「なまえはボクの名前をネットで検索したことあル?」
突然の問いかけに、え? と素っ頓狂な声を出してしまう。だって今まで全然違う話してたじゃん。確かに二人とも新しいお酒が来て話も一息ついたところだけど、それにしても話題転換が急すぎるのではないか。しかしこれってどう答えあるのが正解なんだろう。そうやって知り合いに検索されたりするのやっぱり嫌なのかな。けれど、なんで夏目がそんなことを聞いてきたのかわからないし、そう考えれば正直に答えるのが一番いいのだろうか。
「えーっと……うん、ある」
「だよネ」
まあこれで何か悪い方向に行くことはないだろうと思って素直に言えば、思いのほかさらりと知ってたとでもいうような返事がきた。私が特に考える必要もなかったということか。ひとまず安堵して再びみかんサワーを口にする。よくある香料でごまかした感じの味じゃない、ちゃんとした本物のみかんの香りがすっぱく広がった。
もうこのお店に来るのも何度目だろう。夏目と最初に飲んだときのお店はすっかり私のお気に入りになっていて、もはや常連といっても過言ではなかった。だって完全個室で居心地いいし、ご飯もお酒も美味しいし、何より周りを気にすることなく夏目と喋ることが出来るし。そんな理由で会うとなれば大体このお店に来てしまうのが少し悲しいところではある。昼間は私と夏目の時間がなかなか合わないし、大人になるとどうしても遊ぶと飲むがイコールになってしまうから仕方のないことではあるけど。本当はそれこそ、一緒に家でゲームとかしたいんだけどなあ。
夏目がモヒートを一口飲む。何か考えているのか、言い出そうとしているのか。私が大人しく待っていると、アー、と絞り出すようにして彼はゆっくりと口を開いた。
「……書いてなかったでショ、ボクの高校時代のこト」
「え? ううん、『星霊祭』? とか、『ワンダーゲーム』のこととか。それこそこの間言ってたES横断企画の『デートプラン』のこととか、他にも色々書いてあったけど……」
「そういうことじゃなくテ……いヤ、そもそもこれを聞いたボクが間違いだったカ。あの歴史はとっくに燃やされて灰になったかラ、当時を知らない外部の人間が知ってるはずがないんダ」
「……よくわかんないけど、高校時代のこと、話してくれるの?」
独り言のように小さく呟いた夏目に恐る恐る聞いてみる。歴史が燃やされて灰になったなんて、私の好きな刀の付喪神のゲームでありそうな設定だけど。けれど多分、そういうことが本当にあったから、だから。夏目はあのとき、寂しそうな顔をしてたのだと。
「キミが教えてって言ったんでショ。全然面白くなんてない話だけド」
それじゃあ今の夏目はどうかと言われれば、全くもって普通、いつも通り。強いていえば多少お酒が入って饒舌になっているような気がするくらいか。読めない、夏目の気持ちが読めない。だけど昔からそうだ、だってこの人は占い師なのだから。
「うん。それでも、話してくれたら嬉しいな」
そういえば、私はずっとそんなことを思っていた気がする。誰にも本心を明かさない。自分を取り繕い、すべてを誤魔化す代わりに相手のことを見透かす。自分の心の容量を減らして、人の想いを背負って生きていく。そんなの、夏目自身が窮屈だって。だから私はあの頃から、本当の夏目がそこにいられる場所でありたかったのだ。
夏目が小さく息を吐く。やがて彼はぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた。
「どこから話そうかナ。ええト……ボクはサ、親に無理やり夢ノ咲に入れられるって言ってたでショ」
「うん。占い師になりたいのに、アイドルなんか興味がないのにって」
「……そウ、そう思ってタ。けどボクは小さい頃、とある小さなダンススクールに通わされてたときがあってネ、……」
*
ひどく静かだと感じたのは、きっと気のせいではないのだろう。いつもこのお店は静かで居心地がいいけれど、多分今日は特に予約の数が少なく、お客さんの話し声がほとんど聞こえない。だからこそ店員さんもゆったりと業務をこなしていて、個室と言えどここはもはや飲食店としてはありえないくらいの静けさだった。
恐らくすべて話し終わっただろうた夏目は、お酒ではなくその横にあるお冷を手に取る。すっかり汗をかいてぬるくなったお冷の中には、最初にあったはずの氷の欠片一つさえも見当たらなかった。
一方で私は何をすることもできず、ただ黙っていることしかできなかった。私の予想なんか遥かに超えるような、とんでもない話を聞かされたのだから。
『五奇人』という、夏目を含めた五人のビッグアイドル……いや、天才たちの総称。それ自体も初めて聞いたし、ネットでも見たことがなかった。それも当たり前だ。「『五奇人』という悪を『fine』という正義が倒し、夢ノ咲学院は革命が成され蘇った」、その虚を真にする為、夏目たち『五奇人』の本当の歴史は塵となって消え失せた。内部事情を知る当時の夢ノ咲生が全員卒業したこともあり、いつの間にか歴史からは『五奇人』という存在そのものが消えてしまったらしい。
