お客さんが極度に少ない、落ち着いた昔ながらの喫茶店。隣には夏目。そしてテーブルを挟んだ向こう側に、テレビや舞台でよく見る綺麗な顔がにこにこと笑っていた。生で見るのは初めて、じゃない。だって私は彼が出ている舞台を観たことがあるから。それでもこんな近くで見たことはもちろんない。だって今をときめく若手俳優なら接触イベントとかでお金が発生するくらいの距離だ。しかも認知されているとなると、どれくらいの時間とお金と労力をかけた? とか思ってしまう。私もなんだかんだ夏目関係でアイドルと接触することが(不本意にも)増えているし、こういうオタク思考いい加減やめた方がいいのかもしれないけれど、こればっかりは根に染みついてしまっているのだから仕方ない。
そもそも今までのアイドルとの遭遇は私の謎の豪運、偶然が引き起こしたものばかりだった。けれど今回ばかりは違う、あちらから夏目を介して私に会いたいという要望があったらしいのだ。正直その時点で意味が分からないけれど、なんで? と話を持ってきた夏目に問いかけても、ボクもわからなイ、と眉を下げて言われただけだった。
「フフフ……この場所も懐かしいですねえ。そういえば以前、夏目くんたちとここで忘年会じみたことをしましたっけ」
「ウン、よく覚えているヨ。出来れば今回もあの時みたいに普通に登場してほしかったけどネ」
「おや、夏目くんにしては珍しく否定しますねえ。でも今回は比較的普通に登場したと思うんですけど」
「つい数秒前まで誰もいなかった店内なのニ、一瞬目を離した隙に入口のドアの開閉もなく中ににいさんがいたってことは普通じゃないんだヨ」
ハァ、とレモンティーを口にしつつ言う夏目の一方で、これが日々樹渉か、と実感する。テレビで見るまんまだな、とはいい加減さすがに思わなくなった。だってどのアイドルもまんますぎるんだもん。芸能界でのキャラ作りとかもはや一切信用しないよ私は。
しかし日々樹くんは本当に奇天烈な人だ。私にとってはマジシャンもびっくりなくらいの登場だったのに、これが普通だなんて感覚がよくわからない。夏目の周りの人、本当に変わってる人ばっかだな。
「……ところで『師匠』。なまえに会わせたらボクに新しい魔法を教えてくれるっテ、本当なんだよネ?」
「はい。嘘はつきませんよ。しかしその呼び方も懐かしいですねえ! 今やにいさんと呼んでくれて嬉しい限りですが、そう呼ばれるとあの頃の可愛い夏目くんが蘇ります……♪」
「本当に教えてくれるなラ、やっぱり師匠であることは変わりないからネ」
「むしろ今まで一度も教えたことがないのだから、それもまたおかしいんですけどね?」
ここのお店のアイスコーヒー、苦み効いてて美味しいななんて思いながら、二人のやり取りを眺める。よくわからないけれど、日々樹くんは夏目の師匠だったらしい。何の? ていうのは置いておいて、『にいさん』であることも含めて、彼が夏目のリスペクトしている相手というのは間違いない。
「……あれ、ていうか待って。それよく考えたら私はダシに使われたってことでは?」
「そんなことありませんよ〜? そうでもしなきゃ怪しんで夏目くんはあなたと会わせてくれないだろうからその方法を採用しただけなので」
「それ結局私が双方の利益になってるってことですよね!? いやまあ日々樹く……日々樹さんにとっては何の利益か知りませんが!」
「いつもの呼び方で構いませんよ……☆ どうぞ私のことはお好きに呼んでください。で、利益についての話ですが、うーん、強いて言えばそうですね……私の人生の記憶になるってことでしょうか」
