泉と私の関係性が変わったあの日から、早くも一ヶ月が経った。とは言っても、それ以外のものが別段大きく変わったわけではない。確かに私たちは付き合い始めたが、相手は超人気アイドルだ。ぎちぎちに詰まったスケジュールの中で、少しの時間を作ることすら難しい。彼のスケジュールを少し聞くだけで、あのバレエのレッスン時間は一体どこから捻出していたんだと疑問に思うばかりだった。
そう、レッスン時間といえば、私が彼につけていたバレエのレッスンも地味に終わりを迎えた。それは決してマイナスな理由ではなく、単純に泉が出演する番組の撮影が終わりを迎えたからだ。そもそもあの時から既に撮影の終わりが近いことは聞いていた。だから多くてもこのレッスンはあと二回くらいだねえなんて笑っていたが、結局あんなことがあって、なあなあになってしまって。結局あれから私たちはお互いにレッスン時間を作ることが出来なくて、悔しいことにあの口論……というか、私が自爆した日が最後のレッスン日となってしまった。
『え!? 付き合ってからまだ一度も会ってないのォ!?』
そんなことを話していれば、電話越しから嵐ちゃんの大きな声がつーんと耳を裂いた。嵐ちゃんにはお世話になったこともあり、泉に一応許可を取ってからすぐに私と泉のことを伝えた。そうしたらまるで自分のことのように喜んでくれて、私もまた嬉しくなった。
そんなに驚くことかな、だって普通の恋人同士ならともかく、相手があの瀬名泉なんだから仕方のないことだと思うけど。それにこうなることはもとより承知してたし。
『それにしたって今まではそのレッスンがあった分会ってたんでしょ? むしろ会う時間減っちゃってるじゃない!』
「うーん、まああのレッスンも泉のお仕事のためみたいなものだし、完全にプライベートで会うとなると前みたいに無理やりねじ込むのもなあって感じだし……」
『電話とかはしてるの?』
「たまにかな? 夜かかってくるときもあるけど、疲れてるだろうしなあって思って早めに切っちゃう」
『ヤダ、何それ! あのねぇなまえちゃん、付き合いたての初々しい時期は今しかないのよ!』
電話口で捲し立ててくる嵐ちゃんはかなり必死なようだが、一方で私は再びうーんと小さく唸る。
『全くもう、泉ちゃんも泉ちゃんよ! せっかくお付き合いすることになったんだから、もっとなまえちゃんとの時間を作ってくれてもいいのに!』
「あはは……嵐ちゃんがそう言ってくれるのはありがたいけど、本当に、私は大丈夫だからさ。ていうか嵐ちゃん時間大丈夫? もうそろそろ寝た方が良くない?」
『いつもならこの時間にお家にいれば、お肌の為にもう寝ないといけない時間だけど、今はアンタのが大事! ていうか、アタシにまでそんな気ぃ遣って……』
はあ、と嵐ちゃんは先ほどとは打って変わって気を落とす。だって、いくら友だちだと言っても嵐ちゃんだって明日もお仕事あるし、美容を気にしているのに私のせいで夜更かしなんてさせたくないし。……でも、こういうのっていらない気遣いなんだろうか。実際そういう話だ。私がもうちょっと我が儘を言ってみれば、もしかしたら泉と会える時間が出来るかもしれない。けれど、それで泉が無理をしてしまって休む時間が無くなるのも嫌だ。
そんな私の気持ちを、なんとなくでも察せたのか。嵐ちゃんはそれからしばらく黙って、私も何も言えなくなってしまった。
時計の秒針が時を刻む音が、静かな空間にかちかちと響く。もう寝たほうが良いよね、ごめんね、と閉じ続けていた口を開いたその時。
『ねェ、例の番組を一緒に観るのはどう?』
「へ?」
突如ともなく聞こえた言葉は、予想外のものだった。
『だから、今度放送されるんでしょ? それ二人で観たらいいじゃない!』
「ああ、泉が出演するバレエ番組……」
確かにそれはいいかもしれない。私も既に番組を録画しているが、一緒に観れたら楽しいだろう。私はそれのために泉にバレエを教えていたわけだし、れっきとした会う口実になる。私だって、会いたくないと、寂しくないといえば嘘になる。それくらいの我儘なら許されるかもしれない。
