いつからか、そんな言葉が私の口癖になっていた。どうしてそう言うようになったかはわからない。ただ、恋に必死になる自分が単純に想像出来なかっただけかもしれない。だってそうだろう。どんなに頑張ったとしても、大して可愛くもならない私が、相手に好かれようと奮闘する姿なんて周りから見たらただのお笑いだ。そんなの誰だって見たくないし、私自身もありえないと思う。
そんなありのままで生きている私にも、まあそんなことを言うわけだから好きな人がいるわけで。しかし残酷にも彼はあまりにもかっこよすぎて、釣り合わないとわかっている私は努力すらする気も起きなかった。
「せめて荒北だったらまだハードル下がるのに」
「なんか言ったかテメェ」
荒北の机の前で屈んで頬杖をつく。目の前にいる彼の顔を見てわざとらしくはあ、とため息をつくと、途端におでこにデコピンをされた。痛い。どうやらこいつに遠慮という言葉はないらしい。じんじんと痛みが頭の奥の方にまで響き渡る。私はおでこを擦りながら荒北を睨みつけると、彼はそれ以上に鋭い目つきで私を睨んだ。
「…元ヤンこっわ」
「ッセ」
チッと大きな舌打ちをする荒北はなんだかとても面倒くさそうで、まあ興味もない恋愛話を無理やり聞かされればそりゃそうだよなあ、と未だじんじんする頭で考える。それでも私と彼を引き合わせ、少しでも話せるような仲にしてくれたのは紛れもなくこの荒北なのだ。そりゃあ話したくもなるだろう。
チャイムが鳴る。十分休みなんて本当に短いものだ。同時に入ってきた先生を見て私は立ち上がると、すぐさま自分の席に戻ろうとした。
「なァ」
足を踏み出そうとした瞬間、荒北の小さな呼びかけが耳に入る。こんなときになんだ、あの先生はチャイムと同時に席に付かないと面倒臭いことになるって荒北も知ってるでしょ。
「東堂はおめーが気にしてるようなこと、全く気にしてネェと思うけど」
早く席に付け、と先生の怒号が飛ぶ。ほらやっぱり怒られた。ちらりと荒北を見る。彼は先程とはまた違うような視線を真っ直ぐに私に向けていた。気にしていない。そりゃあそうだ。だってあの彼は私を見ていないのだから。
私は先生にすいません、と心にもない謝罪をして席に着く。荒北がどんな返事を望んていたかなんてわからないが、変な時に発言してきたから、それに対して何も答えられなくて当たり前だ。机の中から教科書を取り出して、いつもなら睡眠に入る授業を真面目に受ける準備をする。荒北は既に寝る体勢に入っていた。
涙ぐむクラスメイトを心のどこか遠くで見つめていた。相変わらず冷めてるねえなんて友達に言われたが、冷めてるも何もみんなみたいに涙が出てこないんだから仕方がない。三年間というのは本当にあっという間で、過ごしてきた実感もないくらいだった。胸元で花開かせるブローチと手に引っさげた卒業証書だけが、唯一私を卒業したという意識に持っていった。
校門近くで見慣れた背中を見つけて思わず駆け寄る。自転車競技部の集まりは終わったのだろうか、こんなときに珍しく一人でいる荒北に背後から声を掛けると、彼は普段通りの様子で振り向いた。
「卒業おめでとう」
「マジで思ってネェだろ」
「あは、バレた?」
「バレバレだっつーの。オメーホント…」
何か言いかけて、言葉を途切れさせる。なに、どうしたの。そんな荒北はなんだか珍しくて続きを催促すると、彼は何かを思い出すようにしてから私に尋ねた。
「オメーさあ、東堂はいいのォ?」
「…何を言うかと思えば」
「今日まだ話してネェだろ」
私が彼の話をするのをさんざん嫌がっていたのは荒北のくせに、こんな日に限って話題を出してくるなんて。しかもなんで話してないことまで知ってるんだばか。
…わかってる。卒業だ。今日を逃したら、きっと彼と二度と会うことは無い。だから荒北は言っているのだろう、告白はしないのか、と。
「…どうせ無理だから。私はどんなに頑張っても、東堂くんみたいに素敵な人になれない。たくさんの可愛い女の子たちがいる中で、私が告白するのも失礼な話だよ」
