なまえと出会ったのはもう十年以上前。けれど関わりがあったのは中学在学中の三年間のみ。高校に入ったボクは占い師とアイドルという二足の草鞋で忙しいというだけではなく、『五奇人』などという不快な総称でにいさんたちと一纏めにされ、怒涛の学園生活を過ごした。それでも実際抗争時代は一年の頃だけだったし、三年になった頃には今の事務所にも入ってだいぶ落ち着いていたけれど、忙しいことに変わりはないボクは、恋愛事にかまけている暇なんてなかったのだ。
それでも昔なまえが好きだと言っていた漫画を見ると彼女のことを思い出すし、痛いような、熱いような気持ちが昂ってくる。あの頃占いに集中したかったのは本当だ。けれど彼女も二次元にしか興味ないと言っていたし、在学中に気持ちを伝える気はなかった。中学を卒業しても繋がっているんだろうから、いつかは、なんて。人との繋がりなんて、意図せずとも容易く切れてしまうものなのに。
彼女への想いが吹っ切れればと一人だけ付き合った女性がいたけれど、一か月ももたずに別れた。別れを切り出したのはほぼ同時。ボクはボクでやっぱりなまえのことが忘れられなくて、彼女は彼女で「思っていたのと違った」らしい。結局二人とも恋愛にも満たない感情で、おままごとのような付き合いだった。
たぶんボクはこのままずっと気持ちを引きずっていくのだろう。ここまでくると一途を通り越してもはや重い男だ。だからといって想いをすぐに断ち切れるわけもない。器用ではあるけれど、人間という枠に当てはまるボクは気持ちを精密にコントロールなんて出来やしないのだ。
そんな中でなまえと再会したときは心底驚いた。同時に、再び繋がれた縁を今度は絶対に断ち切りたくないと思った。成長した彼女は中学生のときにあった少女みが薄れ、当たり前だがもう少女とは呼べないくらいの大人になっていた。それはあの頃より明るくなった髪の色や、それらしいメイクを施していたからかもしれないけれど。
それでもやっぱり中身はあの頃の彼女のままだった。良い意味でも、悪い意味でも。だってまさか、まだ二次元しか見ていないなんて。
……でもその方が良かったのかもしれない。再会したら彼氏持ちだったとか、結婚してたとか。そういう展開だったらそれこそボクは永遠に救われないから。だったら恋愛対象にいなくても、二次元に目を輝かせる彼女の傍で親友として振舞っていた方がよっぽどマシだ。今まで一人で引きずってきた過去と比べたもんならこっちの方が百倍良い。無理やり振り向かせようとか、そういうことは考えなかった。長年想いを募らせていたボクは、すっかり満足のハードルが低くなってしまっていたのだった。
それでも気になるのはボクが占ったなまえの恋愛運だ。もしかしたらあの見えない相手は二次元のキャラクターという可能性もある。それならそれでいいのだけど、恋愛運がひたすらに上がっていっていたのが気になる。でもまあ、結局占いもそれが正解ではないし、いくらでも未来は変わる。占い師がそれを言っちゃおしまいだと言われそうだけど、実際そういうものだから。それに、あのなまえが三次元の男に恋をするなんてこと、今のボクには到底想像できないからね。
事務所で長時間の打ち合わせを終えて外に出ると、とっぷりと空は暗くなり、街灯が煌々とコンクリートを照らしていた。こんなに長い間ESビルにいたのは久しぶりかもしれない。ビルの近くにあるアイドルたちの寮、星奏館にいた頃はそれこそ拠点とでもいうようにビルの中にいたが、寮を出た後は本当にたまに立ち寄るくらいの場所になっていた。まあ、それでも今住んでいる家だってここからそう遠くない、むしろ近いんだけど。
明日は朝から撮影だっけ、午後はそのまま別現場に行って……そんな風に頭を働かせつつ歩いていれば、向こう側からこちらに向かってふわふわとした足取りで向かってくる人影が見えた。酔っ払いだろうか。それにしてもこの時間にこっちに歩いてくるなんて珍しいな。こっちの方向にはそれこそESビルしかないはずなのに。やがて距離が少しまた縮まれば、コツコツというヒールの音が響く。ふんわりとした人影は女性のようだ。
やがてお互いがお互いを認識し合えるくらいに近づいたとき、ようやくその女性がなまえだということに気が付いた。あちらも驚いたように目を丸くする。が、最初に飛び出してきたのは「本物の夏目だ」なんていう訳のわからない言葉で、驚きも一気に薄れてしまった。
よく見れば、暗い中でもわかるほどに顔が赤い。恐らく飲み会の帰りだろう、と思った瞬間に抱き着かれそうになったから咄嗟に避けた。酒臭い。それにしてもこの時間に一人なんてさすがに危なすぎないか。
ちょっと話そうよ、と笑う彼女の誘いを嫌だと一蹴すれば、お願い! と無駄に必死な懇願が飛んでくる。実際明日の朝から撮影だし、ボク自身さっさと帰りたいのは本当だ。だけどこの状態のなまえをこれ以上遅い時間に帰らせるなんてこと、絶対にできるわけがなかった。それでもこいつはしつこい。何度も我儘もいう彼女に、ボクも仕方なく折れてしまった。せっかく会えたからちょっと話したかったなんて下心があったなんてことはない。これに関しては断じてない。
