「おれバレエの公演って観るの初めてかもしれない! 色んな霊感が湧いてきそうで楽しみだな!」
「ちょっと、公演中に作曲とか始めないでよね〜?」
「ん〜、でもさすがに会場は暗いし、手元も見えないから大丈夫じゃないかしら」
「舞台の最中にロビーに出て行きそうだから言ってんの」
「さすがにそんなことしないぞ! いや昔のおれならしてたかもしれないけど! 今のおれはちゃんとそういうの弁えてるから! それにそんなことしたら、せっかくの芸術が台無しになっちゃうから!」
弁えてるからと言いつつ、人がそこそこいる劇場の前でいっぱしのアイドルが大声で叫ぶのはどうなの。ただでさえ俺たち五人揃ってると目立つんだから、本当にそういうの気を付けてほしいんだけど。俺が言う前にかさくんが注意してくれたけど、そう言うかさくんの声だってそこそこ大きいからね。
それでも鑑賞前の興奮からか、俺たちの存在に気付く者はいなかったようだ。はあ、とひとつため息をつき、改めてその大きな劇場を見上げる。
ようやく来れたなまえの舞台。本当は俺一人で来るつもりだった。が、なまえと仲の良いなるくんも偶然スケジュールが空いていたみたいで、俺と一緒に来ることになった。まあ、ここまではいいとして、問題はここからだ。
どこから嗅ぎ付けたか、かさくんが自分も観に行きたいと名乗りを上げた。そうしたら後は早い、じゃあおれも、とれおくんが便乗し、リッツも来いよ〜とくまくんを誘い……今この状態ってわけ。
そもそも五人全員のスケジュールが合うことだって滅多にないのに、どうしてこんなに合うかなぁ、ていうか合わせてくるのかなぁ!? とにかく身バレだけは避けたいのに、こんな大所帯で固まることになっちゃって。まだ会場に入ってすらいないのに、既に俺の心労は昇り詰めていた。
「セッちゃん疲れてるねえ……大丈夫?」
「誰のせいだと思ってんの」
「月ぴ〜筆頭に俺たちのせい〜」
「わかってて聞いてくるのがムカつくんだけどぉ!?」
「皆さんお静かに! 本日の私たちはidolではなく、いち観客なのですからね!」
「ハイハイ、まあそろそろ本当にバレちゃうかもしれないし、皆大人しくしましょ」
「ちょっと、俺までうるさいみたいな言い草しないでくれる?」
「ずっと言ってるけど、泉ちゃんはもう少し自覚を持った方がいいわよ」
さらっと言われたなるくんの言葉に思わず反論しそうになったのをぐっと堪えた。ここで何か言ってしまったら、それこそ俺がうるさいって認めてるみたいなもんだし。ああもう、やっぱり何を言われても俺一人で来るべきだった!
しかしそれからは比較的スムーズに事が進んだ。というかさすがにあいつらも自分たちの存在がどれほど大きいかわかっているからか、すんなりと大人しくなった。(それでもれおくんは時たま暴走しそうになったけど)会場に入り、後でSNSに載せる用の写真をポスターの前でささっと撮り、プログラムを買って、席に着く。ロビーにあったずらりと並んだフラスタを思い出し、俺も、俺たちも贈りたかったなと思った。いや、『Knights』全員で贈る話は出てたけど、あいつはバレエ団の中でデカい立場じゃないし、そもそも俺たちなんかが送ったらそれこそ大変な騒ぎになりそうだからという世間体的な理由でやめた。偽名を使えばよかったのかもしれないけど、それじゃあなんか意味がないような気もするし。
舞台の方から、正式に言えばオーケストラピットから聞き覚えのあるメロディーが一瞬だけ流れた。これから演奏されるであろう曲、バイオリンの音色。それは本番前の最終調整だろう。バレエの舞台の前はオーケストラが好き勝手音を出しているので、ざわつく観客の声に交じって様々な音が聞こえる。俺はそれをぼんやりと聞きながら、誰にも気づかれないように小さく細く、息を吐いた。
「泉ちゃん、緊張してる?」
けれどそれに気づいたのか気づいていないのか。俺を見ながらそう言ってきた右隣に座るなるくんは、どちらにせよ敏感すぎるくらいだと思う。
「なんで俺が緊張する必要があんの」
「だって可愛い彼女の大舞台じゃない。なまえちゃん、今回初めてアンサンブルじゃなくて役付きなんでしょ?」
「コールドね。アンサンブルはバレエでいうとコールドバレエ。役付き……ってのはソリストだから微妙にニュアンスが違うけど」
「アラ、ごめんなさいね。でも否定含んだ説明が後者に対しての台詞だけってってことは、前者は図星なのねェ」
「……なるくんウザいんだけど」
ウフフ、と笑うなるくんに悪態しかつけない自分が情けない。否定するのもそれこそ肯定しているようで、けど肯定するのも性に合うはずがなくて。そのまま何も言わずに前へと向きなおれば、またなるくんの楽しそうな笑い声が聞こえた。完全に俺の反応見て楽しんでるよね、コイツ。
