有効な休日の過ごし方、を考えるのは苦手だ。普通はは一日家で過ごすとか、買い物に出かけるとか何かしら案は出てくるだろう。けれどそれらのアイデアは私の中で浮かぶ間もなくすぐ消える。だってそんな気分にはならないのだ。
 部活もない今日は前々から思いっきり走りに行こうと決めていた。それを楽しみに頑張ってきた。それなのに、こんな仕打ちはないだろう。
窓の外を見れば、バケツをひっくり返したような水がガラスに打ち付けている。直撃はしないが、台風が近づいていると数日前に天気予報で聞いたことを思い出した。多少の雨ならまだしも、こんな気候じゃ走りに行くのは難しいだろう。

 はあ、と自然にため息が漏れる。やろうと楽しみにしていたことがなくなると、代わりに浮かぶ案は何もかもしっくりこない。そう、要は暇なのだ。友人は今日は寝溜めする! と言って電話さえ繋がらないし、話し相手のルームメイトも友達と出かける、と朝から部屋を出ていってしまった。まあ、ルームメイトとは特別仲がいいわけでもないし当たり前だろう。
他に普段話すようなメンツはそれこそ自転車部の面々しかいない。しかし彼らもせっかくの休日だ、各々ゆっくり過ごしたいだろう。改めて自分の交友関係の狭さを思い直して、また大きくため息をついた。

 時刻はお昼前。部屋にいても何もすることがないし、まだまだ出かけようと思えば出かけられる時間だ。ただし外は雨。なるべく室内で一人でも楽しめるところ…。
そうしてふっと浮かんできたのは図書館。といっても校舎内の図書室というような場所だが、ハコガクの図書室は本当に驚くほど無駄に広いのだ。本の数や種類だって充実している。校舎は今日も開放しているだろうし、寮からそう距離もないから雨でびしょ濡れになる可能性も低いだろう。言ってしまえば絶好の図書館日和というやつだ。
 すくりとだらけていた身体を起こし、一応制服を着てる体で薄いセーターに制服のスカートを履く。財布と携帯などという必要最低限なものだけを小さなバッグに詰めて、私は部屋を出た。思い立って即行動しないと、きっとまた動くことが面倒になってしまうだろうからね。

「ひゃー結構濡れちゃったなあ」

 校舎まで距離はないといっても、濡れることを避けられる訳では無い。案の定靴の中に水が浸透して、ずぶずぶと嫌な感触が足から伝わった。ハンカチは持ってきたものの、即行動を意識して出た為、替えの靴下の存在を忘れていた。仕方なく靴下を脱いで裸足のまま上履きを履く。冬でもないし、そこまで寒くもないだろう。のろのろと階段を上がり、なるべく静かに二階の図書館のドアを開けた。

 中には思ったより人がいた。といっても、ちらほら、であることに変わりはないのだが。やはりみんな私のように暇を持て余した故の選択なのだろう。あまり図書館と縁がなさそうな人も静かに本に向き合っていた。
 私もここには滅多に来ない。来るのは授業で調べ物をするときくらいだ。だからどんな本がどこにあるかなんて把握しているはずもない。まあ何を読むかも決めていないし、とりあえず端から順に見ていくことにしよう。
 手前にある雑誌コーナーを通り過ぎようとすると、見覚えのある表紙が目に入る。既に私の部屋にも部室にもある、今月号のサイクル雑誌だ。普通は図書室にあるはずもないようなものだが、やはり強豪校であることを意識して自転車関連の書籍も多く取り揃えているのかもしれない。きっと専門書のコーナーにもそこそこの種類があるだろう。
 そうして今度は日本文学の棚の前に来る。物語はさすがに量が多いので、じっくり選ぶことはせず、インスピレーションで気になったものを読んでみることにしよう。…と思ったが、なかなかぴんとくるものがない。まあきちんと見ていないから見逃しているのかもしれないが、好奇心をくすぐるようなものが見当たらないのだ。
いつの間にか外国文学のコーナーに来ていたが、構わず本を探し続ける。そんな時、一冊の本が目に止まった。

