「はあ……かっこいい……」

 スマホ画面を片手に、私ははあ、とため息をついた。傍から見れば恋する乙女のそれだし、まあ実際そうなのだが、じゃあ例えば誰かにこの画面を覗き見されてしまったら、オタク以外は確実にえ? と眉をひそめるだろう。それもそれで仕方ない。だって私が見ているのは、推しの隅から隅まで立体化された、美しくて最高にかっこよくて語彙力を失くしてしまうような――そんなフィギュアの画像なのだから。
 今日は推しのフィギュアの発売日。といってもそれは店先で販売されるようなものではなく、プライズ品……つまりゲームセンターのクレーンゲームで入手するものだ。私のクレーンゲームの腕はというと上手いほうではない。というか普通に苦手だ。けれど今まで数多のプライズグッズを(金に物を言わせて)取ってきたくらいだ、少しでも安く獲ろうと無駄に知識だけついている。一向に技術は追い付いてこないが、まあ当てずっぽうにやるよりかは幾分マシだろう。
 さて、現在は大抵のゲームセンターがとっくに開店をしているだろう時間だ。数年前の私ならゲーセンの開店待ちをしていたところだが、今はそうではない。私の予測が正しければ、人気コンテンツの新商品だから朝はオタクが殺到する。けれど夕方になれば落ち着き、恐らく在庫もまだ残っているはずだ。フラグではない。ということで、朝行くのは無駄に疲れるだけだと最近私は覚えた。

「うん、じゃあ、もうひと眠りするか」

 そして夕方に狙いを定めた私は、目覚ましを掛けてベッドに潜り込む。外からは子どもの遊ぶ声や車のエンジン音など、たくさんの人が活動している音が聞こえる。が、だからといって私も今から活動しようとは思わない。だって土曜日だ。週五で働いた社会人にとって、もはや寝るための日と言っても過言ではないのだから。

 ということで、あれから数時間後。聞こえるのは普段耳にするよりもだいぶ大きめの音量で、あちらこちらからごちゃごちゃと音が響いてくる。そんなゲームセンターという場所に足を踏み入れた私は、やっぱりな、と思いつつもどこか安堵しながらその光景を見た。
 目当てのフィギュアの台の前には誰もいない。が、そこには人が大勢来ると予測されて設置されたかのような整列のロープが貼られている。恐らく、私の予想通り午前中はオタクが殺到したのだろう。が、今は見る影もなく。在庫はまだ残っているようで、二本のつっぱり棒の上に乗せられた、いわゆる橋渡しという形式で私の推しはそこに鎮座していた。

「っし……やるか……」

 ぼそりと一人で小さく意気込む。うっかり出てしまった完全な独り言だが、周りのゲーム音にかき消されて聞こえてないことを願おう。
 橋渡しの狙うべきところはなんとなくわかっている。実力は置いておいて、今日こそこの知識を使って、少額で推しを手に入れて見せる。念には念を入れてお金多めに降ろしてきたけれど、ただ念を入れているだけだし! これはフラグじゃないぞ、断じて!
 ――そして十数分後。いや、もう何十分も経っているかもしれない。時間の経過具合なんてわからないが、私は果たして何回両替機に向かっただろうか。隣の台で私より後に来た女の子がフィギュアを手に入れてご満悦で帰っていく光景を見た。繰り返しアームに遊ばれたせいで箱が棒に変な風にはまってしまって、何回か店員さんに助けを求めた。でも、私は未だに推しをこの手にしていない。財布は明らかに重くなっている。これは物理的な意味でだ。紙がほとんど硬貨になった。まあ、その数も残り少ないが。
 あまりの自分の下手さに泣けてくる。けどここまできたらもう引き返せない。そんなことを思い始めたのもだいぶ前だったような気がする。もう何もわからない。私はただこの機械に小銭を入れていくマシーンと化してしまったのだ。
 アームがただ箱を滑っていく、何度も見た光景にももはや何も感じず、五百円玉を入れる。ああ、一体あといくらかかるんだろう。ていうかもはや銀行行かなきゃダメなやつかな。

「あのー……すみません」

 ああまたアームが箱を滑ってくよ。せめて一ミリでも動いてくれればいいのにね。この店のアームがとても弱いというわけでもなさそうなんだけどな。なんでだろうな、ああなんでだろう。

「聞こえてます?」

 聞こえてるよ聞こえてる。聞こえてるから会話はもうちょい離れたところでしてくれないかな。集中してるんだよこっちはさ。この空間で声が聞こえるなんて相当私の背後近くにいるでしょ。いや、だめだだめだ。イライラしてるからってただ会話しているだけの見ず知らずの人に当たってはいけない。無だ無、今の人は悪くないし私も悪くないと思うことですべてを許していこう。

