目の前で朝食に手を付ける彼の姿を眺める。その姿は全くと言っていいほど普段通りで、変わったところなど一つもない。だからあれは全部私の妄想、夢、なの、かも。
昨晩、私たちはすぐにお互いの布団で眠りについた。そう、少なくとも私は本当にすぐ眠りについた。ドキドキして眠れない、眠るどころじゃない! なんてことはなく、旅行の疲れでむしろいつもより寝つきが良かった気がする。夜中に目が覚めることもなくぐっすりと眠れ、早い時間に目が覚めれば夏目は未だ眠っているようだった。私がこんなに早起きするなんて珍しいけれど、それくらい気持ちよく眠れたということだろう。そこで都合のいい夢を見たのかも、もしかしたらシャワーを浴びたときから夢の中での出来事だったのかも。……あれが現実と言われるより、よっぽど納得出来る気がする。
「そんな見られると食べにくいんだけド」
いつもより少し低め。朝特有の夏目の声に、ハッと意識を戻される。やばい、めちゃくちゃ色々考えている間、向かい側に座る夏目の顔をガン見してたらしい。そりゃ食べにくいよね、せめて手元の小鉢にでも視線を落としておけばよかった。そんなことを思いつつ視線を外せなくなってしまったのは、やっぱり彼のことで頭がいっぱいだからだろうか。てか朝でもかっこいいな夏目、ずるい。こちとらお泊り用の超薄化粧だからほぼすっぴんみたいなもので顔死んでるのに。悲しいがな、やっぱ生まれ持ったものの違いだよね。くそ、かっこいい。
「……あア、キミのかっこいい彼氏に、見惚れちゃったんダ?」
は、と思わず息が漏れる。なんでわかったのとかそういうことよりも、「彼氏」という言葉にかっと身体が熱くなった。今の今まで夢じゃないかと散々疑っていたのに、たった一言でそれが現実だと強烈に思い知らされてしまった。
「……うん。だってかっこいいから」
ぼそりと小さく口にする。どうしようもない現実に、口に入れた焼き魚の味すらもとろけるような甘さを感じた。
一方で夏目はそんな私の言動で怪訝そうに眉をひそめる。素直すギ、と発されたその言葉に含まれているのは恐らく驚愕か。私は普段から夏目のことをかっこいいとは言っているし、彼だって冗談半分で先ほどのような発言をする。(もちろん、彼氏なんて単語が出てきたのは初めてだけど)だから私がそれを肯定するのは珍しいことじゃない。けれど確かに、素直に肯定だけを返したことはなかなかないかもしれない。仕方ないじゃん、昨日の今日でそんなこと言われたら。
「だって夏目がかっこいいのは本当だし。いつも言ってるじゃん」
「そうだけド、いつもムカつくとかワンクッション挟むシ。物凄い違和感」
「夏目が彼氏っていう事実にこっちこそ違和感だから」
そう言ってからハッと息を呑む。もしかして今の発言、変な風に勘違いされるんじゃ。違和感っていうか、変な感じっていうか、慣れてないっていうか。向かい側に視線を向けると、案の定良いとは言えない表情をした夏目。違う、そうじゃなくて、そういうことじゃなくて。だからといって夏目と付き合うことが嫌だとかそういう訳じゃなくて。
「……ふうン」
「えと、あの、いやだから、ちがうの、あの」
否定しようとするけれど、うまく言葉が出てこない。いつもこうだ、私は肝心な時に何も言えなくなってしまう。どうしようも出来なくて視線を泳がせていれば、淡々とした、それこそ本当にいつも通りの夏目の声が私の耳を突き抜けた。
「まア、何であろうと前の関係に戻るつもりはないかラ」
え、と予想もしなかった言葉に、泳がせていた視線を戻す。夏目はあくまで淡々としながら食事に手を付けて、まるで世間話でもした後のように早くしないと冷めるヨ、なんて普通に声をかけてきた。……本当に、本当に、そういうところ。
恥ずかしいような、憎らしいような。ぐるぐるとした気持ちを抱えながらも、言われるがままに箸を手に取る。悔しい、なんか初っ端からやられてしまった感じだ。何か言ってやりたいのに、いつものような軽口も、状況にあったような言葉も何も出てこない。これから夏目と口喧嘩したら絶対勝てない気がした。いや、今までだって勝てたことないけど。でもせめて、何か。
「……こっちのセリフ」
呟いて、白米を口に運ぶ。夏目みたいに淡々と出来たらよかったけど、きっとその動きはぎこちないものだっただろう。そんな私を見てか、夏目が小さく笑った気がした。せっかくの旅館の美味しい朝食の味は、全く覚えていなかった。