はは、と自嘲するように笑う。まるで心の底から湧き上がる何かを押さえつけるように、制服のスカートの裾をぎゅっと握りしめた。
「だから私いつも言ってるじゃん、恋に必死になりたくないって」
眉を下げる。私は今まで、そうやって生きてきた。
荒北はそんな私を見て、わしわしと自身の頭を掻きむしった。そうしてまた大きな舌打ちをすると、バカじゃネェの、と呟いた。
「オメーいつもそれ言ってるけどサァ、それって要は何も作らない、ありのままでいてぇってことだよな」
「…そうだよ」
「じゃあ、なんで東堂に会う前いっつも鏡気にしたり、髪型直したりしてるワケぇ?」
思わず息が詰まった。そんなの、私自身ですら気付かなかった。無意識のうちにそうしていた。本当に? そう尋ねるまでもなく納得してしまったのは、荒北が嘘なんかつかないとわかっているからだろう。
荒北は両手をポケットに突っこんで、さながらヤンキーよろしくの格好で怒鳴った。
「必死もクソもあるかバァカ! オメーはただ感情を殺してるだけだ! 冷めてるフリして、自分で自分に蓋して何が楽しいんだヨ!」
「…荒北」
「いーじゃねーか必死になれヨ必死の何が悪ィんだヨ! つーかなんで勝手に決めつけて勝手に諦めてんだバァカ! 言うこと言って玉砕してから諦めろ!」
「玉砕って…」
「このまま終わらせんのか、それでいいのかヨ!」
がん、と何か鈍器で頭を打ち付けられたような感覚がした。そうか、私は必死になりたくないと言い訳をして、逃げていただけだったのだ。ありのままでいたいとうたいながら最初から諦めて、それでもばかみたいに私は私を演じ続けていたのだ。…「必死」な私が、本当の私だったのだ。
「東堂くん、今どこにいるかわかる?」
「さぁな。その辺にいるんじゃね?」
「…ありがと、荒北!」
私は荒北に無理やり自分の卒業証書を押し付けると、思い切って走り出した。勢いが強すぎてよろけた荒北の怒号が背後から聞こえたが、申し訳ないながらもそれに反応することなく私は足を動かし続けた。
走る、走る。笑顔と涙で溢れた卒業生の波をかき分けて、カチューシャ頭を探す。いや、もしかしたら第二ボタンどころかそれさえ女の子に奪い取られて付けていないかもしれない。でも、それでもわかる。こんな人混みの中だって彼が視界に入ったらすぐに見つけられる。それくらい、私は東堂くんを見てきた。…ああなんだ、私は視線も必死だったんじゃないか。
ぜえぜえと息が切れる。こんなに走ったのはいつぶりだろうか。先程までの騒がしい笑い声も聞こえない、いつの間にか人が少ないところまで来てしまった。これは箱学敷地内を走り回ることになりそうだ。この学校の広さを頭の中に思い浮かべて、くらくらと眩暈がしそうになる。けれど、それでもいい。伝えたい、彼のところに行って、気持ちを伝えたい。荒北は玉砕してなんて言ったけど、やっぱり玉砕なんてしたくないのだ。だって私は何もかも必死だったのだ。それを自分で隠していただけだったのだ。彼の隣にいたい、他の子と一緒にいる光景なんて本当は見たくない。
ああ、私ってこんなに我が儘だったんだ。きっとずっと前から熱くなっていたんだ。もはや私なんか、と自分を卑下する気持ちなんてどこにもなかった。酸素を欲して高鳴る心拍数と一緒に、心もはやる。
動かし続けていた足に急ブレーキをかけて角を曲がる。瞬間、ようやく見つけたその後ろ姿に、私は自分でも驚くくらいの大きな声で名前を呼んだ。
「見つけた! 東堂くんっ!」
私と同じように、彼もまた走っていた。そうして私の声と同時にぴたりと動きを止めると、素早く振り返って私を見た。彼は心なしか肩を上下に揺らして、小さく息を切らしていた。そして同じように息を切らした私が口を開こうとしたとき、東堂くんはほんの少し汗をかいた顔で、くすりと綺麗に笑った。
「良かった、オレもみょうじさんを探していたのだよ」
そんな言葉と柔らかい微笑みに、どきりと心臓が打つ。どうして、なんて理由も聞けない。すっかり気持ちが高揚してしまった私は、彼の言葉を待つことすらできなかった。そして私は勢いのまま、ずっと抑え込んでいたたった二文字の言葉を口にするのだ。