芸能界の闇といったことはよく聞くが、当時の彼らは事務所にすら入っていない、ただの高校生だった。いくらその後二度目の革命が成され、本当にみんなが輝ける学院になったといっても、当時の傷が消えるわけではない。まるで、ドラマや映画になってもおかしくないくらいの非日常。そんな殺伐とした日常を、彼らは、目の前にいる彼は、たった十代のころに経験していた。
「まァ、大体そんな感じかナ」
話に終止符を打つその言葉が吐き出されても、私は未だ言葉を発することが出来ない。夏目もそれをわかっているのだろう、だからこそそれ以上何も言ってこない。ぐるぐる、ぐるぐる。私の中にいろんな思いや考えや言葉が巡る。それらはごちゃごちゃと重なり、絡まりあい、黒く渦巻く。多分、以前の私ならこの重みに耐えきれずに押しつぶされていただろう。でも今の私はそんなことにはならない。私の中で響く、何度も聴いたメロディーがまるで一本の線のようになり、それらが絡みつかないよう、まとわりつかないようにしてくれている。『Switch』の曲が、私の光となっている。
色々思った、考えた。辛くなった、憎みそうになった、絶望した、同情、しそうになった。けれど私は 、今、輝く彼を知っている。笑顔で、楽しそうに、全力で『Switch』としてアイドルと占い師を続けている夏目を知っている。夏目だけじゃない、深海くんも、斎宮くんもきっとそうだ。そしてあとのふたりも、きっと。
「……青春の、日々だったんだね」
たくさんの出来事を、嫌な思い出なんて言葉で括ることは出来ない。だってきっと、それだけじゃなかった。だからこそ深海くんはあのときこう言ったのだ。
私が呟くと、夏目は驚いたようにこちらを見た。
「……びっくりしタ。まさかそんなこと言うと思わなかったかラ。普通は大変だったねとか、可哀想とか言う流れでショ」
「そう言って欲しいの?」
「……そうじャ、ないけド」
「だよね。それに私は今の夏目を見てそうだと思わなかったから言わなかった。まあ、青春の日々っていうのは深海くんの言葉を借りただけなんだけど」
「奏汰にいさんノ?」
不思議そうに繰り返す夏目に、うん、と私も小さく返す。久々にみかんサワーに口をつけてみれば、ぬるくなっているどころか、炭酸もほとんど抜けてしまっていた。
「私はさ、当時を知ってるわけでもないし、そもそもアイドル業界のことだってよくわからない。それでも、良かった……っていうとちょっと語弊があるけど。でもさ、そのお陰で、夏目は『五奇人』のにいさんたちと出会えて、『Switch』になれたってことでしょ。アイドルを、もっと愛せるようになったってことでしょ」
そろそろ切らなきゃなあと思いつつも伸ばしっぱなしになっていた前髪が落ちてくる。膝の上に置いていた右手を持ちあげ、私はその髪を横に流す。どうしてか、先ほどより彼の姿がより鮮明に見えた気がした。
「私ね、夏目がアイドルも占い師もやめないで良かったって思ってるよ。だって占い師の夏目が色んな人を助けてるのも知ってるし、それに、『もし君が悲しいって思うときは、魔法使いが歌ってあげる』んでしょ? アイドルの夏目だって幸せの魔法をかけてくれる。それに救われた人が、きっとたくさんいる。そしてそうしている夏目自身が幸せ……なんだよね?」
本当は断言したかった言葉だったが、わざと疑問形にして彼に投げかける。その答えなんて夏目自身もとっくにわかっている。だけどそうすれば、より実感してくれると思った。『五奇人』のにいさんたちや、ファンの人たち、それに私も。夏目がいる、それだけで幸せだということを。愛されているということを。
苦にはならない沈黙。少し俯いた夏目が、ゆっくりと顔をあげる。見えた表情、口角は少しだけあがっていて、眉は下がっていて。そんな、
「……まさカ、ボクがなまえに幸せの魔法をかけられるとはネ」
そんな、柔らかい彼の微笑みだった。つられて私もへへ、と小さく笑う。うん、良かった。夏目の話が聞けて良かった。決して明るい話じゃなかったけれど、知れたことが嬉しかった。夏目も笑ってる、私も笑える。多分こうやって話を聞けたことも、私にとって、そして多分夏目にとっても幸せに繋がったのだ。
すっかり冷めてしまった料理を眺め、から揚げを一つ箸で取る。料理が来たばかりのときに食べた一つと同じものとは思えなくて、揚げたてとは程遠い。それでも美味しいと感じてしまうのは、やっぱりこのお店の料理自体が美味しいからだろう。
「でもさあ、なんで夏目は私に話してくれたの?」
最初の方に来たのに、未だ残っているポテトサラダを取りながらふと浮かんだ疑問を口にする。それは、私が聞きたがっていたからとかそういうことじゃない。あんなに重たい話だ、夏目自身にかかる負荷だって大きい。話さないという選択肢もあるし、適当に誤魔化したり、嘘を付いたりすることだって出来る。それなのに、どうして夏目は私に本当のことを離してくれたのだろう。そう言うと夏目はあア、と間を開けることもなくすぐに話し出した。
