席についてさあ何を頼もうと思う前に、私の隣に座った友達は開口早々切り出した。その言葉、この間LINEでも聞いたよ、なんて揚げ足を取りたくなったが、余計に彼女の怒りを買ってしまうだろうと冷静に考えて我慢した。いや、怒りでもないか。きっと怒っている訳ではないのだ。ただ私から事情を聞きたいだけだと思う。でもなんか威圧感が凄いと、人って怒っているように見えるんだよね。
居酒屋、と呼ぶには少しおしゃれな、かといってデートで使われるような高級店ではない。客層は二十代の友達同士が多いだろうか。席と席の間が狭い、所謂カジュアルイタリアンと呼ばれるお店。私もここは何度か来たことがあるくらいお気に入りで、今日も今日とてオタク仲間の友達とここに来たわけだが。
「マジで、何で言ってくれなかったの!」
「いやだって緘口令敷かれてたというか。こう、放映前の守秘義務があったから仕方ないじゃん」
「そうだけど! そうなんだけどさ! うわーなんだこの言葉に言い表せない感じ!」
はあああ、と大きくため息をついてから、彼女は可愛い顔に似合わない、地獄の底から這い出るような声をあげる。まあそうだよね、びっくりするよね。友達が芸能人と一緒にテレビに出ているとこを見たらそりゃあ驚くよね。しかも自分も一緒に応募して落選した番組だと思ったら尚更。まあ、彼女はちゃんと私の事情を知っているから、だからこそこんなに取り乱しているのだろうけど。
この間、私が夏目と再会した、あの占い番組が放映された。正直なところ私自身はすっかりそのことを忘れていたのだが、放映が終わっただろう時間にはスマホの通知がえらいことになっていた。大半が事情を聞きたがるようなLINEだったが、その中で少しだけ毛色の違ったメッセージを送ってきたのが彼女。まあこの子には話してもいいかな、という気持ちもあったし、とにかく詳しく聞かせろという圧に押されて、私たちはこうして飲みにきたわけだ。
店員さんがお冷とおしぼりを持ってくると同時に、飲み物の注文を聞いてくる。呻き声をあげている彼女に代わって、二人分の注文をしておいた。どうせこの子はビールでしょ。そんな雑な注文を足早に済ませば、店員さんはかしこまりました、といいつつも、友達を怪訝そうに横目で見ていた。ほら、変な人だって思われてるよ。
「だって! まさかあの逆先くんと再会してたなんて!!」
「うわ声デカいって! ……まあ、私もまさか夏目が来るなんて思わなかったよ」
店員さんが去ってすぐ。いきなり大声を上げた彼女を慌てて制す。いくらこの賑やかな空間で声が通りにくいといっても、誰が聞いているかわからない。ましてやここはカウンター席だ。私たちの両隣の人に話を聞かれてしまったらたまったものじゃないし、何よりこれからの話題の中心になる彼に迷惑がかかってしまう。
友達も不適切なボリュームだと気づいたのか、すぐにごめんと謝ってきたが、目は先ほどから何も変わっていない。早く話を聞かせろというその目。うーん、わかりやすいというか、わかってしまうというか。それもまあ仕方ないだろう。私と彼女は、かれこれ十年以上の付き合いなのだから。
私と彼女は今では貴重な小学校のときからの幼馴染兼オタク仲間だ。が、中学校では三年間、一度もクラスが同じになることはなかった。だからこそ孤立した私は夏目と仲良くなったのだが、もちろん彼女は夏目と話したことなんてろくにない。けれど彼と同級生という立場では私と同じだ。だから高校に入ってから「そういえばこの間逆先くんテレビで見たよ」なんて話もしていたが、最近では私たちの間で彼の名前が出ることなんてめっきりなかった。それは、彼がテレビに映っているのが当たり前の日常になってしまったか、それとも学生時代という取り返せない思い出が、もうすっかり過去のものとなってしまったからか。
「ていうかさ、恋愛運占ってもらったのやばいね」
「普段二次元ばっか見てんのにウケるよね。でもオタ活じゃないことにしろって言ったのはそっちじゃん」
「いやまあそうなんだけどさ。逆先くん、本当にちゃんと占ってた? なんか変なところとかなかった?」
