私の驚いた声に、尽八はすまん、と頭を下げた。別に責めている訳では無いのだが、単純に驚いてしまったのだ。てっきり私は、クリスマスと同じように彼と過ごせることが出来ると思い込んでしまっていたから。
「年末年始は、実家の旅館に団体客が泊まりに来るのだよ。だから毎年手伝いに借り出されてしまうのだ」
「そっかあ…」
思いがけないことに、彼に悟られないよう、私は心の中でため息をつく。家の事情なら仕方ないってわかっているけれど、それでもやっぱり寂しいし残念なものは残念だ。
私と尽八は夏のインターハイが終わったあとから付き合い始めた。だから恋人として年をまたぐのは初めてで、彼が毎年実家に行っていることは知っていたがそんな事情だとは知らなかった。
「すまない。だから会えるのは三日以降になってしまうのだが…」
「んー…」
三日以降。仕方ないことだ。仕方ないことだけれど、私の我侭な気持ちが文句を言っている。
年越しは一緒に神社に行って、お参りして、おみくじひいて。そんな計画すら頭にあった。それがダメなら家で電話をかけながら年を越す、なんて。けれど手伝いなら客前だろうし、電話をすることすら難しいだろう。
そう思った時、ぴんと頭の中で一つの考えが思いつく。どうしよう、迷惑じゃないか。でも、それでも。聞いてみるだけありなんじゃないか。
「ねえ、もし迷惑じゃなければ、なんだけど」
「なんだ?」
「…あのね、私もその、東堂庵のお手伝い、してもいいかなあ?」
*
旅館の入口は靴箱に入らないくらい靴がたくさん。客間や大広間から、廊下までもががやがやと騒がしい。
12月31日。いつもは静かな箱根の名旅館、東堂庵は大勢の人で賑わっていた。それもそのはず、毎年泊まりに来る団体客や家族連れですべての予約が埋まってしまっているらしい。私はここへ来るのは初めてではないけれど、以前来た時と全然違う雰囲気におののいてしまった。
「すごい人だね…」
「毎年のことながらオレも圧倒されるな」
言いながらほら、と差し出された手を握って、彼の後についていく。裏口から入った私たちはその喧騒を横目で見ながら、尽八の部屋へと歩を進める。
やがてたどり着いたその部屋のドアを開けて、背負ってきた大荷物を下ろした。尽八のこの部屋は今は住んでいないから荷物は少ないとはいえ、とても温かい雰囲気がしてとても好きだし落ち着く。しかし、今はそんなこといってられないのだ。
「…大丈夫、かな」
「まあ、なんとかなるだろう」
手伝いをすると申し出たあと、尽八はすぐに実家に連絡を取ってくれた。「友達が是非手伝いたいと言っている」そう言った彼の言葉に、電話の相手はそれはもう喜んでくれたそうだ。
けれど、彼女だとは言っていない。友達ではなく彼女だと、その後何度も告げようと二人で策を練ったのだが、結局行動に移せずじまいだった。
東堂庵を訪れたのはチャリ部のみんなで、尽八と付き合う前の一度きりだ。もちろん家族にも会ったことがある。
恋愛ごとにとやかく言うような両親には感じなかったし、尽八もそうは言っていたがやはり心配ではあるようで、なんだかんだでじゃあもう当日カミングアウトしてしまおうということになったのだ。
「…なんか実家でこうして言うなんて、結婚報告みたいだな」
「ちょ、やめてよ恥ずかしい!」
突拍子もない発言に自分の顔が熱くなるが、そういう彼の表情も、真っ赤でガチガチに固まっていた。きっと尽八も緊張しているんだろう…けど、そういう発言をこんなときにしないでほしい!