ベンチに座って彼女の話を聞いてからすぐに、やっぱり聞かなければよかったと後悔した。なまえが恋愛面も昔と変わっていないことはもちろんわかっていたけれど、「二次元にしか興味ないもんネ」とわざとらしく言ってみれば間髪入れずに肯定の返事がきたのはなかなか堪えた。なんだかんだ思いつつ、結局ボクはまたなまえと日々を過ごすうちに今まで以上の関係を求めてしまっていたのかもしれない。
なまえは昔からボクに向かって「かっこいい」だとか「好き」だとかを頻繁に口にする。最初こそ少しドキドキしたものだが、もはや彼女にとって挨拶みたいなもの、今やもう慣れっこだ。異性にそういうことを軽々しく口にするのはどうかと思うけど、多分ボク以外の男にはそういうことは言ってない……と思う。そう信じたい。とにかく愛情表現過多ななまえだが、今までボクに同様の感情を求めてくることはなかった。「私のことすき?」と赤い顔のまま聞いてくる彼女は、まるで小さな子どものように純粋な目を向けてくる。お酒という大人の武器を宿してそんな目をするのは卑怯だ。
――そう思いながらも、その質問に好き、と。「彼女とまったく同じ気持ち」を装って返事をしたボクは、それよりよっぽど卑怯だ。言葉は同じでも、それに含まれた意味は全く違うというのに。
情けなくて、馬鹿らしくて、何より現状に満足できていなかった自分が悔しくて。彼女がそのままボクの肩に頭を預けて寝落ちしてしまった後に、ぽつりと呟く。本当に、どうしようもなく。ボクはなまえが好きだから。
すっかり寝てしまったなまえをなんとか一緒にタクシーに乗せて、すぐ近くのボクの家まで連れてきた。簡単に言っているけど、こうするまでに相当悩んだ。
いくら呼んでも全く起きない彼女を遠い自身の家に連れて行くのは無理、というか詳しい住所知らないし。誰かなまえの知り合いに電話しようとも、今のボクたちに共通の知り合いなんていないし、彼女のスマホにはもちろんロックがかかっている。ホテルやネカフェなんてのはありえない、かといってこのまま放っておくなんてもってのほかだ。つまりこれは消去法。仕方なく、本当に仕方なく、ボクはなまえを連れて帰ってきてしまった。
床に放置するわけにもいかないので、とりあえずベッドに寝かせる。相変わらずこの酔っ払いはぐーすかと眠りこけているが、これだけ動かされてもまだ起きないってどういう神経してるんだ。本当はもう起きてるんじゃないかって疑ったけど、なまえにそんな器用な真似が出来るはずがないとすぐにその疑念を打ち消して布団をかけてやった。
ソファに座って、ハァ、と大きくため息をつく。改めて考えなくても、かなりやばい状況だ。何がって、ボクの心境の話。だって自分の部屋で、自分のベッドで、無防備になまえが寝てる。とんだ生き地獄だ。いくら疲れているとはいえ、ボクも男。さすがにこの状況は堪える。
にしても、なまえもなまえで不用心すぎないか。相手がボクじゃなかったらどうなってたと思うんだ。例えばそれが、さっき話してたボクに似てるとか似てないとかの男だったら。考えたら何だかイライラしてきた。大体何でボクがこんな目に合ってるんだ。……駄目だ駄目だ、考えても仕方ない、さっさとお風呂に入って寝てしまおう。
寝る準備を終え、電気を消してソファに横たわる。目を閉じた瞬間にベッドに寝かせたときのなまえの寝顔が脳裏に過ってしまい、どうにかそれを振り払おうとする。据え膳食わぬは何とやらというが、そんなことをしたら不祥事アイドル、というか犯罪者だ。そしてさっきまでイライラモヤモヤしていたのに、少しでも時が経てばこの有様だ、情けない。
ああもう本当に嫌になる。こんなことならあの時話なんか聞かずにさっさとなまえと別れていれば良かった。そんなことを思っても仕方がないのに、どうしようもない気持ちだけがぐるぐると渦巻く。こんなことならいっそ、全部夢なら良かったのに。明日朝起きて、ああバカな夢みたな、だなんて。
そんな願いも虚しく、どうしようもない現実として朝は訪れる。眠れたような、眠れなかったような。身体の感覚は麻痺していた。
未だベッドで眠るなまえを脇に、どこにも行けない気持ちをぶつけた置き手紙と合鍵を置いて家を出る。そうして移動中にLINEを飛ばせば、無意識のうちにため息が漏れ出ていた。
イライラする、イライラする。すべてがムカついてたまらない。あんなに酔って一人で夜道を歩き、そのまま眠りこけたなまえにも、自分の好きを誤魔化して都合よく振舞っているボク自身にも。
置いてきた合鍵を、永遠に彼女が持っていればいいのに。この期に及んでそんなことを思ってしまうんだからどうしようもない。こんな風にウジウジ考えるのも男らしくないけれど、ボクは、なまえと一緒に過ごす時間が幸せで大切だから。彼女の気持ちを無視して今の関係が破錠、縁が切れてしまうのはもうこりごりだ。……それでも。
「……そしたラ、ボクの家で待ってれバ」
鍵の返却だけならいくらでもやりようがあるのに、その夜に電話をかけてきたなまえにそう提案してしまったのは間違いなく溢れ出てしまった自分の欲。けれど全く何も考えず、そして全くボクのことを意識していないなまえの返事に、また猛烈にイライラした。