定時になった途端に身の回りの物を片付けて、早々に帰り支度をする。といっても、定時目がけてほとんどのものは既に片付けてあったから、帰り支度と言いつつパソコンを片付けるくらいの作業なんだけど。
席を立ち意気揚々とそう言えば、各所から「ええ〜」「珍しいね〜」なんて言葉が出てくる。うるさいうるさい、イベント舞台ライブ以外の日はいつも残業してると思うなよ! 素直にお疲れ様って言え!
「みょうじさん予定あるの?」
そう思いながら私がフロアを出ようとした時に声を掛けてきたのは女の先輩だ。私は知っている、この人はめちゃくちゃいい人である。だから悪意を持ってそう言っているわけではないし、予定を聞きたいが迂闊に聞くとセクハラになってしまう、という男性社員の気持ちに代わって聞いてきたわけでもないということもわかっている。私の返事を周りの人たちが聞き耳立てているということもね。そうだよね、いつも適当な女がちょっと気合入った格好してるから気になるんだろうね。でも残念、特に面白い回答も出来ない。
「はい、これから友達と飲みなんですよ〜。じゃ!」
ただの事実なのに、それがなんてことない無難な回答ナンバーワンだ。別にデートでもなんでもない。けれど友達と会うんだから、ただ会社と家を行き来するだけの普段の格好よりは気合入れた格好するでしょ。
そうなんだ―楽しんでね! とにこにこ笑う先輩に小さくお辞儀をして、私はそのまま会社を出た。ちょっと、いやだいぶわくわくしている。だって今日はこの為に全力で仕事を終わらせたのだ。楽しみじゃないわけがない。
駅に着いてみると、ホームにはいつもよりだいぶ人が少ない。定時上がりの早い時間なんだから当たり前か。電車を待ちつつスマホを見てみれば、「今向かってるよ」なんてLINEが届いていた。彼が今日どこで仕事だったのかは知らないけど、恐らくあっちが早く着くだろう。だってお店を彼は知っているようだったし、私は初めてで、何より方向音痴だし。
無事たどりつけるかなーなんて呑気に構えつつ、私も向かってる、とLINEを送る。電車の到着を知らせる放送が流れる。そうだあのアプリイベント中だ、回さないと。電車に乗り込みつつ、私はソシャゲを開いてタップし始めた。ソシャゲに人生を握らされているオタクにとって、移動時間は貴重なイベント回しタイムなのだから!
*
「すみません、逆先って名前で予約してて、待ち合わせなんですけど…」
案の定迷った。いや、迷ったけど思ったよりは早くたどり着けたと思う。待ち合わせ時間にも間に合ってるし! まああっちはちょっと前に着いて先に中入ってるらしいけど! 迷ってなかったら多分私の方が先に着いてたんだと思うとちょっと悔しい。別に悔しさを感じるところじゃないけど悔しい。
店員のお姉さんは私の言葉を聞くなり、突き当たり右奥のお部屋です、と案内してくれた。和風の、ちょっとだけお高い雰囲気の漂う個室居酒屋。個室ってあんまり行ったことないから既にちょっとわくわくしてる。
そんな気持ちを抱きながら、私は指定された部屋のドアをがらりと開けた。
「……わお」
「何その第一声」
「いや、扉を開けたらイケメンがいてびびった」
「最初からボクがいるってわかってたでショ」
わかってたけど、わかってたけどさあ。なんだろうねこの感じ。わかんない、とりあえず奴がイケメンであることに間違いないわ。よいしょ、とテーブルをはさんで夏目の向かい側に腰をかける。
「もう飲み物頼んだ?」
「まダ。ボクも今着いたばっかだからネ、メニュー見てたとコ」
「てことは夏目ビール飲まないんだ。私梅酒水割りがいい」
「飲めないこともないけド、そういう場でもないのにわざわざ飲もうとはしないヨ。なまえ、店員さん呼んデ」
「はいよーっと。すいませーん」
個室で店員さんを呼ぶのはドア側に座ったほうの役目だ。私は先ほど開けたばかりのドアを小さく開けて顔を外に出すと、近くを通りかかった店員さんがすぐに気づいてくれた。あ、まって、飲み物頼むんだったらついでに早く来そうな食べ物頼みたい。すぐさま近くにあったメニューを手に取り、こういうときにしか出ない速読能力を発揮する。
