっかく嵐ちゃんといるんだし。
 ふわふわのそれにナイフを入れこむ。泉はこういうのあんまり好きじゃないんだろうな。ううん、好きとか嫌いとか、そういう以前にカロリー管理を徹底しているらしいから、好きだとしても食べないのか。勿体ない。普段の生活は節制しても、たまの特別な日とかなら好きなモノ食べたって身体はそう変わらないと思うのに。……って、ああ、だめだな私。やっぱり泉のこと考えちゃってる。
 ふわ、しゅわ、とろり。

「……なまえちゃん?」

 嵐ちゃんは一口目にくれたから、私も一口目にあげるね。ちょっと待ってね。
 しゅわ、ほろり、ぽたり。

「…………嵐ちゃん」

 いつの間にか、パンケーキを切る両手も止まっていた。

「わたし、もう『Knights』の、ただのファンにはなれないのかなあ」

 差し出したのはパンケーキのようにとろけ、消えそうな言葉で。

「……食べ終わったら、場所を移動して話しましょうか」

 ふわりと微笑み、彼は優しくそう言った。それ一口ちょうだい、と強請られ、切りかけていた一口をきちんと切り分け、彼に差し出す。おいしい、と笑った彼につられるように、私も一切れ口に含む。思ったより酸っぱさはなく、口に広がったのは思った以上の甘さ。でもその甘さが妙に心地良くて、おいしいね、と私も小さく呟いた。

*

 本当に無意識のうちに零れてしまった言葉だった、と後になって少し後悔した。こんなこと、嵐ちゃんに言うつもりなんてなかったのに。私のくだらない悩みなんて話してしまったら、嵐ちゃんだってどう思うかわからない。……それでも、二人きりで話せる場所を探す彼に大人しくついていってしまったのは、私がすっかり彼に甘えてしまっているからだろうか。内輪の話だと察し、優しく移動を提案してくれたことに、話を聞いてくれると安心感を得てしまったからだろうか。
 結局完全個室という場所はなかなかなく、駅前から少し離れた小綺麗なカラオケに入った。

「さ、ここならなんでも話せるでしょ」

 上着を掛け、荷物を置いた嵐ちゃんがソファーに座ってこちらを見る。ここまで来てしまったのだ、話さずに誤魔化す、なんて選択肢を与えてくれるはずもない。先にドリンクバーでとってきたストレートティーを一口口に含み、その冷たさをごくりと飲み込んでから私はゆっくりと口を開いた。

「……中途半端に知り合いになっちゃったから、ダメなんだと思うの。ただの、『Knights』のファンになりたかった。だってその方がマシ。今の位置にいたって周りの子と同じように届くはずなんかないのに、無駄に期待しちゃう」

 「ファンにはなれない」、かつて泉がそう言ってた気がする。けど、私は『 Knights』が好きだから、個人と関係があってもファンと呼べる、そう思った。だからファンと認めた。けれど今はそれが辛い。ファンである以上、私は多くを望んではいけないのだ。だから、だからこそ、ガチ恋なんてしない、ただのいちファンでありたかった。
 ほろり、ほろりと零れる言葉と、それに伴った感情。涙こそ流れないが、色々な思いが渦巻いてぎゅっと拳を握る。

「……なまえちゃん、やっぱりアンタ、泉ちゃんのことが好きなのね」
「あの時は、好きじゃなかった、のかも。わかんない、もしかしたらとっくに私は泉のことが好きで、それに気づかなかっただけなのかも」

 付き合ってるの? なんてからかい交じりに聞かれたときのことを思い出す。あの時は照れる間もなくすぐさま否定した、が。なんせ恋愛経験値はほぼゼロだ。普通の人ならとっくに気づいているタイミングで、鈍感すぎる私は自分自身の気持ちにすら気づいていなかったのかもしれない。
 大きなスピーカーと画面からカラオケ特有の宣伝が流れる。名前だけ聞いたことのあるような女性アイドルが、新曲の紹介をにこやかに努めていた。

「結局、ガチ恋ってやつなのはわかってるんだよ、私も。馬鹿だなあって思う。こんな思いするなら出会わなければ良かった――なんて歌詞とかでよく聞くけど、本当にそんなこと思ってるくらい」

 ああ、こんなこと言うつもりじゃなかったのになあ。嵐ちゃんだって困ってしまうのに。私の心から芽生えた恋という芽は、もうすっかり根付いて摘み取ることも出来なくなってしまった。だから根っこの近くで茎を切ってしまったはずなのに。こうして話していくだけで、どんどんその芽は成長していく。好きという気持ちそのものが栄養となっているなんて、恋ってものはあまりにも醜悪だ。
 嵐ちゃんは何も言わずに、ホットコーヒーを一口飲んだ。呆れているのだろうか、気持ち悪がっているのだろうか。その表情からは何も読み取れない。ただひたすらに、ルーム内にはアーティストの宣伝が流れるばかりである。やがて耐え切れなくなり、私が振り絞って声を上げようとしたとき。嵐ちゃんが静かに言った。

