日替わりランチ。……いや、オムライス……親子丼もいい。でもやっぱ日替わりランチの焼き魚いいなあ。そうこう考えている間にも列はどんどん進んでいく。そもそも列に並ぶ前に頼むメニューを決めておけという話だが、社会人の休憩時間は限られている。一時間のうちに社員食堂に行って、ご飯を頼んで、食べて、複数のソシャゲを回さなくてはいけない。メニューを悩む時間くらいはカットしないとやっていけないのだ。ソシャゲに追われたオタクの人生はあまりにも過酷である。
 そんなことを言っても仕方がないので、カウンターの前に来てしまった私はもはや半場勢いで親子丼、と口にする。あ、日替わりランチの方に気が傾いていたのに、親子丼って言っちゃった。いやまあ親子丼も食べたかったけどさ、食べたかったけどさあ……。また明日食べればいいという話でもない。そもそも日替わりだから明日は焼き魚じゃないだろうし。じゃあ最初から日替わりにしておけば、とかそういう問題でもないのだけれど、ここまで言うと普通にウザがられるような気がする。優柔不断、直したいとは思ってるよ私だって。

 親子丼を手にしてきょろきょろと周りを見渡す。食堂は広いから席には困らないのだけれど、周りに気を遣うことなくソシャゲを回せるから、なるべく人が少ないほうがいい。思えば私は、昔から食堂の隅っこで友達とひっそりとご飯を食べるタイプだった。
 そんなとき、ふと自分の名前を呼ぶ声がする。その声の方を見れば、同僚がこっちこっち、とでもいうかのようにひらひらと手招きをしていた。一緒に食べようということか。
 私は自身はオタクということを隠してはいないが、大っぴらに言いふらしている訳でもない。仲の良い同僚だし、私がオタクだということは何となく知っているが、それでも一緒にご飯を食べるとなれば一人でいるときのようにガンガンにソシャゲを回すことは出来ないだろう。
 それでも、せっかく誘ってくれているのに断るのもどうなのか。でもアプリイベント中だし……。うーんと頭を悩ませた時間は、私にとってはかなり長く感じたが、実際は数秒もないくらいだろう。私の足は真っすぐに同僚の方へと向かっていて、こればっかりは仕方ないな、と自分を宥めさせた。

 が、私は同僚に元に来てしまったことをすぐに後悔することになる。
 彼女の手元には見開きにされた雑誌。その隣に置かれたパスタは、まるで副菜のようだ。私の視線に気づいた同僚はああ、とまったく悪びれる様子もなく(確かに彼女は悪くないが)雑誌を指さしながら笑った。

「雑誌読んでるけど気にしないで」

 じゃあなんで私を呼んだの、なんて言えるくらいの仲だったらどれ程良かっただろうか。今更、なら別の席で食べるなんてことも言い出せずに、私はわかった、となんともいえないニュアンスの声色で返事をしてから、彼女の真向かいの席に腰を下ろした。まあいいや。彼女も彼女なら、私も私でソシャゲを回していても失礼にはならないだろう。
 ごとりとテーブルに親子丼の乗ったお盆を置いてからスマホの画面を見る。大丈夫だ、この時間なら食べつつ周回すれば十分にソシャゲは回せる。確信しつついただきます、と小さく声を上げてから親子丼を口にする。ああやっぱ親子丼にしてよかった。とろとろの卵が舌に絡みついて、最高においしい。優柔不断でいつもメニューをどれだけ迷ったって、結局最後は幸せになるんだから迷ってる時間も勿体ないよなあ。
 そんなことを思いつつも左手でスマホはタップし続けている。ひたすらタップをすることがどれだけ大事か、きっとソシャゲをやらない人はわからないだろう。
 そのとき、ふと同僚が見ている雑誌が目に入った。私たちの年齢層にマッチした、よくあるファッション雑誌だ。私もたまに読むけれど、それも美容室くらいで、わざわざ買おうまでは思わない。同僚はおしゃれで可愛いし、やっぱりそういうところから勉強してるんだろうな。年齢も年齢だし、私もそろそろ見習わなきゃいけない……とは思っている。

「あれ、『Switch』じゃん」

 ぱらりと彼女がめくったページに見知った顔が出てきて、思わず声を出してしまった。その声に反応して、同僚が雑誌から顔をあげてこちらを見る。

「『Switch』好きだっけ?」
「いやまあ、うん。最近ちょっと気になってて」

 気になってて、というか正確に言えば交流があって、だ。(といってもほぼ夏目だけだが)しかし『Switch』ってこんな女性ファッション雑誌にも出ているのか。アイドルだから別に珍しくもないことなんだろうけれど、そこに夏目がいる、というのは何だか不思議な感じだ。きっと私があまり気に留めていないだけで雑誌の表紙だって何度も飾っているんだろうけど。
 考えつつ、スマホをタップしつつ、親子丼を口に運ぶ。我ながらめちゃくちゃ器用だと思う。こういうときのオタクのタスク量は常人には理解出来ないだろうな。