……と、ここまで前向きに考えて、ふと気が付いた。あれ、でも待って。さすがにリアルタイムで観るのは無理だろうから録画だとして、録画した番組を見るにはテレビが必要で、それって、要はつまり。
「……えっ、むりむりむり! 泉か私の家ってことでしょ!? だめ! まだ無理!」
『アラ、いいじゃない別に。初めてのデートがおうちデートっていうのも珍しいけど』
「そうじゃなくて! むり! いきなりハードル高いよ! 無理無理無理無理!!!」
私の全身全霊の否定に、嵐ちゃんは苦笑の混じったような声色でそこまで否定しなくても、と呟く。いや、だって無理でしょ。そもそも泉がもしくるとなったら全力で掃除をするところから始めなくちゃいけない。だって絶対姑かと思うくらいホコリあったらネチネチ言ってくるタイプでしょ。自分の彼氏にこんなこと思うのもどうかと思うが、だって泉は本当に完璧主義者なんだもん。
『うーん……そこまで言うなら……あ、いいコト思いついちゃった!』
「え、いいこと?」
*
「たく、なんでわざわざなるくんの家で……」
「いいじゃない、せっかくなんだし! あ、今お茶用意するわねェ」
「あ、お、おかまいなく〜!」
一体どうしてこんなことになったのかよくわからない。いや、わかってはいる。わかってはいるが、この現実を受け入れられない。
それならアタシの家で観るのはどう? だなんて。それなら二人きりでもないしかなりハードル低いしいいよ! なんて了承したものの、実際二人の時間が合うことも少ないだろうし、その提案が現実になることは難しいだろうと思っていた。
泉がここ最近本当に忙しかった理由が映画の撮影で、そのせいで丸々一ヶ月会えなかったということもある。それが先週無事にクランクアップを迎えたようで、少し時間ができると聞いてはいた。けれどまさかこんな近いうちにあっさりとこうして実現してしまっていて、なんだか拍子抜けというか、なんというか。
一人暮らしにしては広いリビングに通されて、大きなソファに腰かける。当たり前のように泉が私の隣に座ってきて、何故だかちょっとむず痒くなった。
嵐ちゃんのお家は一言で言えば「なんとなく可愛い」という感じだった。あまりに曖昧な表現だが、きっとそれが一番似合う。ふりふりのフリルやレース、リボンがあしらわれたピンクに囲まれた女の子らしい可愛いが溢れる部屋でもなく、かといってクールな男の子のようにシンプルで質素な小物で揃えているわけでもない。清潔感のあるシンプルな部屋の中にところどころ見えるピンク色や花柄が、その可愛さをぐんと引き立てていて、嵐ちゃんのセンスの良さを感じた。
ぱたぱたとキッチンに向かっていった嵐ちゃんを見送ってから、ところで、と私は隣にいる彼をちらりと見つめる。泉は静かにスマートフォンを弄っていた。やっぱり横顔も綺麗だなあなんて当たり前のことを思う。いつでも肌のコンディションが整っているのはやはりプロであるからか。
それにしても全然こっち見ないな、とほんの少し寂しくなる。泉との電話もラインのやり取りも、実はそんな甘い言葉がお互いから吐かれることもない。だから私たちって本当に付き合ってるんだっけ、とあの日の夜のことを何度夢じゃないかと疑ったものか。
「泉」
それに不満を感じている訳じゃない。これからはどうなるかわからないが、ひとまず今の時点ではそういう関係を私は受け入れている。それでもやっぱり久々に会えたのだからきちんと顔が見たくて、小さく呼びかけた。
するとつい先ほどまで画面に向けられていた顔が、視線が、ゆっくりとこちらを向く。けれど私は呼びかけたはいいもののその続きの言葉を全く考えていなくてええと、なんて言葉を詰まらせる。
「ひ、久しぶり」
ようやく出たのはそんな言葉で、もうちょい他に何かなかったのかと我ながら頭を抱えたくなる。