「どうしてアタシが今日、なまえちゃんを誘ったかわかるかしら?」

 ぱち、とひとつ瞬き。私の話した内容とは全く違う話題だが、一瞬にして私の思考はその疑問へと傾いた。そういえば、どうして彼は私を誘ってくれたのだろうか。考えようとしてもわからない。だって嵐ちゃんはコミュニケーションを取るのも上手だから、芸能界にだって友達がたくさんいるだろうに。わざわざ一度、それも偶然会っただけの私を誘う理由なんて全くないはずなのに。
 黙ったままの私を見て、自らの問いの答えを察したのか、それとも最初から分かっていたのか。嵐ちゃんは眉を下げて、小さく笑った。

「アタシね、芸能人じゃない、女の子のお友達が欲しかったのよ」
「他にもいるんじゃないの?」
「もちろん、スタッフさんのお友達だっているわ。でも、そういう子たちってね。ほとんどが異性としての目を、アタシに向けてくるのよ。でもなまえちゃんは違った。それにとってもいい子だと思ったし、アタシ自身が友達になりたかったのよ」
「……それは、……その異性としての目っていうのは、嵐ちゃんにとって迷惑なもの、だったの?」

 嵐ちゃんの言葉が、私の心にぐさぐさと刺さっていく。私はつまり、そのスタッフさんたちと同じだ。私が泉に向けている目は、そういうものだ。問いかけていながらも、その答えはほぼわかっている。迷惑だったからこそ嵐ちゃんは私のような存在を求めたのだ。私が嵐ちゃんにとってそういう存在でいるということは、純粋に嬉しいことだ。けれど。

「――アタシはね、どっちも選ばないの。だからアタシに恋愛的なモノを求めても、今はそれに応えることはできない。……でもね、決して向けられる目が、迷惑だなんて思ってないわ」

 聞こえた言葉に、思わず目を見開いた。

「人の好意が迷惑だなんて、よっぽど悪質じゃない限り滅多にないコトよ。もちろん、ファンの子たちから向けられるそういうものだってそう。気持ち悪いどころか、嬉しいと思うわ。けど誰もそれに応えられないのは、アイドルとファンって立場もあるし、ろくに接触することも出来ないから。でも、……ねえ、なまえちゃんは違うでしょ?」

 嵐ちゃんがにこりと笑って私を見る。その問いかけは先ほどの私と同じニュアンスが含まれていた。もう、最初から答えはわかっている。彼も、私も。だって私はそもそも、『Knights』のファンではなかった。偶然出会って、泉にバレエを教えることになって。それからだ、自他ともに『Knights』のファンだと認めるようになったのは。つまり、始まりだって、そして今だって、アイドルとファンなんていう関係じゃなかった。知り合い、友だち、教師と生徒……とにかく思いつく関係性は、それ以外にもたくさんあったのだ。

「ガチ恋だなんて、自分を当てはめないでちょうだい。泉ちゃんとなまえちゃんは、普通に恋をできる関係性にあるのよ。届くはずがないなんて決めつけないで。期待していいのよ、それが恋愛ってものでしょ? それにね」

 ぽん、と頭に置かれた感触に、一瞬息が止まった。

「言ったでしょ、アタシはアンタと友達になりたいと思ったの。それなのにただのファンになりたかったなんて、悲しいこと言わないで。アタシとなまえちゃんの今の関係を。そして、泉ちゃんとなまえちゃんの今の関係を否定しないでちょうだい」

 それははっきりとした、誰から聞いてもわかるような強い口調だった。それなのに、嵐ちゃんの顔は優しくて、柔らかくて。頭の上に置かれた手のひらからは、泉のときとは違った温かさが伝わってくる。
 私が今日の嵐ちゃんの誘いをOKしたのは何故? 会いたかったから、それはつまり、私は彼と友達になりたかったのだ。同じように私と友達になりたいと言ってくれた彼と。ああ、私はなんて最低なことを言ってしまったのだろう。どうして『Knights』の彼らとの関係を薄くさせたかったのだろう。
 泉のことだって、極端に言えば深く考えなければいいことだったのだ。私は瀬名泉という、アイドルも何も関係ない、一人の人間に恋をしている。ただそれだけのことだったのだ。
 ごくりと唾を飲み込めば、鼻の奥がつんとする。泣き虫なのは一向に治らないようで、視界が滲んでくるのをやっぱり抑えることはできなかった。

「ごめん、ごめんね……! 私も嵐ちゃんと友達になりたかった! 最低なこと言ってごめん……!」

 頭の上の彼の手のひらを両手で覆い、自分の顔を俯かせる。泣き顔なんか見られたくないけれど、さっきからよっぽど泣きそうな顔をしてただろうから、きっと今更なことなのだろう。それでも嵐ちゃんはそれを察してくれたのか、その手もそのまま置いてくれている。

「泉のことは……まだ、何とも言えないけど。でも、もう目を逸らさない。今の立場で、今の私のまま向き合ってみる」
「ええ。アタシも応援してるからね」

 顔を上げれば、 ウフフ、と笑った嵐ちゃん。つられるように、私も不器用に笑った。ありがとう、と零せば、友達なんだから当たり前でしょ、なんて返事がきたものだから、嬉しくて嬉しくて、また不器用に笑ってしまった。