どこからともなく聞こえてくるのは、コミカル調といえどどこかファンシーな音楽。空を覆う雲が薄暗く、決して快晴とはいえない。それでもこんなに気分が上がってしまうのはやはりこの場所柄というか、環境のせいか。大半の人間を非日常へと連れだし、興奮を与えてくれる場所。すれ違った子どもが、あちこちをきらきらとした目で見回していた。が、その手を引く母親も、どこか楽しそうに微笑みを浮かべていて。だから例に違わず私もこんなにわくわくしているわけだ。だってふわりと香ったキャラメルポップコーンの匂いは、こういう場所か、映画館でしか嗅ぐことはないのだから。

「今ね、さいっこーにテンション上がってるよ私」
「それは良かっタ」

 良かったという彼が本当にそう思っているのかなんてことはわりとどうでも良くて、入園して数分しか経っていないのに既にテンションが最好調の私はうん! と大きく頷く。そんな私を見て、夏目は眉を下げて小さく笑った、ように見えたのは、彼の帽子とマスク姿が見慣れたものになってきているからだろう。
 夏目の家に行ったあれから会うのは初めてだが、夏目もいつも通り、私もいつも通り。良かった、なんだか変な感じにならなくて。

 日曜日の午前中、私と夏目は遊園地に来ていた。彼が一日丸々オフということはひどく珍しいが、だからこそじゃあ私と一緒に出掛けよう、となった訳でもない。こうなったのは成り行きというか、偶然というか。とにかく最初からそういう訳ではなかったのだ。もっと言えば、本来ならここに夏目といるのは私ではなく、つむぎくんと宙くんのはずだった。
 端的に言えば、三人で休みのスケジュールを合わせてここに来る予定だったらしい。けれど他の二人に急遽個別の仕事が入り、夏目だけ残されてしまった。そこで私にお声がかかったわけだ。まあ、これはあくまで『Switch』の仕事の一環なんだけど。

「えっと、『流星隊』のステージはお昼前だよね」
「そウ。それ以外は自由だヨ」
「『流星隊』の人たちに会いに行ったりしないの?」
「ヒーローショーが終わった後に行くって伝えてあるからネ。本番前は何かとバタバタしているだろうシ、今行っても迷惑になるだけだかラ」
「そっかあ」

 確かに始まる前って何かと忙しいだろうしな。知らないけど。緊張……はきっとそんなにしてないか。『流星隊』も、もう何年も遊園地でヒーローショーをしているらしいし。
 それよりも、ショーまで自由行動か。どうしよう、キャラクターを題材にしたテーマパークではなく、遊園地に来たのなんて久しぶりすぎて、どこから回ればいいかもわからない。夏目って絶叫大丈夫だっけ? と尋ねれば、嫌いではないヨ、と入り口で渡されたパンフレットをひらひらとさせながら言った。そうか、それならなるべく待ち時間少ない絶叫系を……ああでも遊園地ってひとつのアトラクションごとにお金がかかるんだっけ。私たちが買ったチケットはいくつかのアトラクションが乗れるチケットで、乗り放題のフリーパスではない。人気のアトラクションは別途料金がかかってしまう。
 そもそも遊びがメインなわけじゃないしなあ、と悶々と考えて、一度夏目に相談してみよう、と再び夏目を見ようとする。が、隣にいたはずの彼は何故だかそこにいなくて。慌てて周りを見渡せば、前方にすたすたと歩いていく夏目の後ろ姿が見えた。

「あ、ちょっと! 置いてかないでよ!」

 慌てて追いかければ、彼はようやく気が付いたノ、とでもいうような目をこちらに向けてきた。うるさいな、こっちは真剣に考えてたんだぞ。

「乗りたいのあるなら乗ればいいシ、好きにすればいいんじゃないノ。あれだったら今からフリーパス買いなおしてもいいシ。せっかく来たんだかラ、ちゃんと楽しまなきゃ損でしョ」