そういうことは気にしなさそうだが、一応夏目の目があるからということでさん付けにしてみた。ら、案の定そんなことを言われてしまった。ああはい、なんて反射的に返してしまったが、待てよ、それってどういうこと? いや敬称のことじゃなくて、人生の記憶って何だそれ。すごい不可思議な言葉で表しているけれど、人生の記憶っていうのは恐らく一生の歩みの中で刻まれる出来事のことだ。それこそ、私がこうして日々樹くんと会っていることも私の「人生の記憶」に刻まれているわけで。それって、それって。
「要はただの興味本位です!」
「やっぱり!」
利益もくそもない、ただの一興というわけだ。『fine』に所属する彼がそんな理由で私に会いたがるのもかなりおかしな話だが、日々樹くんというだけでなんだか納得できる気がする。それが彼のエンターテインメント性というやつなのだろうが、それに普段から振り回されている人は相当大変だな。
「……本当ニ、渉にいさんも物好きだよネ」
呆れたように夏目が言う。私もそう思う。物好きというか、なんというか。だって別に私に会ったっていいことがあるわけじゃないし、何かのためになるわけでもない。それなのにわざわざ忙しいアイドルが時間を使って……なんて、普通だったらありえないでしょ。
日々樹くんはフフフ、とまた楽しそうに笑いつつ、手元のドリンクをストローで無意味にくるくると混ぜながら言った。
「だってなまえさんは私以外の旧友全員と会ったらしいじゃないですか。私だけ仲間外れみたいで寂しいでしょ?」
「私だって望んで会ったわけじゃないんですけど……」
「ていうか何、それってにいさんたちの中でなまえが話題にあがってるってこト?」
「もちろんです! だって夏目くんの……ああ、彼女じゃありませんでしたね。これは失敬☆」
極めて明るく、それでも途中聞こえたその単語に、思わず小さく肩を揺らす。……やっぱりそのガセネタ、『五奇人』内で広まってたのか。
「……わかってるなラ、他のにいさんたちにちゃんと訂正しておいてヨ」
「しようにも彼らとそんなに会う機会がないんですよ〜。そんなに言うなら、夏目くんがグループメッセージで訂正してみてはどうです?」
「ボクがわざわざそんなこと言うのも変な話でショ」
淡々と会話をする夏目に、それもそうですよね、なんて当然至極な返事をする日々樹くん。いや、私としてはそこはちゃんとした方がいいと思うけど!? う、嬉しくないと言ったら噓になるけど、そうしてしまうことで出てきてしまう不都合も恐らくあるはずだし、何より夏目に迷惑だし。まあ夏目自身が訂正するのが面倒になっているのなら仕方ないというか、もはや私は受け入れちゃうけど。そう思われてるってだけで、色々と考えさえしなければわりと幸せなことだし。……考えさえしなければ。
カラカラと、日々樹くんがストローを動かすのと相まって氷がグラスにぶつかる音がする。その音だけ聞けばまるで真夏の中にいるようで、いもしない蝉の声やありもしない風鈴の音を彷彿とさせた。
「……なまえハ、嫌?」
「……え」
「誤解だけド、誤解されてるままっていうのが嫌だったらボクからにいさんたちに言っておク」
あまりの発言に、え、ともう一度言葉を漏らした。何、それ。何その言い方。嫌だなんて、そんなこと聞くの、ずるくない? なんで私に聞いてくるの。なんで私に委ねてくるの。右隣に座る夏目はほんの少しだけ私を視線を合わせてくる。それ、私が言わなきゃいけないの? どき、どき。ごくりと唾を飲み込む。琥珀色の瞳の視線に耐えられなくて、私は窓の外の景色に視線を追いやった。
「……夏目がいいなら、私はいいよ。その、……わざわざLINEで訂正するってのはやっぱり面倒だろうし」
「……わかっタ。何か不都合が起きたラ、いヤ、不都合が起きそうならすぐ訂正しとくかラ」
「う、うん」
妙に間が多い。それも仕方ない。だって、だって恥ずかしい。最近本当にこういうの多い。この間の二軒目事件のときだってそうだ、調子が狂ってしまう。私は本当にいっぱいいっぱいで仕方ないんだから、せめて夏目はいつも通りしゃあしゃあとして軽口叩くくらいのノリで来てほしい。
