「凛月くんと嵐ちゃ……!」

 ここまで言って、慌てて自らの口を抑える。こんなところで二人の名前を言ってしまって、誰が聞いているかわからない。せっかくの変装の意味がなくなってしまうかもしれない。しかし幸いにも周りのお客さんも、そして店員も私の言葉は聞こえていなかったようで、ほっと胸を撫で下ろす。が、安心するにはまだ早い。嵐ちゃんはともかく、凛月くんにはライブの日に会ってしまっているのだ。何か言われた瞬間に今日の平和な時間は終わりだ。芸能人と個人的に会話したいなんてミーハーな気持ちは瀬名さんと知り合いになってしまった時点でとっくに消え去ってしまったのだ。それに何より、私と話したことによって周りに二人の存在がバレてしまうということが一番恐ろしい。
 マスクの下で口元は見えないものの、凛月くんはじっとこちらを見ている。嵐ちゃんは私をファンだと思ったのだろうか、伊達メガネの奥の目じりを少し下げ、小さく笑った。……うん、何も言うな、何も反応するな。私が不本意にもバラしてしまった、のような最悪な事態は避けたい。とにかく私はただ業務をこなせばいいだけだ。

「ご注文お決まりでしたらお伺いします」

 マニュアル通りにそう言う。二人が何を頼むのか気になるところではあるけれど、とにかく早く注文して帰ってほしい。引きつり笑いを浮かべてひたすら仕事モードに自分を入れこもうとする。

「今日上がりの時間、もしくは休憩の時間は?」

 しかし努力も虚しく、だ。ぎらりと光った凛月くんの眼差しとその言葉に、私はぴしりと固まった。凛月くん、私のこと忘れてたりしないかなあなんて思ったが、そんなのただの希望にしかならなかった。隣では何もわかっていないだろう嵐ちゃんが「ちょっと凛月ちゃん!?」と小声で彼にストップをかけている。二人の後ろにお客さんは並んでいない。これはどうするのが正解か、なんて考えても、この凛月くんの目に見られてしまったら選択肢なんてもはや残されていないようなものだ。

「……ここからお店が激混みしなければ、あと十分ほどで休憩です……」
「じゃあ俺たち席座ってるから、休憩になったらこっち来てね」
「ちょ、え? 凛月ちゃん何言っちゃってるのよ」
「んー……ナッちゃんは別に帰ってもいいよ。いてもいいけど」
「……あの、とりあえず注文お願いします……」

 どうして凛月くんが私なんかを呼びつけたのか考えてもわかるはずがない。けれど、何にせよ私はもう逃げられないのだ。いつもは休憩が恋しくてたまらないのに、今だけ奴の存在が憎い。なんでこんなにタイミング悪いんだろうなあ。ああまたいちファンから遠さがってしまった。
 ちなみに凛月くんの注文は定番のフラペチーノ、嵐ちゃんは期間限定のフラペチーノだった。嵐ちゃんに関してはプロ並みにカスタマイズをかましていた。店員の私でも危うい暗号に全国の女子もきっとびっくりだよ。なんかもうどうでもよくなって、私も休憩のとき自腹でそのフラペチーノを飲んでやろうと思った。

 そこからもちろんお店が激混みすることなんてなく、私は予定通り休憩へと入ることになった。嵐ちゃんと同じフラペチーノを同じようなカスタマイズ(実際彼がしていた全てのカスタマイズは記憶できなかった)で自分で作り、一応制服から私服に着替えて表に出る。またあとで着替えるのは面倒だが、店員がお客さんと一緒に席に座っていたら、それこそ目立つなんてものじゃないだろう。お店の人たちには友達が来たから、と言っておいた。
 店内を見回せば、二人は奥の方のテーブル付きの席に座っていた。嵐ちゃん、帰らなかったんだ。近づいてみてあの、と声を掛ける。が、こちらを見たのは嵐ちゃんだけで、凛月くんはマスクを下にずらして俯いたままぴくりとも動かない。

「えーっと……」
「凛月ちゃん、寝ちゃったのよォ」

 呆れたように言いながら、嵐ちゃんはどうぞ、と荷物をどかして隣に私が座る席を作ってくれる。私のこと何もわかってないだろうに、優しいなあ。いや、もしかしたらあれから凛月くんがライブに来ていた瀬名さんの関係者ということを説明してくれたのかもしれない。

「ほら起きて凛月ちゃん。アタシ何が何だかわかんないんだから、凛月ちゃんが起きてくれないと困るのよォ」

 と思ったが、そんなことはなかった。嵐ちゃんが声を掛けるが、凛月くんはんー……と唸るだけで、起きる気配がない。困ったぞ、何回も言うようだがそもそも私だってなんで呼びつけられたのかわからないのだから。

