私には恋人がいる。……そう断言できたなら、どんなに良かっただろう。そんなことを思いつつも、現状この関係に私自身満足してしまっているのだからどうしようもない。確かにもっと関係が進んでくれたら、と願いこともあるが、たぶん恐らくきっと、私たちの距離がこれ以上近くなることも、逆に遠くなることもないのだろう。
宙くんと出会ったのはある春の日だった。ぽかぽかした陽気のその日はまさに散歩日和といったところで、インドア派の私も思わず太陽の光を浴びに外に出た。が、悲しいかなこれといってやることがない。暖かい気候が気持ちがいいことには間違いないが、目的がないお出掛けが苦手だということに、私は手持無沙汰になってからようやく気が付いたのだ。
田舎というほどでもないこの町は、そこそこお店が揃っている。とはいえど、高校生の、しかもバイトもしていないお小遣い生活の私がこんなところで無駄遣い出来るはずもない。かといって一回外に出てしまったからにはすぐに帰る気も起きず、私は仕方なく適当なベンチを見つけて腰掛けた。そうして鞄の中から小さなゲーム機を取り出す。所謂ゲーマーと呼ばれる私は、比較的どこにでもゲームを持ち歩く。今日の鞄は昨日出掛けたときの中身そのままだったから、つまり入れっぱなしにしていたことが幸いしてしまったわけだ。
町中のベンチで一人黙々とゲームをする女子高生。傍から見たらひどく滑稽だろう。小学生の時こそ公園で友達と通信をしたりしていたが、この年にもなって外でゲームをする人などそうそういないだろう。……だからこそ、逆に目立っていたのかもしれない。
「そのゲームをしている人、とっても珍しいです! 初めて見ました!」
「え?」
突然聞こえた声は、ゲームの音声なんかじゃない。だってそもそも、このゲームはボイスなんか入っているはずもない、今言われた通りレトロゲームなのだから。つまり今の声はもちろん現実という訳で、じゃあそれは誰なのか、という疑問は、
「えっ!?」
ベンチの後ろ側から私の顔のすぐ横でゲーム画面を覗き込んでいる男の子。近い、顔が近い。しかも私がそちらを向いてしまったから余計にお互いの距離が近くなったように感じて、私は思わず仰け反った。そして半反射的に距離を取った一方で、男の子は不思議そうにしながらもベンチを回り込んで私の隣に腰掛ける。
「宙もそのゲーム持っています! けど、古いやつだから宙の他になかなか持っている人がいなくて寂しかったんです! 今度一緒にやりましょう!」
「え、え、え……?」
にこにこと笑う男の子はすごくかわいい。というか、びっくりするほど顔が整っている。芸能人なのだろうか。まあそうだったとしても、そういうのに明るくない私が誰かと考えたところで当てはまる人が思いつくはずないから、とりあえずそれは一旦置いておこう。
「えっとー……あなたも好きなんだ、このゲーム」
「はい! あんまり有名じゃないけど隠れた名作な〜。よく作り込まれてて、何回も周回してしまいます!」
「っそ、そう! そうなの! 収集要素とか実績とか、この昔のメモリの中によく入るなってくらいボリュームたっぷりだし!」
「音楽も、少ない音数なのに名曲揃いです! もっと評価されるべきです!」
「そうそう、本当にそう!!」
あまりの思考の一致にわあ、と盛り上がる。だってこんなにこのゲームについて語れる人は周りにいなかった。良いところは良いと言って、悪いところは悪いと言う。ゲームに対しての批評が完全に私と同じで、それからは最初の動揺なんてなかったくらいに延々と話を続けた。
しばらく経ったころ、彼は突然あっ! と思い出したようにベンチから立ち上がった。
「そろそろ行かなくちゃいけません! お話しできて楽しかったです! またここでお話ししましょう!」
「そうなんだ!? でもまた、ってそんな」
「そういえば名前を名乗っていませんでした! 春川宙です! おまえの名前は?」
「……っみょうじなまえ!」
「なまえ! またお話しような〜」
例えなくても、それは本当に嵐だった。私の言葉を背中で受けてから、振り返って私の名前を呼んだ彼は驚異の速さで駆けていって、あっという間に見えなくなってしまった。
それが、私と宙くんの出会いだった。
またここで、なんて。正直連絡先も交換していないし、もう会えないと思っていた。それなのに一か月もしないうちに同じ場所で会えたのは、偶然か、運命か。ゲームの話をして、通信なんかもしたりして。そんなことが何回も続いていれば、自然と彼自身についての話も聞くことになる。『Switch』というユニットに所属している彼は、私の最初の予想通り、正真正銘の芸能人で、アイドルだった。確かに言われてみれば前にテレビで見かけたような気もする。学年は私のひとつ下で高校二年生らしい。学校にも行ってアイドルのお仕事をして、なんてめちゃくちゃ忙しいだろうに、私とこうして喋ってていいのだろうか。遠回しに聞いてみれば、「今はわりとヒマなので大丈夫です!」ときっぱり返されてしまった。
連絡先を交換してお互いネットワーク通信を利用してゲームをしても、あの場所で会うことをやめたりはしなかった。色が見えるという共感覚を持った明るく元気な宙くんに惹かれていくのに、そう時間はかからなかった。
「私、宙くんが好き」
期待なんかしていない。というか、宙くんのことだからきっと私と違う意味の「好き」を持ち出して同意してくるのだろう。それでいいと思っていた。
「宙もなまえが好きです、これは愛な〜」
