傍から見たらご機嫌な人のネットサーフィンだが、これは単純にネットの海を泳いでいるわけではない。これは下調べだ。夏目と二人で行く旅行の下調べ。信じられない話だが、何と夏目から誘ってきたのだ。最初に聞いたときはさすがの私も耳を疑った。スケジュール的な意味で。だって何度も言うが彼は今をときめく人気アイドルだし、連休なんて取れるのは奇跡のようなものだ。でもどうやら今回はその奇跡が起きたらしく、その二連休を使って一泊二日の旅行を提案してきたらしい。私を誘ってくれたことはめちゃくちゃ嬉しかったけど、なんでと一応聞いてみたら「業界人で全く同じ日に二連休とれる人はなかなかいないヨ」と返された。業界人以外の友達は、と喉まで出かかったけど何とか飲み込んだ。ちなみに家族とはちょこちょこ会える機会もあるため今回はノーカンらしい。
ということで恐らく消去法で指名された私だが、それでもるんるんなことに変わりはない。速攻で有休を取った。上司になんやかんや言われたけど構わず休みをもぎ取った。
一泊二日ということであまり遠出は出来ないし、行き先は観光地として名高い、それでもこのあたりから日帰りでも行ける距離にある温泉地に決まった。そしてすぐさまそこにある食べ物のお店を調べ始めたのが今この状態である。だって近場といってもなかなか行かない観光地だし、美味しいものもいっぱいあるじゃん。念入りにチェックしないわけにはいかないでしょ。
そんな感じでご機嫌な私だが、このことをいつもの友達に話したら「いやおかしいでしょ」と一蹴された。付き合ってもいない男女が二人きりで旅行に行く、しかも私は相手のことが好きなのになんでそんな女友達と出かけるかのようなテンションなのって。うん、正直私もおかしいと思うよ。普通はキャッどうしようドキドキしちゃう……みたいな乙女心が爆発するところだと思う。でもしないのはどうしてかって、そりゃあ別にそんなドキドキするような何かを期待していないからである。今まで色々あったけど、旅行だからといって進展なんかしないだろうし。こちとら乾ききった成人女だぞ、これくらいじゃ動じないっつーの。……たぶん。
「あれ、夏目」
ちょうどそのとき、いじくっていたスマホ画面が着信の表示へと変わった。タイミングいいなあと思いつつ、何のためらいもなく着信に出て、もしもしー? と声をかける。私がピチピチの女子高生なら、電話がかかってきた時点で大興奮してどうしようなんて騒いでいる間に電話が切れてしまった、なんてことになっていたと思う。そんな過去ないけど。
『あのサ、今泊まる宿探してたんだけド』
「あ、うん。いいとこあったー?」
話しつつ、ネットサーフィンを続けるためにスピーカーモードにする。事前に宿はこっちで決めると申し出てくれた夏目は、さっそく探してくれていたらしい。食べ物のお店ばかり探していた私だが、決してそういうのをサボっていたわけではない。
そんな私の言葉に対して、いいところはあったんだけド、という夏目はどうにもj歯切れが悪い。ていうか夏目が私にこうして電話してくること自体そんなにないんだから、もしかしたらあんまり良くない報告なのだろうか。でもそうだとしたら先ほどのあの切り出し方と結びつかない気がする。めちゃくちゃ良いけど相当値段が高いとか?