「さ、朔間くん?」

 とりあえず私も呼びかけた方がいいだろう、そう思ってしどろもどろながらも彼の上の名前を呼ぶ。返事はない。動きもしない。駄目か、ゆすったほうがいいのかな。そう思ったとき、どこからか小さな舌打ちが聞こえた。あれ? 今のもしかして凛月くんがやったの? そんなことを思っていたら、俯いていた凛月くんがじわじわと顔を上げた。心なしか、少し不機嫌そうに見える。

「名字で呼ばないでくれる? あんまり好きじゃないんだよね。……まあ、昔みたいな嫌悪感はないけどさ。さっき凛月くんって言ったでしょ、それでいいから。無駄な敬語もウザいからいらない」
「あ、え、はい。いや、うん」

 ふああ、とあくびをしつつ言う凛月くんに、私はよくわからないままながらも小さく頷いた。昔は嫌いだったのかな、名字のこと。

「で、凛月ちゃん。まずはアタシに説明してくれるかしら?」
「ええ〜めんどい」
「もお、いてもいいって言ったのはアンタじゃない」
「んー……説明も何も、ナッちゃんも一回はこの人と会ったことあるはずだよ」

 まるでなぞなぞのヒントのような言葉のあとに、まあ覚えてなくても仕方ないけど、と凛月くんはあくびをしつつ零す。さらに混乱する嵐ちゃんだったが、それ以上凛月くんが説明する素振りはなく。仕方なく、私が口を開いた。

「この間、シングルのMV撮影で共演したバレエ団員です。あんなに人がいたから、覚えていなくても仕方ないと思います。それでえっと……まあ、瀬名さんと知り合いになって。この前ライブを観に行かせて頂いて、さく……凛月くんともちょっとだけ会ったんです」

 言ってからフラペチーノを一口すする。チョコシロップが舌に溶け、予想以上に甘いカスタマイズに少し驚いた。嵐ちゃんはどこまで女子なんだろう。
 まあそんな彼は私の説明を聞いて警戒心が解けたのか、そうなのねェ、とかわいい笑顔を向けてくる。かわいい。伊達メガネも相まって、文学少女みたいだ。いやちょっとそれは比喩があまりにも適当すぎたかもしれない。とにかく可愛かった。そう思いながら頬を緩める私に、びしりとキレの鋭い一言が刺さり込んだ。

「そう、聞きたいのはそこ。あんた、セッちゃんとどういう関係なの」
「ヤダ何凛月ちゃん、浮気調査?」
「ええ……」

 返答しにくい質問に思わず顔を歪める。セッちゃんて、多分瀬名さんのことだ。そういえばライブ後のあのときも、凛月くんが私を見て何か言おうとしていたけど、あれは結局何だったのだろう。
 そんなことはさておき、そして嵐ちゃんの冗談もさておき。凛月くんが聞きたいのはつまり、私と瀬名さんがどういう経緯で知り合いになったかということだろう。確かに、あの撮影の一回きりでアイドルと知り合いの関係になんてなれないし、ライブに招待だってされない。というか今更だけど、凛月くんは私があの撮影の場にいた団員だって最初から気づいていたということだろうか。そうだったらものすごい記憶力だ。
 ともかく、これは言わなきゃいけない空気なのだろうか。瀬名さんが彼らに言ってないということは、彼にとって言いたくない話なのかもしれない。……いや、瀬名さんってそういうの関係なく自分のこと話さない感じする。本当のことを言うか、適当にごまかすか……。
 巡り巡る考えに頭を悩ませてると、嵐ちゃんが例の甘いフラペチーノ(多分私より甘く仕上がってる)を一口飲んで、それからその綺麗な目をきらきらと輝かせて言った。

「付き合っちゃったりとかしてるの?」
「違います」
「あらやだ即答。つまんなァい」

 口を尖らす嵐ちゃんに、私は思わずため息を吐く。どうしたらそういう発想になるのか、やっぱり思考回路も乙女らしい。もう言ってもいいか。別に言っても彼は怒らないだろう。多分。

「撮影から色々あって……まあそこは割愛しますけど。瀬名さんにバレエを教えてるんですよ。なんでも、近々バレエに関するお仕事があるそうで」
「ああ、そういえば泉ちゃん、珍しくバレエの仕事があるって言ってたわねぇ。最近ストレッチも今まで以上に頻繁にしてるし。あ、アタシにも敬語いらないわよォ」
「ええー……っと。面白い事なんて一つもない、切り詰めて言ってしまえばただの仕事関係……だよ」