「あの! 聞こえてます!?」
「なんすか!?」

 突然響いた大きな声に、思わず返事をして振り返ってしまった。やば、他人の会話に返事するとか我ながらやばすぎでしょ。自分で自分にドン引きしながら慌ててすみませんと謝罪しようとした……が、その違和感にすぐに気づく。
 私の目の前には男の人が四人。が、彼ら同士で会話しているという様子でもなく、四人とも何故か私を見ている。思わず自分の隣を見る。両隣には誰もいなかった。

「……私?」
「そうですよ!」

 まさか、と思いつつ声に出したら、それこそまさかの肯定の返事がきた。え、なんで? 私なんかした? 長時間ここにいすぎってクレーム? というか、この人たち全員帽子にマスクって風貌。パッと見れば怪しい不審者の集まりだが、最近の私はそういう格好を見るとそれよりも思い浮かぶものがある。

「さっきからすごい手こずってるみたいで……良かったら僕が取りましょうか?」

 が、色々と考えていた私の疑念はそんな彼の言葉に一気にかき消される。

「お願いします!!」

 勢いでそう言えば、眼鏡の彼は少々驚いたようにはい! と声を裏返らせて答えた。もうこんなんなったらプライドもクソもない。自分の手で推しを手にしたかったが、正直限界もある。だから突然差し伸ばされた手に、私は考える間もなく乗ってしまった。だって、わざわざ声を掛けてくれるってことは彼、きっとゲームが上手いということだろう。まあ同時に傍から見て手こずっているとわかってしまうくらい、私が必死になってやっていたということだろうけど。
 私がすっと台の前を空けると、彼はお金が入ったままチカチカと点滅しているボタンを押して、操作し始めた。その光景を見て、他の三人も応援し始める。……というか、なんか前に聞いたことのあるような声が聞こえるんだけど。多分、気のせい、だよね。
 そしてものの数分後。彼はなんと、台に入っていたキャッシュ分数回のみで見事に景品をゲットしてしまった。

「はい、どうぞ」
「わああありがとうございます! もう本当に欲しくて……! なんてお礼を言ったらいいか」
「あはは、その言葉だけで十分ですよ!」

 箱を受け取ってお礼を言いつつ、そのパッケージをまじまじと眺める。ああ、かっこいい。パッケージだけでこんなにかっこいいのに開封なんてしたら私死んじゃうんじゃないの? 大丈夫? 今まで掛けた金額なんか一気にどうでも良くなるような高揚感が少しだけ恐ろしい。多分私はギャンブルにハマりやすい体質なんだと思う。

「声かけて良かったな遊木」
「迷惑なんじゃないかってずっと言ってたもんなー」
「そんな、迷惑だなん、て、」

 否定しようとしたそのとき。彼らに声を掛けられた時に頭にあった考えが再び思い浮かぶ。きっと、その名前だけではピンとこなかっただろう。芸能人かなーくらいで終わってたはずだ。それなのにわかってしまったのはその声と、今初めてちゃんと見た黒髪の彼の顔。マスク越しで見るのは、二回目だ。

「んー……」
「どうした明星、さっきから黙って」
「あ、わかった!」

 そしてもはや、これは答え合わせである。もしここがクイズ会場で「この人たちは誰?」なんてクイズを出されて、なおかつヒントとして今の会話が出たら多分私はクイズ王になれてる。
 なんだろう、私は何かアイドルと遭遇する不思議な力でも持っているのだろうか。

「君、なんか見たことあると思ってたんだよ! でもファンの子だったら忘れるはずがないし、どこで見たんだろうってずっと考えててさ! わかったわかった! 君、ホッケ〜と夏目と観に行った舞台で俺たちの後ろに座ってた子だ!」
「ああそういえば……あのチラシをばらまいてしまった人か」

 そして同時に明星くんも私のことに気づいたらしい。気づく、というかあっちに関しては覚えてること自体がすごいけど。いや、むしろあの場でチラシをばら撒いたおっちょこちょいな人という、そういう認識で覚えられていたということだろうか。なんかやだなそれ。氷鷹くん(あの後名前調べた)に冷静に言われると虚しくなる。

「え、何お前ら知り合い?」
「知り合いというか」

 不思議そうに尋ねた衣更くんと、こちらを見る遊木くんに、(二人の名前も覚えた)氷鷹くんが長々と話し始める。あの、私もう帰っていい? この箱の中にいる推しが外の光を見るのを今か今かと待っていると思うので。それにこのままここにいたら絶対騒がれるでしょ。今まだ人が少ないし、声も聞こえにくいからバレてないけど。もう完全に君たちがトリスタってわかるような言動しまくってるから、時間の問題だと思うよ。
 そうやってぐるぐるしていたら、どうやら氷鷹くんの説明が終わったらしく。そんなおっちょこちょいなんて説明されたくなかったなあなんて思っていれば、予想と反するに衣更くんと遊木くんはえーっと、とちょっと困ったような顔をしつつ言った。