「キミ、奏汰にいさんにも会ったシ、宗にいさんにも会ったんでショ? しかも渉にいさんにモ……会っタ、と言えるのかは微妙なところだけド。にいさんたちに次々に会ってるかラ、話しやすいってのもあっタ」
「え? 私日々樹くんには会ってないよ?」
「会ってないけド、観たじゃン、あの舞台デ」
あの舞台……と思い返してみて、しばらくしてああ、と合点がいった。私が当引でチケットを入手し、明星くんと氷鷹くんと夏目に会ったあの舞台か! あの時は夏目がトリスタと知り合いだってことも知らなかったし、日々樹くんとも関わりがあるなんて思わなかったもんなあ。すごいな私、そしたらあと『UNDEAD』の朔間くんでコンプじゃん。いや別にコンプしたところでどうってわけじゃないけど。
なるほどねー確かに人物像がわかってたほうが話しやすいっていうのはある。といっても深海くんと斎宮くんしかわからないけどさ。そんなことを思いながらポテトサラダを一口。安定に美味しい。
「そっかそっか、なるほど、なる……あれ、まって。それはともかくさ、さっきの言い方だと、何か別に理由があるように聞こえるんだけど……?」
「アー…………」
微妙に気づくのが遅かったが、ポテトサラダを咀嚼しながら思った。先ほど夏目は「ってのもあっタ」と言った。ということは、理由はそれだけじゃないということだ。夏目は言葉を選んでいるようで、珍しく母音を発しながら唸っている。触れちゃいけないことだったのかな、でもだったらあんな言い方しないと思うんだけど。別に無理して言わなくてもいいよ、と続けようとしたとき、夏目が小さく言葉を吐いた。
「キミにハ、……なまえにハ、もう言ってもいいかなっテ。……いヤ、ボクが言いたいと思っタ。正直、明るい話じゃないから迷ったけド。でモ、伝えて良かっタ」
ふわりとしたその微笑みに、静まっていた私の心臓が一気に高鳴り出す。やだ、どうしよう、嬉しい。だってそれって信頼されてる、ううん、私はまだ、本当の夏目がいられる場所であり続けているということで。
少し自信がなかった。話を聞く限り、『Switch』の皆、『五奇人』の人たち。明星くんや、他にもたくさん。夏目の居場所は私の知らないところにたくさんあった。だからもう、私はその場所にいられないんじゃないかって。でもそうじゃない。私はまだ、夏目の本心を受け止められる存在だった。それがどうしようもなく嬉しくて、幸せで。たくさん言葉が溢れてきて、全部伝えたいのに、私は夏目みたいに順序良く話せないし、語彙力もないから、単語単語を切り取ったような支離滅裂の文章になってしまう。だから魔法をかけられたのはお互い様なんだよって言葉さえもうまく出てこなくて。
「あーもうっ! 夏目っ!!」
「うわビックリした何」
「もー! さ! 嬉しいの! やっぱ私そんな夏目が、……」
「……なまえ?」
大好き、といつものように言いそうになって思わず言葉が止まる。あんなに日常的に言っていたのに、夏目への気持ちを自覚してから言っていなかった。恋心とは恐ろしいものだ、他愛もなかったたった一言を、ひどく重たいものに変えてしまうのだから。
不自然に止まった私を夏目は訝しげに見る。そりゃそうだ、そんな中途半端なところで止まって何だという話だ。ええと、と突然しどろもどろになれば不審がるのも当たり前だ。
「何、どうしたノ。いつものなまえならそこで好きとか言うとこじゃないノ」
「え、いやまあ、うん、そうなんだけど……」
いや怖! 私の思考読まれてるの怖! 散々言ってた言葉だしそういうパターンだから仕方ないけどさ! 今めちゃくちゃ過去の私恨む。いや夏目以外の人には今でも普通に言っちゃうけど、夏目に言ってた過去の自分恨む。冷や汗すご。でもどうしたってその言葉は今の私には重すぎて、……いや、意味合いが違いすぎて、言えるはずもない。だってそれをぶつけても、迷惑になっちゃうから。
「……ボクのこと嫌いになっタ?」
「違う嫌いじゃない! 本気でそう思ってるの!?」
「いや思ってなイ。キミがボクのこと嫌いになるのが想像できなイ」
「相変わらずすごい自信だなあ!? そうだよ!!」
「ウン。ボクモ、キミを嫌いにはならないヨ」
予想外の言葉にはた、と動きが止まる。初めて聞いたかも、夏目がそういう風に言ってくれるの。私がせがんで好きと言わせたことはあったけど、自ら私のことをそんな風に言ってくれたことはなかった、と思う。嬉しくて、嬉しくて。でも私の中に生まれた面倒な感情はそれだけじゃ満足してくれなくて。あわよくばそれ以上の特別な感情を、私に対して持ってくれないかな、なんて。
「一緒じゃん」
伝えることは出来ない。それでも願ってしまう。どうか私と同じ気持ちになってくれないか、と。心と矛盾した発言を笑顔ですれば、夏目も笑って「一緒だネ」と呟いた。