「へーそうなんだあ。……そうなんだ、そうなんだ!?」
「え、何?」
「なまえちゃん、彼氏いないよね!?」
「いやそうだけどマジで何!?」

 突然テーブルに両手をついてこちらに身を乗り出してきた同僚に少々慄きつつも答えれば、彼女はその手と手をパン! と合わせて言った。

「お願い! 今日の合コン、人数足りないから来て!!」
「今日!? え、何で!?」
「『Switch』の逆先夏目くん似の子がいるらしんだよ! なまえちゃん普通なら絶対に行かないって言うだろうから誘ってなかったんだけど、それなら話は別だよね!? ね!?」
「ええ……」

 段々とこちらに詰め寄ってくる同僚と反対に私は少し身体を後ろに引きつつ、夏目似の男ってどんな人だ、と考える。顔が似てるとしたらイケメンだけど、中身が似てるというなら相当変わってるぞ。いやでも、皆の頭の中の逆先夏目は少し変わった甘い言葉を囁く魔法使いって感じか。それだとかなりのキザ男では?
 悶々と考えている間も、同僚は期待に満ち溢れた眼差しでこちらをじっと見つめている。正直行きたくない。当たり前だ、せっかくの華金。合コンに行くくらいなら家に帰って溜まったアニメを消化したり、ゲームをしたり、フォロワーと通話したりしたい。
 ……が、そのあまりに切実な同僚のお願いに、首を横に振ることは出来ず。まあタダ飯だと考えようと思い、私は仕方なく頷いた。決して、決して夏目似と言われた男を面白半分で見てみたい、というわけではない。

*

「なまえちゃん楽しんでるー? もっと頼みたいものとかあって頼んでいいからね」
「はあ……」

 やっぱり来なければ良かった、と来て早々に思った。合コン会場という名のよくある居酒屋に同僚と向かえば、そこには既に女性二人、そして男性四人が到着していた。どうやら私たちが最後だったらしい。同僚は幹事なのにいいのか、と思ったけれど、そういうのは皆気にしないタイプだったようで、最後に来た幹事を含む私を歓迎ムードで迎えてくれた。内心が本当に歓迎しているのかは知らないけど。
 そして例の夏目似の男だが、一目ですぐにわかった。確かに他の男性メンツに比べれば顔面レベルは高い。気遣いも出来るし、どうして合コンなんかに来ているのか、と疑惑の目を向けたくなる。案の定女性陣はメロメロで、なんだか他の男の人たちが可哀想になってくる。というか同僚、彼目当てになるんだったら私を誘うな。
 かくいう私はもちろんその男に靡くはずもなく。というか、夏目に似てるか? 皆は似てる似てるというけれど、私には到底似ているとは思えない。というか、本物の夏目の方が何倍もかっこいいと思う。だって夏目かっこいいよ、肌めちゃくちゃ綺麗だし。
 ということで、早々に帰ってしまいたい気持ちを抑え、私は振られた会話に適当に反応しつつ飲み食いに集中することに決めた。だってタダ飯だし、食べないと飲まないと勿体ないし。
 何を話しても反応が薄い私に男たちも興味が薄れたのか、やがて私は席の隅で黙々と飲み食いするマシーンと化した。そんな私の様子を見て察したのか、同僚がごめんね、帰って大丈夫だよ、と耳打ちしてくる。最後までいる気もなかったし、十分お腹も膨れた私はその言葉に甘え、早々に店を出ることにした。帰り際、ねえ、連絡先教えてよ、なんて夏目似と言われる男が話しかけてきたが、それに応じるはずもなく。きっと女遊びするタイプなんだろうな、と勝手に決めつけた。

 ちょっと飲みすぎたかもしれない。店を出た瞬間にそう思った。夜風が気持ちいい。身体がほんのり熱くて、頭は何だかふわふわする。ただ足元がふらつくとかそういうレベルには達していないので、無事に家に帰れることは間違いないだろう。……多分。
 けれど、なんだかもやもやする。それはきっとお酒のせいじゃなくて、あの夏目似の男のせいだろう。改めて考えても、似てないよなあ。夏目のが、かっこいいよなあ。夏目はあんなに大きな声で笑わないし、そもそもあんな普通のイントネーションで喋ることだって滅多にないし。ていうかあんな気持ち悪いくらいに優しくないし、もっと意地悪で生意気だしムカつくし。なんだかあの人を「夏目に似ている人」と位置付けるのは納得いかない。
 ああくそ、なんか夏目のことばかり考えていたから、夏目に会いたくなってしまった。それも仕方ない。だって特定の人のことを考えていたらその人に会いたくなるし。おかげで私はいつだって次元を超えて推しに会いに行きたいし。人間ってそういうものだよね。
 そしてこれはあまりにも偶然な話だが、ここはESビルの最寄り駅、らしい。行ったことないし、ビルはアクセスが悪いらしいから聞いた話でしかないけど。だから、うん。会えるなんて思っていないけど、それでももしかしたら、なんて期待して。私は駅に行く道を逸れ、別の道を歩き出した。
 ――だからまさか、本当に会えるなんて。まったくもってこれっぽっちも、思っていなかったのだ。

