「……突然何」

 私のあまりにも唐突な発言からしばらくして、聞こえてきたのはあまりにも怪訝そうな声。わかるよ、私だって突拍子もなくそんなこと聞かれたらそういう声色で同じことを言うに決まってる。けれど何、と聞かれたって返す答えもない。だって聞いてしまった私自身、その理由をこれっぽっちも理解していないのだから。

「え、いや、あの〜……ほら、修学旅行といえば恋バナでしょ?」
「修学旅行じゃないシ」
「あの時はこういう話出来なかったじゃん」
「男女で部屋違うんだから当たり前でショ」

 至極当然といったような声だけど、実際その通りなんだから何も言えない。それでもボケたふりをしてまあまあ、なんて話の続きをしようとする私は多分もう引き返せないと思ってしまったんだろう。自分で自分のことがわからなさすぎるが、こうしてみるとさっきの発言は本当に修学旅行といえば、という連想ゲームから口をついてしまったのかもしれないな。いやまあ修学旅行じゃないけど。
 というか、今の夏目の発言で私たちが一緒に部屋で寝ているってことをまた改めて実感させられてしまった。もう眠れないくらいに散々感じているのにそういう追い打ちかけるの本当にやめてほしい。何にも考えてないんだろうな。思えば夏目は私と一緒の部屋でもいいって言っていたけれど、それって要はつまり、私が彼に意識されてないってことでもあるよなあ。うわ、考えれば考えるほど悲しくなってきた。これで例えば冗談でも夏目がさっきの質問に答えてしまって、それが私の望んでいないものだったら。

「いるよ」
「……え?」
「ボクにも、好きな人」

 私は、どうなってしまうのだろう。

 ひどく、恐ろしいくらいに頭に響いた声。たった一言、その一言がぐるぐると脳内に巡ってまるで鈍器のように打ち付ける。ぎゅ、と手を握りしめれば、布団のシーツがぐしゃりと縮こまった。
 夏目は今どんな顔をしているのだろうか。きっと、幸福な表情をしているのだろう。だって好きな人がいて、その人のことを想って今言葉にしたのだから。ああ、でも本当に、背中を向けている姿勢で良かった。そんな夏目の顔、申し訳ないけど見たくない。生憎だけど、そんなカミングアウトを聞いた直後に「夏目の幸せが私の一番の幸せ」なんて綺麗ごとを言えるほど出来た女ではないのだ。それに、今絶対、泣きそうな顔してるから。

「へ、へぇ。なんか意外だなあ」

 溢れ出しそうな感情を堪えて声を絞り出す。動揺していることがバレないように、わざとらしく布団の中で身体をもぞもぞと動かした。

「ほんと、うちら昔からそういう話しなかったからさ。びっくりしたっていうか……」

 「すごく悲しい」、そんな本音が言えるはずもなく、けれどその代わりの感情を言葉にすることができない。こういうとき、どういう反応が正解なんだろう。興味のあるフリ? 面白がってからかうフリ? そんなレベルの高いこと、私には到底できそうにない。
 そういえば前に全く同じ質問をしようとしたことがあったっけ。あの時は結局聞けずじまいで、元カレ元カノの話になったんだよね。うん、やっぱりあの時聞けなくてよかった。あの状況でこんな答えを聞いてしまったら、誤魔化すことすらできていなかった気がする。

「うん、ほんとに、まさかだなあって、」

 でも、でも、言葉が出てこない。顔を見られる心配がないから声だけ気を付けてればいいだけなのに、それさえもうまくいかない。私の中にある様々な感情がぐちゃぐちゃに混ざって、声帯に突っかかる。お願い彼にとって良い言葉を出して、と自分自身に願っても虚しく、代わりに溢れてしまったのは目からの雫。抑えきれなくなってしまったそれは拭っても拭ってもとめどなく溢れてきて、私の手を、シーツを、塩辛く濡らしていく。
 言葉を、言わなきゃ。明るく何かを伝えなきゃ。そう思えば思うほど息が苦しい。頭が熱くてくらくらして、望んでいない嗚咽が漏れる。駄目だ、このままではバレてしまう。でもどうしたって、こんな風になってしまったらもう自分で自分をコントロールすることだってできない。