「梅酒水割りト、レモンサワーお願いしまス」
「あああと冷やしトマトとポテサラ! 夏目なんか食べたいのある?」
「あとでゆっくり見るからいいヨ」
「じゃあとりあえずそれで〜」
店員さんを呼んでからメニュー決めるのって失礼とまではいかないけど、店員さん側にしてみたらイライラする客なんだろうなあと思う。ひとまずそんな感じで注文を伝えれば、店員さんはかしこまりました、と今のご時世にしては珍しく手書きでメモを取り、にこやかに部屋を出てから静かに扉を閉めた。
そんな態度に、ほんの少し違和感を覚える。だってあまりにも自然で普通すぎないか。私の目の前にいる彼は今帽子も眼鏡もマスクもしていない。テレビでよく見るその顔に、一般人が、ましてや女の人が反応しないわけがないだろう。
「ココ、芸能人ご用達の店だかラ。店員さんも絶対外に漏らしたりしないように教育されてるんだヨ」
「え、何なんで私の考えてることわかったの? エスパー? こわ」
「いヤ、なまえがわかりやすすぎるんだってバ」
わかりやすすぎるにしろ、すごすぎないか。でも夏目なら読心術を使えると言われても今更驚かないし、普通に信じると思う。しかし芸能人ご用達の店かあ、噂では聞いたことあったけど、本当にそういうお店が存在するんだなあ。まあでもそういう場所がなかったら、彼らは毎日のようにスキャンダルされて大変だろう。プライベートに気を遣うのってめんどくさいな。
それから、今更ながらお互いに少し近況報告をした。といっても夏目のことは大体わかっているし、主に私のことだ。フツーに土日休みでオフィスで働いてるよ〜と大して面白くもない、というか全く面白くなんてない職業を言えば、なまえがOLってすごい世になったんだネ、と驚かれた。何だその言い草は。
そんな時に頼んだお酒がと冷やしトマトが到着する。来てくれた店員さんに追加の食べ物を注文してから、二人で控えめに乾杯をした。あ、ここの梅酒美味しい。夏目を見れば私と同じようなペースでレモンサワーを口にしていて、その光景がなんだか不思議で思わずじっと見つめてしまった。
「……何」
「あ、いや、なんか夏目がお酒飲んでるの初めて見るなーって思って」
「当たり前でショ、一緒に飲んだことなんてなかったんだかラ」
「まあね〜。同窓会とか行ってればそういう機会あったのかもしれないけど」
そんなことを口にしてからハッとする。あれ、夏目って同窓会誘われたのかな。誘われてなかったらどうしよう。私今完全に禁句を口にしてしまったのでは?
しかしそんな私の心配とは裏腹に、彼の口から出てきた言葉は意外にも普通のものだった。
「まァ、ボクは同窓会不参加だったしネ」
「あ、良かった誘われてた」
「ウワ、すごい失礼。そういうキミこそ誘われたノ?」
「なんとびっくり誘われたんですよね〜でも普通に考えて一応誘っとくかみたいな社交辞令だと思うよ。本当に来て欲しいなんて思ってないでしょ」
数年前、SNSに急にダイレクトメッセージが来たことを思い出す。一体どこから探し当てたのか知らないが、突然大して仲良くもなかったかつての同級生から連絡がきたことがあった。けれどそれは学校主催の大々的な同窓会なんてものではなくて、クラスの有志が企画した小さなもの。だったら別に行く理由もない。
「ボクに関しては芸能人と今改めて仲良くできればなんて下心が見え見エ。芸能人と同級生でこの間同窓会で一緒に飲んだんだゼ、みたいなマウントを周りに取りたいだけなのが丸わかりデ、行く理由なんてひとつもなかったネ」
「うーわさすが、私とは誘われる理由のレベルが違う」
「裏を返してみれば似たようなもんでショ」
「それもそうか」
苦笑いを浮かべつつ、また梅酒を一口飲む。そうだよなあ、だって本来同窓会って、下心とか社交辞令とかそういうの抜きにして楽しむところでしょ。実際の世の中がどうであれ、あくまで本来は。
私は、正直中学生時代、クラスの中で浮いていたと思う。中学入学時、くだらないスクールカーストとやらの下の方に位置付けられた私は、運の悪いことにクラス内に気の合う友達がいなかった。小学校の頃からの数少ない友達は全員他のクラスへ行ってしまって、ああこれから肩身の狭い学生生活を送るんだなと思っていた。