少しだけ、とくとくと鼓動が速くなっているのがわかる。癪に障るけど、なるくんの言う通り多分少し緊張している。変な話だよねえ、舞台に立つのはなまえなのに。でもまあ昨日なまえに連絡をしたら、「今既にめちゃくちゃ緊張してるけど、泉も嵐ちゃんも来るし頑張るよ!」ってその時点で言ってたから、今頃死ぬくらいの思いしてるんだろうねぇ。やっぱ俺たち以外に、れおくんたちも来るってことは隠して正解だったんだろう。
緊張、期待、不安。色々な感情が俺の心に織り交ざっているが、きっとこれはあいつから繋がってきてるもんなのかもしれない。……なんて、口にしてしまったら絶対馬鹿にされるようなことを柄にもなく思ってしまって、静かに自嘲した。
*
オーケストラピットから聞こえる生演奏のクラシック音楽が、ゆるやかに頭の中を通り過ぎていく。幕と幕の間から先輩たちが優雅に踊っているのが見えて、ごくりと唾を飲み込んだ。
心臓がはちきれそうだ。毎回こう思う。幼いころから幾度となく舞台に立っているが、いつまで経っても舞台に立った瞬間のあの感覚には慣れない。緊張しないようにゆっくり深呼吸をしたり、マッサージをしてみたりしても、舞台に出る前の指先はいつも冷たく、鼓動はそれこそ踊った後と同じくらいばくばくと速くなっている。私は緊張しいだから、という言葉で片付けられたらいいが、こちとら一応プロなのだ、いつまでもそんな言葉に甘えていられない。だからこそ今日もこうやってリラックスできそうな香り袋を舞台袖に持ってきてはみたが、それをいくら嗅いだところで何も変わらなかった。
今日の公演には泉と嵐ちゃんが来てくれている、らしい。嵐ちゃんは前に一度小さい公演に来てくれたことがあるけれど、一番値段の高いS席で今舞台を観ているであろう泉ががうちのバレエ団の公演を観に来るのは初めてだった。今まで何度か公演はあったが、忙しい彼との折り合いがつかず、観に行きたいという彼の希望だけ私の耳に残っていた。が、今回ようやくスケジュールに空きが出たらしい。忙しいこの俺が観に行くんだから、下手な踊りしたら容赦しないよ〜? なんて言われたけれど、それ私の踊りが好きって言ってる人の台詞……? とツッコみたくなった。それが泉なりの応援の仕方だってわかってるけどね。
幸か不幸か、今回の舞台は初めて私に役がついたものだった。物語に直接関わりのない、踊りだけを見せるディベルティスマンのソリストだから出番は少ないけれど、ソリストを踊らせてもらえるというのは光栄すぎるようなことだ。二日間ある公演で私がその役を務めるのはこの初日だけだけど、本当に嬉しくて、配役が発表されたときは家で号泣してしまったくらい。でもそんな日に泉がいると思うと、……緊張するな、やっぱ。たったひとりを意識している場合じゃないってのは重々承知だけれど、思ってしまうのだからどうしようもない。だからとにかく私がするべきことは、ひとまず彼のことを頭の片隅に追いやって踊りの、一緒に踊る皆の、そして舞台のことを考えるだけだ。それはつまり、緊張している場合じゃないってこと。そして最初の話に帰結するのだ。
それでも私はソリストだから。たった数分間だけど、一つの曲、一つの踊りで真ん中を踊らせてもらうんだから、私が軸となってしっかりしなくては。
袖にいるコールドの皆を集める。この踊りは私一人で踊るんじゃない、ここにいる皆で踊るのだ。ふう、とひとつ息を吐いて、私はオケの美しい音色にかき消されないくらいの、同時にお客さんの方には聞こえないくらいの絶妙な音量で言葉を乗せた。
自分の出番が終わった瞬間、涙が溢れそうになったのをぐっと堪えた。だってまだ舞台は終わっていないのだ。私の今日の出番は終わったけれど、舞台自体はまだ続いている。私も明日、コールドとして出番があるし、そっちだって疎かにしちゃいけないし、するつもりはないし。
でもこの高揚感というか、何とも言えない気持ちをどこにぶつければいいのか。一緒に踊った皆にお礼を言って、無事に誰も怪我無く、大きなミスもなく踊りを終えられたことに感謝をして、それから、それから。
今思い返してみても高熱が出そうになる。舞台に出た瞬間の焼けるような照明、観客席にいるのと全然聞こえ方が違うオケの音色、暗がりの中から感じるお客さんの視線、そして私たちの踊りから生まれる一体感。緊張していた、怖かった。けれどそれ以上に興奮して、楽しくて、叫びだしたくなるくらいだった。お辞儀をした瞬間の拍手を忘れることは出来ない。だってあれは、コールドのあとにお辞儀をした私ひとりに向けられたものなのだ。この大きなホールで、わたし、たったひとりに。驕ってはいけない。けれど少しだけ、ほんの少しだけ。浮かれることくらい許されるよね? せめて、あと今日一日くらいは。