「これ、中学の時途中まで読んだやつ…」

 それはいわゆる有名な児童文学というやつだった。といっても内容はかなり社会風刺が効いていて、哲学的なものだったような気がする。未だにきちんと読んでいないし、この際また読んでみようかな。ぱらぱらとページをめくってから、私は本を手にして近くの椅子へ座った。
 途中まで読んだといっても、軽く読む限り、最初の内容すら覚えていないような感じだ。どこから読んでいないのかもわからないし、大人しく最初から読むのが一番いいだろう。
ぱらり、ぱらり。静かに紙をめくる音だけが耳に響く。頭の中はすっかり物語に引き込まれていった。

 目を開けた。そのことに自分で驚いた。本を最後まで読んだ記憶はあるが、どうやらその直後に寝てしまっていたらしい。未だぼやぼやする視界のまま、机に埋めていた身体をゆっくりと起き上がらせると、もぞりとした感触。背中には制服のブレザーがかけられていた。一体誰のだろう。真向かいの席に誰かが座って本を読んでいるのが見える。目を擦り、次第にはっきりしていく視界に最初に映ったのは、その人が手にしている本のタイトル。私と同じ本読んでる、なんて思ったのと、その人の顔がはっきり見えたのはほぼ同時だった。

「東堂くん?」
「む、起きたのか」

 恐る恐る名前を呼ぶと、彼は読んでいたその本をぱたりと閉じた。すまんがなまえの読んでいた本を拝借させてもらったぞ、なんて、彼は本の表紙を私に見せて言った。

「だ、大丈夫。えっと、それよりこのブレザー東堂くんのだよね? ごめんね、ありがとう」

背中にかけられた彼のブレザーを慌てて差し出す。しかし彼はそれを受け取らずに、むしろ私に押し返した。

「寝起きは冷えるからな、もう少しかけているといい」
「え、でも」

反抗しようとする私の言葉を遮るように、東堂くんは無理やり私にブレザーを押し付ける。確かに上履きの中は裸足だし、ほんの少し寒い。私は申し訳なく思いながらも、素直にそのブレザーを羽織らせてもらった。ありがとう、と小さくお礼を言うと、東堂くんは満足そうに頷いた。

「なまえは図書館によく来るのか?」
「滅多に来ないよ。今日は予定がなくなっちゃったから暇でここに来たんだけど、普段は本もあんまり読まない」
「ほう、意外だな。本が好きそうに思えるが」
「あはは、よく言われるけど、人並み以上に読まない人間だと思うよ」

 一見大人しいからか、昔から本が好きそうだとはよく言われたものだ。けれど私は本なんて言えるものは自転車に関する書籍かカタログくらいしか読まないのだ。
東堂くんは? と尋ねると、彼は苦笑いを浮かべて言った。

「オレも全く同じだ。普段は来ないが、暇だったからここに来た」

そうして窓の方を見つめる。きっと彼も今日は走る予定だったのだろう。相変わらず、というかむしろ先程よりも雨は激しさを増していて、痛々しく雨粒をガラスに打ち付けていた。

「『 砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠してるからだよ』」

 ぽつりと言った彼のその言葉は、目の前の机の上に置いてある本の中のセリフの一つだった。そしてそれは、私がその本の中で一番好きで、心に響いた言葉だった。

「この本の中で、この言葉が一番好きなんだ」
「私もだよ。本当に、全てに通ずる気がして」

きっと何事もそうだと思った。人間の感性は非常に直線的であやふやだ。わかっている。だからこそその言葉に納得させられたし、感動した。

「東堂くんにぴったりだよね」

 そう言うと、彼はきょとんとして私を見た。意外だな、「オレが美しいのは心の中にも美しさを隠しているからだ!」…なんて言葉が返ってくると思ったのに。

「どうしてそう思う?」

机に片肘を立て、手のひらで頭を支えながら東堂くんはそう尋ねた。一瞬のきょとんとした表情は何だったのか、余裕があるようにフッと笑みを浮かべる。そんな仕草に思わずどきりとしてしまって、私は顔をうつむかせて呟いた。

「教えない」

東堂くんの走りが美しいのは、努力を隠してるからだなんて。彼は努力を他人に指摘されたくないのだろう。わかっている。わかっているから言わないのだ。…まあ、私がそれを口にするのが恥ずかしいということもあるけど。
 東堂くんはそうか、と問い詰めることなくまた微笑んだ。その笑みはあまりにも美しくて、これもまた、彼の中に何か隠しているからなのかななんて、私はうっかり見とれながら思った。

 ざあざあと雨の音が響く。明日雲が晴れたら、きっと夜には綺麗な星が輝くだろうな。



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>満月さん