東堂尽八という人は、人気者らしい。

「すまんが真波はいるか?」
「あれ東堂さん、どうしたんですか」

 現にこうして私と同じクラスの山岳を訪ねにこの教室に来ると、聞こえる聞こえる、周りからひそひそとした黄色い声。やれかっこいいだかやれイケメンだとか、とにかく彼はモテるらしい。
それは私の友達も同じなようで、彼を見て目をきらきらと輝かせていた。

「ね、なまえもかっこいいと思うよね!」
「私は別に…」

本音をそのまま言うと、友人数人からブーイングが飛ばされる。人の好みはそれぞれだろ。
 確かに彼は大多数の人が好みそうなビジュアルをしてるし、育ちも良さそうな雰囲気だ。まあナルシストだって噂もされてるけど。けれど私はここまでしか知らないし、こうやって私とわりかし仲が良い山岳を時々訪ねてくる時くらいしか顔も見ないため、友人みたいな感情は抱かない。

「ねえ山岳」

 用事が終わったのか、しばらくして東堂さんが帰ったあと、私はひょっこりと山岳に近寄った。

「あの『東堂さん』ってさ、どんな人?」

なんとなく、興味本位でそう聞いてみた。同じ部活で、さらに同じクライマーらしい山岳なら先輩としての彼のこともよく知っているだろう。
すると山岳はええー? といつものようにへらりと笑いながら、

「んー面白い人かな」

と、なんともアバウトに答えてくれた。

*

「山岳のやつ…忘れ物くらい自分で取りに行きなさいよ…」

 それは放課後しばらくしてのことだった。教室で友人とくっちゃべっていると、ぴこん、となんとも軽快な音で私のスマートフォンが鳴った。画面には、山岳からの教室にボトル忘れたから部室まで届けに来て、というずいぶん身勝手なメッセージが表示されていた。
 とてもとてもめんどくさいけど、それでも届けに行ってあげる私優しいなあなんて思いながら自転車競技部部室へと歩く。今度山岳にはなんか奢らせよう。

 辿りついたそこは入学して初めてくる場所で、いざ目の前にしてみるとなかなか緊張した。閉ざされた部室のドアをノックしようと手をあげるが、見事に小刻みに震えている。
落ち着け、落ち着け。忘れ物を届けに来ただけだ。さっと渡してさっと変えればいいだけだ、大丈夫、大丈夫…。
 そうして思い切ってドアをノックする。どうぞ、と中から返答がきたのをしっかり耳に入れてから、私は失礼します、と一言述べてその重い部室のドアを開けた。

「あのっ、私一年真波くんのクラスメイトなんですけど! 彼の忘れ物を届けに来ました!」

 開けた瞬間に叫ぶ。早く山岳にボトルを渡して帰らなきゃ。そう思い広い部室内を見渡すが、目当ての山岳はそこにはいなかった。代わりに一人そこにいたのは、昼休みにちょうど話題になった彼そのものだった。

「おおそうか、わざわざすまんね。だが、真波は今ちょうど走りに行ってるのだよ」

 トレードマークのカチューシャをいじくりながら、東堂さんはそう言った。なんだ山岳のやつ、人に忘れ物を届けさせておいて自分はそこにいないとはどういうことだ。
とにかく、今いないなら仕方がない。東堂さんに言伝して、ここにボトルを置いてさっさと帰ろう。

「そうなんですか。ならすみませんが、ボトルをここに置かせて頂いてもいいですか?」
「構わんよ」
「ありがとうございます。あと山岳に一言、今度なんか奢らせるから覚悟しとけって言っといてください」

 なんとなく、今眉間にシワが寄ってるんだろうなと自分でも感じた。さあ帰ろう、そうしてくるりと彼に背を向けると、背後からクラスでもよく耳にする笑い声が聞こえてきた。

「ワッハッハ! そりゃ真波も大変だな! 君は真波と同じクラスの子だろう? よく真波と喋っているのを見かけていたよ」

 そりゃなんともびっくりな情報だ。彼は私を知っていたのか。とりあえず話しかけれたから、私はもう一度回れ右をして東堂さんに向き直る。彼は笑い続けていていたが、それから机を挟んで向こう側にあるパイプ椅子を指さしながら言った。

「せっかく来たんだから座りたまえ。もてなしは出来ないがな」
「いえそんな…。東堂さ…先輩お一人みたいですし、悪いですよ」

しまった。普通学生の後輩が年上に対しては先輩と呼ぶべきなのに、体育会系山岳の影響もあってか、ついさん付けで呼んでしまった。いやそれ以前に名前知ってることを自らバラしてしまった。別に問題は無いんだけど、説明がめんどくさいんだよなあ。
 頭の中でぐるぐる思考回路を巡らせていると、東堂さんが今度は静かに微笑んだ。

「いつも通りの呼び方で構わんよ。真波の影響だろう」
「す、すみません…」
「いいのだよ。それより座ってくれるかね? 俺一人だったからこそ、話し相手が欲しかったのだ」

 そう言う東堂さんに勧められて、なんとなく申し訳なくなった私は、言われるがまま彼と向かい合う形で椅子に座った。あまり新しいものではないようなパイプ椅子は、体重を乗せた瞬間にみしりと小さく音が鳴った。