「え? いや、本人はちゃんと占ったって言ってたけど……なんで?」
「あー……ううんごめん、忘れて」
何か夏目に気になるところでもあったのだろうか。脈絡もないことを尋ねてきた友達だったが、そう返せば何か考えつつも苦笑いを浮かべる。何だろう、引っかかるところでもあったのだろうか。でも、繰り返すが彼女は学生時代夏目と話しているところもろくに見たことがないし、何かを知っているとは思えない。いや、それともメディアに出ている「逆先夏目」の情報で結びつく何かがあるのだろうか。この子は幅広いオタクだから、三次元アイドルも好きなはずだし、それはあり得る。まあ忘れて、と言われた以上、深掘りしたところで何か教えてくれるわけでもないだろう。
お待たせしました、という言葉と共に、店員さんが友達のビールと私のサングリアを目の前にことりと置く。一杯目からサングリアかよ、なんて見る人が見たらとやかく言われそうだが、ビール飲めないし、好きなんだから仕方がない。ひとまず乾杯、と言いつつグラスをかちんと合わせて一口。ここの甘みが強いサングリアが好きで、来るたびに頼んでしまうんだよね。そんな私の一方で、友達はごくごくとビールを一気に半分まで減らしてしまっていた。本当、顔に似合わず酒豪である。
「とりあえずさ、最初から聞かせてよ」
だらだらとお互い食べたいものを頼んで、素早くご提供されるスピードメニューが到着したとき。彼女が料理と共に到着した二杯目のビールを口にしながら言った。さすがにあれで話を終わらせる気は私もなかったし、そうだねえ、とどこから話そうか頭の中を色々な記憶が駆け巡る。とりあえず再開してからのことを色々話せばいいか、と適当に考え、そこから私はひたすらに口を回らせた。
「あーそっか、そっかそっかなるほどねえ……」
一通り話を終えれば、彼女は妙に納得したような、それでも相変わらず気のない苦笑いを浮かべていた。今の話を聞いてどうしてそんな感想になるかはわからないが、とかく私は嫌な話を終えた安堵でいっぱいだった。いや、嫌な話、というのは少し語弊がある。私にとって話すのを躊躇った部分というか。それは言わずもがな、先日の夏目の家での出来事で。正直あれは話すかどうか迷ったが、(私の羞恥心的な意味で)もしかしたら話したら私の中にある謎のもやもやが解消されるかもしれないと思ったのだ。まあ結局話してる間は地獄のように恥ずかしかったんだけど。だってあの時のことが思い返されてしまって、少し、ううん、かなりどきどきなんかしちゃったりして。途中どもりつつ、言葉を選びつつなんとか話し終えれば、友達が薄い生地のジェノベーゼピザをパリッといい音を立てて食べながら呟いた。
「拗らせてんなあ、逆先くん……」
「こじ……え、何が?」
が、その意味がわからず聞き返せば、またなんでもない、と流されてしまった。やっぱり彼女は何か知っているようだ。私が知らなくて、彼女が知っていることって一体何だろう。考えてみてもやはり思い当たることなんて一つもなかった。
「でもまたすぐ会わなきゃなんだよね。鍵、結局返しそびれちゃったし。何のために行ったんだかって感じ」
「いいじゃん別に。逆先くんだって別にすぐ使う鍵でもないんでしょ」
「そうだけどさあ……自分のアホさ加減に腹が立つ」
はあ、とため息をつけば、まあアホっちゃアホだね、と肯定の返事がきた。うん、アホだよね、わかる。結局ハンバーグ自分の分食べてないしなあ。夏目、食べてくれたかな。あの後戻る勇気もなくてそのまま帰りつつ、デジャヴかと思えるくらいにLINEで謝りまくったが、彼はやっぱり「別にいいヨ」という気にもしていない素振りだった。……いや、でもひとつだけ。
『ボクのほうこそ、ごめんね』
『え、夏目が謝ることなんてあった?』
『気にしてないならいい』
あの文面を見ながら必死に考えたが、それでも彼が謝る理由なんてどこにも見つからなかった。はぐらかされてしまったし、考えてもわからないし。結局私は、その謝罪の理由を知ることを諦めた。
