こういう場は、些か居心地がいいとは言えない。とはいえ、嫌いじゃないというのも本音である。狭い廊下を何人ものスタッフさんが駆け回り、あちらこちらから色んな声が聞こえる。どたばた、と、まさにそのような言葉が似合うだろう。それも当たり前だ。ここは『Knights』のツアーライブ最終日の舞台裏――楽屋入り口なのだから。
最終日ということもあって、余計ばたばたしているのだと思う。ここからなるべく早く撤収作業を進めていかないといけないわけだし当然だ。それでも通り過ぎるスタッフさんたちの表情は忙しそうでありつつも、どこか嬉しそうで。それはツアーがたくさんの人の歓声に包まれ、無事に幕を閉じることが出来たからであろう。雇われの人が多いだろうにそう思わせることが出来ているのは、さすが『Knights』といったところか。「皆を笑顔にする」。そんなアイドルの本分を存分に発揮しているからこその反応だろう。
しかし、だからといってこの居心地の悪さは消えない。こんな場に部外者がいるなんて、迷惑なんじゃないかとい思いが拭えない。それでもこの光景はなんだか自分のバレエの公演のときを思い起こさせて、少しだけどきどきしたり。とにかく気持ちが落ち着かない。それでも嵐ちゃんに楽屋来てね! と言われてしまったからには行かないわけにはいかない。ちなみに泉には来たいなら来れば、といつものように言われた。
いつまでもここにいるわけにはいかないし、さっと楽屋にお邪魔してさっと出ていこう。そう思って恐る恐る足を前へと踏み出す。彼らの楽屋は一体どこにあるんだろう。普通は楽屋の前に張り紙があるはずだし、歩いていればなんとなくわかるかな。
前に来たときは真緒くんが一緒だったから、ここまで緊張というか、居心地の悪さを感じなかった。いや、あのときはそれよりも別のことを色々考えていたような気がするが。懐かしいなあ。そんなに前のことではないのに、何故かひどく昔のことのように思えてしまう。
スタッフさんの間を申し訳なくも速やかにすり抜けて、壁沿いに一本道の廊下をひたすらに歩く。そして現れたのは突き当たりからの二手に分かれた道だった。はてさて、どうしたものか。こんなことならやはり楽屋入り口で案内図を見ておけばよかった。そんなことを後悔しても今更もう遅い。じゃあ当てずっぽうで行くか、それとも一瞬の手間を掛けて頂いてスタッフさんに楽屋の場所を聞くか。どちらがここにいる人たちの迷惑にならないかを考えれば、答えはすぐに出てくる。仕方ない、周りにいる人に聞くか。なんだかスタッフさんに気を遣ってばかりだが、それも仕方ない。私だって一応舞台に立たせてもらっている立場なんだ。裏で支えてくれている人たちの有難さなんて、身に染みるほどわかっている。
「あの、すみません」
なるべく急ぎ足で歩いていない人が良い。そう思って目に付いた女性の方に声を掛けた、その時だった。
「あっ! なまえだなまえ〜!!」
何か、聞き覚えのある声がしたような。というか聞き覚えしかない。だって私はたった数十分前まで、ステージ上に立つ彼の伸びやかな歌声を聴いていたのだから。いやでも、曰く忘れっぽいと評される彼が果たして私の名前を覚えていて、さらに顔と名前が一致していて、なんてことがあるのだろうか。確かに会ったことはある。けれどそれだって実際私にとってはよくわからないまま、だったのに。
何やらばたばたと足音がこちらに近づいてくる。私が話しかけた女性スタッフさんはその音のする方向を見て、どこか緊張したような表情を浮かべていた。私も恐る恐る目を向けようとした、が。
「え」
ぐい、と腕を引っ張られる感覚。突然のことに身体は支えきれなくてよろけてしまうが、反射的に足を踏み出した。……いや、踏み出さざるを得なかった。だって彼は私の腕を引っ張ったまま、勢いよく走り出したから。
「ちょ、ちょっとレオくん!」
「おまえ、おれたちの楽屋を探してたんだろ〜? おれが連れてってやるよ!」
「いや、そうだけど……!」
そうだけど、そうだけど! それにしてもやり方ってものがあるだろう。周りにスタッフさんがたくさんいる廊下で大声で私の名前を呼んで、無理やり腕を引っ張って走らせて。突き刺さる周りからの視線が痛い。当たり前だ。だって先ほどまでステージの上でキラキラとした笑顔を見せていた月永レオが、衣装のまま、こんな明らかな一般人の私の腕を引っ張って走っている。あまりにも滑稽で不思議な光景だ。
