それは、深夜というには早すぎて、かといって子どもが起きているような時間帯でもない。なんというか、大人のゴールデンタイムのような時間だった。つまり私にとっては夜はまだまだこれからという感じ。だってそもそも、まだ家に帰れてないし。
 リハーサルが終わっての帰路途中。運転の上手い人にあたったのか、がたんごとんとゆりかごの様な心地良い揺れの電車に乗ってふわあ、とひとつあくびをする。決して眠いわけではないけど、やっぱりリハのあとだから疲労感がすごい。おまけに合間に軽食を食べ損ねたからお腹もすいている。けど、この時間に帰って食べるのは罪悪感しかないなあ。
 私の向かい側に座っている大学生くらいの女の子も先ほどと同じように小さくあくびをする。バイト帰りだろうか。他にも飲み会帰りだろうサラリーマンや仕事帰りであろうお姉さん。この時間帯の車両の中は、一日という詰め込んだ時間を感じさせる独特な雰囲気に包まれていた。

 乗り換えの駅に着いてホームで電光掲示板を見上げる。どうやら電車は今行ってしまったばかりのようで、さっきの電車降りてから早歩きすればよかったなあ、なんてどうしようもない後悔が広がる。仕方なくも自販機の横にある椅子に腰を下ろしてふう、と一息つく。決して人が多いとは言えない夜のホームはやけに寂しく感じたが、それでもきっと次の電車が来る頃には今ここにいる倍以上の人数がここに集まっていることだろう。
 どうしようもない待ち時間。だからこそスマホを取り出してSNSをチェックしようかなと思ったとき、突然その画面がいつものホーム画面からぱっと切り替わった。着信中という文字と共に表示された名前に少々驚きつつも、私はその電話を取ってみる。耳にスマホをあててもしもし、と声をかけてみれば、相手の声が聞こえるよりも早く、何やら騒がしい周りの声がスピーカー越しに耳に届いた。

『ああなまえちゃん? ウフフ、ごめんね、寝てたかしら?』
「ううん、全然。まだ帰ってるところだし」
『あらそうなのねェ、お疲れ様。ところで、もし良かったらなんだけど、今からESビルに来ない?』
「……えっ!?」

 周りに人がまだそんなにいなくて良かったと思った。自分でも驚くくらいの大きな声が出てしまって、思わず口元を手で押さえる。何が、どうしてそういう話になるのか。ていうか今日は『Knights』のライブツアー最終日じゃなかったっけ。私は初日に参加したけど、あれから結構時間も経ってしまったからなんだか遠い昔のようだ。一方で出演者である彼らはきっと毎日が新鮮で、あの熱さの中で生きていて。だからこそ泉によくメッセージを送っていたが、……そういえば今日はライブが終わった後に打ち上げがあるって言ってたっけ。周りからレオくんっぽい笑い声やそれを叱るような司くんの声が聞こえるのはそういうことか。けど、なんでESビル?

『ライブの打ち上げの二次会中なのよ今。一次は早めに開催して、お店貸し切ってスタッフさんとかも交えて大々的にやったんだけどねェ、二次はアタシたち『Knights』の皆だけで開催中なの』
「それはまあわかったけど、なんで私……」
『なーんか楽しくなっちゃったレオくんがなまえちゃんを呼べって騒ぎ始めてねェ、そしたら凛月ちゃんまで同意しはじめて……でもアタシもアナタに会いたいし? だから呼んじゃいましょ〜って!』
「嵐ちゃん、もしかして酔ってる?」
『ちょっとだけねェ』

 ふわふわと楽しそうに笑う嵐ちゃんは、多分言う通りちょっとだけ酔っている。だって、こんな夜に今から来ない? だなんて。いつもいの一番に私のことを気遣ってくれる嵐ちゃんが素面の時に言うはずがない。……それを言ったら泉こそそうなんだけど、多分嵐ちゃん含め周りに押されてるんだろう。だって嵐ちゃんの後ろで「別に呼ぶ必要ないでしょ!」なんて言ってる泉の声が聞こえるし。あれは私への拒絶というよりも、照れ半分心配半分ってとこかな。私もだいぶわかってきたと思う。
 スマホを耳に当てたまま、ちらりとまた電光掲示板を見る。その横に備えられた時計は先ほどよりも長針が進んでいて、ホームには予想通りわらわらと人が集まって来ていた。ESビルって確か、ここからそんなに遠くない。今乗ってきた路線を戻るという訳ではなく、家に着くまで少し遠回りといったところか。そして何よりも、私の明日の予定は午後からだ。
 疲れている。ちょっと眠たくなってきたし、お腹もすいた。けれど、私もだいぶ彼らに馴染んで、そして会いたいと思う存在になってしまっていたらしい。