『終わったあと、外出てこれたりする? 無理しなくていいけど』
そしてようやく感情が落ち着いてきたときに、そのメッセージを見た。送られてきた時間は数十分前、恐らく幕間の休憩時間に送ってきたのだろう。正直泉がこんなことを言ってくるのは意外でしかった。だって差し入れは既にスタッフさんに預けられて楽屋口に置いてあったし、(泉のものとは別に『Knights』の皆からもあってびっくりした)何より舞台直後は撤収作業が忙しすぎるってことわかってるだろうし、そんなバタバタするときよりも別日のがいいに決まってるでしょ〜? とか言いそうだし。まあ私も正直そう思っていたけれど、実際こう言われると心が揺らぐ。
どうしよう、私の今日の出番はもう終わったからメイク落としてるけど、片付けやお手伝いができるように動きやすい服装のままだ。舞台が終わったら即着替えて、楽屋を最低限綺麗にして、先輩たちに挨拶をし……まあ最終日の明日に比べたらやることは格段に少ないけれど、それでもすぐに撤収作業が終わって出てこれるわけでもない。嵐ちゃんもいるだろうから一人ではないだろうけど、どちらにせよ待たせてしまうのには変わりないし、でも、……でも。
『なるべく早くに出ていきたいけど、先生方や先輩たちが帰るまでは帰れないと思う。終演から時間かかっちゃうかもしれないけど、大丈夫?』
そう打ってしまったのは甘えなのかもしれない。これで待ってる、なんて返事が来たら、……明日も仕事だろうし確率はめちゃくちゃに低いだろうけど。でももしそうなったら、またあの舞台に立った時の様な感情が巡ってくるんじゃないかと思って、ほんの少しどきどきした。
そして返事が来て、それからは早かった。なるべく早くに撤収できるように準備して、てきぱきと行動して。舞台が無事に幕を閉じ、友人たちと抱擁し、それからそれから。とにかく色んなことを爆速でこなし、上の方々を見送ってさあようやく私たちが帰れる、となった瞬間に荷物を持ってすぐに会場を出た。明日も公演があるのにちょっと用事があるから一人で帰るなんて言った私を、友人たちは大層怪訝に思っただろう。明日しとく追加の言い訳を考えとかなきゃなあ。
泉と嵐ちゃんは近くのカフェにいるようなので、私もそこへ向かう。ああ、なんか二人に会うの楽しみだな。感想とか聞いちゃおうかな。なんて言ってくれるかな。
さすがに公演直後、大荷物で走る元気はないので期待を胸に歩いていれば、徐々に目的地が近づいてくる。夜の暗闇の中で光る店内の明かりに照らされて、店前に数人の人影が見えた。こんな大都会でもない土地のこんな時間にカフェに集まる人なんて珍しいな、と思いつつそのまままっすぐ歩き続けるが、違和感に気付いたのはそれからすぐのことだった。
「……あれってもしかして」
そう声に出してしまうのも仕方がない。だってあれは間違いなく瀬名泉本人だ、間違いない。そしてその隣に嵐ちゃんもいる、それもわかる。じゃああと三人は? 二人と話しているあとの三人は? 話しているというか、一人は完全に地べたに座っているように見えるけど、あれって何か書いてない? そういえば、泉はチケットを五枚買ってくれた。一枚は自分と嵐ちゃんの分で、あと三枚は知り合いを誘うって。いやでもあれって、知り合いって、そんな、まさか。
「え、ど、どういうこと……?」
「なまえちゃん! お疲れ様、とっても綺麗だったわよォ」
「あ、ありがと嵐ちゃん……じゃなくて、なんで、なんで!? 『Knights』全員揃ってるの!?」
そこにいたのは紛れもなくレオくん、凛月くん、司くんという、紛れもない『Knights』の面々だった。聞いてない、こんなの聞いてない! 問いただすようにキッと泉を見れば、彼は悪びれもなくだって、と口を開いた。
「俺たち全員で行くなんて言ったら、あんた絶対緊張しまくるでしょ〜? なるくんは仕方ないとして、俺だってこんな連れてきたくなかったし」
「いやいやいや、え?」
「ああおまえ! 良いもの見せてもらったありがとう! お陰でさっきから霊感が止まらないんだ! 書いても書いてもメロディーが溢れてくる……☆」
「なまえさん、本日はお招きいただき、ありがとうございました。大変素晴らしいstageで、この朱桜司、とても感動いたしました」
「うん、なかなか良いものだっだよ。たまにはアイドル以外のステージも良いものだねえ」
続々と皆が口を開くが、未だについていけてない。ええと、つまり? 泉は皆で来ると言ったら私が緊張しまくると思ったから隠してたってこと? な、何それ! 確かにどうせめちゃくちゃ緊張してただろうけど! でも言ってくれたっていいじゃん! ああでもわかんない、本当に緊張しまくって良いパフォーマンスできなかったという可能性が無きにしも非ず! でも、でも……!
