『だメ』
「なんで!」
『時間が取れないかラ』
「ただ会って謝りたいだけなのに! あと鍵返したい!」

 だからお願い! ともう一度頼んでみたが、電話越しの夏目の返事が変わることはなく。どうしてそこまで頑なに拒否を続けるのかはわからないが、こっちだって譲るわけにはいかないのだ。
 夏目の家で目覚めたその日の夜。無事に家に帰った私は、まずスマホの充電をして家事をしよう……と思いはしたのだが、そんな思いも虚しく、二日酔いの頭痛に負けてすぐにぐっすりと眠りについてしまっていた。目が覚めた時にはすっかり外は暗くなっていて、やってしまった、と頭を抱える。そんな中寝ぼけ眼で見たスマホの画面には、朝送った夏目へのLINEの返事がきていた。そして「遅いけど、今日の11時頃なら電話出来るよ」という言葉に従って、私は彼に電話を掛けたわけだが。

「ねえお願いおねがい!」
『だからダメだってテ』

 さっきからずっとこの調子だ。直接会って謝りたい私VS今は忙しいし謝罪も必要ないという夏目。戦況としてはスマブラのダメージパーセンテージで言うと私が60%くらい、夏目が10%くらいだろう。いや、もしかしたら10もいってないかもしれない。そもそも語彙力のない私が夏目に口喧嘩で勝てるはずがないんだよな。いや喧嘩じゃないけどさ。
 それでも食い下がらない私に呆れたのか。はァ、と電話の向こうで夏目の小さなため息が聞こえた。

『ボク最近本当に忙しいんだヨ。鍵はいつでもいいシ、別にそこまで気にしてなイ。お金置いてったでショ、あれもいらないくらいだけド、受け取ってチャラってことにしてあげるかラ』
「やだやだお願い!」
『だったら次に会うまで謝らないってことガ、なまえにとっての罰ってことでいいんじゃなイ? その間もがき苦しめバ?』
「え、なにそれ地獄? あまりにも慈悲がなさすぎない? サイコパス夏目じゃん」
「キミ本当に謝る気あル?」

 おっといけない、ついいつもの感じで口から出てしまった。だって夏目もいつもみたいに淡々としてるから、私もいつも通りになってしまう。いや、これは完全に責任転換なんだけど。
 謝る気はめちゃくちゃある。当たり前だ。じゃなかったらこんなに必死になったりしない。そう、私は必死なのだ。けれど夏目にはそれがまったく届いていない。というか、本当に謝罪が必要ないと言っているように感じる。だから、さ。優しいんだよ、夏目は。
 けれどやっぱり私は諦めきれなくて、再び言葉を吐き出す。 

「じゃあさ、夏目の仕事終わりとかは? その日の現場の近くで待ってるから!」
『話聞いてタ? ていうかここから先、しばらく仕事終わるの夜遅くしかないヨ。 夜に外で待ってるっテ? バカじゃないノ?』
「じゃ、じゃあファミレスとかでさ!」
『この業界は予定通りにスケジュールが進むことのほうが少ないノ。実際いつ終わるかもわからないのニ、ずっとそこで待ってる訳?』

 うう、と思わずたじろぐ。あまりにも言葉が刺々しい。さすがに彼もイライラし始めてきているのだろうか。本当は夜に私が外にいたって何も関係はないし、私は大丈夫、なんて勝手に思っている。けれど同時に、犯罪に巻き込まれるのは顔面とか関係ない、という注意喚起のようなツイートも何度か見ている。だからそういうこともある、と頭の片隅には置いているつもりではあるんだけど。ここで自分をないがしろにするような発言をしてしまえば、夏目の性格だ、それこそ呆れて激怒されてしまうだろう。
 じゃあ他に、どこか会える時間はないか。思わずそんな言葉が口から出そうになる。本人が夜遅くしかないと言っているのだ、それ以外の時間なんてあるはずもないのに。
 黙ってしまった私と同時に、あちらからも何も聞こえなくなる。私が諦めたと、そう思ったのだろうか。確かにもうこれ以上はごねられない。夏目が本当に忙しいのはわかっている。私の都合で、彼の貴重な時間を取るわけにはいかない。けど、……だけど。

「……自己満足だってわかってるよ。ただ私がすっきりしたいだけって言うのもわかってる。でもお願い、本当に夏目にとって迷惑じゃなければ、謝らせて」

 これが最後。そう思って懇願する。これで断られてしまったら、潔く諦めよう。ここまで言って潔くも何もないけれど、すぐに身を引こう。
 ――それから、しばらくの沈黙。相変わらずあちらからは何の応答もない。最初は緊張して、夏目の次の言葉を待っていた。が、あまりにもその間が長すぎて、もしかしたら通話切れてるんじゃないかな、とか、通信状況悪くてあっちの声が聞こえなくなっているのかな、なんて想像し始めた。そんな時だ。スマホの向こうから、ようやく声が聞こえた。

