どん、と効果音がつきそうなくらい、彼は朝から得意げにそれを私に見せてきた。おもちゃのようなチープな見た目、片目を瞑らないとよくわからなくなってしまう覗き穴、本当に撮れるのかと疑いたくなるような小さなレンズ。数年ぶりに見た使い捨てカメラというやつに、私も懐かしさを感じながらどうしたのそれ、と尋ねた。

「昨日ちょっと実家に帰ったんだがな、部屋から出てきたんだ」
「へえ、随分懐かしいね。昔はよく使ったなあ」

 それが主流だったのは小学校低学年の頃…いや、幼稚園の頃だろうか。これで撮るとやけに赤目になっている写真や焼けている写真が多かった気がする。が、ぱちりとするカメラならではの音、小さなその形状。それが、私は昔からなんとなく好きだった。
 ちょっと見せて、と頼むと、東堂はすんなりとカメラを渡してくれた。今じゃ売っているのかすらわからない、いや、探せば売り場の片隅でひっそりと売られているのかもしれないそれは、昔と変わらない形のまま自己の存在を主張していた。

「けどそれ、残りのフィルムが二枚しかないみたいなんだ」

そう言われてシャッター近くの数字を見ると、なるほど確かに数字は二と表示されている。残り枚数が多ければ、ちょっと頼んで何か撮らせてもらおうと思ったのだが、二枚しかないとなると流石にそれも申し訳ない。

「だから、一枚撮る権利をお前にやろう。自分が思う最高の写真を撮ってくれ!」
「えっ、撮っていいの?」
「もちろんだ!」

 なんとも嬉しい展開に、思わず笑みを浮かべる。それを見て東堂も、オレも最高の一枚を撮るからな、と楽しげに笑った。
 何を撮ろうかな、と頭の中でほわほわとイメージを膨らませる。友達? 学校の風景? それとも、グラデーションがかった夕焼け空? ただ写真を撮るだけなのに、こんなにもわくわくしてしまうのはそれが携帯のカメラではなく、使い捨てカメラだからか。私にとっての最高の一枚は頭の中じゃ決められなくて、とりあえずぴんときたものを撮ってみようと思った。その節を東堂に伝えると、彼はそうか、と覗き窓から私を見ながら言った。

*

 目の前に広がるのは、朝に頭の中で空想したよりも綺麗な夕日のグラデーションだった。橙と紫が入り混じって、夜が訪れる前にぼんやりと明るい空を見させてくれる。
 帰宅部のくせに、友達と話し込んでいたら最終下校時刻まで残ってしまった。実家に住んでいる友達と下足室で別れて、私も学校を出る。その時、見慣れた後ろ姿が一人で歩いているのが見えた。部活がちょうど終わったのだろう。東堂、と声をかけると、彼は振り返っておお、と笑った。

「部活帰りだよね。お疲れ様」
「うむ。みょうじは何故この時間にいたのだ?」
「友達と話してたら、いつの間にかこんな時間だったの」

 へへ、と笑うと、女子は話すことが好きだからな、と呆れたように言われた。そういう東堂だって、トークが切れるって自負するくらいおしゃべり好きな癖に。
 寮まで一緒に帰ろう、とわずか数十メートルの道を二人で歩く。

「そういえば、撮るものは決めたのか」

 思い出したように尋ねられて、私はうーんと小さく唸る。夕焼けの橙はどんどん紫に飲み込まれていって、また違った美しさを際立たせていたが、その美しい空をあのカメラで撮ろうとはどうしても思えなかった。これは撮るものを決めるまで長期戦になりそうだ。

「東堂は何撮るの」

そう自分で言ったものの、彼の返事を聞く前にあ! と思わず大きな声を出す。少し驚いたような彼を後ろ目に、私は視界に入ったその小さな白色に近づこうとしゃがみ込んだ。

「東堂、みて。ぺんぺん草!」

 嬉しくなって叫ぶと、東堂もどれどれと私の隣にしゃがみ込む。コンクリートの隙間に力強く咲くその花に、私は胸が高鳴った。どこにでも咲いているぺんぺん草にこんなに興味をひく私を意外に思ったのか、東堂に好きなのか、と短く問われて、私はこくりと大きく頷いた。

「小さい頃ね、ほんとに好きだったの。花が小さくて可愛いし、何より実がハート型でしょ」
「実? 葉ではないのか」
「葉っぱに見えるけど、これ実なんだよ。そんで本当はハート型じゃなくて軍配型って言うんだけどね」