「東堂さんは走りに行かないんですか?」
「俺のクラスは早く授業が終わったのでな。一番早く走りに行ってちょうど帰ってきたところだったのだ。そしたら誰もいなかったという訳だ!」

確かに彼の纏うジャージは既に汗でぐっしょりと濡れていた。それは自転車競技の過酷さをそのまま表しているかのようで、私は改めてこの人たちの凄さを思い知った。

 それから意外と東堂さんとの会話は続いた。私のクラスでの東堂さんの女子人気はどうだとか、東堂さんが山神と呼ばれているだとか、ああやっぱり噂通りの、いや噂以上のナルシストなんだなあと思う内容ばかりだったけど、さすがトークも切れると自負しているくらいだ。そんな内容でもなんだか楽しめた。

「そうだ、一つ聞いておきたいことがあるんだ」
「なんですか?」

 そんなときに彼から発せられた言葉。また女の子に関することかなあなんてのんきに考えていると、瞬間、ほんの少しだけ、彼の纏う空気がぴりっと変わった気がした。

「真波は、クラスでどうかね?」
「どうって…別に普通ですよ。友達もいるし、まあそこそこ元気でやってます」

いきなりどうしたのだろうか。突然の母親のような発言に、私も少々戸惑いながら答える。すると私の返事に安堵したのか、また微笑みを見せながら彼はそうか、と呟いた。

「あいつはマイペースすぎるところがあるからな。しかも人と一線を置く場合も多い。たまに行く休み時間だけじゃ判断出来ないからな、少し心配だったのだよ」

まあ君は一線引かれてる様子ではないだろうがな、と彼はそう付け加えると、私が持ってきた山岳のボトルに視線を動かした。
 私は山岳に気を許されていたのか。…いや違う、それよりも。この人は、後輩のために、後輩の様子を見るために、わざわざ休み時間を使って教室まで来てくれていたということなのか。

「…山岳は、部活でなにかあったんですか」

そう聞いたのは下心からだった。山岳の様子を知りたいのではなく、この東堂さんという人間からどういう風に世界が見えているのか、興味があったからだ。
 その問いに、彼は答えにくいのか少し間を開けて、それからうむ、と少しずつ口を開いた。

「真波が、というのは違うが。真波の周りがな。あのサボリ癖があるのにあれだけ速いからな。いろいろ思う輩もいるのだよ。先日も部内レースで真波が優勝した際、まぐれだとかやり直せとかの声が多くて困ったものだった」

なんだそれ。そんなのただの僻みじゃないか。私は脳裏に自転車に乗っている山岳を思い浮かべる。坂を登る彼はそれはとても速くて、そして楽しそうで。彼が自分自身を生きてる、と表現するのも十分に納得できるほどだった。
思わず唇を噛み締める。なんだかとても悔しくて、自然と目線は下がっていった。

「…私、山岳のレース一回だけ見たことあるんです。素人で自転車のことなんか何もわからない私から見ても、山岳はすごかった。速かった。何にも囚われていないように。…なんか、すごく悔しいです。なんでそんなこと言われなきゃいけないの」
「全くだな」
「ぶっちゃけ、お前らの目は節穴かって思います」

そう言うと、東堂さんはまた爆笑したあと、そうだな、と今度は優しく笑ってくれた。

「真波はいい友人を持ったな」
「ほんとですよね」

あはは、とつられて私も笑う。
 そうだね、山岳は本当にいい先輩を持ったんだね。こんなにも後輩のこと思ってくれる人なんてなかなかいないよ。ああなんだか、昼に思っていた東堂さんの印象は全く変わってしまった。東堂さんはナルシストで、声も大きくて、でも、

「東堂さん、とっても優しくて、後輩思いで素敵なんですね」

こんな人がいれば、どんなことがあって安心だね。
 さて、と時計を見る。もういい時間だし、そろそろ他の部員も帰ってくるだろう。一言山岳に文句を言ってやりたいが、なんだか機嫌がいいのでそれはまた明日でいいや。

「今日はありがとうございました。そろそろ帰りますね! 楽しかったです。あ、伝言、よろしくお願いしますね!」

椅子から立ち上がり、パイプ椅子をぎいっと机のほうに押し込んでから私は東堂さんにぺこりと頭を下げると、そのまま部室のドアを開けて外に出る。入った時はとても重く感じたのに、今はなんだか羽根のように軽く思えた。

「俺も楽しかったよ、ありがとう。…ああ、名前を聞き忘れてしまったな。しかし真波のやつ、やってくれたな…今日16時30分くらいに部室にいると面白い人に会えますよ、だなんて」

*

 ぴこん、と再び鳴った音にスマートフォンを取り出す。「東堂さんには会えた?」と書かれた内容に溜め息をつきながら、私は帰路へついていた。山岳に見事に踊らされていた事実がわかっても、不思議と不快には思わなかった。
 そういえば、山岳は気に入った人には面白い人って表現するんだっけ、なんて思いながら、私は明日山岳に奢らせる学食のメニューを考えていた。