『そノ、観光地デ、旅館なわけでショ』
「うん」
『だからこウ、ビジネスホテルみたいじゃないっていうカ、食事とかのプランも適応されなくなっちゃうシ』
「……? ごめん、何言ってるかわかんない。夏目どうしたの?」
なんだか珍しくどもっている夏目に、私は容赦なく疑問を投げかける。彼の意図が読めないのはよくあることだが、それは夏目自身が意図的にやっていることが大半だ。なのに今回はそんな感じがしない。
私の問いかけに対して返事がこない電話口に、夏目〜? ともう一度呼び掛けてみる。通話音質はそんなに良いわけではなくむしろ悪い方だというのに、あちらはノイズすら聞こえず、妙に静かだった。
「おーい、夏」
『〜ッ! だかラ! 一緒の部屋でもいいかってこト!』
「……え」
言い切った夏目の、はァ、という大きな息を吐く音が聞こえた。
……つまり。そうか、そういうことだ。綺麗な旅館に一人用の部屋があるところなんてそうそうない。だってそこは観光地で、そういうところに旅行に行くという関係性は家族か、仲の良い同性の友達か、もしくは恋人かだ。一緒の部屋で寝るという行為に疑問を抱かないレベルでの親密関係が想定されているからこその空間なわけ。ビジネスホテルのように一人一つの部屋なんてことにしたら莫大な金額になってしまうし、食事つきプランなんかもなかなか難しくなってくる。頼めば出来なくもないかもしれないが、食事は一つの部屋で、寝るときだけ一人別の部屋に行って、そのためにお金をかけて、なんて。……違和感しかないというか、旅館の人も不審に思われそうだ。
『……ごめン、忘れテ。そもそも旅行を提案した時点でこのことに気付かなかったボクがバカだっタ。他のところも探してみるシ、どちらにしても部屋は別にするかラ』
しかし提案のあとの私の反射的に出た声をマイナスと受け取ったのか。今までの夏目の発言を冷静に分析していた私をよそに、彼は静かにそう言った。
まって、違う。嫌じゃないよ私、全然平気。ほら、それに私たちってそういう感じじゃないっていうか、だから大丈夫で、でもまあ倫理的にどうかなって話で別の部屋を想定していたわけで、いやまあ夏目の部屋に普通に行ったりしてた私が言えることでもないけど、ていうかむしろあれがあったからこそ私もちょっとそういうことを意識し始めて。夏目だって気をつけろっていうし、だから、でもそう、
「わっ、私は夏目と一緒にいたい!」
『……エ』
自分でも意識しないうちに口走ってしまった発言に対して返ってきたのは、先ほどの私と同じものだった。
「あっ、いや、そうじゃなくて! いやそうじゃないってわけじゃないんだけど、その、ほら、せっかくの旅行なのに別々なのは寂しいしさ。だからその、わ、私は一緒でも大丈夫っていうか」
『……すごい慌ててるけど本当に大丈夫なノ?』
「大丈夫だってば! そういう夏目こそいいの!?」
『ダメなら最初から提案しないヨ』
「じゃあもう決定じゃん! ほら、その方がいいよ絶対! 私も値段安い方がいいし!」
『いヤ、今回の旅行の費用に関してキミに払わせるつもりは毛頭ないからそこは別に気にしなくていいんだけド』
「ちょっと待って何それ聞いてない」
『じゃあとりあえず一部屋で予約しておくネ』
「え、あ、それはいいんだけど待ってお金、って切れたし!!」
ぷつりと虚しく鳴った電子音に思わず叫んでしまうが、その声はもはやあちらには届いていない。はあ、と色んな感情を含めたため息をひとつついて、私は持っていたスマホを投げ捨ててからそのままうつ伏せに突っ伏した。
すっかり火照ってしまった顔に、冷たいシーツがひんやりと沁みる。なんだか今の短時間で色々ありすぎてそれらを一気に処理するには脳が追い付いていないが、とりあえず私がとんでもなく恥ずかしいようなことを言ってしまったことは自覚した。なんだ一緒にいたいって。もっと他に言い方あっただろ。そもそも私は夏目と同じ部屋で寝るのに抵抗感なんて全くないし、むしろ言われずに部屋を取られていたそしてもああ一部屋なんだーくらいの感じだっただろうし、(それはそれで女としてどうなんだって話だけど)だからああいう風に改まって言われてしまうと、