『……そしたラ、ボクの家で待ってれバ。それなら帰りも送っていけるシ』

 予想もしなかった言葉に、思わずえ、と小さく声が出る。家って、今日私が目覚めた場所のことだよね。確かにそれなら安全だ。送ってもらうのは悪すぎるから、私の……というよりも、夏目の安心を買うと思ってタクシーを使えばいいし。

「送り、とかいいから! ていうか鍵返すのにまた夏目の家なんて変な話だけど……それしかないなら、待っててもいいかな?」

*

 重たいビニールの袋がじわじわと腕に食いこむ。それが痛くて今まで腕にかけていた取っ手をずり下げて手で握りしめるが、今度は手のひらに食い込む。重心が下がって余計重たく感じて、結局また腕に取っ手を掛ける。カシャカシャとなるビニール袋特有の音が耳に障る。さすがに買いすぎたなと思いつつ、数分前の自分を戒めるように、はあ、と大きくため息をついた。
 仕事帰りに夏目の家へ向かおうとした私は、せっかくだから夕飯でも作るか、なんて珍しいことを考えてスーパーへと繰り出した。その結果がこれだ。この前夏目の家のキッチンを見た時にあまり料理している気配がなかったから、小さいサイズの調味料なんか買っちゃったりして。夏目も決して料理をしない、出来ないという訳ではないんだろうけど、それよりも時間がないのだろう。だから手料理作っちゃおう、なんて。いや、私も料理上手ってわけでもないし、多分平均的な料理スキルなんだけどさ。もし彼がご飯を買ってきちゃったとしても、明日に回してくれればいいし。……果たして何が私をここまで突き動かしているのか。それは恐らく、少しでもお詫びをしたいという、相変わらずの私の勝手な自己満足なんだけど。

 夏目の家に着き、重たい荷物からようやく解放される。うーん、絶対買いすぎたな。まあ余った分は冷凍しておけばいいだろう。夏目がいつか使ってくれるかもしれないし。そんなことを思いながらさっそく料理に取り掛かる。メニューはハンバーグとサラダの予定だ。料理上手な人間からしたらそれだけ? と思われるかもしれないが、私レベルだとここまでやれば十分立派なものだと思う。
 そんなこんなで切って盛っての何の変哲もないサラダが完成して、ハンバーグに取り掛かる。なるべく材料を減らしたかったからパン粉はないが、まあつなぎは卵だけでもなんとかなるだろう。

「……何してるノ」
「あれ夏目? 早くない!? おかえり!」
「……ただいマ」

 付け合わせも準備して、ハンバーグをぺちぺち叩いていた頃。いつの間に帰ってきたのだろう、夏目が驚いたような表情でこちらを見ていた。

「LINE見なかった? ご飯作ってる!」
「思いのほかちゃんと作ってるからびっくりしタ」
「ちゃんと作るよそりゃ! てか夏目めっちゃ早いね? もっと遅くになるんだと思ってた」
「色々前倒しになっテ、全体的に早く終わったんだヨ。それこそ連絡したんだけド」
「え、ごめんスマホ放置してた!」

 慌ててスマホを見ようとした……が、べとべとの手にはハンバーグのタネ。まあ今見たところで何かが変わるわけでもないし、あとででもいいか。しかしこんな早くに夏目が帰ってくるなんて予想外だったな。私の予定としては、ご飯作って、謝って、それから二人で食べて帰るつもりだったんだけど。

「何か手伝うヨ」
「いいいい! 私がやりたくて勝手にやってるだけだから! もうすぐで出来るし、そしたら先にお話ししよ!」
「いヤ、折角なんだし先に食べたほうがいいんじゃなイ?」
「ううんだめ! 先に話す!」

 フライパンに油を敷いて、ガスコンロの火をつける。チチチ、という音と共についた火は、すぐさまその油を温めていった。
 料理はもうすぐで出来る。謝罪にそう時間はかからない。どうしてご飯を食べることよりも話をすることのほうを優先したいかって、単純に私の気が休まらないからだ。料理を作ってるのも、こうやってわざわざ夏目の家にきたこともそう。あまりにも自己中心的で、どこまでも自分勝手なわたし。それでも夏目はそんな私の気持ちを察して、何も言わずに責めないでいてくれる。だから「わかっタ」とだけ言って、リビングへと戻る。どこまでもいい人なんだな、と、そう思った。同時に、やっぱり自分の情けなさに胃がちりちりした。