「うん、じゃあちょっとお邪魔しようかな」

*

 ESビルがある最寄りの駅にも、人はそこそこいた。この辺りにはセゾンアヴェニューもあるし、何よりも夜の繁華街と呼ばれるタイムストリートがある。多分今日が週末であったならもっと人通りは多かっただろう。
 人の流れに逆らいながら改札を出ると、発展した駅前が視界に広がった。ESビルはどっち方面だろう。地図を確認しようとスマホを取り出すと、何やら通知ランプがぴかぴかと光っていることに気付いた。そして画面に表示されていた名前を見て、あれ、ともう一度周りを見ようとスマホから顔を上げる。

「えっ、あっ、えっ!?」

 瞬間、目の前にいた見知ったその姿に、私はなんとも情けない声を上げた。

「何みっともない声出してるの」

 それに対しての辛辣な反応に、反論すらできない私はどうしようもない苦笑いを浮かべる。
 スマホに届いていたのは泉が駅に迎えに来てくれるという内容のメッセージだった。皆に無理やり来させられたか、それとも泉が気遣ってくれたのかはわからないが、どちらにしてもこうしてここまで来てくれたことはすごく嬉しい。

「お、お疲れ様泉。ごめんね、メッセージ来てたの今気づいた。わざわざ来てくれたんだね、ありがとう」
「お疲れ。まあこんな時間にあんた一人で歩かせる訳にはいかないしねぇ。誘ったのこっちだし」
「そうだけど……泉は私に来てほしくなさそうだったし?」
「なっ……」

 ちょっと意地悪を言ってみる。あの電話越しに聞こえた言葉を気にするようにわざとぷう、とむくれてみると、泉は珍しく動揺したように少し声を荒げた。

「あれは違っ、そういう意味じゃなくて! ほら、なまえだって疲れてるだろうし、こんな夜にだなんて危ないし、だから、」
「ふふ、うん、大丈夫わかってるよ。ちょっとからかいたくなっただけ」

 まるでいつもと立場が逆だ。そんな様子が可笑しくてくすくすと笑うと、泉は「チョ〜ウザい」といつも通りの言葉を口にしながらふい、と顔を背けた。その横顔はほんの少し、ちょっとだけ。目の錯覚かもしれないけど赤くなっていて、果たしてそれが今のやり取りからなのか、それとも少し入っているだろうお酒のせいなのか。どちらにせよレアなことには変わりないので、そのままじっとその色を見つめる。やがて視線に気づいた泉が何見てんの、と呟いたが、理由を言ったらきっと怒られるだろうから、私はまた笑って、誤魔化してみた。

 二次会の打ち上げ会場はビルの一階のロビーらしい。なんでそんなところでと問えば、さすがに部外者を事務所内に入れるわけにはいかないから、私が来ると決まった際にニューディメンションのあるフロアから降りてきたらしい。確かにそれは当たり前だけれど、わざわざそうしてくれたと思うと申し訳なくなる。まあ、今の今まであのESビルにいると言われて何の疑問も持たずにここまで来てしまった私が今更思っても仕方ないことだが。
 初めて来たESビル……もとい、アンサンブルスクエアは想像以上に大きな建物だった。さすが今のを形成しているアイドル社会の中心。表口は既にロックされているからと裏口から入ってみれば、その廊下の広さに改めてこのビルの大きさを実感した。
 こつこつと私の鳴らすヒール音が静かな廊下に響く。けれど少し歩いたとき、何やら騒がし気な、それでいて楽し気な声が段々と聞こえてきた。

「わははは! こういう駄菓子懐かしいな! おれもスオ〜くらい小さいころよく食べてた!」
「小さいころって! レオさん私をいくつだと思ってるんですか!」
「ス〜ちゃんは小さなかわい〜い赤ちゃんだもんねえ」
「そうねえ、司ちゃんかわいいわァ」

 そして辿り着いた開けた場所には、私を誘ってきた人たちの姿。まだ判断はつかないけれど、恐らく全員それなりに出来上がっているようだ。嵐ちゃんも私に電話をしてきた時より酔っぱらっているように見える。