ああ、でも今日はライブだからとスニーカーを履いてきてよかった。もしヒールでこんなところを走らされていたら耳障りでしかないカツカツ音がかなりの音量で響き渡っただろう。それを思うとぞっとする。
そんなことを考えていた最中、やがてレオくんはひとつのドアの前で止まった。そこまで長時間走ったわけじゃない。もちろん息も上がってないし、汗だってかいていない。それでも妙な疲労感があるのは、きっと気のせいではないのだろう。
レオくんはバン! と勢いよくドアを開けると、すぐにその口を開いた。
「わはは! 喜べおまえら! 連れてきたぞ!」
「レオさん! 全くもう、挨拶が終わるなり走り出すなんて、いい加減落ち着きを持ってください!」
「なんだよスオ〜。ツアーが終わってすぐにそんなぷりぷり怒ってたらプリンになっちゃうぞ〜?」
「意味がわかりません!」
すごい、この二人って本当にこんな感じなんだ。ステージやテレビの中のようなやり取りが耳に伝わってくる。生憎その光景は、目の前にあるこの外開きのドアのせいで全く見えないのだけれど。
レオくんはそのまま司くん(と思われる声)と言い争いというか、じゃれあいをしている。楽屋の内部からは私の姿は見えないだろうし、私の腕を掴んでいたレオくんの手はいつの間にか離れているし。あまりの疲労感になんだかこのまま帰ってしまおうかと一瞬思った。
「ところで月ぴ〜。連れてきたって、誰を?」
そんな時に聞こえた凛月くんの声。おお、そうだそうだ! なんてレオくんはすっかり忘れていたかのように私を見る。まあ、ここまで来て帰るなんてことさすがにしない、というか出来ないよね。差し入れもあるし。
意を決してひょこりとレオくんの背後から顔を出せば、中にいる人たちの視線が一斉に突き刺さる。楽屋の中には泉以外の『Knights』メンバーが揃っていた。泉はまだ楽屋に戻ってきていないようだ。
そしていの一番に声を上げたのは、もちろん友達である嵐ちゃんだった。
「アラァなまえちゃん! 来てくれたのねェ、ありがと!」
「あ……嵐ちゃん! ライブすごい良かったよ! みんなかっこよくて!」
嵐ちゃんは出入り口に駆け寄るなり、すぐに嬉しそうに笑顔を見せてそう言ってくれた。ありがとうなんて言いたいのはこちらの方なのに。
「あ、これ差し入れ。ツアーも終わりだし、ゆっくりできるようにホットアイマスクとか。全員分あるよ」
「やだ、そんなのいいのに! 気を遣わせちゃって悪いわァ」
「ううん、あんな素敵なライブを観させてもらったんだもん。むしろこれじゃ足りないくらいだよ。ていうかごめんね、撤収作業とかあって忙しいだろうに。すぐ出ていくから……」
「なんだなまえ、せっかく来たんだからもうちょっと話してけよ!」
「え、ちょ、」
すぐに踵を返そうとしたのもつかの間。口を尖らせたレオくんに背中を押され、無理やり楽屋に入れられる。いや、私が入っていい場所じゃないでしょここ。そんな思いとは裏腹に、レオくんは楽屋のドアをばたりと閉めた。そうして私が出られないように仁王立ちでドアの前を塞ぐ。そうしている姿はまるで本当に「王様」のようだった。
「だ、ダメだよ。私がここにいたらみんな着替えることも出来ないし」
「少しくらいなら平気よォ。レオくんの言う通り、お話しましょ」
「でも」
「いいじゃん。ていうかなまえ久々だねえ。俺あんたに聞きたいことたくさんあるんだけど……♪」
「凛月くんまで!」
近寄ってきた凛月くんもそんなことを言い始める。右には嵐ちゃん、左には凛月くん、背後にはレオくん。どうやら私に逃げ場はないらしい。仕方ない、せっかく与えられた時間だ。この際ライブの感想をふんだんに言いまくってやろう。
そう思って口を開こうとした時、ちょっと待ってください! と制止の声が聞こえた。それは紛れもなく司くんのもので、そういえば私は司くんとはレオくん以上にちゃんと話したことがないんだったな、と思い出した。
「そのLadyは皆さんの知り合いですか? お話したい気持ちはあると思いますが、今は時間があまりないのでまた今度にされるべきではないでしょうか!」
「何言ってるのス〜ちゃん。今だよ今、今しかないの。ていうかなまえとはス〜ちゃんも会ったことあるでしょ」