 少し焦げてしまったけれど、なかなかいい出来だと思う。焼きたてのハンバーグをお皿に乗せて、付け合わせを添える。そしてすぐにその上からラップをかけた。湯気でラップに水蒸気が張り付くのを少しでも防ぐため、ふんわりと。
 それから洗い物をして、キッチンを元通りにして。やがて片付けがすべて終わって、私はふう、と小さく息を吐いた。これから夏目と話す。謝る。それだけのことが少し、緊張する。それは、夏目と改まって話すというが少ないからなのか。それでもここまできたんだ、とっくに覚悟は決まってる。

「ちょっと残った野菜、野菜室にあるよ。お肉とかは冷凍しといた」

 あくまで普通に、そして真剣に謝ろう。そう思いながらとりあえずリビングへ行くと、夏目は本を読んでいた視線をあげてゆっくりとこちらを見た。

「ありがとウ。じゃア、さっさとキミの謝罪を聞かせてもらおうカ」
「え、早速すぎない!?」
「早く謝りたいって言ったのはなまえの方でショ」

 そうだけどさあ、そんな言葉が口から出そうになったが、慌てて堪える。自分はどこまでわがままなのだろうか。あれだけ謝らなくていいと言っていた夏目がわざわざこうして時間を作ってくれたのだ。私が文句をいう権利もない。
 大きめのソファに座っている夏目の横に、ゆっくりと腰を下ろす。彼もぱたりと本を閉じてそれをテーブルに置くと、じっとこちらを見た。が、沈黙。言葉が出てこない。あれだけ頭の中で台本を用意して、考えたのに。いざとなったら何も出てこない。私ってこんなに緊張しいだったっけ。それともそうさせているのは、夏目といるというのに何故かしん、とした、この空気感のせいだろうか。
 だって私と夏目は昔からばかみたいに笑って、ばかみたいに喧嘩して。こんなシリアスな空気になったこと、少なくとも再開してからは一度もないし。なんだか変な感じで、むず痒くて。

「……ええと、その、……迷惑かけて、すみませんでした」

 でもやっぱり言葉は出なくて。やっとの思いで振り絞ったのは、テンプレとも思えるような謝罪の言葉。もっと他に言うことあるんだけど、それを言うのが精一杯で。ごくりと唾を飲み込んで、夏目の次の言葉を待つ。

「……迷惑っていうのハ、何のことを指してるノ」
「……え、だから、酔って、夏目に家まで運んできてもらって、鍵借りたりとか」
「やっぱりそっちカ。あのネ、ボクが謝ってほしいのはそこじゃなイ。ていうカ、ぶっちゃけそこはどうでもいイ」
「え!?」

 思わぬ言葉に、この場に似合わぬ大きな声を出してしまった。驚いて夏目の顔を見れば、呆れたような、何とも言えないような。その眉間には皺が寄っていて、夏目ははあ、と先日電話で聞いたのよりも大きなため息をついた。

「キミ、不用心すぎるんだヨ」

 ああそっちか、なんて。そんなこと言ったらそれこそ本当に怒られてしまうだろうけれど、正直そう思ってしまった。夏目が言っているのは、女性としての危機管理能力の低さってやつだろう。彼は電話でもそのことを気にしていた。だからこそ夜、私が外で待つという提案を許してくれなくて、自分の家に招いてくれたのだから。実際否定は出来ないけれど、夏目の言うそれは私を心配してくれているということで、感謝しなければいけないことで。

「……ごめん。相手が夏目じゃなかったらって思うと、本当に怖いよね。ごめんね、ありがとう」

 だから素直にそう伝える。もし、あの時一緒にいたのが夏目じゃなかったら。もし誰とも会わずに一人で倒れてしまっていたとしたら。今まであまり考えていなかったが、正直どんな犯罪に巻き込まれたかわからないし、想像するだけでも恐ろしい。そうか、夏目はずっとそこを怒ってくれていたんだ。だからこそ私の謝罪を受け入れなかったのかもしれない。そもそも私が理解をしていなかったから。だから私が彼に謝罪じゃなくて、彼が私に注意してくれようとしてくれていたのかもしれない。
 ごめんなさい、ともう一度呟く。が、夏目の眉間の皺は取れない。そして、何も言わない。私も何も言えない。

「……今もなんだけド」

 それは、どれくらい時間が経った頃だろう。じっと彼の顔を見ることも出来なくて、行き場のない視線を自分の手元に追いやっていたときだった。ぽつりと、夏目が呟いた。

「わかってル? ボクも男だヨ。なのに疑いもせズ、のこのこ男の家に来てサ」
「……え?」

 それって一体、どういう意味?
 聞こうとするより先に、ふわりと身体が後ろに倒れる感覚。何が起こったか、と考える間もなく、感じたのは背中に当たったソファの柔らかさ。

「ボクがキミを襲うとかハ、考えなかったノ?」

 そして視界には、天井と、照明と、こちらを見下ろす、夏目の顔。先ほどのまでの眉間の皺はすっかり消えていて。ただ、切れ長の綺麗な琥珀色の瞳が、じっとこちらを見つめていた。