 突然口調の指摘を挟まないでほしい。まあお言葉に甘えるけど。整理した言葉を一旦タメ口に切り替えて、ゆっくりと言う。そうして意味もなくフラペチーノのストローをぐりぐりと回して、思いっきり啜った。シロップが上手く混ざり合ったのか、先ほどより甘さが緩和された気がする。けれどなんだかそれが妙に気に食わなくて、腹いせのように私は再びストローを回した。
 一方で凛月くんはふうん、と頬杖を付きながら言う。彼の飲み物は未だに少ししか減っていなくて、中が少し溶けかけているようだった。

「ていうか、それをわざわざ聞きたかったの? それなら瀬名さんに直接聞けば良かったのに」

 私に会ったのは偶然だろうが、彼らは瀬名さんに会おうと思えば会えるし、連絡だって出来る。それだけが知りたいなら、彼に聞くだけで済んだはずだ。あ、でもやっぱり瀬名さんは教えてくれないのかな。

「多分、教えてくれないと思うのよ。泉ちゃん、昔から自分のことは全然話してくれないから」

 話してくれてもいいのにねえ、と嵐ちゃんが同意を誘うように言う。どうやら私の予想は当たったらしい。
 しかしそれはいいとして、本当に聞きたいのはそっちじゃない。たったそれだけを聞くために、わざわざ私との時間を作ったのか。それは凛月くんにしか答えられない。嵐ちゃんと揃って彼の方を向けば、凛月くんは溶けているだろうフラペチーノをゆっくりと啜って、それから言葉を探すようにしてから言った。

「単純に、どんな人か気になったんだよねえ。セッちゃんがライブに呼ぶのって家族かゆうくんだけだから。たまに昔のクラスメイトにせがまれて招待することもあるみたいだけど、あんたは自分から言うタイプには見えないし。ま、興味本位ってやつ」
「ごめんねなんか普通の人で」

 そんなに瀬名さんのライブの招待が狭き門だとは思わなかったが、私に関しては単純にレッスン代の代わりだから、そういう枠に当てはまらない気がする。だからこそ凛月くんがどんな人を期待していたのかは知らないが、間違いなく彼の予想よりも、遥かに普通の人間だったことだろう。そう思ったらなんだか申し訳なくなってきた。平和な日が壊されたとか思ってごめんなさい。いやそもそものきっかけはあっちだけど。

「でも、皆って仲良しなんだね。そうやって仲間内のことを気に掛けたりするんだから」
「ウフフ……昔は個人主義者の集まりだったはずなのにねェ」
「そうなの?」

 意外な言葉に目を丸くする。個人主義者ってことはつまり、自分は自分、他人は他人と割り切ったような仲間ともいえない関係だったということだろうか。それは全くの初耳だった。(某web百科事典にも書いていなかった)
 けれど、とこの前のライブを思い出す。ステージに立った五人の表情、雰囲気。あれを見て、誰が個人主義者の集まりというのだろう。昔の話だろうが、彼らがそんな関係性だったとは思えない。

「昔は知らないけど、少なくとも今は。あのライブ見て、私は素敵だなって思ったよ。皆の中に確固な絆があるんだってそう思った。だからかな、あのステージが本当にキラキラ眩しかった。そういう内側のものが、私には見えたよ」

 少し恥ずかしいことを言ってしまっただろうか。けれどすべて本音だ。私には、あの五人が『Knights』に見えた。それでも何とも言えぬ羞恥心を隠すように再びフラペチーノに手を伸ばす。その瞬間、がばっと横から思い切り抱き着かれた。

「普通の人なんかじゃない、いい子で可愛い子じゃない!」
「わー!? バレる! 派手な動きすると周りにバレるよ!」

 声を抑えつつそういえば、嵐ちゃんはごめんなさいねえ、と言いながら離れてくれる。びっくりした……スキンシップが過剰なんだなあ彼。でも香水のいい匂いがした。 

 それから、二人はあまり長居するわけにはいかないとフラペチーノを飲み切って帰っていった。今日はもうこの後二人揃って仕事はないそうだ。貴重なオフの時間を潰してしまって申し訳ないなあとも思ったが、こっちも休憩時間を潰していることを思い出したのでおあいことしよう。
 瀬名さんに二人と会ったこと言おうかなあ。黙っとくのもなんかアレだなあ。まあそれでもバレたとき面白いと思うからいいかもしれないけど。「何で黙ってたの〜?」なんて文句を言う彼を想像して、くすりと笑みが零れた。そんなことを考えつつ、従業員用のバックスペースに戻って、飲み切れていない、もはやフラペチーノとも言えない飲み物を飲む。すっかり溶け切った液体がスムーズに舌の上を流れ、微妙な温度に思わず顔を顰めた。けれどやっぱりそれは、ひたすらに甘かった。