あれは何だったんだろうな、と改めて考えつつ、私もジェノベーゼピザを一枚手に取る。まだほんのり温かいそれは、口に含んだ瞬間にふわりとバジルの香りを漂わせた。
「ねえ、それでなまえはさ、逆先くんのことどう思ってるの? 好きなの?」
もぐもぐと動かしていた口がぴたりと止まる。手元のピザを見ていた視線をゆっくりと隣に向ければ、彼女はすっかりピザを食べ終えていて、いたって普通の表情でこちらを見ていた。
ここで「大好きだよ」なんて返すほど、私もバカな人間ではない。私が普段言っているような「好き」と、いま彼女に問われた「好き」がまったく違っているということもわかっている。違っているからこそ、わからない。
「……なんで急にそういう話になるの?」
「急にも何も、そんなことされたら普通は気になるでしょ。しかもあんなイケメンにさ。私なら即刻落ちるけど」
聞きつつも再び口を動かし始めた私につられるように、彼女もまたアヒージョ用のカリカリに焼けたフランスパンを手に取る。別に私の返事を待っている、という素振りでもない。オリーブオイルにくぐらされて程よく油を身に纏ったフランスパンを見ながら、私も最後の一口のピザを口に放り込む。カリッ、と小気味いい音が耳に振動して聞こえた。
「だって、夏目は友達だよ」
昔からずっと、私の友達だもん。当たり前のように呟く。がやがやとした周りのお客さんの声がうるさい。こちらの会話なんか知りもしない店員さんが、空いたお皿お下げしますね、とにこやかな声で食べ終わったピザの大きなお皿を片付ける。先ほど感じたバジルの香りは、もうどこにもなかった。
「……あんたらさあ、中学の時、付き合ってるって噂されてたんだよ」
アルコールは水分補給にはならないという。からからに乾いた喉を潤すようにごくりとお冷を口に含んだとき、突如とんでもない発言が飛び出してきた。タイミングが悪すぎる。あやうくリアクション芸人もびっくりなベタベタ水吹き出しリアクションをしてしまうところだったぞ。
何とか必死に水を飲み込んでから軽く咳き込み、話の続きを乞うように友達を睨みつけ、もとい見つめれば、彼女は呆れたようにはあ、と大きくため息をついた。
「知らなかったのなまえくらいじゃない? ああ、逆先くんが知ってたかはわかんないけど」
「え、は、え? いや何それ初耳なんだけど!」
「逆になんであんたの耳に届かなかったのか謎すぎるけどね。あたしら同じグループ内ではもちろんガセネタだってわかってたけど、けっこう信じてる人多かったよ」
淡々と話す彼女が、まるでジュースでも飲むかのように赤ワインをぐびりと飲む。そんなに一気に飲んで酔わないのだろうか、なんて心配も、既に空にしたグラスの数と素面と何ら変わらない彼女の言動を見ればどこかへ飛んで行った。むしろ、こんなに思考がぐちゃぐちゃで、少し早い鼓動が鳴っている自分の方が酔っているんじゃないかと思う。まだ今日、お酒は一杯半しか飲んでいなかった。
「なんでそんな噂が?」
それでも発言はあくまで冷静に。
でも、本当になんでだろう。確かに私と夏目は三年間仲が良かったと思うし、ずっと一緒にいた自覚はあるけど。それだけでそんなに噂になることだろうか。夏目は、知ってたのかな。ううん、きっと知らなかっただろう。もし知ってたなら真っ先に私に伝えて、それで二人で笑い飛ばしていたはずだ。そんなわけないのにね、可笑しいねって。そう、……きっと、そうなってたはず。でも、今それを聞かされた私は、何故だか笑い飛ばせる気がしない。それは過去の、まだ子どもだった頃の、むず痒くなりそうな話だからだろうか。
「知らない。でも周りには、そういう風に見えたんじゃない?」
まるで何かを思い出すかのように、彼女はくすくすと笑った。オレンジ色の照明に照らされた、お酒をあおる彼女の横顔はひどく綺麗で、私が男だったらきっと惚れていたことだろう。
私も言葉を失くしてしまって、梅酒を口にする。炭酸で割ったそれはしゅわりと口の中ではじけて、水分不足の身体に染み渡るような錯覚を起こす。アルコールを摂取したところで、脱水は進んでいくだけなのに。