泉はというと一瞬複雑そうな表情を浮かべた。が、それは気のせいかと思うくらいに一瞬で消えてしまっていて。次の瞬間にはよく見る厭味ったらしい表情に変わっていた。
「うん、久しぶり。てかあんた、ちょーっとふっくらしたんじゃない?」
「失礼な! 久々に会ってかける言葉がそれ!?」
「うそうそ。可愛いよ、なまえ」
え、と聞こえた言葉にぴたりと動きが止まる。いや、いまさらっとこの人なんて言った? え、そういう王子様っぽい感じってお仕事モード限定じゃないの? 少なくとも私に対して今まで言われたことなかった、と思う。まさか、これが関係性が変わったから、というやつなのだろうか。
「お待たせーお茶といっても、ペットボトルのやつを入れただけだけどいいかしら」
「……え、あ、氷入ってる。うれしい、ありがとう嵐ちゃん」
そんなとき嵐ちゃんが氷の入ったグラスをからからと音をさせて持ってくる。一瞬にして思考を引き戻された私は、とにかく今のことは一旦忘れようといつもの笑いを浮かべる。泉も別段何も変わったことはなくいつも通りで、やっぱり今のは夢だったのかもしれないと思わされた。
「じゃあさっそく再生しちゃうわねェ、ウフフ、実はアタシもまだ観てないから楽しみにしてたのよォ」
「なんでなるくんに楽しみにされてるの……」
「だって泉ちゃんのThe・クラシックバレエってちゃんと見たことないんだもの。しいて言えば学院祭でのあのお芝居が一番近かったかしら」
「随分懐かしいこと言うねえ。でもあれはあくまでお芝居であってバレエそのものじゃないでしょ」
「んもう、だから楽しみって言ってるんでしょ」
あ、なんか知らない話してる。学院祭って言ってることは、学生時代のことかな。『Knights』は高校のときからのユニットって聞いてるし、そのころの話なのかも。いいなあ、そういう話、他にもいろいろ聞いてみたい。今度機会があったら話してもらおう。
そんなこんなで嵐ちゃんのリモコン操作により、私たちの番組鑑賞会が始まる。泉もまだ観ていないと言っていたから、全員初見だ。(出演者がいるのに初見というのも変だけれど)私も関係者といえば関係者だが、微妙な立ち位置の私に放映前の情報を流すわけにはいかないから、泉から詳しい内容などは一切聞いていない。が、見てみればその内容はざっくりと話に聞いていた通りで、芸能人のバレエ経験者を集めて一つの創作作品を作るというもの。集められた芸能人は泉の他に男女複数いたが、失礼ながら名前も知らないひともちょこちょこいた。
番組で用意されたバレエの先生はバレエ界ではかなり名の通っている有名な方で、そんな方に泉は教わっていたのに私なんかのレッスンで満足していたのかと勝手にびくびくしてしまった。
「なんか自分が出た番組ってあんま見ないから変な感じ」
「え、そうなの? ドラマとか映画とかも?」
「わざわざ見ようってあんま思わないんだよねえ」
「確かにアタシもあんまり見ないわねェ」
「そういうもんなのかあ」
そんな会話を交えながら、ぼんやりのんびりと三人で視聴していく。レッスン一日目、二日目、とドキュメンタリーのように番組は進んでいって、時折一人一人のインタビューなんかも交えたり。やがてそれの泉のターンが回ってきて、画面には泉ただ一人が映ってインタビューを受けていた。
『瀬名さんは幼少期にバレエを習われていたとのことですが、基礎がしっかりしていますよね』
『いや、俺なんかまだまだですよ』
「未だにインタビューとかのときの綺麗な泉ちゃん慣れないわァ」
「ちょっとなるくんそれどういう意味」
『そういえば、瀬名さんは同時進行で別の方のレッスンも受けているんですよね』
『そうですね、この撮影が始まる前に知り合いの方に頼んでレッスンを受けさせてもらっています』