「……意識しちゃうじゃんばか……」
ぼすりと枕に顔を埋める。ああもう、恥ずかしいなくそ。何がってこんなに乙女乙女してる自分が一番恥ずかしい。
期待なんかしていなかった。本当にしていなかったし、それこそ同性の友達と旅行に行くくらいのテンションだった。夏目と電話するまでは。前言撤回だ、どうやら私はまだ乾ききってはいなかったらしい。
はあ、と熱を逃がすかのようにまたため息をついてから、先ほど投げたばかりのスマホを手繰り寄せる。未だ開かれたままの夏目とのトーク画面を見つつ何とか気持ちを抑えながら、私はとりあえずと文字を打って送信した。
『自分の分のお金はちゃんと払う』
*
行き交う人たちは大抵片手に何か食べ物を持っていて、歩きつつ喋りつつ、その食べ物を口にする。食べているものはホットスナック系やスイーツなど多種多様だが、お腹を空かせた私にはそのどれもが煌びやかで輝いているように見えた。
あちこちから聞こえてくる店員さんの呼び込みの声は今の時代の日常としてあまり聞かないもので、わくわくしている今の気持ちと相まって、なんだか学生時代の文化祭を思い出して懐かしくなる。
「思ったより人いるんだね」
「さすが観光地だよネ」
正直平日だからもうちょい少ないと思ってた。隣を歩く夏目にそう言えば、多分みんな同じことを思ってるヨ、なんて言いながら帽子を深く被り直した。
あの電話をした日からあっという間に時は流れ、私たちは旅行一日目としてこの地を訪れていた。あの時はあんなに意識して動揺したけれど、時が流れれば平常心に戻ってしまうのが良い意味でも悪い意味でも私って感じだ。だって同じ部屋で寝るってこと以外はいつもとそんなに変わらないし、冷静に考えればそんなに緊張することでもないよ、うん。
そして金銭問題については払うという夏目と、せめて自分の分だけでもという私の平行線だった。が、結局お互い部分的に折れて、私は自分の分の交通費や現地での諸経費だけ払うということで落ち着いた。
手ごろなサイズのリュックを肩にかけて、ふんふんと鼻歌を歌う。着いて早々旅館に荷物を預けてきたから、重たい荷物に煩わされることもない。快適に歩き回れることだけでなんだか嬉しいな。
本日の予定はここで食べ歩き……ではなく、事前に私が下調べしておいたお店でお昼ご飯。それから色々お店を見て回りつつ、あるところに行ってから旅館に行ってゆっくりするというプランだ。盛りだくさんという内容ではなく、むしろ余裕があってゆったりできるようなプランにしたのは、この旅行に休息という意味を私が勝手に見出しているからである。それでも私の我儘はかなり含まれているけど。了承してくれた夏目には感謝しかないなほんと。
「あー……さっきの人が食べてたお団子食べたい。めっちゃおいしそうだった」
「これからお昼食べに行くでショ」
「そうなんだよな〜! は〜なんで私の胃袋無限じゃないんだろ。永遠に食べれるならこの通りの食べ物全部食べますって言って動画サイトにアップしてた」
「キミ何になるつもりなノ?」
呆れたような夏目の言葉に、世界の掌握者? とふざけて答えてみれば、何も言わずにスンッと前へ向き直られた。やめろよその反応、私だって我ながら中学生みたいなこと言ったなと思って若干後悔してるんだから。
それから二人でお昼ご飯を食べて、ちょっとだけあの通りでデザートを食べ歩きしつつぶらぶらして。からの、今は人通りの少ない山の方にいる。といっても先ほどの通りからとても離れた場所という訳ではない。バスで数分くらいの土地なのだが、ここでようやく平日の本領を発揮したらしい。周りを見渡しても人はちらほらとしか見当たらなく、風で木の葉が揺れざわめく音や鳥の声など、都会ではあまり聞くことのない自然の音が心地よく耳に届いた。