「それって、お前たちを守ってくれたんじゃね……?」
「騒がれないように、注意を引いてくれたってことじゃないかな……?」

 あ、この二人ってトリスタの中の常識人なのか。と、トリスタのことをあまり知らない私でもわかった。

「……本当、自分たちの存在をもっと自覚したほうがいいですよ。今も含めて」

 まあ、獲ってあげましょうかという誘いに乗ってしまった私が言えることでもないけれど、そこは「あの時は気づいていなかった」という主張をしたい。

「あ、やっぱり僕たちのことバレちゃってましたか。そうですよね。ごめんなさい、お姉さんすごくそれ欲しそうだったのに何回やっても獲れてないから、見てられなくて」
「いやそれよりも、あなたは俺たちを助けてくれていた……つまりあの時既に俺たちに気づいていたということか」
「ねえねえ、ていうか俺思ったんだけど、それって君が何らかの関係者? 業界人ってこと? だってただ気づいただけじゃ、普通そこまでして俺たちを助けようなんて思わないよね?」
「ああそっか。でも最近俺たちと関わったスタッフさんではなさそうだけど、その可能性はあるな。つーかお前たち、ちゃんとお礼言っとけよ」
「そうだよね! さっすがサリ〜! そして君! 助けてくれてありがとう!」
「普通に考えて、あの時騒ぎになっていた大変だったろうからな。感謝する」
「話は戻るけど、この人はその舞台の出演者の身内とかじゃないのかな?」
「ああ、確かにそれだったら周りの気を引く理由も納得できる」

 ……すごいなトリスタ。勝手にどんどん話を進めていく。さらっとお礼を言われすぎて、一瞬私に向けられたものかもわからなかった。前にテレビで見た通りだ。とりあえず私は出演者の身内でもなんでもないということだけ言っておきたいが、口を挟む隙間もない。会話が豪速球で飛び交っているのだから、それも仕方がないと思うけれど。

「んー……あとはホッケ〜の知り合いとか?」
「いや、北斗の知り合いなら既に言ってるだろ」
「じゃあ夏目の知り合いとか!」

 しかし突然出てきたその名前にほんの少しだけ肩を揺らしてしまった。普通その発想にならないでしょ。妙に鋭いな、明星くん。

「あの逆先に業界人以外の知り合いがいるとは考えにくいが」
「うーん。確かに友達っていうのは」
「え、まって夏目って未だに友達いないの!?」

 聞こえた言葉に思わず叫んで。やってしまった、と思ったときにはもう遅い。四人の視線は見事に私に注がれて、周りのゲーム音にかき消されて聞こえなかったんじゃないかな、なんて期待を持つことさえできなかった。

「違うよ俺は夏目の友達!」
「そうじゃないだろスバル! まさかマジで逆先の知り合いなんですか!?」
「未だに友達がいないって……それってどういうことですか!?」
「逆先の経歴の詳しいことはネットに書かれていない。が、その言いぶりからすると、逆先の過去を知っているようだが」
「いやー……えーっと……」

 ずずいと遠慮なく四人に詰め寄られて、言葉に詰まる。夏目の友達でーす! 中学の同級生でーす! なんて気軽に言えたらいいが、そんなことを言えば拘束時間はきっともっと長くなるだろうし、口の軽そうな……明星くんとかはすぐに夏目に報告しそうだ。私も話し始めたらぺちゃくちゃと余計なことまで話してしまいそうだし、そんなことが夏目にバレたら普通にめんどくさい。そしてとにかく私は家に帰って、この手の中にいる推しを愛でたい。ということで、そんな私がとった行動は。

「夏目によろしく!!」
「あっ逃げた!」

 逃走、ただ一択である。明星くんあたりが追ってくるかもとも思ったが、実際誰も追いかけてこなかったので、恐らく他のメンバーに止められたのだろう。四人とちゃんと話してみたい気持ちもあったが、やはり今のこの状況ではデメリットの方が多い気がする。あの場所だと、それこそいつ彼らの存在がバレるかもわからないしね。まあ最後の捨て台詞で私と夏目が知り合いだということを暗に教えたし、あとは私のことを聞かれるであろう夏目に任せた。
 ……が、そこでようやく気付いてしまう。自分が未だにフィギュアの箱を抱えたままだということに。今日のバッグは小さくて、とても箱一つが入るような大きさではない。手に持ったままにげ出してしまったから、ゲーセンの袋をもらって入れることすら忘れてしまっていた。え、これ抱えて電車乗るってこと? あまりにも人権なさすぎない? 死にたくなるでしょそんなん。もしそのまま電車に乗っていればTwitter芸人と化せただろうが、そんなことは死んでもごめんなので無難に価格の安いエコバッグを買った。その時に開いた財布の中身が、今日の朝とは全然違っていたのは言うまでもない。