……あれ、なんか話の流れが変わってきた。もしかして、いやもしかしなくても。これ私の話してる……よね。ねえ、と恐る恐る泉に話しかければ、うるさいなあ、とその一言だけ返ってきた。あ、これ絶対そうだ。瀬名泉なりの肯定だ。嵐ちゃんも気づいたようでくすくすと笑っている。
『俺もブランクが長かったから、さすがにそのままレッスン受けるのは不安があって。その方は俺が個人的に、すごく綺麗だと思ったバレリーナなんです。だから、その人からレッスンを受けてみたくてお願いしました』
「……ね、ねえ泉」
じわじわと恥ずかしいような、何とも言えない感情が心にこみあげる。私のこと、なんだよね。泉が私の踊りが綺麗だと言って、好きだというのも知ってた。けれど、まさかテレビでもこんなこと言ってくれてたなんて。これはきっと以前私が「名前を出さないで」と言ったからの発言なのだろう。だって名前を出したら泉からの個人的な感情だなんて絶対に言わない。だからこそ、だ。これは逆に嬉しくてたまらない。
「……なあに。本当のこと言っちゃ悪い?」
画面に顔を向けたままだったが、そう言った彼の声色は、なんだか少し照れたようで。つられてなんだか私も感じていた恥ずかしさが強くなってきて、ううん、なんて言って笑う。ああ、なんだかこういうのいいな。隣に彼がいることが嬉しくて、なんだかふわふわとした感覚に陥る。
その時だった。突然見ていた番組がぴたりと止まった。画面の右上には一時停止のマーク。恐らくそれを操作したと思われる本人を見れば、嵐ちゃんはリモコンを持って、いっけない! とわざとらしく叫んだ。
「シャンプー切らしちゃってたんだわ! ちょっと買ってくるから、二人でお留守番しててくれるかしら? あ、番組は止めておいてね、アタシも観たいから! もしかしたら他に買うものもあるかもしれないから遅くなるかもしれないけど、とりあえず行ってくるわねェ」
「え、ちょ、嵐ちゃん!?」
と、突然言う事だけ言って嵐ちゃんは勢いよくお家から出て行ってしまった。あまりに唐突のことに、取り残された私と泉は静まり返った部屋で呆然とするのみである。嵐ちゃん、もしかして気を遣ってくれたのかな。じゃないとあんなに急にシャンプーのこと言い出さないよね。でも、私としてはあまりに突然のことすぎて気持ちも全く追いつかない。どうしよう、とりあえず今のところの番組の感想くらいから喋ればいいかな。そう思って口を開こうとしたその時。
「ごめんね、全然会えなくて」
聞こえた声にえ、とその声の方を見れば、てっきり私と同じようにドアを追っていると思っていた目が、静かにこちらに向けられていた。
「え、いや、だって泉も忙しいのは仕方ないし……まあ確かに会う頻度は減っちゃったけど。でも今日こうして会えたじゃん」
「そうだけど。でも、寂しい思いさせてたでしょ」
「え、なんで」
「さっきそういう顔してた」
さっき、とは。思い当たるのは、ソファに座ったときに私が久しぶり、と声をかけたときか。けど、私そんな寂しい表情浮かべてたのかな。自分じゃ全然わからないけど。でも本当にそうだったら、なんだかすごく恥ずかしい。よく顔に出るって言われるけどこういうところか。
「でもあんたに電話しても随分あっさりしてるからさ。俺もちょっと戸惑って、これからどう接するか考えたりした。なまえにとって、どういう付き合い方がいいか」
「えっ、え? 何それ、私のことなんてそんな気にしないでいいのに! ていうか何でそこまで」
「はあ? なまえのことが大事だからに決まってるでしょ」
は、と聞こえた言葉に思わず動きが止まる。え、今なんかこう、とても恥ずかしいような、嬉しいようなことを言われたような。やっぱり泉のキャラ変わった? いや、もしかしたらこれが本当の彼なのか。もうよくわからない。ただ、ひたすらに顔が熱くなっていって、心臓がどきどきとしている。しばらく泉の顔を見ていなかったから、目の前にあるこの綺麗な顔が私のすべてを刺激してたまらない。
「顔、真っ赤」
