体育祭が終わって、轟くんが少し変わった。なんだか前よりとっつきにくいオーラがなくなったというか、ツンケンしていた角がいくらかとれて丸みを帯びた気がする。きっと緑谷くんとの戦いで色々吹っ切れたんだろうな、と思う。私は騎馬戦で惜しくも敗れてしまったからトーナメントには参加できていないんだけど、そのおかげでゆっくりと試合を観戦することができた。
轟くんは、騎馬戦、そして緑谷くんとの試合のみ左の炎を使った。それまで、私は彼の炎を見たことがなかった。純粋に、とても綺麗だと思ってしまった。彼が左を使わないことには何か理由があるのだろう。試合中に緑谷くんが何か言っていたし、むしろ彼の言葉で轟くんは動かされたんじゃないかと思う。けれど、それを私は追及できない。だって恐らく、左を使わない理由というのは、きっと彼の中での触れられたくない、深い部分だろうから。それを、ただの隣の席のクラスメイトになんか詮索されたくないだろう。私がしていいのは、轟くんを変えてくれたであろう緑谷くんに感謝をすることだけだ。
「みょうじ、服にゴミついてる」
「あ、ごめんありがと」
肩の辺りについていたらしい糸くずを、私がまだ何も言う前に素早く取ってくれる。こういうスマートなところ、モテそうだな。
轟くんは以前より格段に話しやすくなったし、なんとなく距離も縮まった気がする。そうしたことで、今まで不思議だと思っていた彼のことが少しずつわかってきた。しっかり者で抜け目がないなんて思っていたのは、ただの私の勘違いだった。彼はむしろ天然気質の入った、ただの高校生だった。
それからの私達は急速に仲が良くなった。それこそ、上鳴たちと同じくらい(だと勝手に思っている)に。私は今まで、不思議な人、と勝手にレッテルを貼っていた轟くんに無意識に壁を作っていたのだと、そこでようやく気がついた。
「轟くんは職場体験どこ行くの?」
ヒーローネームを授業で発表した後の昼休みのことだ。ショート、というシンプルなヒーロー名を発表した彼に、私は配布された体験の受け入れリストをぼんやり見ながら話しかけた。体育祭で特に目立った活躍もなかった私は案の定指名ゼロだったが、総合成績二位という好成績を収めた彼にはプロヒーロー事務所から指名がたくさん来ていた。その中からどこを選ぶのだろう、とまあ言ってしまえば興味本位だ。しかし、しばらく待ってみても彼から返事がこない。あれ、とようやくリストから目を離してちらりと隣の轟くんを見ると、彼は何やら複雑そうな顔をして口を噤んでいた。
「…エンデヴァー、ヒーロー事務所」
そうしてやっと言葉を発したと思ったら、彼と深い関わりがある、むしろ関わりしかない超有名事務所の名前が飛び出してきた。それってお父さんの、とは言えなかった。だっていくらばかな私でもわかる。彼の触れられたくない部分というのは、きっと少なくとも彼のお父さん、エンデヴァーが関わっているのだから。
「…そっか」
結果、言えたのはこの一言だけ。もっと私が彼のことを知っていれば、何か声をかけられたのかもしれない。それでも、今の私はそんなこと思う資格すらない。
「みょうじは、どこにしたんだ」
なんとなくぎこちなくなってしまった空気を壊すように、轟くんに問われる。私は気持ちを切り替えるようにばさりとリストを彼に見せながら、ここ、とわざとらしく指をさした。ヴィラン退治に重きを置きながらも、人命救助で名を馳せているヒーローが所属しているところ。私の、なりたいヒーロー像そのままだ。轟くんはじっと文字を見て、それからお前の個性や性格に合ってるな、と呟いた。それがどういう意味なのかはわからないが、なんだか轟くんに個性を認められたような気がして、思わずへへ、と小さく照れ笑いをした。
「つーか、隣の市だな、ここ」
「え?」
「俺の行くところと」
指さした事務所の所在地。そこは言われてみればエンデヴァー事務所のすぐ隣の市だった。席だけではなく、職場体験の所在地まで隣同士とは。小さな偶然に、可笑しな笑みが零れる。そっか、一週間会えないと思っていたけど、もしかしたら、なんてことがあるかもしれないんだ。
「会えるかなあ」
「さあな」
そんな短い会話を交わして、またふふ、と笑う。いつの間にやら彼の隣が落ち着く場所になっていたけれど、その感情に名前を付ける術を、私はまだ知らなかった。
*
駆け付けるのがもう少し早ければ、とも思ったけれど、私が行ったところで彼らと並んで戦線に立つことができたのだろうか。それでもやっぱりヒーロー志願者としては、たとえどんな状況でもみんなを救けたかった。被害を減らしたかった。飯田くんの件はなんとなく勘づいていたし、緑谷くんから送られてきた位置情報の意味を察知はして急いで駆け付けたものの、私が路地裏に到着した頃にはプロヒーローたちもいて、もうすべて終わったあとだった。ひどい怪我をした緑谷くんと飯田くん、そしてあんなに強い轟くんまでもが怪我をしているのを見て、思わず涙が零れ落ちそうになった。ヒーロー殺しはそれだけの相手だったのだ。…だめだ、こんなことで泣いてたりしたらヒーローになんかなれない。プロヒーローや警察が現場を確認し、緑谷くんたちが救急車に乗り込もうとする。
「…みんな」
そんな小さな呟きが聞こえたのか、轟くんが足を止めて振り返った。血だらけの左腕が目に入る。彼は、戦闘で左側を使ったのだろうか。堪えた涙がまた溢れそうになってくるのをぎゅっとまた堪え、警察の制止の声も聞かずに私はぱたぱたと轟くんたちに近寄った。
「ごめ…ごめんね緑谷くん、私間に合わなかった」
「みょうじさん! いいんだよ全然! むしろごめんね…ありがとう」
「私は何もしてないよ! でも、こんな怪我してるのに言うのもなんだけど、…三人が無事で良かった…」
あ、やばい。そう思ったときにはもう遅く、私の目からは涙が一粒零れ落ちていた。わたわたと慌てる緑谷くん、眉を下げた飯田くん、何故か一瞬驚いたように目を開いた轟くん。大切な、三人のクラスメイト。大犯罪者との戦闘後のピリピリした空気で、私は明らかに異端だった。そんなことわかっていた。職場体験先の人にもろくに説明もせずに来てしまったし、これでヒーローの卵だなんて胸を張れない。けれど、今だけは見逃してほしい。私だって、まだ高校一年生なのだ。
「心配、かけたな」
聞こえたそんな声と共に、ぽん、と頭に温かい手のひらが落ちてくる。右手なのに、悲しくなるくらい温かい。轟くんて、こういうところずるいと思う。救けたかった、力になりたかった。そんな私の気持ちを察して、今の私に最適な言葉たった一つを与えてくれる。なんでそんなに優しいの、そんな文句すら言いたくなるくらい、彼はシンプルにあたたかかった。