「え!? そうなのですか!?」
ああ、最もな司くんの言葉だったのに。凛月くんの言葉を聞いて、司くんも驚いたようにこちらを見てくる。そんな綺麗な顔であまりこちらを凝視しないでほしい。
「申し訳ありません。どこでお会いしたか思い出せず……」
「いいよ大丈夫です! 覚えてなくても仕方ないと思うし……」
しょぼくれた顔で謝ってきた司くんに、なんだかこちらこそ申し訳なくなる。だって司くんとはあのMV撮影のときと、クレープ屋前でのインタビューで話した、というか取材されただけだもん。覚えている方が珍しいというか、覚えていなくて当たり前だ。もはや会ったうちに入らないくらいではないのか。それをわざわざ説明するのもどうかと思って、何かうまい言葉がないかと頭の中で思考を巡らす。
「ねえ、それよりも聞きたいことがあるんだけど」
そんな時に再び声を上げたのは凛月くんで。そうだよね、ライブの感想聞きたいよね。むしろそれを言う為に私はここにいると言っても過言ではないのだから。
「ああそうだおれも聞きたい! おまえ、セナの彼女になったんだろ? セナってやっぱおまえにもあんな感じで怒ったりするの?」
「え、は?」
「ちょっ、レオくん! もォ、アタシそれ言わないようにしてたのに! ていうかなんでレオくんが知ってるのよ!」
「ちょっと、」
「あの流れで付き合ってないほうがおかしいだろ〜?」
「ああ、やっぱりあんたたち付き合ってたんだねえ。セッちゃんのいいネタ掴んじゃった」
「いやいやいやいや」
おかしい、明らかに流れがおかしい。この反応を見るに、凛月くんが私に聞きたかったことって「私と泉が付き合ってるかどうか」だったのか。確かに泉が自分から言うとは思えないし、知らなくて当然だろうけれど。そしてレオくんの聞きたいところそこ? 気を遣って口に出さないようにしてくれていた嵐ちゃんはさすがだけど、こうなってしまったらもう収拾がつかない。そして何が一番怖いかって司くんの反応だ。こんなどこぞの馬の骨かわからない女が『Knights』として一緒にやっているメンバーの彼女だなんて、場合によっては怒ってしまうんじゃないだろうか。
彼の顔を見るのが怖い。そもそも真面目な子だし、アイドルが恋愛なんてとか言われたらどうしよう。だんだん怖くなってきて、少し顔を俯かせる。やっぱりここに来たの失敗だったかなあ。そう、一瞬後悔したときだった。
「瀬名先輩のGirl friendなのですか!? 驚きました。瀬名先輩のような鬼でも、こんな素敵なGirl friendがいらっしゃるんですね! あ、まさか皆さんが以前に話していた、瀬名先輩の想い人ってこの方のことなのですか?」
飛んできたのは、予想外すぎる言葉の数々。司くんは興奮したように早口でまくし立てるように言った。いや、それよりも何よりも。以前話してた想い人って、それって一体どういう。
ごくりと唾を飲み込む。確かに、少し違和感を感じていた。だって凛月くんと最後にちゃんと話したときは嵐ちゃんと二人でお店に来てくれた時で。あの時、私は泉との関係を聞かれて「仕事仲間」と答えた気がする。それなのに、今凛月くんは私に向かって「やっぱり」付き合ってたんだ、と放った。嵐ちゃんは今のように、きっと私と泉に関する詳しいことは言及してきていないだろう。私が話した情報源を最後とするならば、凛月くんの言葉はあまりにも飛躍しすぎている。詳しい過程を知らないレオくんから聞いたというのも可能性は薄そうだし、なら残る可能性としては、泉が。あの泉が、私のことについて言及したということだろうか。そうすれば、おのずと司くんの言葉と辻褄があう。皆さんとは、つまり泉を含めた『Knights』全員のことで。
その瞬間だ。バタン! と大きな音が楽屋中に響き渡った。驚いて音の発信元である後ろを振り返ってみれば、そこには例の外開きのドアを全開にして、皆と同じステージ衣装のまま泉が静かに立っていた。その表情は、無。まったく感情が読み取れない。恐らくドアの前まで私たちの声は聞こえていたであろう。楽屋にいる私に怒っているのか、それとも好き勝手言っていた皆に怒っているのか、はたまた全く別の感情を持っているのか。
なんて言おうか、そう考える間もなく、ぐい、と手を引かれる。気がついたら、私は泉に手を引かれて楽屋を飛び出していた。