余裕そうに言う彼が憎たらしくて、うっさい、とまるでそれこそ泉のように軽口を叩く。だってそれくらいしか、言うことが出来なくて。思わず自分の顔を隠すように俯けば、小さく、楽しそうに笑う声が聞こえた。それがなんだか悔しくて悔しくて、それでも言い返すことなんかできなくて。
「……っねえ、どうしてあのとき、泉はあそこにいたの? レオくんは私のこと知ってたの?」
とにかく何か他の話題を出したくて、ずっと疑問に思っていたことを口に出す。今まで聞きたくても、聞くタイミングがなくて。思い切ってそう言ってみたが、しばらく経っても返事がない。泉? と恐る恐る顔をあげれば、先ほどとは打って変わって微妙に不機嫌そうになった泉の顔がそこにあった。
「……それさあ、今出す話題?」
「え、あ、だ、だめだったかな」
「駄目っていうか、」
そこで泉は言葉を詰まらす。何か彼にとって言いにくいことなのだろうか。言いたくないことなら言わなくてもいいよ、と気を遣って言ってみる。本当は聞きたくてたまらないけれど、言いたくない人に無理やり言わせるのもどうかと思うし。
けれど泉はいや、と一言発して、しばらくの間をおいてからゆっくりと話し始めた。
「……なるくんに俺がちょっと話したのは知ってるでしょ」
「うん。だから嵐ちゃん、心配してメッセージ送ってきてくれた」
私たちが喧嘩をして数日経ったころだ。唐突に嵐ちゃんから「大丈夫?」というラインが送られてきて、泉が嵐ちゃんに話したのだと悟った。(あの時は正直『Knights』のことも考えたくなくて、未読無視をしてしまった)この間電話したときに無視をした謝罪と同時に、どこまで聞いたのかと聞いてみれば、ホントにちょっとだけよ、なんて言われたっけ。だから私と泉が喧嘩をしたってことだけ伝えられたのだと思う。
「実はさ、あまりにも俺がイライラしてたみたいで、なるくんから何があったか聞いてきたんだよねえ。で、そん時れおくんも聞いてたみたいでさ。それからは本当に偶然。あいつが作曲してたときにあんたが現れて、声かけて、おせっかいでれおくんが俺にラインを送ってくれた。なまえがあそこにいる、ってね」
「そっか、レオくんが教えてくれてたんだ……」
ふわふわとあの時のことを思い返す。そういえば、彼が寝転がっていたとき。手元は雑草に覆われていたし、手元もよく見えなかったからなあ。作曲しているのかと思っていたけれど、あのときもしかしたら泉にメッセージを送っていたのかもしれない。すごいなあ、そういうメンバーのことしっかり見てるの、さすが元王様って感じ。……あれ、でも待てよ。
「ねえ、でもどうしてレオくんは私だとわかったの?」
だって、不思議な話だ。レオくんと私はそれまで個人的に接触したことがなかった。もちろんMV撮影では会ってるけれど、あんな大勢の中でたった一人私の顔なんか覚えてるはずがないし。あ、ライブ行ったときに楽屋で泉たちと話していたのを見られていたとか? でもあの時周りにレオくんはいなかったような……。
ねえ、と再び泉に問いかけてみるが、なかなか答えが返ってこない。デジャヴだ。これも言いにくいことなのか。いや、むしろこのことが先ほどの言いにくいことに繋がっているのか。
しかし彼は言葉を濁すこともなく、はあ、と小さくため息をついて、それから小さく呟いた。
「知らないよ、あいつの考えてることなんてさあ。よく言う霊感ってやつじゃないの」
「あ、泉嘘ついてるでしょ」
すかさずそう言えば、ぴたりと彼の動きが止まる。
「……あんたに搭載されてる嘘発見器の性能どうなってんの」
「え、やっぱ当たった?」
「また半分だけね。半分だけしか当たんない嘘発見器なんて逆にすごいよねえ〜」
「それ褒めてる? 褒めてないよね?」
言いながら泉は私の頭をぽんぽんと軽く叩く。いや、十分すごいって褒めるとこでしょここは! 半分当たるだけでもすごいことだと思うよ! そうさらに追加で反抗しようとしたら、突如その手に力が入り、そのままぐっと頭を下に向けられる。決して暴力的なものは感じないが、あまりに突然のことに驚いてしまって、え、と言葉が止まる。