「ちょっとお、あんたら飲みすぎなんじゃないの〜?」
「あっセナだセナ! おかえり!」
「なまえちゃ〜ん! いらっしゃい!」
「ちょっ、なるくん何抱き着いてんのぉ!?」

 私を見るなり駆け寄ってきた嵐ちゃんにがばりと包まれれば、すぐに泉の声が飛んでくる。いつもなら決して強すぎないお花の香水の香りがする嵐ちゃんだが、今日に限っては独特なアルコールの匂いがした。

「ヤダ泉ちゃん、妬いてるの?」
「うっさい、いいから離しな! なまえに酒臭いのが移るでしょ!」

 ええ〜と不満そうにブーイングをする嵐ちゃんだったが、泉の手により問答無用で私から引き剝がされる。開けた視界の先には、本日の宴会場。普段ならお客様を座らせるだろうソファに、酔っぱらっている皆が座っていたり、小綺麗なガラステーブルに手早く酔えるチューハイ缶や空のワインボトル等が並んでいる光景に、ちょっとした罪悪感を抱かせられた。

「やっほ〜なまえ。おいで〜こっち来て一緒に飲もうよ」
「というかりつせんぱい! ま〜だ飲むつもりですか? そろそろstopしたほうが」
「そう言うス〜ちゃんだってかなり飲んでるでしょ。いいんだよ、今日は無礼講〜♪」

 おいでおいで、と私を手招く凛月くんに誘われて、少し戸惑いつつもそちらへと歩を進める。遠目からはあまりわからなかったが、近づいてみるとやはり皆顔が少し赤い。まあ二次会だし、そんなものなのかもしれないけれど、ステージ上でキラキラ輝いていたアイドルがこんな風になっているのはちょっとしたすごいことなんだろうな。私にとっては今更感もあるけれど。
 そのまま誘われるままにぽすりと凛月くんの隣に腰掛ければ、すぐさま反対側に司くんが腰掛ける。こんなイケメンに挟まれて座るのは、今後多分ホストとかでしかないだろう。まあホストには行ったことがないからあくまで予想だ。

「皆ライブお疲れ様。その、……結構酔ってるね」
「リッツの言う通り今日は無礼講だからな! でもセナはいつも通りっていうか、いつも同じ量しか飲まないからつまんない!」
「何言ってんの、俺まであんたらみたいになったら収集つかなくなるでしょ」
「フフ、そんなこと言いながら、なまえちゃんが来るとなった途端にかなりお酒の量セーブし始めたくせに」
「な〜る〜くん……?」

 泉がぎろりと嵐ちゃんを睨みつける。本音が飛び交うこの空間で聞いたからこそ、色んな感情が混ざって思わず吹き出してしまえば、今度はこっちに向けられる泉の何とも言えない顔。あまり私には見せないような表情に少しだけ驚きつつ、けれどそれさえちょっぴり嬉しくてまた笑ってしまう。毎度のことながら、『Knights』の皆といるときの泉は私と二人でいるときの様子と少し違って、やっぱり新鮮な気分になる。
 じゃあなまえちゃんも飲みましょっか、なんて嵐ちゃんの言葉が掛けられれば、目の前にどれがいい? とお酒を並べられる。飲みすぎないでよ、としっかり釘を刺してくる泉にはわかってるよ、と我ながら信用できない言葉を並べて、私はひとまずワイングラスを手に取った。大丈夫、終電には帰るから。

 がやがやと騒がしく、それこそ男子高校生のように皆がはしゃいでいる。司くんなんかはすっかり眠ってしまっているというのに、他の皆はまだ飲んでいるから、『Knights』はお酒に強い人が多いんだな。泉も少しずつだけどお酒を口にしているし、心なしか言動がちょっとだけ酔っているようにも思える。そんな私も身体にいい具合にアルコールが回って、ふわーっと気持ちよくなってきていた、そんな時だった。あれ、とこの場にしてはやけに冷静な、それでいて少し驚いたような声が聞こえた。

「うわ、何してんだこんなところで」
「ていうか、『Knights』って今日ツアー最終日じゃなかったっけ?」

 聞いたことあるような、ないような。そんな二人の声がする方に視線を向ければ、そこにはテレビでよく見るアイドル二人の姿があった。それでも一人は確実に私が話したことのある相手だけど。そうか、いつもはテレビとかでしか聞かないから、いつもと少し違うような声に聞こえたんだな、と熱い頭でぼんやりと思った。