とりあえずここで話していても仕方ないし、目的はお手伝いなのでお母さんたちがいるだろう従業員部屋へと向かう。
そうしてたどり着いた部屋の先、久しぶりに見た尽八のお母さんは私を見るなりあら、と顔を綻ばせた。
「手伝ってくれるお友達ってあなただったのね。えーっと、…なまえちゃん、だったかしら」
「あ、そうです! ええと、無理言っちゃってすみません!」
「いいのよ。むしろ大歓迎だわ。人手が足りなくて困っていたのよー。ありがとう。ほら尽八、早くこれ羽織って手伝いなさい! あ、なまえちゃんもこれ羽織ってね」
そう手渡された、東堂庵と書かれた青い法被。本当は女の子は動きやすい着物を着るんだけど、今回は時間が無いからそれで勘弁ね、と尽八のお母さんは笑った。
羽織ってみると思った以上に大きくて、少しだぼついてしまう。けれど動くうえではなんとかなるだろう。
尽八を見るとそれはそれはさまになっていて、着慣れているというか、似合っているというか。
見惚れたか? なんてお母さんに聞こえないように言う尽八があまりにもかっこよくて、それがなんだか悔しくて、脇を肘で小突いてやった。
それからは怒涛に時間が過ぎていった。広間への配膳や、お客様のご案内。少し時間が空けば掃除をしたりと、とにかく忙しかった。もちろんお母さんに言うタイミングなどあるはずもなく、私も尽八もひたすらに動き回っていた。
日付が変わる15分くらい前だろうか。私と尽八はお母さんに呼び出されて、そして突然告げられた。
「悪いんだけど、二人で大広間でカウントダウンしてきてくれないかな」
言っている意味がわからず、思わずえ、と口にしてしまった私とは裏腹に、尽八はすべて分かっているようにああ、と承諾した。
訳が分からないまま大広間に向かう尽八のあとについていって、どういうこと? と尋ねると、彼はいつものことなのだよ、と笑った。
「毎年うちの旅館じゃオレか母さんか、誰かが大広間のステージでマイクパフォーマンスしながら新年のカウントダウンを行うのだよ」
「ええ? 旅館なのにそんな派手めなことするんだね」
「意外だろう? でもそれがわりとウケがいいのだ。今年はなまえもいるからなお一層だろうな」
「私そんなの出来るかなあ…」
マイクパフォーマンスなんてしたことないし、そもそもステージに立つなんてだけでガチガチに緊張してしまうくらいだ。そんな私の不安を読み取ったかのように、尽八は私の頭を軽くぽんぽん、と叩いた。
「大丈夫だ、そんな大したもんではない」
そりゃあ、目立つことが大好きな尽八にとっては大したことないんだろうけど。けれどそんな文句も言えなくなるほどの安心感に包まれてしまって、悔しながらも私はそのまま頷いてしまった。
そうしてステージに立った尽八は本当に輝いていた。さすがトークも切れると自負する山神、ということだろうか。お客さんを楽しませ、笑わせ、彼自身も楽しんでいるように見える。
大広間にいる人たちは毎年来る常連の顔見知り団体ということで、みんな尽八のことを知っているようだった。やれイケメンやらやれ山神やら、みんなお酒が回っているからか、とにかく野次が飛び交っていた。
そんな中、私も頼まれてステージに立った以上、何もしないわけにはいかない。尽八には劣るが自分なりに精一杯盛り上げて、そこそこのいい空気を保てた…と思う。
「なあ嬢ちゃん、可愛いけど彼氏いんのかー?」
そんな声が飛んだのは、さあカウントダウンをしようと声をかける直前のことだった。突然のからかうような野次に、ただでさえいっぱいいっぱいだった私は何も言うことが出来ずに固まってしまった。
「いねえなら俺がもらっちゃおうかなーなーんて」
「バッカおめーみたいなオッサン相手にされねーよ」
所謂酔っぱらいの会話というやつだ。しかし、未成年の私はそんな冗談交じりの会話にどう接していいかわかるはずもない。大広間の中には尽八のお母さんがいる。本当のことをここで言えるはずもない。
時間は過ぎていく。カウントダウンは本来もう始まっているはずだ。日付が変わるまで、年明けまであと何秒? どうすることもできなくて、トークも切れる彼に頼ろうと横目でちらりと見る。すると彼はなにか思いついたようにふっと笑った。
何か思いついたの、そう告げようと瞬間、ぐい、と腰を掴まれ、気づいた時には尽八のすぐ傍に抱き寄せられていた。
「なまえはこの山神、東堂尽八のものだからな! 誰にも渡さんよ!」
そう彼がマイクを通して大声で叫んだのと、12時の鐘が響いたのは同時だったろうか。
瞬間わっと湧いた大人たちのからかう声に、飛び交う歓声。
彼が何を言ったのか、理解した時には私は熱が出たんじゃないかと錯覚するくらい熱くなっていて、その場から微動だにすることができなかった。
視界の端に映った尽八のお母さんは、まるで最初からわかっていたかのように我が子の行動に苦笑いを浮かべている。一方で隣にいる尽八を見ると、どこで吹っ切れたのか、それはそれは得意げな顔をして笑っていた。
「…カウントダウン、してない」
ようやく言葉を発せた私が言ったのはそんなことで。騒がしいこの中で、そんな独り言が聞こえるとは考えにくい。けれど尽八は当たり前のように答えたのだ。
「しなくても、年は明けるのだよ」
そんなの、それこそ当たり前だ。
「今年もよろしくな」
耳元でそう告げられてしまったら、返事なんかできるわけが無い。
大勢の人が見守るステージで抱き寄せられて公開告白という名の公開処刑から逃げ出す気力もなく、私は彼が離すまでそのままの体制でいることしかできなかった。
ああ、今年も山神様には敵いそうにありません。