「……本物の夏目だ」
「……偽物がいるノ?」
「成りすませてないクオリティの低い偽物ならいた」

 芸能人は実際事務所にいることは少ないらしい。当たり前だ、普通は大体現場にいるもの。けど本当に、本当に偶然で運が良かったのだろう。仕事帰りかと思われる夏目は、突然の私の言葉に驚きつつも平然とそう返した。

「こんな夜ニ、なんでこんなところニ」
「んー色々あったんだよ。それより本当に夏目に会えるなんて思ってなかった〜うれしい〜会いたかったよ夏目〜」
「うわ近づかないでヨ、てかお酒臭! 何、飲んできたノ?」

 勢いのままに抱き着こうとするが、それより早く避けられる。それでも私から発されているお酒の匂いはマスク越しの彼にも届いたようで、夏目は怪訝そうに眉を顰めた。そんなに匂うかな、絶対そこまでいっぱい飲んでないし、酔っ払ってもいないと思うんだけど。

「ねえねえ夏目、ちょっと話そうよ〜その辺のベンチとかでいいからさ」
「やだヨ、ボク明日も朝から仕事だシ」
「お願いお願い! ちょっとだけでいいからさ、さっきの偽物の話させて〜」

 別に興味ないシ、と言う夏目に頼み込めば、仕方なしにちょっとだけだからネ、と折れてくれた。やさしい。けど私ももちろん明日も仕事の中付き合わせるのは申し訳ないという気持ちはあるし、早々に話を終わらせようと思っていた。それが本当に出来るかなんてわからないけれど、とりあえずそういう意思はあった。

 二人で近くにベンチに座る。金属で出来たそのベンチに座れば、ひんやりとした冷たさが身体に伝わった。

「あのね、今日合コンに行ってきたんだけど、そこに逆先夏目似って言われてる男の人がいてさあ。でもぜんっぜん似てないんだよね」
「ちょっとまっテ。合コンっテ、キミってそういうの興味とかあったノ?」
「同僚に必死に頼み込まれちゃったんだよ、人数が足りないからお願いって」
「ああそうだよネ、なまえは二次元にしか興味がないもんネ」
「そうだね〜まあ夏目にどれだけ似てるかっていうのも見てみたかったしさ。でも行ってみたら本当に似てなかった。夏目あんなに優しくないもん」
「ナチュラルに悪口だネ。ボクも優しくする人はいるヨ」
「悲しいがな私はその中に含まれていない」
「含むことも考えてないヨ、残念ながラ」
「いいよべつに〜。夏目が私に対して急にあんなキザ男みたいになったら怖いし。今のままでじゅーぶんかっこいいしね〜」

 ふわ、ふわ。だんだん浮遊感というか、お酒の気持ちよさが強くなっていっているのは、多分気のせいではない。普通夜風に当たったら酔いは冷めるんじゃないか、と思うけれど、何故か私の場合はいくら外に出ても時間が経てば酔いが回ってくるということか。それとも、夏目に会って安心したら、気が抜けたとかかな。なんでもいいけれど、とにかくふわふわして、瞼が重い。なんだか眠たいなあ、なんて思考もどこか他人事のようで、重たい頭と反対に口はそのまま喋り出す。

「ねー夏目、私のことすき?」
「突然何? てかキミ酔いかなり回ってきてなイ? 大丈夫?」
「だってさあ、いっつも私ばっかりすきって言ってるんだよ! ねえねえ、好き?」
「あーはいはい好き好キ」
「やった、私もねー夏目がだーいすき!」
「……だかラ、知ってるってバ」

 ふわ、ふわ、ふわ、ふわ。隣にいるはずの夏目の声が、ひどく遠くに聞こえる。ああ、わたし結構酔ってるかも、なんて、ここに来て今更気づいた。すごく楽しいのに、先ほどまでよく回っていた口はどこへやら。身体も瞼も何もかも重くて、段々と力が抜けてくる。首が傾いてきたような気がするけど、それを直すこともできない。ねむい、なあ。

「ちョ、何ボクの肩に寄っかかっテ……っテ、ここで寝ないでくれル!? 家帰って寝ろバカ!」

 聞こえてる、なんとなく聞こえてる。けど、それに反応する余力が残っていない。口も、瞼も開かない。ただひたすらに、伝わる体温が温かくて。

「……はア」

 でももう、聞こえない。

「…………好きだヨ、本当ニ」

 だから、夏目が吐いたその言葉を、私は知る由もなかった。