そんな自分にとって都合のいいことを勝手に押し付けていれば、今度はくすくすとした笑い声が向かい側から聞こえてきた。見ると日々樹くんが私たちに視線を送りつつ、その整った顔を上品に破顔させていた。
「本ッ当に可愛いですねえ貴方たちは……! フフフ、英智が言っていたことがよくわかりましたよ」
「ちょっとまっテ。なんで急に皇帝が出てくるノ」
その名前が出た瞬間に先ほどから一転、表情を一気に崩して眉間に皺を寄せる夏目に、おやおやあ? と日々樹くんは不思議そうに言いいながら私を見る。え、やめてよ。否定の意味を込めてさっと視線を逸らすが、日々樹くんは私を逃がしてはくれなかった。
「夏目くんに話してないんですか? 英智と会ったこと」
ハ……? とびっくりするほど低い声が響く。ほら、やっぱりこうなった。
「会ったノ? あいつト」
感じる嫌悪感。別に隠す必要はなかったけれど、単純にこうなるから言わなかったんだよ。だって別に、わざわざ名前を出して夏目を不機嫌にさせる必要ないし。
私はアイドルに遭遇する度、随一夏目に報告していた。別に報告義務があったわけでもないが、夏目と友達だったり先輩だったり後輩だったり、とにかく関係があることは間違いない人と会ったら、伝えたくなってしまうじゃないか。だからもちろん他の『五奇人』と会ったことは話していたけれど、……こればっかりは話せなかった。でもこの反応を見る限り、話しておいた方が良かったのかな。恐る恐る夏目の方を見ると、一目でわかる不機嫌模様。知ってたけど、そんなに嫌いなんだな、天祥院さんのこと。
とりあえず口を開こうとええと、と言葉を放つ。が、私が言うそれより前に、思わぬ言葉が聞こえてきた。
「変なこと言われなかっタ?」
え、と言葉を漏らす。さっきまで不機嫌全開だった顔は、一瞬にしてまた別の表情へと変わっていた。それはどういう感情がこもったものだろう、とにかく嫌悪だけで構成されたものではないことは確かだった。
「と、特には。なんかよくわかんないことは言ってたけど」
「何そレ。ていうかなんでそんな大事なこと言わないノ」
「だ、だって」
「夏目くん」
問いただされてわたわたとしてしまった私の言葉を遮るように、日々樹くんが夏目を呼んだ。
「もし何かあったなら、私もさすがにのんびり貴方たちに会いに来たりしませんよ」
それはひどく、柔らかい声色だった。私が聞いたこともないような、アイドルでも、役者でもない声。多分、夏目の『にいさん』としての声。
夏目は一瞬怯み、言葉を詰まらせる。そしてしばらくしてから、ごめン、と小さく呟いた。
「まあ夏目くんのその感情はお家芸みたいなところありますし、仕方ないですけどねえ。たまには信用してあげないと、彼も可哀想ですよ?」
「渉にいさんにどう言われようとそれだけは無理」
つんけんと言い返す夏目に、日々樹くんはまた笑う。多分、学生時代からこうやって彼らの絆は紡がれてきたのだろう。日々樹くんは、『五奇人』の人たちは夏目のことを相当大事に思っている。いくら大事な『fine』の仲間だからって、大切な存在である夏目に何かあるとなれば黙ってはおけない。つまりはそういうことだろう。一つしか年の離れていない後輩にそこまでするのは一見過保護と思われるかもしれないが、そうしてしまう理由が彼らの過去にあったということを私は知っている。「にいさんたちは過保護すぎるんだよネ」と前に夏目が零していたが、それが愛の元にあることはもちろんわかっているのだろう。
でも、私も彼らに守られる領域に入っているということは、夏目にとっての重要な存在だと認識されているということだ。さすがにこれだけ仲がいいと自覚しているから当たり前なのかもしれないけれど、やっぱり第三者から、というか『五奇人』の彼らからの見解が「そう」なっているということはわりと嬉しいものだった。