……なのに、そんな一言が付け足されてしまったから。両想いということでいいのだろうか、それとも。問いただすにもなんて言えばいいかわからない。恋人らしいことがしたくないといえば嘘になるけれど、それでも、今の彼とのこの距離は居心地がいいから。だから私は、まあいっか、とあのやり取り自体をなかったことにして、中途半端にしたままにしてしまったのだった。
そんな時間を過ごしていたあるとき、宙くんと連絡が取れなくなった。少し心配はしたが、彼はアイドルだ。恐らく仕事が忙しくなってしまったのだろう。宙くんの性格上、理由もなしに無視をするなんてことはなさそうだし、気長に待ってみよう。
そうしてしばらく経ったとき、突然彼から連絡が来た。が、その内容はいつもの場所でのゲームの誘いではなく。
*
「HiHi〜♪ ここがなまえの部屋か〜」
「あんま見ないでね……」
私の狭いアパートの部屋をきょろきょろと見回す背中に声をかければ、ごめんなさい! といい返事が返ってくる。が、その視線は相変わらず色んなところへと移っている。まあ見られて困るものはないけれど、やっぱりその、好きな人が自分の部屋にいるって状況が妙に気恥ずかしい。
なまえの部屋に行きたいです、というメッセージを見たときは驚いた。今までは部屋どころか、そもそもあのベンチから動いたこともなかったのに。少し動揺したが、それでもそのちょっとの変化が何かに繋がる気がして、私は悩むことなく了承した。
「さっそくゲームをしましょう! なまえ、このテレビに繋げていいですか?」
……いやまあ、私の部屋を指定された理由はわかってるんだけど。新しく発売されたテレビゲームをするため。たったそれだけだ。宙くんは寮暮らしだというし、一緒にテレビゲームをするには私の部屋しかなかったのだろう。それでも私と一緒にやりたいと思ってくれたことは純粋に嬉しいので、不満なんてない。だってそもそも私たちは付き合っていないのだ。何も進展なんかするはずない。
「あー! 駄目だまた負けた! ほんと宙くん強すぎだよ〜!」
「HeHe〜宙は前作をやり込んでいたので!」
しかしゲームを始めてしまえば、そんなちょっぴりもやもやした気持ちなんかすっかりどこかへ消えてしまった。ちょろいと言われてしまっても仕方ない、だって私は、私たちはゲーマーなのだから。
何度も見た自キャラのLOSE画面を見て、はあとため息をつく。同時にずっと画面を見続けていたから、目に疲労が溜まっているのを感じた。ちょっと休憩しようか、と宙くんに聞けば、はい! とまたいい返事が来た。かわいいなあ。
ひとまず立ち上がり、お茶やお菓子を出そうとキッチンへと向かう。そうして色々準備してテレビの前へと戻れば、何やら宙くんが眉をひそめて複雑な表情をしていた。
「どうしたの? そんな難しい顔して」
そんな顔をするなんて珍しい。むしろ初めて見たかもしれない。さっきまでいつも通りにこにこ笑っていたというのに、この一瞬の間に一体何があったというのだろう。しかし問いかけても返事がない彼に宙くん? ともう一度名前を呼びつつ、彼の隣に座り込んだ。
瞬間、ぐいっと肩を引き寄せられた。え、と思った瞬間に身体が熱に包まれる。あったかい。宙くんの、におい。どうして抱きしめられてるのかとか、そんなことよりも、私はこの温かさに夢中になってしまった。
「……宙くん」
彼の腕の中で、ぽつりと名前を呼ぶ。それに応えるように、ぎゅ、とまた少しその腕の力が強まった。
「……宙、なまえともっと仲良くなりたくて。でもどうしたらいいかわからなかったから、勉強しました」
「勉強?」
「はい、ギャルゲーをしました」
「ギャルゲー!?」
あまりに彼に似つかない、そして唐突すぎる言葉に思わず宙くんを引き離す。一体どういうことだ、宙くん、そういうゲームはよくわからないからやらないって前に言ってたのに。私と顔を見合わせる形になった宙くんは、先ほどの難しい表情に加えて、ちょっぴり顔を赤らめていた。
「ギャルゲーをすれば、何かヒントになるんじゃないかって思ったんです。だからゲームでやった通り、なまえの家に行きたいって言いました。楽しいことをすればいいと思ったから、テレビゲームを持っていきました。でも、でも……結局いつもと同じです。だから今、ギャルゲーのことは一旦忘れて、宙がしたいようにしてみました」
宙くんの言葉ひとつひとつが熱を持ち、わたしの身体にじんわりと緩く溶けていく。それに呼応するように、わたしの心臓の鼓動がどきどきと大きくなり、くらくらと熱が広がる。
そうか、連絡が取れない間、きっと宙くんは悩んでたんだ。これはたぶん、私が考えすぎだったのかもしれない。宙くんの言葉を、何も考えずそのまま受け止めていれば良かったのだ。だってわたしと宙くん、想っていることは同じだったのだから。失礼だったな、付き合ってない、だなんて。ひどい女だったな、私。あのとき交わした言葉で、私たちの関係はとっくに変わっていたのだ。
「宙くん」
名前を呼んで、今度は私から抱きしめた。するとおずおずと宙くんも抱きしめ返してくれる。優しい、温かい。私が宙くんのように共感覚を持っていたなら、見えるのはきっと何もかもを包み込むような暖色だろう。
「私、宙くんを愛してるよ」
宙くんから見た私は、今どんな色をしているのだろう。
中途半端で誤解を招くような言葉は使わなかった。だって私たちはずっと前から愛し、そして
「宙も、なまえを愛しています」
愛されていたのだから。