「皆来てくれてありがとうございました……!!」
多分、泉の言う通りであることは間違いないのだ。私はまだまだ未熟で、驕れる隙もないんだから。それに、何より素直に嬉しい。どんな理由があるかは知らないけど、皆私の仲間たちの、私の踊りを観てくれたってことでしょ。そして例え社交辞令だとしてもこうやって感想をくれて、喜んでくれた。表現者にとって、これ以上の幸福はない。
「あ、そうだ! 差し入れ、差し入れまでもらっちゃって!」
「以前我々のliveのときも差し入れを頂きましたからね、当然のことです」
「あんなの全然大したものじゃないのに」
「俺たちのは大したものだよ〜なんたって俺の手作りスイーツが入ってるから……♪」
「何得意げに言ってるの凛月ちゃん。あれアタシや泉ちゃんが見た目の監修しなかったら即座に捨てられてたわよ」
「おれの曲も入ってるぞ! でも今日のおまえの踊り見てもっといい曲が書けそうだから、今度その新しいのをやるな!」
す、すごい。差し入れの中身はまだ見てないけれど、要は『Knights』の個性爆発ごちゃまぜセットらしい。レオくんの曲なんてそれいくら払えばいいの? ってレベルだけど、有難くもらっておくことにしよう。ていうか家宝にしよう。帰ってじっくり見るのが楽しみだな。
でもそれぞれ個人個人で差し入れくれたんだ。同じ袋だから、てっきり全員でひとつのお菓子とかそういうもんだと思ってた。そうなると、泉はわざわざ二つ差し入れをくれたってことになる。それも中身はまだ見てないけれど。……なんか、うん。ちょっととくべつ感あって嬉しくなっちゃうなあ。
「なまえ」
ちょうどその時、愛おしくてたまらないくらいの声が私の名前を呼ぶ。泉、と私も名を返せば、彼はぽん、と私の頭の上にその大きな手を乗せる。そうして、ゆっくりと私の耳元に口を寄せたのだ。
「綺麗だった。いい舞台だったよ。やっぱり俺は、あんたの踊りが好き」
たった一瞬の、たった一言。はっとしたときには既に泉は離れていて、「明日もあるんだから、今日の結果に油断せずに頑張りなよ〜?」といつもの調子で言っていた。
今の、現実、だよね。うん、だってそうだ、明らかに今彼は皆がそれぞれ話していて私に注目が集まっていないタイミングを計ってきた。こう見えて、泉はわりと照れやすいタイプだから。でもそういうところが、照れ隠しのように悪態をつくようなところが、……私は好きで好きで堪らないのだ。ああ、私はすっかりもう戻れないところまで彼の中へと落ちてしまったんだなあ、と思った。
「待って、今泉ちゃんすごい恋人っぽいことしてなかった?」
「ぶっ殺されたいのぉ?」
「ええ、そういうのは余所でやってって言いたいところだけど、セッちゃんをいじるネタが増えるのは有難いかも」
「セナが彼氏してるとこ俺ももっと見たい! 見せて!!」
「ずるいです! 瀬名先輩ばかり優遇されて、私もなまえさんともっと交流したいです!」
からの、続々と喋る面々。前にも似たような展開あったなあなんて過去を思い返しながら、私は苦笑いを浮かべる。なんだかいつの間にか司くんに懐かれているみたいだけど、私としては大歓迎だから、機会があれば今度もっと話したいな。烏滸がましいかもしれないけど、……泉の彼女だもん。それくらいは、きっと許される。
泉がわなわなと震える。この展開も、何度か見た。こういう流れがもしかしたら今後定番になっていくのかもしれない。それはそれできっと楽しいと思ってしまうのだろう。
明日も公演がある。全力をかけて、私は舞台に立つ。けれどもう少しだけ、この楽しさと余韻に浸っていよう。
泉の怒声と皆の笑い声が響く夜の街は、今日のあの最高の瞬間を彷彿とさせるくらいで、思わず踊ってしまいたくなった。