「あっま〜くん……♪ おい〜っす」
「うわ凛月、お前かなり酔ってるな? つーかなんでこんなところで飲んでるんだよ。朱桜の奴も寝てるし」
「ツアーの打ち上げ中なのよォ」

 でろりと抱き着く凛月くんをこなれたようにあしらう真緒くん。久々に見たなあこういうやり取り。前に見えたのは、そう、初めて『Knights』のライブに行ったあとだったっけ。あの頃は泉とも出会ったばかりで、関係性もぎこちなくて……思わぬ再開に自然と顔が綻ぶ。真緒くんとはまたお話したかったんだよね。まさかこんなところで会えるとは。それでもいきなり彼らのやり取りに私がいきなり介入することもできないので、一旦話の区切りがつくのを待つことにしよう。

「おまえらも飲んでいくか? 人数が増えるのは大歓迎だぞ!」
「いや、僕たちも実は『Trickstar』で上で飲んでるんですよ。僕と衣更くんはおつまみがなくなっちゃったから買い出しに、」
「えっ、ゆうくんパシられてるの!? ちょっとあんたたち、ゆうくんをパシるとかどういうつもり!?」

 怒鳴るような泉の声に、え、と小さく声が漏れ出る。泉がゆうくん……もとい、遊木くんを弟のように大事に思っているのはファンの中でも周知の事実だし、私ももちろん知っていたが、なるほど、こういう感じなのか。つまりメディアに出している表向きの部分はもうちょっとマイルドな愛だったってことなんだなあ。泉、私の前ではそんなに他のアイドルの話とかもしないし。

「いやパシられてないから! 公平なジャンケンの結果だから!」
「あんたらねえ、ゆうくんにわざと負けるとかそういう配慮したらどうなの!?」
「はは……それジャンケンの意味ないですよね?」

 遊木くん、顔ちっちゃいなあ。さすがモデル。手足も長い。心の中でひたすらに感嘆しつつ相変わらずちびちびとお酒を飲み進めていれば、ふとレオくんがちらりとこちらを見た。しかしどうしたの? という前に、彼は再び泉たちの方へと向いてしまう。そうして彼はそのまままた口を開いたのだ。

「つーかセナ、おまえさあ、なまえがいるのにゆうくんに対する態度は変わらないんだな!」
「あらやだ本当。泉ちゃん、彼女ちゃんに引かれちゃうわよ?」

 え、わたし? いきなりこちらに向けられた複数の視線にどうにも気恥ずかしさを覚えつつ、私は持っていたグラスをゆっくりとテーブルに置く。確かに会話を聞いていたはずなのに、どうして自分の名前が突然出てきたのか全く分からない辺り、今の私はちょっぴり酔っているのかもしれないけれど、でもそんな言うほど飲んでないし。そんなでろでろにはなってないよ。

「え、彼女、って、あ、ってかみょうじさん!? なんで……いや、え、え!? そういうこと!?」
「彼女!? 確かに見慣れない女の人がいるなとは思ったけど、泉さん、彼女いたの!?」
「泉ちゃん、真ちゃんに彼女がいること言ってなかったの?」
「それよりも、ま〜くんなんでなまえのこと知ってるの?」
「いやあの時お前いただろ!」
「わはは! なんだか急にカオスになってきたな! いいぞこの空気! こういうの大好きだ!」
「〜っうっさい全員黙れ!! あとゆうくんに対する愛となまえへのヤツは別物だから!」

 あ、泉が怒った。このワイン本当においしいなあ。ごくりと一口飲み込んだ時、座っているソファがずしりと沈み込んだ。すっかり空席となっていた私の隣に来たその人に怒っちゃだめだよ、なんて声をかけよう、と。しかしそうするよりも前に引き寄せられ、いつもよりも乱暴に、それでいてぎゅっと強く抱きしめられた。

「とにかく、なまえは俺の彼女だから!」

 お酒の匂い。熱い身体。泉はお酒に酔わされていたが、私が酔わされたのは一体何だったんだろう。
 恥ずかしさなんてものはなくて、もちろん冷やかしの声だって全く気にならなくて。ただただ幸せだと感じてしまう私は、私たちは、きっと傍から見れば酔っぱらったバカップルなのだろう。なんだかもう、それでもいいやと笑う。終電のことなんて、もうすっかり頭になかった。