「……いくらオタクといっても、なんであんたに彼氏が出来ないか謎だわ」
「あっははそりゃどーも! まあ今のあたしは推しを愛でるだけで精一杯ですけどね!」
そんな私がやっと発した言葉に、先ほどとは一転して彼女はからからと笑う。本当、黙ってればモテまくりだったんだろうな、この子。
そんなことをぼんやり思っていれば、彼女は小さな自身のバッグをごそごそと漁り始めた。デキる女は小さいバッグを持ち歩くというが、あれは本当だと思う。荷物入れに入れた自分の大きなバッグを思い出す。オタクというグループは同じでも、私はこの美人に到底及ばないんだろうな。
そうして彼女が取り出したのは、今じゃよく見る無線のBluetoothイヤホン。
「よし、じゃあとりあえず『Switch』の曲でも聴こうか」
「いや待ってなんでそうなるの」
「いいからとりあえず聞けよ『Knockin' Fantasy』」
「こわ。てか『Switch』サブスク解禁してるの?」
「してない。普通に曲好きだから買ってる」
「マジか」
どうして彼女がいきなりそんな行動をとったのかはわからないが、『Switch』が好きならオタク特有の布教活動というやつだろうか。今まで好きなんて聞いたことなかったけれど、まあ幅広いオタクのこの子だから特に驚きもない。言われるがままに両耳にイヤホンをつけられて、彼女がスマホを操作すれば、またたく間にイヤホンから音が流れ出す。
さっき、曲名なんて言ってたっけ。のっきんふぁんたじー? テレビで聴いたことがないから、カップリング曲だろうか。前奏に耳を澄ますが、周りの音が騒がしくてあまりよく聞こえない。もうちょっと音量上げて、とお願いすれば、丁度良く聞こえるくらいにボリュームが上がる。歌い始めのつむぎくんの声はしっかりと耳に届いた。
可愛らしい宙くんの声の後に、聞き慣れた夏目の声。私が普段聞いてる喋り声とは少し違う、歌ってるときの夏目。でも、夏目は歌うように喋るよなあ、と思ったことがある。それはあの独特な語尾のせいか、声優さん顔負けなくらいいい声のせいか。でも、だからこそ、彼が喋っているときはひどく心地いい。
ところで、友達は一体何をしているんだろうと隣を見れば、もう何杯目かもわからないお酒をオーダーしていた。飲み放題じゃないのに大丈夫なのかな。
そうして歌はあっという間に二番に入る。癖になるというか、何度も聴きたくなるようなメロディーラインだ。いつの間にか私はこの音楽にすっかり夢中になっていた。こういうのが、彼ら『Switch』の魔法なのだろうか。
(届きそうな距離にそっと、イタズラなスパイス……)
あげるネ、と、まるでそれは魔法の言葉のように、ふわふわとしていて。サビの前だというのに、私はすっかりその夏目の声に囚われてしまった。ああ、ずるい、ずるいよ。そうやってファンを虜にしてるんでしょ。確かにこれはみんな好きになっちゃうよ。みんな。みんな、か。……じゃあ、私は?
この前のことを頭の中で反芻する。夏目の顔が近づいて、近づいてきて。……それから、今でも鮮明に痛みが思い出せるくらいの頭突き。思わず手で額を抑えたくなる。
(あれはイタズラというよりも、イジワルだったよなあ)
曲は相変わらずイヤホンから流れ続けている。テクノのような、ゲームのようなピコピコ音のような。どこか掴めない不思議なメロディーが脳内で駆け回る。どう考えても、世の中の女の子がときめくような曲。だからそもそも私が自分に置き換えることも、なんだかおかしい。おかしい、はずだよね。
やがて曲は静かに終わりを迎える。再生が止まったのを確認して、私はイヤホンを耳から外して友達に渡す。どうだった? と感想を聞いてくる彼女は、果たしてどういう思いで私にこの曲を聴かせたのだろうか。
「良い曲だったよ」
だけど私は、そんな月並みな感想を述べることしか出来なくて。それでも彼女はでしょ、なんて言って、まるでその感想に満足したかのようにまた笑ったのだ。