決して走ったりはしない、少し乱暴な早歩き。私の眼前には綺麗なグレーの髪がふわふわと揺れて踊っている。さっきもこういう風に人に先導されてここまで来たなあと、状況に見合わずぼんやり考える。ただ先ほどと違うのは、しっかりと握られた温かい手。
恐らく楽屋口に向かっているのだろう。私もあそこにいすぎたと思ったし、連れていってくれるならちょうどいい――なんて、調子のいいことを考える。私に対して怒っているのかどうかまだわからないけれど、きちんと理由を説明すればわかってくれるはずだ。……まあ、その場合レオくんが怒られる羽目になるんだろうけれど。
「ええと、泉」
「……れおくんがあんたを連れて走っていったってスタッフさんが話してるの聞いた。ったく、久しぶりなんだから、ちょっとゆっくり話そうと思って探してたのに」
とりあえず声を掛ければ、そんな言葉が返ってきた。ああ、怒ってるわけじゃなかったんだ。少なくとも私には。そして彼が楽屋にいなかった理由がさらりと告げられて、思わず繋がれた手をぎゅ、と握りしめる。探してくれてたんだ、私のこと。たったそれだけのことが物凄く嬉しい。だって、だって。……私は、泉と会うのは二週間ぶりだから。
泉はあの番組を嵐ちゃんの家で見た日から、少しでも私と会う時間を作ってくれていた。それでも、このツアーというものばかりは仕方ない。今回は二週間と短めのツアーだったけれど、今後一ヶ月、二ヶ月なんてツアーも普通に出てくるだろう。だからこそ、今から寂しいなんて言ってられない。それに、テレビやネットを見ればいつだって泉には会えるし。案の定今日ライブを観てもそんな久しぶりなんて感覚にはならなかったし、私は遠距離でも大丈夫なタイプだな、なんて思っていた。
けれど、そんなことを言われてしまったら。実感してしまう。欲が出て来てしまう。もっと、泉の顔が見たい、泉と話したいと。
それでも時間は有限で、巻き戻すこともできない。そんなこと、泉も私もわかっている。だからこそ、楽屋口まできて、こうやってお互いあっさりと手を離すのだ。
「ねえ泉」
周りにはスタッフさんも誰もいない。先ほどまでの騒がしさが嘘のような、静かな空間。こうして二人で話しているのに、泉が衣装を着ているのはなんだか不思議な気分だった。
呼びかければ、彼はゆっくりとその透き通った瞳を私に向けた。
「かっこよかったよ」
ただ一言、そう告げる。本当はもっと色々言いたいことがある。久しぶり、とか、会いたかった、とか。けれど私はこの言葉が最善で、最短で気持ちを伝えれられると思った。だって私たちは表現者だから。自分という作品を魅せる私たちにとって、率直な感想がとても貴重で、励みになるものだって知っているから。……それに、前回ライブに来た時、私はその言葉を言えずじまいだったし。
「……うん、ありがと」
そして彼の返事も、また嬉しそうなもので。その綺麗な顔を珍しくくしゃりと歪めて笑った。……かわいい、なんて言ったら怒るかな。でもかわいい。その表情が見れただけで寂しさなんて全部吹っ飛んでしまいそうだ。我ながらいい言葉選びをしたな、なんて思った。
「やっぱりGirl friendなんですね!」
「だからそう言ってるだろ〜?」
「ちょっと月ぴ〜押さないでよ」
「しーっ! あんまり喋ると気づかれちゃうわよ」
しかしそんな二人だけの空間は数人のひそひそ話によって切り裂かれる。泉の背後にある物陰から、先ほどまで聞いていた声が間違いなく聞こえた。うん、絶対空耳じゃない。スタッフさんは確かにいなかった。静かな空間であることも間違いなかった。けれど、情けないことに四人のメンバーの気配に、私たちは今の今まで全く気付いていなかった。
はっと泉を見れば、先ほどの笑顔はどうしたのか、眉間に皺を寄せてわなわなと震えている。……こればかりは、仕方がない。私は小さく泉に向かって手を振って、くるりと踵を返した。さあ、私は家に帰ろう。
「何してんのあんたち!!」
「うわあ気づかれた! 逃げろ〜!!」
背後から当たり前のように聞こえたそんな声が可笑しくて、抑える気もなく一人でふふ、と笑った。
ーーー
お題箱より、「ライブ後にレオに連れ去られてKnightsメンバーと遭遇。泉に救出される」
ありがとうございました。