 ぺらぺらと話し出してしばらくしてから、呆然としている東堂を見てはっと我に返った。しまった、小さい頃好きすぎて調べまくった知識を無駄にひけきらかしてしまった。他人にとってはきっと面白くないだろう。ごめんね、と告げながら東堂の顔を覗き込むと、彼は堪えていた笑いを吹き出すようにふっ、と笑った。

「な、何笑って」
「いや悪い。なんかみょうじがそこまで熱く語ってるのが珍しいうえ、語ってる対象がぺんぺん草だから」
「ば、ばかにしないでよね! 素敵なんだからぺんぺん草!」
「バカになんかしてるわけないだろ。けど、そんなに好きなのに学名で呼ばないんだな」

 そう言う東堂に、今度は私がふふ、と笑う。ぺんぺん草の正式名称…学名はナズナ。春の七草の一種だと言えば馴染み深いだろう。けれど私は春の七草の名前を述べるときですら、ぺんぺん草と言ってしまう。(いつしかそれで恥ずかしい思いしたこともある)呼び慣れているから、という理由もあるが、それだけではない。三味線を弾く擬音語からきたというそんなぺんぺん、という半濁音の響きがなんだかとっても好きで。

「そのほうが、可愛いじゃん」

 にへら、と笑ってぺんぺん草に向けていた顔を東堂に向けた瞬間、ぱちり、とレトロな音が響いた。思わず目を丸くした私の目の前には、レンズをこちら側に向けた使い捨てカメラ。

「確かに、可愛いな」

 そうしてにやりと笑った東堂の言葉よりも、私にはたった今写真を撮られたという事実のほうが重要だった。朝、彼はお互い最高の一枚を撮ろうと言った。だから私もこれからカメラを借りてぺんぺん草を撮ろうと思ったのだけれど、彼は何故か私に貴重な一枚を使ってしまったのだ。

「と、東堂! なんで、ど、どうして今撮ったの!」

 撮られた恥ずかしさと動揺で軽く噛んでしまう。それに少し笑いながら、それでも当然のように彼は言った。

「オレが好きなお前が、そんな風に笑ってる写真なんかまさに最高の一枚だろう」

 そんな言葉に、思わずぴたりと動きが止まる。聞き間違いか、それとも勘違いか。まるで挨拶をするようにさらっと言われた言葉は、私の思い違いでない限り、シチュエーションもへったくれもないほどの愛の告白に聞こえた。

「…いま、私、告白された?」
「そのつもりだが?」

平然と言われた返事に、もう一度先程の言葉を思い出す。そうして理解した途端、一瞬にして顔が熱くなるのを感じた。ばくばくとうるさく音を立てる心臓。まともに東堂の顔を見られなくて、再びぺんぺん草に視線を戻す。先程可愛いと彼が言ったのはもしかして、なんて自意識過剰なことも一瞬考えてしまって、きゅ、と唇を窄める。私の赤い顔と相反して涼しげに咲く白い花が、微笑むかのように私を見ていた。
 私ははあ、と大きく息を吐いてから、一瞬にして東堂の手からカメラを奪い取った。そうしてしゃがみ込んだ彼を無理やりぐっと引き寄せて、レンズを自分たちの方に向ける。最近の携帯のように内側カメラなんてあるはずがない。きちんとこれで画面内に収まっているかなんてわかりもしないが、私は勢いのままシャッターを押した。
 ぱちり、と再びレトロな音がしたと同時に、ジッとフィルムがゼロに回る音がする。私はカメラを東堂に押し付けると、すくりと立ち上がって叫んだ。

「…ぺんぺん草の、花言葉っ!」

 途端に恥ずかしさの頂点に達してしまって、いてもたってもいられなくなる。咄嗟に行われた行動に呆然としている東堂に背を向けて、私は一目散に走りだした。きっと東堂は意味を知らないだろう。けれど彼のことだ、すぐさま調べるに違いない。
 太陽はすっかり沈んで、月がぼんやりと道を照らす。相変わらず熱を持ったままの体温は、寮に戻っても一向に下がる気配がなかった。


 次の日。「好きだと告白したのに、あれじゃまるでプロポーズの返事だな」と笑われながら東堂から手渡された現像写真には、思った通り画面内に収まっていないどころか、完全に私と東堂の顔は画面外に追いやられていた。きっと角度を下に向けすぎたのだろう、代わりにその写真の中心にあったのは、足元に凛と力強く美しく咲いていた、私の大好きなぺんぺん草だった。