 あっけらかんと夏目はそう言い放った。しかし私はあまりにもあっさりしている、というか、むしろ意外にも近い彼の言葉に、少しだけ驚いてしまう。だって夏目って連れまわされるのとか嫌いそうだし。ていうか嫌いだったし。確か中学の時、班行動か何かで連れまわされて物凄く不機嫌になっていた覚えがある。あからさまに嫌な顔をしているものだから、だから友達出来ないんだよ、なんてからかえば、キミには言われたくなイ、なんて反論されたっけ。懐かしいな。
 過去のことを思い返しつつ、今言われた発言が嬉しくてにまにまとしてしまう。そもそも夏目と遊園地に来れただけでも奇跡的なのに、そんな遊びつくしてしまっていいのか! 最初仕事の一環って聞いたときはびっくりしたけれど、よくよく聞いてみればお休みを使った『Switch』にとっての勉強に近いものだったし。

 今日の予定が決まったのはたったの三日前だった。急にこの日空いてる? と夏目からLINEが来た時は驚いたものだ。だって、しばらく忙しくて会えないって言ってたし、そもそも夏目から誘ってくることなんてなかったし。「用件を言わずに日程を先に確認するのはずるいよ」とひねくれた文章を送信したら、じゃあいいや、とあっさり来たから慌てて謝ったけど。
 けどまあ話を聞いてみれば、遊園地に行かないかというお誘いだったわけだ。もちろん家で円盤でも見ながらだらだらする予定しかなかった私は即座にOKした。

『アイドルは常にファンがいてからこそのアイドルだけド、ボクたち『Switch』は魔法をかける相手がいなけれバ。『流星隊』は応援してくれる人がいなければ成り立たなイ。つまり『Switch』と『流星隊』は特に顕著デ、ある意味似てるんだヨ。だから『流星隊』が『Switch』で言う魔法をどんなふうに使って皆を幸せにしているカ、定期的に見に行くようにしてるんだよネ』

 その後通話を繋げれば、夏目は静かにそう言った。なるほど、それで「仕事の一環」か。そういうのは毎回彼らのオフの日を使っているらしいし、本当に『Switch』は仕事熱心……いや、ファン想いのユニットなんだな、と思った。だからこそいくらつむぎくんと宙くんが来れないからって、私が同行していいのかと既に返事をした今更ながら迷った。目的は「『流星隊』のヒーローショーを見ること」だから何も問題はないんだけれど、なんかこう、気持ち的に。けれどそれをありのままに伝えたら何を今更と言われたし、ダメだったらそもそも誘ってなイ、と言われて、私はあっさり今日の日を楽しむことに決めたのだった。だってせっかくの非日常、もやもやしてるのも勿体ない。それに、ようやく彼の家の鍵を返せることだし。

「っと、そうだ夏目、鍵返すね。ずっと持っててごめん」

 思考の中で思い出した。忘れないうちに今返しておこう、とごそごそと鞄の中を探り、出てきたそれをはい、と彼の目の前にやる。が、夏目はそれを受け取らず、なぜかぼうっとその鍵を見つめた。

「……夏目?」

 不思議に思って名前を呼べば、彼ははっとしたようにひとつ瞬きをして、それから思い出したように私の手から鍵を受け取った。どうしたんだろう、と疑問に思ったが、問い詰める理由もないし、答えは出てこないだろう。とりあえず私としては無事に持ち主へと鍵を返せてよかった。他人の貴重品を長く持っているのは緊張するし、精神的にあまりよくない。

「デ? 結局これからどうするノ?」

 そんなことを思っていれば、夏目が鍵をしまいつつ尋ねてくる。そうだ、結局どうしようかな。夏目の言葉に甘えるなら、フリーパス買うのもアリ。けど、ゆっくりのんびり小さめのアトラクションを楽しむのもいいよなあ。

「んー……何も考えてないプランE!」
「何そレ」
「あ、違うか。なんでも楽しくなるプランE!」
「いやだから何そレ」

 我ながらいいこと思いついたわ! なんてぴん、と人差し指を立ててみたが、そんな私を見る夏目の目は冷ややかなものだった。冷めてるなあ。

「だってちょっと背伸びのプランAでも、いつも通りのプランBでもないでしょ?」
「アー……その曲知ってたんだネ」
「ちょっと前の曲だけど、話題になったじゃん。ES横断企画! シャッフルユニット! ってさ。結構な盛り上がりだったから私もよく聴いてたし、結構好きだよ。あの時はまさか再開するなんて思ってなかったから、夏目がんばってるなーとか思ってた」
「まァ、わりと手探りで色々頑張ってたヨ、あの頃ハ。ボクもまだ高校生だったしネ」
「うわわっか。まだ十代じゃん。恐ろしいわ」
「キミの知ってる中学生のボクの方がもっと若いけド」
「もうだめだ、中学も高校も遠い過去になってしまった」
「オバサンくサ」
「私とタメだってことわかってるよね?」

