「みょうじって田所のオッサンと巻島さんと仲ええよな」
「えっ」

 突拍子もない発言に私は思わず顔を歪める。そんな様子を見て、鳴子は何やその顔、と私をじっとりと見た。私は話に上がった二人の顔を思い浮かべて、大きくため息をつく。一方で小野田はへらりと笑って、まるで羨ましがるように言った。

「確かによく話してるし、とっても仲がいいように見えるよ」
「うーんまあ悪いってわけじゃないけどさ…」

煮えきれない返事を続ける私にいまいち納得がいっていないのか、小野田と鳴子は疑問の目をこちらに向ける。
 確かに田所さんと巻島さんとはよく話す。話すけれど、仲がいいという言葉では締めくくれないような気がする。少なくとも小野田が羨ましがるような関係ではないはずだ。じゃあなんて言えばいいのか? ぴったり当てはまるような言葉を探してうーんと唸っていると、今泉は未だ不思議そうにしている二人に向かって私が求めていた言葉を言い放った。

「仲良いっつーか、オレには一方的に付き纏われてるように見えるけどな」
「それだ今泉」

 的確ともいえるその言葉に思わず今泉を指さす。そうかなあなんて普段の私たちを思い浮かべているだろう小野田に、改めて私たちを見ればわかると思うよ、と私はため息混じりに笑う。そうしているうちに部室の前に辿り着いて、私はこんにちはーとそのドアを開けた。

「なまえ!今日はオレのタイムつきっきりで計ってくれるよな!」
「待つッショ田所っち。なまえ、今日はオレのトレーニングを見てくれるよな?」

 瞬間耳に響いた二つの声に、来たばかりなのに正直今すぐ帰りたくなった。たったいま話題の中心にいた二人は、私を見るなりまくし立てるように言った。
 この二人はいつもこうだ。入部したてのときは普通だったものの、いつからか私に対して異様にしつこく、そして二人で対立するようになっていた。その行動の原理は全く意味がわからないが、とにかく私はそんな二人に少々困っているのだった。

「いやどっちもしません部室内でやることもりもりあるんで」

私はいつものように言い訳をつけて二人の要望を躱す。以前片方の要望を飲んだらとても面倒くさいことになったから、それからはどちらもスルーすることにしたのだ。
しかしそれで毎回納得するはずもなく。田所さんと巻島さんは理由を求めるように文句を垂れた。

「…田所、巻島」

しかしそんな二人の口も、金城さんの一言でぴたりと閉じる。やはり主将には適わないのか、それとも自重するのか。どちらにしても、いつもこうして場を収めてくれる金城さんにはとても感謝している。

「…確かに言われてみれば付き纏われてるって思うってまうかもな」

一部始終を改めて見てそう呟いた鳴子に、私は大きく頷くのだった。

*

 ぴん、とタオルを張って、シワにならないように一つずつ丁寧に干していく。やがて最後の一枚を洗濯バサミで挟んでから、空になった洗濯カゴを見て思わず笑みが零れた。ちらりとボトルを作っていた幹を見ると、丁度彼女も仕事を終えたようでぱちりと目が合った。

「今やること、他にないよね?」
「うん。今日はみんな各々で走ってるからタイム計測もいらないって金城さんに言われたし、あとは終わった後に部誌を書くくらいかな」
「りょーかいっ」

ということは、とりあえずしばし休憩ができるということだ。私はすっかり凝り固まった筋肉を既に少しでも伸ばし、ほぐすためにんんーっと大きく伸びをする。その様子を見て、幹はくすくすと笑った。疲れてるね、と彼女が言った言葉の中に、マネ業ともう一つの理由がきちんと含まれているのを感じて、私はまあね、と苦笑いを浮かべた。

 部室を出て、肺いっぱいに空気を吸い込んで大きく吐き出す。それだけでほんの少しすっきりした気になって、気分は非常に穏やかだった。
 みんなが戻ってくるまでの休憩時間。幹は中でゆっくりしていると言った一方で、私は外に出てきた。幹とお喋りをしたくもあったが、なんとなく外に出たい気分だったのだ。
 気温はちょうどよく、太陽もぽかぽかと草木を照らす。心地いい風がふわりと吹いて、それに伴って木の枝に付いた葉がざわざわと揺れた。こんなに気持ちがいい日に自転車に乗ってる彼らはさぞかし気持ちがいいことだろうなあ。そんなことを思いながら校門の方をちらりと見たとき、遠くからなんだか言い争うような声が聞こえた。オッサンや豆粒など、その単語から誰と誰が喋っているのかは明らかだった。レギュラーのスプリンター二人がちょうど外周から戻ってきたらしく、校門の前で自転車を停める姿が目に入る。相変わらず何やら言い争っているようだったが、ここからでは所々の単語しか聞き取ることができないが、聞こえる単語からして恐らく、自転車の話をしているのだろう。しばらく様子を見続けていると、田所さんが何か言ったあと、鳴子は何か認めたように頷いて、それから再びサドルに跨って走っていった。そしてそれを追いかけるように田所さんもまたペダルを踏んだ。