「な、つめ」

 俗にいう、「押し倒されている」という状況だということが、自分でもわかった。目の前にいる彼が、意図的にそうしたということも。けれどどうしたって、私には直前の言葉の意味がわからない。考えることも、できない。つい先ほどまで見えていた照明はすっかり彼の陰に隠されて、羨ましいほど綺麗な顔がどんどんと近づいてきて。それに伴うように私の心臓はばくばくと大音量で響く。
 夏目とこんなに近づいたこと、あったっけ。ううん、顔を近づけたこと、あったっけ。ない、ないはず。だってこんな夏目知らない。こんな「男の人」の顔をしている夏目なんて、見たことない。いつもの夏目はこんな顔してない。しらない、しらない表情。だけどそれがひどくかっこよくて、頭がくらくらする。そうこうしているうちに彼は息がかかる距離まで来ていて。熱い息が、直接肌に降りかかって。その顔を、瞳を、見ることが出来なくて、私は逃げるようにぎゅっと目を閉じた。――次の瞬間。

「いっだ!?」

 おでこに感じた強い衝撃に、思わず両手でそこを抑えた。え、何? 何が起こった? 訳が分からないまま目を開くと、そこにあったのは天井と、照明と、先ほどより離れた位置にある呆れたような夏目の顔。

「だかラ、気を付けろって意味」
「なっ……だからって頭突きしなくてもいいじゃん!」
「はァ? 今のキミに口答えする権利があると思ってるノ? あのサ、もしあのままボクに襲われてたらどうするつもりだったノ?」

 勢いよくがばりと上半身を起こせば、当たり前だとでもいうようにそう返ってくる。そんな彼は先ほどまでの顔が嘘だったかのように、いつも通り「昔からの私の友達の顔」をしていた。

「……夏目はそんなことしないでしょ」
「……もしもの話だってバ」

 ズキズキと痛むおでこを抑えながらそう言えば、変わらない口調で続けてくる。そんなもしもに拘っても仕方ないのに。

「わかんないよ。だって想像つかないもん」

 だってまさか夏目が、しかも私になんて。ありえないでしょ。うん、ありえない。こうやって頭突きされるくらいの私を襲うなんて、よっぽどの物好きじゃなきゃありえない。っと、この考え方だとまた危機管理能力が低いって怒られちゃうか。でも本当に夏目が私を、なんて、……絶対にない。だって私たち、友達だし。
 だから、そう。そう素直に言えば、右隣に座る夏目からうン、と小さく声が聞こえた。

「……まア、それもそうだよネ」

 今、どんな顔をしているのだろう。先ほどまで彼の表情に惑わされていたからか、そう思ってしまった。ここからじゃ彼の長いほうの髪に隠れて、横顔すらよく見えなかった。

「ていうか夏目、顔整いすぎててずるい」
「悪かったネ、顔が良くテ」
「うわ当たり前のように肯定した! むしろそっちのが清々しくていいけど」

しかし次の会話のときにこちらを見た彼の表情は、やっぱりいつもの顔で。けれどそれが何故だか、少し寂しいような気がして。
 いつも通り、のはず。少なくとも、最初から夏目はずっとそう。だけど私はどうだろう。こうやっていつも通りの振りして喋っている間も、ばくばくとした心臓が未だに落ち着きを取り戻さない。ちょっと、なんか、なんだか、おかしい。

「てかごめん、もうこんな時間だから帰るね!」

 それが耐え切れなくて、私はすくりと立ち上がってそう言った。しかしあまりに突然すぎたのか、夏目はハ? とあからさまな疑問を浮かべる。でもそれに構ってられない。私は自分の荷物をひっつかんで、そのまま玄関へと向かう。

「いヤ、急すぎるでショ。てかご飯食べてくんじゃないノ」
「ごめん、あんまり長居するのも迷惑かなってさ! また連絡するからだから、お邪魔しました!」

 ほぼ八割、勢いだ。バン! と大きな音を立てて閉めてしまったドアに申し訳ないと思いつつ、私は夏目の家を出ると全速力で階段を駆け下りる。エレベーターを待ってることすら、今は落ち着かなくてもどかしい。やがてエントランスを通り抜けてマンションを出た頃には、日ごろ運動をしていないのがたたって足はガクガク。息はぜえはあと乱れてしまっていた。
 周りには誰もいない。そして、夏目が追ってくる気配もない。

「はあ〜…………」

そう思った瞬間に身体の力が一気に抜けて、へなへなとしゃがみ込む。

「び、っくり、した」

 思い起こすのは間近で見た、私の知らない夏目の顔。……だめだって、あれはずるい。あんなの、かっこよすぎる。だって私の心臓、こんなにどきどきしてるんだもん。