「……っなまえ!?」

 もう誰が聞いても私が泣いているとわかるだろう。焦ったような夏目の声が聞こえたと思えば、ばさりと布団が剥がれる音がして、それから途端にぐるりと彼の手によって寝返りを打たされる。仰向けになった私の目に映ったのは天井ではなく、こちらを見る夏目の顔。嫌になるくらい想像してしまっていたその表情は、私の様子を見てひどく慌てたようなものだった。

「チョ、なんで泣いてるノ!」
「っひ、ごめ、ごめん、」

 ずびずびと鼻を鳴らして泣きじゃぐる私の顔は、きっと好きな人に見せてはいけないくらいぐしゃぐしゃで、ひどいものだろう。ぎゅっと目を瞑って両腕を自分の顔の前でクロスさせるけれど、夏目の表情を見てしまったことにより余計にまた全部溢れ出してきて、どうしようもなくて。

「っすき、」

 だからもう本当に、何もかもが止まらなくなっていた。涙も、嗚咽も、ずっと狭いところに秘めておくはずだった、わたしの気持ちも。全部全部、暗闇の中に吐き出してしまった。

「すきなの、わたし、夏目がすき。ごめん、ごめんね、っすきで、ごめ、」

 瞬間、ふと視界が明るくなった。いや、明るくなったといっても瞼を閉じたままの私が見えるのは彩度の上がった暗闇だ。じゃあそれは何故かといえば、恐らく私の両腕がそのままの形で頭上に上げられたからで。
 けれど、どうしてと疑問を投げることも、やめてとそれを咎めることもできなかった。だってたった一秒ほどの短い時間。唇に触れたその感触に、私はすっかり気を取られてしまったから。

「……え」

 それは、確かな熱だった。

 思わずぱちりと目を開ける。一瞬の靄のあとに映ったのは、やはり先ほどと同じように私をのぞき込む夏目の顔。けれどその表情は、いつもの彼でもなく、かといってアイドルの逆先夏目の顔でもなく。なんて言えばいいのかわからないけれど、ただ、私が今までに見たことのないような表情をしていた。

「……勝手にフラれた気にならないでよネ」
「な、え、え?」
「ああもうめちゃくチャ。ホント何こレ」
「いや、それこっちのセリフ、え?」
「まだわかんないノ、このバカ」

 戸惑う私に、夏目はハア、とひとつため息をついてから、その人差し指で私の目元に残った雫を静かに拭った。

「ボクが好きなのはキミだよ、なまえ」

 冗談を言っているようには思えなかった。そもそも、こんな状況でそんな悪い冗談なんか言うはずがない。そう、だからつまり、今の魔法の言葉は。

「……ほ、ほんとに?」
「今ボクが嘘ついてると思ウ?」
「いや全然思ってない……」

 いつの間にか涙は止まっていたものの、それでも私の顔はぐしゃぐしゃ。ロマンチックなシチュエーションなんかじゃない。夏目だってステージで見るようなキラキラの表情なんかしてなくて、複雑そうに眉を寄せている。おまけにハイ、と渡されたのは生活感という言葉が似合いすぎる数枚のティッシュ。けれどそれを大人しく受け取ってしまったこの瞬間が、とても幸福なものに思えた。
 ひとまずそれで涙を乱雑に拭って、雰囲気台無しレベルで鼻をかむ。夏目が近くに持ってきてくれたゴミ箱にそれらを入れてから、私はゆっくりと上体を起こした。向かい合った夏目は一瞬だけ目をそらしたが、すぐにまたこちらを見て口を開いた。

「こんなんだったらもっと早く言っておけば良かっタ。キミ、二次元にしか興味ないと思ってたかラ」

 しかし飛び出してきた言葉は全く予想もしていなかったものだった。小さくため息をついた夏目の今の言葉、正確に言えば後半の言葉が聞き捨てならなくて、反射的に、は!? とデカすぎる声が出てしまった。

