「ね、東堂」
名前を呼んだだけだけど、上ずっていなかっただろうか。変にドキドキしてしまう。
東堂は私の声に応えるみたいに、同じく窓の外に視線を移した。その表情は心なしか楽しそうで、つられるように私も楽しくなってくる。
「見えてきたな」
家と家の隙間から、水平線が見えた。会話とも言えない言葉のやりとりは、ここで終わってしまう。再び訪れた静寂に、変わらず電車はリズミカルにタタン、タタンと鳴りながらレールの上を走る。
私と東堂は別に仲が悪いわけではないし、むしろいいほうだと思っている。いつも唐突に、私か東堂のどらかがあそこに行きたい、あれをしたいと言って、よしきたと実行する。気分によって、実行されないことももちろんあるけれど。少なくとも私がこんなことをできる相手は東堂くらいだし、東堂も私くらいだと言っていた。それが誇らしくもあり、越えてはいけない壁のようにも感じる。
車内アナウンスが、次の駅は目的地だということ告げた。駅に停車して人のいないホームに降り立てば、風に乗って潮のにおいがする。
どちらかというと、小さな駅だった。自動改札機が二つと駅員室だけの、街中の賑やかさはなく、少しだけいる人の生活を感じる駅。大勢の人が利用するとなると不便かもしれないが、自分が使うには問題ない、といったところだろうか。
改札を出て数分歩けば、すぐに海に着いた。天気もいいし気温も低くはないが、海開き前だからか人はほとんどいない。
今回は私が海に行きたい、と言ったのがことの始まり。東堂は携帯をいじっていたけど、いいなそれ、と同意して顔を上げてくれた。行く、と問えば、行く、と肯定の声。
そこからは早かった。電車の乗り継ぎを調べ、必要最低限の荷物を持ち、寮を出発した。ふたりとも服装は楽に、私は膝丈のシャツワンピースだし、東堂もデニムにパーカー。年頃の男女がふたりきりで出かけるには、あまりにもムードのない服装だと思う。でもこれが私たちにはちょうどいいのだ。
砂浜に足をふみだせば、重たいような、まとわりつくような感じでうまく歩けない。それでも歩を進めていたら、当然よろけてしまった。あ、と思ったらスルリと腰に手をまわされる。
「みょうじは見ていて危なっかしいな」
「東堂は砂浜でもまっすぐ綺麗に歩けるんだね」
まぁな、と得意そうに言う。体勢を立て直したら、当たり前ではあるけれど私を支えてくれていた手は離れてしまった。東堂はそのまま海に向かって歩いて行ってしまう。
少しだけその場に立ち止まってみれば、視界には砂浜と海と空、それから東堂だけになる。海に入らないぎりぎり、波打ち際に立つ東堂が格好良くて、時間が止まったのかと思ってしまった。きらきら光を反射させる海が綺麗で、こちらを振り返らないうちにこっそり携帯で写真を撮った。
カバンに携帯をしまったら、東堂は振り向きこちらに歩いて来ている。私はスニーカーも靴下も脱いで投げ出して走り出す。あたたかい砂に足を取られながら東堂とすれ違う。彼が立ち止まっていた波打ち際の向こう、海にまで私は足を踏み入れていく。
足の指、足の甲、くるぶしまで塩水に浸かって立ち止まる。海水だけでなく、足元の砂もゆらゆらうごめいている。自分は何もしていないのに、自然と少しずつ砂にうもれていってしまう。このまま立ち尽くしていたら、私はすっぽり砂に埋れて海に沈んでしまうのではないだろうか。きっと、終わってしまう。
さらに水平線に向かって歩を進めてみれば、ふくらはぎの中頃まで海の中。波の調子でスカートの裾も濡れそうだ。海水は冷たくて、波の音と風の音、それからうみねこの鳴き声しか耳に入らない。海開き前だから、人に見られたら怒られてしまうなぁ。自分のことなのに、まるで他人事だ。
視界から砂浜と東堂はいなくなって、一面には海と空の調子が違う青だけ。波がこちらに向かうとき、そのまま私も飲み込まれてしまうのではないかと少しだけ怖くなる。
青ばかりの世界にどこまでも続く水平線は、手の届くところに見えるのにとてつもなく遠い。けれども、不思議と歩いて行けそうな気がした。今この瞬間なら、なんでもできる。不思議とそんな風に、自信とは違う確信のようなものが内に溢れ出してくる。
くるりと振り返れば、東堂は私の投げ出した荷物を足元に立っていた。距離なんて数メートルかそこらだろうに、水平線みたいに遠いようだ。随分と楽しそうに笑ってる彼へ、一歩ずつ近づく。
「東堂!」
突然の大声に、東堂は驚きつつも何をするんだとワクワクしている。海から上がるべく砂浜に向かっていた足は勝手に止まってしまう。くるぶしが浸かるか浸からないか程度なのに、海の中にいる私と砂浜にいる東堂は別の世界の存在みたいに思えた。
「なんだ?」
「好き」
私の一世一代の告白は、聞こえただろうか。絶えることなく波が引いては寄せているんだから、たった二文字の私の全ては波にかき消されたに違いない。すまない聞こえなかった、何と言ったんだ、と聞き返してきたらなんでもないと笑おう。
優しい笑みの想い人が口を開く。
「オレもだ」
同じように、波の音に、うみねこの鳴き声にかき消されてしまうほどの声だった。それでも、そのたった四文字は私の耳にしっかり届いた。
気がつけば走り出していた。濡れた足につく砂も気にならない。思い切り飛びついてしまったけれど、しっかりと受け止められ、それから少しよろけた。それでも倒れないことに驚きとときめきを覚える。
「東堂、好き。ずっとずっと好きだった」
「オレもだ。きっとみょうじが思っているよりも長い間、ずっと好きだった」
今まで口にすることのできなかった言葉を、額を胸に押し当てながら伝える。ぎゅうと背中にまわした腕に力を入れれば、お返しみたいに腰に回された腕に力が込められた。
帰りの電車も、行きと同じで会話は特になかった。誰もいない静かな車両でぽつりぽつり、思い出したみたいにやり取りをするだけ。履きつぶしたスニーカーには、払いきれなかった砂がついている。
タタン、タタンと一定のペースで続く音に少し眠たくなってきた。乗り換える駅はまだ先だし寝てしまおう。うつむくように頭を前に下げたら、軽く身体を引かれて肩にもたれかけるよう促される。少しだけ驚いたけれど、すぐに心地よくなる。手のひらごしに東堂の熱を感じながら、ゆっくりと目を閉じた。