そんなことを色々思いつつこっそりと小さく笑っていれば、ふと隣からの視線を感じる。反射的にそちらを見やれば、再び夏目がじっとこちらを見つめていた。
「本当に何もされてないんだよネ?」
そんな発言は、嬉しさを通り越して少し可笑しくなってしまった。私にしてみれば、夏目の方がよっぽど過保護だ。
「大丈夫。よくわかんなかったってことは確かだけど、危害は加えられてないし」
「何その中途半端な答エ。キミぼーっとしてるからそういうとこ心配なんだけド」
「本当に大丈夫だって! 日々樹くんもああ言ってたじゃん」
「信用していただいて嬉しい限りです。そして私は彼の言葉そのままに、可愛いと告げただけですよ! さあ可愛い可愛い夏目くん! どうぞ私の胸に飛び込んできてください……☆」
「いい加減ボクを小さい子みたいに扱うのやめてよネ!」
「本当は可愛い二人纏めて抱きしめたいところですけど、なまえさんにそれをやってしまったらセクハラになってしまいますからねえ。だから夏目くんさあさあ!」
「意味がわからないヨ!」
もはやコントのようなやり取りを始める二人に、笑いが止まらなくなってしまう。相変わらず私まで可愛いと言われているのは全くもって意味が分からないが、絶対に入り込めないと思っていた彼らの輪の中に片足だけ踏み込めたような気がして、何か心にじんわりとしたものが広がった。
正直今日、本当はちょっと怖かった。私ばっかり取り残されてしまうんじゃないかって。小学校の頃、友達二人と一緒に帰るも、最終的には前で楽しそうに笑う二人のランドセルを一人後ろで見つめたようなあの感覚。踏み込んでいいはずなのに、その勇気がなくて、距離を置いて。……でもそうなることも、そうすることもなかった。たぶん、きっと。日々樹くんは自分たちと私を、対等に置いてくれたんだ。嬉しいなあ。
そう思いつつ、私はすくりと席を立った。
「ところでお手洗い行っていい?」
「どうぞどうぞ! そちらの右奥ですよ!」
「いや急すギ」
「仕方ないじゃん、人類は生理現象には抗えない」
「早く行って来イ!」
実はあんな情感たっぷりのモノローグをしつつ、さっきからちょっと行きたかったんだよね。夏目に席を空けてもらうと、私はてくてくと日々樹くんに言われた通り右奥へと歩き出した。だってここの美味しいコーヒー、会話しつつももう飲み切っちゃったんだもん。すっかり氷だけになったグラスを遠目でちらりと見てから、未だ解散しない流れを予想して、次は何を頼もうかなと最初に見たメニューを思い浮かべる。
本当は解散しない流れとかじゃなくて、解散してほしくないっていうのが本音だと自分で気づいてるけど。それを認めるには、もう少しだけ時間が必要だ。でもそうすることができたら、「今度他の『五奇人』の皆ともちゃんと話したい」って我儘を夏目に言ってみてもいいかな。うん、言ってみるだけならいいよね。
*
「……それデ、わざわざあの子に会いに来た理由は何なノ」
「おやあ? それはさっきお話ししたはずですが」
「それだけじゃないってことくらいわかるヨ」
「そういうところは敏感なんですねえ。そんな夏目くんに免じて話しますけど、結局は君に魔法を教えるかどうか、一応の最終判断をしたまでですよ。実際、話に聞くだけでもその必要はなかったと思うんですけどね」
「……? 何そレ、なまえに会わせたら魔法を教えてくれるって話でショ。結果と過程が逆になってなイ?」
「いいえ? まあ元々私は、判断するまでもなく君に教えるつもりでしたからねえ。小さな子どもにもできる、勇気という魔法を」
「エ、……ハ?」
「さあ勇気を出して! 当たって砕けても『にいさん』たちがいるのでどんと頼ってください! 頑張ってくださいね夏目くん! 私は君の淡くて純粋な恋を心より応援していますよ……☆」
「いや何、何言ってるの本当ニ!?」