「ぎゅってしていい?」

 こっそり男子寮に忍び込んだ夜。本を読んで床に寝転がっている尽八に、私はベッドの上で寝転がりながら尋ねた。尽八は一瞬驚いた顔をしてから、ゆっくりと起き上がる。一方で私はうつ伏せで肘を立て、顎を手の平にのせたまま動かない。

「どうした、急にそんな事言うなんて」

床に座った尽八とベッドで寝転がった私の目線の高さは同じくらいだろうか。普段彼を見上げてる形なので、こんな高さで尽八を見るのは珍しいな、なんてぼんやり思った。

「別に、ただなんとなく」

 そう、本当になんとなく。特に理由もなく、ただ尽八を抱きしめたいなと思っただけだ。なんでだろ、寒い時期だからかな。一応この部屋暖房ついてるはずだし、ていうか実際寒い部屋じゃないし。
じゃあなんで。そんなこと考えても自分じゃ何も出てこない。それほど理由なんてないのだ。

「なまえらしいな」

 尽八はふっと笑って目を細める。そんな小さな仕草さえ目に付いてしまうくらい、今の私は本当に「なんとなく」変で、「なんとなく」いつもと違うのだ。
 私はのろのろと身体を起こすと、またのろのろとずれるように床に落ちる。そうして尽八と向かい合うと、先程までの同じ高さの目線はあっという間にいつも通りの形に戻っていた。

 私は膝だけで歩いて、尽八との距離をぎりぎりまで縮めると、ぽす、と頭の重さを尽八の肩に預けた。意外とがっしりしている肩幅は、頭を乗せても安定感があるのだ。
 尽八はそんな私の頭を優しく撫でてくれる。頭に感じる感触がとても心地良くて、私は思わず顔を緩めた。

「尽八のなでなで、すき」
「そりゃ良かった」

 そうして私はさらに身体を寄せ、無防備に力を抜いていた両腕を尽八の背中に回す。頭は再び彼の肩にもたれるようにだらりとした状態で、私の視界は彼の背中と床だけになった。
ああ、あったかい。尽八の匂いがする。尽八もそのがっしりした腕を私の背中に回して、お互いぎゅっと相手の温もりを確かめる。

「本当に珍しいな。こんなに甘えてくるの」
「なんとなく、そんな気分なの」

 なんとなく、なんとなく。もうその言葉の意味すらわからなくなるくらいに頭の中でそれを繰り返す。たまにはそういうときもあるんだよ、と誰に対してかもわからない言い訳をしたあと、私はあーと気の抜けた声を出した。

「もうちょっとだけこのままでもいい?」
「お好きにどうぞ」

 そう言って尽八はそのまま私を受け入れてくれる。やっぱり尽八は優しい。今日はそんな彼の優しさに甘えてみたくなったのかもしれない。
 静かな空間に、私と尽八の心臓の音だけがどくどくと聞こえる。ああ私、意外とどきどきしてるんだなあ。でもそれは尽八も同じなようで。
響く鼓動の音すらなんだか愛おしくて、私は背中に回している腕にぎゅ、と力を込めた。

「じんぱちぃ」
「ん?」
「すき」

 にへら、と情けないくらい緩みまくった笑みを浮かべても、この体制だったら尽八に顔を見られないんだから何の問題もない。
尽八はそんな私の表情もつゆ知らず、私の背中に回してあった右腕をもう一度私の頭に乗せて、軽くぽんぽんと叩いた。

「…本当に、どうしたのだ今日は」
「だーかーらー。なんとなくそういう気分なの」

しつこいくらい理由を聞いてくる彼に、緩んでいた表情から一転、むすっと頬を膨らませる。全く、私が甘えるのはそんなに珍しいか。…うん、珍しいな。
 そう思った時、尽八の両腕の力が緩む。頭にあった右手と、背中に回していた左手の温もりがあっさり離れていった。

「なまえ、離せ」

 そうして突然告げられたそんな言葉に、私はさらに尽八を強く抱きしめる。なんだそれ。このままでいいか聞いた時に、好きにしろと言ってくれたじゃないか。それなのになんで急に離さなくちゃいけないんだ。

「…やだ」

まるで小さな子供がわがままを言うような声で、私は否定する。だって私はまだ、あともう少しだけ、このままでいたいんだ。

「ならせめて頭を上げろ」

優しい声色。彼は怒っている様子ではない。顔上げるだけなら、なんて一瞬思ったけれど、考えてみたらあげるわけにはいかない。きっと私は今ろくな顔をしていないからだ。

「やだ」

 先ほどと同じトーンで否定すると、今度は尽八は何も言わない。諦めてくれたのかな。そんなことを思った矢先、私の頭は尽八の手によってくい、と彼の首の方に寄せられた。瞬間、首のうなじに感じた優しい感触。

「このままだったら、ちゃんとキスもできないだろ」

触れられたのが尽八の唇だと、気づいたのはほんの僅かな時間。瞬間熱くなった顔をさらに見られるわけにはいかなくて、私はやっぱり頭を上げるわけにはいかなかった。
 つむじにキスなんて、なんて軽々しく恥ずかしいことをやってのけるんだこの東堂尽八という男は!

「なまえ」

そう呼ばれて、どきりと心臓が大きく打つ。ああくそ、なんて、なんてかっこいいんだろう。
なんとなく甘えてみたい、なんとなく抱きしめたい。そんな私のなんとなくは、心からの願望だったのかな。
 けれどやっぱりまだこの頭はあげられない。だって熱が出たんじゃないかってほど、きっと顔が真っ赤に染まってるから。だからあと少し、もう少しだけ待って。

「…あともう少ししたら頭あげる」

そうしたら、きっと私が今感じている「なんとなく」キスしたい願望が満たされるんでしょ?