「……なまえがれおくんのキーホルダーをリュックにつけてたの、勢い余ってなるくんに言っちゃったんだよ。もちろんもそれもれおくんは聞いててさ。後から聞いた話だけど、河原であんたに会ったとき、あんたのリュックについてたそのキーホルダーを見て、もしかしたらって思ったんだってさ」
やがてそんな状態で聞こえてきたのは、まさかのあのキーホルダーの話。そういえば、私あのときレオくんが行き倒れかなんかだと疑って急いでたものだから、邪魔なリュックを投げ捨てたんだっけ。なるほど、それでれおくんはそのリュックについたキーホルダーを見たってことか。
……ああ、そっか。嵐ちゃんに話しちゃうほど、泉はあのキーホルダーにイライラしてたってわけで、それってつまり、彼は私が思った以上に――妬いてくれた、ということで。
「あとは半分の本当の部分だよ。あのキーホルダーを付けている女の子なんてたくさんいるだろうし、なのになんでなまえがわかったかっていうのは俺にもわからない。ていうか多分一生わかんない!」
そんな言葉と共に、頭の上からふっと重みがなくなる。ようやくつらい首の位置から解放されたと顔を上げて泉を見てみれば、彼は未だ居心地悪そうに視線を逸らしていた。どうやら、意図せずとも先ほどの仕返しになってしまったらしい。なんだかすべてが可笑しくて、思わずふふ、と笑みが零れてしまった。
「ちょっと、何笑って」
「ただいま〜。二人とも、ちゃあんとお留守番できたかしらァ?」
「あっ嵐ちゃん! おかえりー!」
「あっ、コラなまえ!!」
聞こえてきた声に泉の視線からするりと抜け、嵐ちゃんを迎えに玄関へと走り出す。後ろで聞こえた泉の声は一見怒っているようだったが、それでもどこか楽しそうで。ああきっと、彼も私と同じなのだろう。今この瞬間が楽しくて、嬉しくて、幸せなのだと。そしてそれは私の思い込みなんかじゃなく、間違いなく伝わってくる彼の気持ちだ。
「あら、随分ご機嫌みたいねェ、なまえちゃん」
「うん! なーんか、踊りたくなっちゃうくらい、私今幸せかも!」
*
瀬名泉という人間は、きらきらと輝く大きな星のような存在だ。それは決して手の届くものではないし、私はそんな綺麗なものを地上から見上げることしかできない。そう思っていた。
けれど、彼はそんな私を見つけてくれた。濁りきって発色のよくない、散り散りになった星屑のような私を見て、綺麗だと謳ってくれた。私をエトワールだと言ってくれた。そこでようやく私も気づいたのだ、彼だって、最初から大きな星だったわけじゃないと。手の届かない存在なんかじゃないと。
大きな星と、小さな星屑。そんな私たちが隣同士で輝こうとしているのを見れば、きっと誰かは信じられないとのたまうし、きっと誰かは馬鹿にしたように笑うだろう。けれどそれは結局他人の言うことであって、私たちの意思や実力の向上と何も関係がないのだ。だから今は吹き飛ぶような小さな私でも、きっといつかは。
「ねえ、いつか泉と同じ舞台に立ってみたいなあ」
「何それ。そもそも畑が違うんだから無理な話でしょ」
「それはそうだけどさあ、MV撮影もあったんだし、全くないとは言い切れないじゃん」
「アイドルの俺が、バレリーナのなまえとねえ」
「あ、でも泉と私じゃ違う畑といえどレベルが違いすぎるからなあ。じゃあまずは、頑張って泉に追いつくね! そんで追い越す!」
「は? 何それチョ〜生意気。じゃあ俺はあんたが追い付けないくらいにもっともっと上へ昇り詰めるよ」
「いいよ、どこまでも追っかけて見せるもん。……へへ、なんかこれじゃまるで、恋人っていうよりもライバルみたいだね」
「ライバルねぇ……いいじゃん、恋人兼ライバル。じゃあ精々俺と並べるように頑張りなよ、バレリーナ」
「望むところだよ、超人気アイドルさん」
さあ踊ろう、私たちのステージで。
...fin