「アドバイスしてたんだよ」

 突然の声に振り返ると、この二人もインターバルなのだろう、手嶋さんと青八木さんがタオルで汗を拭いていた。そんなことがあの様子を見ただけでわかったのだろうか。そんな気持ちが顔に出ていたのか、手嶋さんは私を見てくすりと笑った。

「ああ見えて、田所さんは教えるのが上手いんだ。鳴子とはいつもああだけど、なんだかんだでさ、鳴子の道を開いてってるんだよ」
「オレ達も、田所さんに教わったから」

そう言って、青八木さんもなにか懐かしむような目をした。
この二人は一年の頃、田所さんに特によく教わって、鍛えられていたと聞いたことがある。だからこそわかる師弟関係ならではの視点なのだろう。

「田所さんのこと、すごく信頼してるんですね」

サドルに跨って、再び走りに出ようとする二人の背中に言葉を投げると、二人はこちらを振り向かずにそのまま頷いた。きっと鳴子もそうなんだろう。そういう頼もしい先輩なんだ、田所さんは。
走っていく手嶋さんと青八木さんを見届けながら、私は先ほどの田所さんを思い浮かべながら思った。

 だからきっと、そういうことなんだろう。校門の前まで来て遠くの方で小野田と一緒に走る巻島さんを見たとき、そう思った。
小野田は登るとき、本当に楽しそうに走る。見ていてこちらまで笑顔になってしまうほどだ。そしてそれは巻島さんと一緒のときだと特にそうだ。もちろん今泉や鳴子、他の人とだって楽しそうに走るが、巻島さんとだけは楽しい以外の感情が溢れているのだ。
尊敬や、憧れ。それらの想いを小野田が巻島さんに抱いていることは知っていた。けれど、普段走っているとき以外の彼を見慣れている私は、あまりその理由を理解出来ずにいたのだ。
 けれど改めて考えてみた今ならわかる。思い返してみればいつもそうだった。巻島さんには説得力があって、何より真っ直ぐなのだ。田所さんみたいに言葉で教えるのは上手いとは言えないけれど、彼は自転車で、あの独特の走りで会話をするのだ。それで伝えることができるのはあまりにもシンプルで簡単な言葉ばかり。けれど、だからこそ信頼できるのだろう。だからこそ、速くて、走りと対照的なくらい真っ直ぐな巻島さんに小野田は付いていくのだ。

*

「今日は巻島さんにいっぱい教えてもらったんだよ」

 外周から続々とみんなが帰ってくる。一番最後に汗だくで部室に戻ってきた小野田は、私からボトルを受け取りながら嬉しそうに笑った。

「うん。ちょっとだけ見てたよ。鳴子も田所さんに教えてもらってたでしょ?」

振り返ってそう言うと、ぐびぐびと勢いよくボトルを飲んでいた鳴子はごくりと最後の一口を飲み終えてから不満げに口を尖らせた。

「ワイは教えてもらってへんもんー自分でオッサンの技盗んだだけや!」
「はいはい」

なんとなく予想のついた返しを適当に流す。こうは言っているけれど、本当は心の底で彼自身も分かっているはずなのだ。先ほどの手嶋さんたちの言葉を思い出して、鳴子は相当なツンデレだなあとにやにや笑ってしまった。
 その時、私たちの会話を聞いていたのか、汗を拭いていた田所さんと巻島さんが二人揃ってこちらに近づいてきた。

「オウなまえ見てたんだな!どうだったオレの走りは!」
「いや多分なまえはオレの走りを見てたッショ。目が合った気がする」

 そうしていつものように不毛な言い争いを続ける二人。ああまた始まった、と内心思ったものの、その一方で今回は私の心情がいつもとは違った。
信頼、尊敬。そんな視線を受けながら、二人が後輩の前を走る姿を見た。そして同時に、後輩思いである二人の姿を見た。
 田所さん、巻島さん。そう名前を呼ぶと、お互い睨みあっていた二人がはたとこちらを向いた。

「…いつもはアレですけど、小野田と鳴子に教えてる田所さんと巻島さん。先輩っぽくて、サイコーにカッコよかったですよ」

不本意ながらも、なんて言葉は心の奥にしまっておいて、私はにこりと笑った。まあ実際そんな二人をカッコいいと思ってしまったのもまた事実だ。
 一方で二人はまるで石のようにぴしりと固まってしまっている。言葉を発することもせず、ただその場に立ち尽くしている。ああなんて静かで心地がいいんだろう。毎回こうなってくれるなら、たまにはこんなことを言ってみてもいいかな、なんてぼんやりと思った。



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>秋さん