「デ? ここがその聖地ってやツ?」
「そう! そうなのですよ! ここが私の大好きな作品の重要なシーンで使われたモデルの場所!! ここ! ここがですよ!!」
人がいないのをいいことに、私が大声をあげながらスマホを取り出し、パシャパシャと写真を撮り始めた。
そう、これは私にとってこの旅行の一大イベントの聖地巡礼だ。旅行先がこの土地に決まった時点で、私は夏目に全力で頼み込んだ。だってずっと行きたかったんだもん。でも行く機会がなかったんだもん。もちろん申し訳なさはあったけれど、どうしてもこればっかりは自分の欲に抗えなかった。
ひとしきり撮り終えると、今度はスマホに保存してあるその例のシーンの画像をずずいと夏目に見せて早口をかました。
「夏目夏目! 私このシーン再現するから、写真撮って! あと夏目もこのキャラのポーズして!」
「絶対ヤダ」
「何で!」
「むしろ何でやってもらえると思ったノ。アイドルとポーズ指定で写真なんて普通金銭が発生するヨ」
「すみませんお願いします夏目様お金は払いますお願いします」
「冗談だヨ。そう本気で受け取られると困るからやめテ」
「じゃあ撮ってくれるの!?」
恐らくキラキラ輝いているだろう私の目をみて、仕方ないなア、と折れてくれる夏目は本当に優しいと思う。
シーンを再現するように写真を撮って、撮ってもらって。ここは景色がいいから、聖地巡礼関係なしに普通に人に頼んで撮ってもらうこともしたかったが、さすがにそれはリスキーすぎるということでやめておいた。今更だが今回の旅行では夏目の変装は帽子に細身の眼鏡のみと軽めだ。曰く「観光地では皆周りのことを気にしてないし、旅館の人は客の個人情報を喋ったりしない」ということらしい。確かにあの食べ歩きの通りでも全くバレなかったというか、皆お店や品物に夢中だった。観光地で芸能人を見かけた報告がされないのってきっとそういうことなんだろうな。
たくさんの写真が並べられたデータフォルダを見て、自然とにやにやした笑みが零れる。今この画面の中には私と夏目、ふたりきり。なんだかこの瞬間だけは夏目を独占しているみたいで優越感に浸ってしまう。
「あっ見て夏目、あっちの方にうっすら湯気みたいなの見えるよ! すごいね、さすが温泉街!」
視界に映った白い煙を見つけて、興奮気味に彼の方を見る。瞬間、ぱしゃりと先ほどまで私のスマホから聞こえていた音が彼の手元から聞こえた。
「あっ、え、あっ、今撮った? 撮ったよね!?」
「うワ、気の抜けた顔」
「やだちょっと消して! 撮るならちゃんと顔作ったときにして! って今また撮ったでしょ!」
「なまえのスマホで撮った写真分、ボクのスマホでも撮ってあげるヨ」
「えっ、やだ私の撮った写真は消さないからね!」
「別に消せなんて言ってないでショ。ボクがそれと同じ量を撮るってだけなんだかラ」
言いながら、夏目は再びパシャリとシャッターボタンを押す。反射的に笑ってみるが、絶対この笑顔ぎこちないよ。
パシャパシャと私ばかり撮る夏目は、一体何が楽しいんだか。絶対私数十枚の写真よりも逆先夏目の自撮り一枚の方が価値あるし目に優しいでしょ。そんなことを思ったらなんだか恥ずかしいのか何なのかよくわからない感情になって、私は勢いよく夏目のスマホを取り上げた。
「私は一人で撮られるより、一緒に撮る方が好き!」
「エ、ちょっト!」
そして驚く夏目をよそにぎゅっと彼と距離を詰めてから、たった今奪い上げたスマホを自撮りモードにして自分たちの方へ向ける。見えた画面に映った夏目の顔はお世辞にもキメているとはいえなくて、(それでも十分かっこいいけど)さっきの仕返しと言わんばかりに私はボタンを押す。パシャリと響いた音は先ほどと全く同じなはずなのに、何故だか今の音はやけにゆっくりと聞こえた気がした。