けれど、そんな時に出会ったのが今目の前にいる逆先夏目だった。彼はイケメンで女子人気はあったものの、その独特な纏う空気感に誰もが近寄りがたさを感じていた。もっとも、彼は当時まだアイドルではなかったし、不可思議な言動に一歩引かれていたというのが正しいのかもしれないが。はみ出し者同士、なんとなくつるんで、仲良くなっていった。始まりはそんな感じだった。
「というカ、なまえは行ったノ? 同窓会」
「『ごめん、同窓会には行けません。今、シンガポールにいます』って断った」
「それネタ通じタ?」
「まさか。『そうなんだ〜よくわかんないけどすごいね!』ってきた」
「だよねェ」
「夏目そういうネタちゃんとわかってくれるから好き。同窓会も夏目がいるんだったらってちょっと考えたけど、いるわけないだろうしって思って。案の定だったからやっぱ行かなくて正解だったわ」
「何そレ、なまえはボクのこと大好きなんだネ」
「そうだよ当たり前じゃん。正直連絡途絶えて寂しかったんだから」
「……はいはイ。なラ、SNSの公式アカウントに凸でもすれば反応したかもしれないのニ。同窓会の連絡してきたアイツらみたいニ」
「えっあの人たち逆先夏目公式垢に凸ったの!? いやさすがにそれはないわ」
「まァ、普通はそうだよネ」
美味しい食べ物を口に入れながら、美味しいお酒を飲みながら会話はどんどん弾んでいく。やっぱり夏目と話していると楽しい。もっと頻繁に会えたらいいんだけど、やっぱりなかなか時間を合わせるのは厳しいだろうな。今日だってこうやって飲める時間が取れたの、奇跡みたいなものだし。
あの撮影のときに必死に知らないふりをしようとしていた自分が今となっては馬鹿らしく思える。だって今こんなに楽しいんだもん。夏目に会いたいと思ってたのも本当だし。
「……あー、なんか悲しくなってきた」
「何デ? 酔ってるノ?」
「酔ってない。気の合う友達って大事だなあってしみじみ思っただけ。あ、LP回復したからイベント回すね」
「お好きにどうゾ」
と、そこで突然ソシャゲのことを思い出すオタク。推しイベじゃないけど、時間回復分くらいは回さないとね。そうして普通にスマホを取り出した私に驚きもせず、スマホを見ることを制限もせずこうやって許して見守ってくれるんだから本当に有難い。画面を見ないでスマホをぽちぽちとタップしながら、夏目の顔を見る。その頬はほんのりと赤く染まっていて、彼があまりお酒に強くないということが見て取れた。
「お酒、あんま強くないんだねえ」
「……弱くはないとおもうけド」
「まあいうて私も強いわけじゃないけどさ。食べてる方が好き」
「そんな気がしたヨ。他には注文いいノ?」
「んー……これ食べたいけど、わりとお腹はいっぱいかなあ」
決してタップする手は止めずにもう片方の手でメニューを指さす。最後の最後に食べようと思っていた冷や汁だったけれど、そこまでのペース配分を間違えてしまったようだった。拙僧もまだまだ修行が足りぬな! 食べ過ぎて私の胃は喜ぶどころか悲鳴をあげてるけどな! あーあー、もう二度と食べれないかもしれないものだったのに、残念だなあ。
「じゃア、次来た時それ頼もうヨ」
「……へ」
そんなことを思っていた矢先に聞こえた言葉だったから、素っ頓狂な声を出してしまった。次来た時って、え、次があるの?
「この前も似たようなやり取りしたの覚えてないノ?」
「うわまた心読まれた!」
「声出てたんだよバカ」
「マジ!? え、てか、」
「あのさァ、いちいちこれが最後だって思わないでくれるかナ? それともそんなに最後にしたいノ?」
「えっやだしたくない! 次いつ!?」
「いやさすがに今はわからないヨ!」
「嘘じゃん! 夏目のばか!」
「はァ!? やっぱ酔ってるでしょなまえ!」
酔ってない酔ってない! だってこの辺の流れこの前もやったし! つまり素面のとき同じ流れしたんだから今だってお酒入ってても酔ってないってでしょ!
ぎゃんぎゃん騒いで、たくさん笑って。タップし続けていたはずの手が止まっていたことに気づいたのは、それからしばらく経ってからだった。