「待っていつの話のこと言ってるの!? 確かに昔はそんなこと言ってたかもだけどさあ!」
「前に言ってたシ」
「言ってない! 言ってたかもだけど知らない!!  私だって大人になったんだから恋くらいします! 前に彼氏いたことあるって言ったじゃん!」
「いやそのときに言ってたからネ!? ていうかこの状況で前の彼氏の話出ス!? ボクキミに告白したんだヨ!?」
「わ、わかってるよ! てか私だって告白しちゃったし! 何なら私の方が先だし! そう、私は夏目と離れて、再開して、それから好きになったんだよバカ!」
「チョ、そこで罵倒するかな普通!? てかボクなんかそれこそ昔からなまえのこと好きだったんだけド!!」
「え!? ちょっと待って夏目だって占いで手一杯だから恋愛しないって言ってたじゃん!!」
「キミこそいつの話のこと言ってるのサ!!」

 お互い叫びあって相手を責めているこの状況を見て、誰が愛の告白後の光景だと思うのだろう。ハアハアと息切れしてしまうくらいに大声を出したからか、どっと疲労感が生まれる。
 なんだ、なんだそれ。なんだこれ。ただでさえ告白のこともその前のことも未だ処理しきれていないというのに、私の口から勝手にぺらぺらと出てきた言葉の数々とそれに応じてしまった夏目の言葉のせいで、もはや訳が分からなくなってしまった。いや、そうだよね? 私告白しちゃったし告白されたんだよね? 本当に、ムードもクソもなさすぎるでしょ。でもなんだかこういうの、すごく私たちっぽいというか。

「……ふ、ふふっ」

 そう思ったらなんだか急に可笑しくなってきて、こみ上げてきた笑いを抑えることが出来なかった。突然笑い始めた私を夏目も最初こそ訝し気に見たが、つられてしまったのか、段々口角が上がってきて、次第には二人揃って小さく声をあげて笑ってしまった。

「本当バカらしいイ。……キミが恋愛するとかしないとカ、そんなのちゃんと話せばわかったことなのにネ。結局ボクハ、逃げてただけなのかもしれないナ」
「ううん、それは私だって同じだよ。勝手に決めつけて、勝手にこの気持ちをなかったことのようにしてた」
「じゃア、どっちも最低ダ」
「うん、最低だね、私たち」

 もはや何が可笑しいのかもわからなかった。それでも笑いは止まらなかった。夏目が私を見て、一緒に楽しそうにしてくれている。そんな空間が、ただひたすらに愛おしくてたまらなかった。

「なんか夏目といると永遠に喋っていられる」
「本当ニ。ボクたち今までだって色んなこと話してきたのにサ、大事なことハ、何一つ伝えてなかったんだネ」

 だからつまりそれは、私たちが似たもの同士ってことなのかもしれない。
 ひとしきり笑い終わったあと、なんだかひどく喉が渇いていることに気付く。あれだけ泣いたあとに言い合いをして、気が済むまで笑っていたのだから当たり前だ。改めて振り返ると全くもって謎の流れである。
 立ち上がり、先ほど冷蔵庫に入れた水を取り出そうとしたが、それもすぐにやめて、電気ケトルに水を入れてスイッチを押した。

「ああそうカ」

 それから棚にあった湯飲みを二つ取り出して、アメニティの緑茶のパックを二つ開ける。お湯が沸くのが早い電気ケトルは、すぐに湯気を上げ始めた。

「情けないけど今気づいたヨ。キミの恋愛運を占ったとキ、なんで何も見えなかったカ」
「うわ懐かしい。……ああでも、そっか。やっぱ夏目の占いってすごいんだね」

 フフ、と夏目が笑う。パックを隣同士に並べた湯飲みに入れて、お湯を注ぐ。ケトルの先から出てきたお湯から、またふわりと白い湯気が広がった。

「占い師ハ、自分自身のことは占えないからネ」