 勢いでそう返したが、その綺麗な顔はきっと年をとっても綺麗な顔だし、年齢なんかいつまでも感じさせないんだろうな、と思ってちょっと悲しくなった。私もあの子くらい小さいころは可愛かったんだどなあ、とベンチで母親と一緒に座っている子どもを見ながら思う。誰だって小さいころは可愛いのに、引き合いに出すのがその時期しかないのが虚しい。

「というか話戻るけド、何でも楽しくなるプランEって何」

 ひとまずあそこでくっちゃべっていても仕方ない、と近くにある海賊船のアトラクションに並び始めた私たち。なんて言ったっけ、バイキングって言うんだっけ。並び時間は二十分程度だったが、並び始めて少しして、夏目がそんなことを言い出した。

「……ここにいるだけで何でも楽しい的な?」
「それもはやプラン関係ないじゃン」
「わかる。でも本当にそうなんだもん。遊園地ってそういう場所じゃん? それに、夏目と一緒だし」

 昔もそうだった。テスト勉強や、義務教育必須の大して仲良くもないクラスメイトとの交流。今と比べたらあの頃の嫌なことなんてあまりにも小さなことだが、それでも夏目が一緒だと嬉しかったし、楽しかった。投げ出さずにいれた。……いや、二人で授業サボったことも何回かあったけど。本当に私は、あの頃から夏目が大切で、……大切、で。

「……うん、夏目と一緒なら、わりとどこでも楽しめる自信ある」

 いつもなら出てくるはずのその言葉が、何故だか喉につかえて出てこなかった。自分の頭の中で言葉にすることさえも躊躇われた。あれだけ散々言ってたのに、夏目にもすぐそう言うって言われてたのに。だからその言葉を避けて言葉を紡ぐ。嘘じゃないし、ていうかばりばり本当のことだし。
 一歩一歩、ゆっくりと列が進む。が、夏目は何故か歩き出す気配がない。列進んだよ? と小さく声をかければ、帽子のツバの下に隠れた夏目と視線が交わる。その瞬間、はァ、と小さくため息をつかれた。

「本ッ当にキミは……」
「え、何」

 今の会話に呆れる節あったっけ。全く訳が分からないが、いヤ、と彼は疑問符を浮かべる私を制して歩を進め、前の人と距離を詰める。

「ボクもなまえと一緒にいると飽きないヨ。色んな意味デ」

 何か気に障ったかな、なんてちょっと思ったその時。聞こえたそんな言葉にえ? と声を上げる。

「ちょ、それバカにしてない? してるよね?」
「さァ? どうだろうネ?」
「うわ絶対してる絶対してる! いいよもう、夏目も私と同じ気持ちだって勝手に思っとくから!」

 拗ねた風に言ってみるが、実際は全く拗ねてなんかいない。通常運転である私は、夏目と一緒にまた動いた列に合わせて一歩、二歩と歩く。だんだん人数確認などをする案内のスタッフさんの声が近づいてきて、私の心もどんどん舞い上がっていく。乗り場に近づいていくときと、アトラクションに載った瞬間って一番わくわくするよね。ああ、またキャラメルポップコーンの匂いがする。並んでいる誰かが食べているのだろうか。あとで私も食べたいな。でもお昼ご飯の前はやめた方がいいか。ヒーローショーをみて、それからご飯を食べて。ああ、楽しみだな。今日はまだまだたくさんこの空間にいられるんだ。それが嬉しくて、嬉しくて。
 だからだろうか。スタッフさんに人数を聞かれたとき、二人です! と大声で言ったら、何故か盛大に声が裏返った。

「テンション上がりすギ」

 そう小さく呟いた夏目の言葉に、私もまたすかさずわかる、というオタク特有の全肯定をかましたのだった。