*
「……で、そのあとは普通に観光してお土産買って帰宅しました。めでたしめでたし」
くたくたになった両足に鞭を打って階段を昇る。なんでここエレベーターやエスカレーターがないんだ。そんなに動いたわけではないし、夕飯も食べて元気チャージしたあとだというのに疲れているのは、コスプレイベントという非日常でテンションをあげまくってしまったせいだと思う。
今日は中規模なコスプレイベントの日だった。私自身コスプレはしないが、いつもの友達の付き添い兼美麗なレイヤーさんを見たいという欲から一緒に遊びに来ていた。感想は最高としか言いようがない。レイヤーさん、あまりにも美しすぎる。どう足掻いても本物。友達のクオリティも相変わらずのもので、色んな人に撮影をお願いされていた。そもそもの顔がいいからな、奴は。贔屓目なしに。
そしてイベントの後、他のレイヤーさんと打ち上げをしてから二人で帰路についている最中。私は今日彼女の家に泊まる予定だ。二人ともくたくたに疲れて、駅の喧騒の中を重たい足取りで歩く。私が夏目との出来事を、変わった関係を彼女に話したのは、どうしてかそんな時だった。
「……ごめんもっかい言って」
「え?」
「「好きでごめん」からのキスからの「ボクが好きなのはキミだよ」までの流れもっかい言って」
「いやめちゃめちゃ聞こえてんじゃん二度と言うか!!」
一番恥ずかしいとこじゃんかそれ! 思わず叫ぶと彼女はごめんごめん、と楽しそうに笑った。絶対面白がってるでしょこれ。
「あー言うんじゃなかった」
「あははごめんって。いや私は嬉しいんだよ、ようやくくっついたか〜! って感じ。てか宴じゃん、なんでさっきの打ち上げで言ってくれないのそれ」
「他の人がいるのに夏目のこと言うわけにはいかないでしょうが!」
「あそっか」
打ち上げでお酒は飲んでいたけれど、相変わらず酒豪の彼女だ、全く酔っていないはず。それなのにどことなく言動がふわふわしているのは、テンションの高さ故か。さっきまで疲労で死んでいたのに、私が話した途端にこれだ。なんでそんなに嬉しいのかはわからないが、今の話が彼女にとっての栄養剤であったことは間違いなかった。
行き交う人々の間をすり抜けて改札を通る。友達の家のこの最寄り駅は、決して大きいわけではないが何故だかいつでも人が多い。スーツケースを引いた彼女はどうしても動きが遅く、それに合わせて私もゆっくりと歩く。駅から離れてしばらくすると、多かった人通りが徐々に少なくなっていった。
「いや本当に良かった〜」
街灯に照らされた道を歩いていれば、改めたように彼女が言った。
「そんなに嬉しいもん?」
「嬉しいよ、普通にあんたの恋が成就したってのもそうだけど、何よりも私はあの頃を見てるからね」
「あの頃……そっか、夏目は昔から好きだったって言ってたっけ。昔って本当にあの頃からなのかな……ってあれ待って、もしかして当時夏目の気持ち知ってたの?」
「当たり前じゃん」
「えっなんで!?」
「むしろそっちがなんで?」
私の動揺に呆れたように言う彼女だが、だってなんでって思うでしょ、夏目はこの子と仲が良いわけじゃなかったし。そう言えば、いや誰が見てもバレバレだったよ、と信じられないような言葉が返ってきた。な、何……どういうこと……。そんなの私知らないよ……むしろ夏目だって知らなかったでしょ……めちゃくちゃ恥ずかしいじゃんそれ……。ていうかそれ、私信じられないほど鈍すぎないか? 逆ハーラブコメ鈍感主人公か? いや、でもそんな素振りは見せていなかったと思う、多分、うん、そう、私の記憶の中ではそう。
「しかしここまで長かったわ〜」
「なんか当人より当人ヅラしてるな」
マンションに着いて、今度は階段ではなくエレベーターに乗り込む。私の元気と彼女の元気、完全に反比例している気がするのはきっと気のせいじゃない。でも、彼女はずっとずっと、私たちのことを応援し続けてくれていたということか。昔の私にとっては知らないけれど、今の私にとってそれは、なんだかとっても嬉しいし、有難いことだ。
ありがとね、そう口にすると、何が? とすかさず返ってきた。改めて理由を説明するのもなんだか恥ずかしくて、色々! と誤魔化しておいた。
「ねえもっかい告白シーンの話聞かせて」
「あーやっぱもう帰ろうかな!?」