今日は大好きな漫画の新刊発売日! 単行本派の私は前巻を読んだ時から待ちきれなくて、昨日の夜なんか新刊を買いに本屋さんに出かける夢まで見た。だってあんなところで終わるなんてさ、それで二か月以上待たせるなんて地獄の苦しみでしかなかったよ。本誌派のフォロワーたちの悲鳴を毎週毎週聞き続け、それでもネタバレは絶対に見ないという強い意志をもってここまで来た。そんな日々ともおさらば、……という訳ではないけど、少しだけフォロワーたちに追いつける。早く読んで苦しみを共感したい。
本屋さんに入るなりすぐさま新刊コーナーへと向かう。さすがは人気作品、一番目立つところに山積みになって置いてあった目当ての漫画を一冊手に取ると、早くもじわじわと幸福感に包み込まれた。よし、さっさとレジに行ってしまおう。
が、意気揚々とレジに向かってみたはいいものの、レジ前には信じられないほどの長蛇の列が出来上がっていた。何これ、夕方のスーパー? 色んな人気作品の新刊発売日となっているからだろうか、それでも普通こんなに列出来ないと思うけど。もしかしたら店員さんワンオペなのかな、こんな大きい本屋さんでワンオペとかやばすぎる。ひとまず並んでみるけれど、その列は一向に進みそうにない。まあ、気長に待つとしますか。
スマホを取り出してSNSを眺める。もうちょっとで予約してる円盤の発売日だな、あ〜新発売のコスメかわいい〜、てかフォロワーにリプライ返さないと。ちょこちょこ進む列に合わせてスマホをぽちぽち。いやそれにしても進まんな、と顔をあげたとき、前に並んでいた人とぱちりと目が合った。普通ならなんで後ろ向いとんねん、と思うところだけど、見覚えがあるその顔に、あ、と小さく声が漏れた。
「……やっぱり、なまえちゃんですよね!」
「つ、つむぎくん」
条件反射で名前を呼んでみれば、彼はまた会えてよかったです〜とマスクの下で顔を綻ばせたように見えた。また、って、そうか、私前回ファーストインプレッションがブチギレ女になってしまったことに耐えきれなくて逃げ帰ったんだっけ。冷静に考えてあれはなかったな、今でももっかいやり直したい出会いだと思ってる。
「以前は逃げてしまってすみませんでした……」
「ええっ!?」
とりあえず流れるように謝罪して軽く頭を下げれば、ひどく驚いた声が聞こえた。
「やめてくださいそんな、頭上げてください」
「あ、もう上げてるから大丈夫です」
「あれっ!? 随分一瞬だったんですね!?」
「だって下げっぱなしのが目立ってつむぎくんに迷惑かかるじゃないですか」
「ああ……ありがとうございます……?」
律義にお礼を言ってくれるつむぎくんだけど、いまいちよくわかってなさそう。でも私も自分で何を言っているのかよくわからない。正論のようで正論じゃない気がする。そもそもこれ対面二回目で交わす会話か?
それにしてもこんなところで会うなんて思いませんでした、と彼はいつ見てもふわふわの髪の毛を揺らして笑う。優しい雰囲気に包まれるようで、あの時話せなかった分、ここでまた会話を交わせることが私もちょっと嬉しかった。
「いやでも俺こそ前は勝手にぺらぺら喋っちゃってすみません。まさか君が零くんたちから聞いていたなまえちゃん本人だとは思わなくて」
「顔知らないんですから当たり前ですよ」
出た。奇人の『にいさん』たちの中で私の話題が割と結構な頻度で出てる説がいよいよ濃厚になってきたな。あはは、なんて様々な思いを抱えてお互い笑いあったのもつかの間。ドッと一瞬かなり小さくて、それでも鈍い音がしたかと思えば、目の前のつむぎくんがお腹を抱えて前屈みになっていた。
「……なんで夏目はわざわざ目立つようなことするの?」
「極力音がしないように動きも最小限に努めたヨ」
「そもそも俺を殴らないって選択肢はないんですか!?」
いつの間に近くに来ていたのだろう、夏目が私たち二人を交互に見て大きくため息をつく。その私が疫病神的な反応やめてくれないかな、別に傷つきはしないけど。
「もうなまえと偶然会うことに驚きもしなくなったネ」
「うん、私も驚かなくなったしつむぎくんと会った時点で夏目もいるって察してた」
「ボクとセンパイがセットみたいな認識やめテ」
「だからなんで俺を殴るんですか!?」
「わーやめなよ夏目さいてー」
「なまえちゃんも棒読みすぎません!? 絶対そう思ってないですよね!?」
涙声のつむぎくんの声にあははーとわざとらしく笑って見せる。うん、はい、思ってないです。だって夏目がそうすることが彼にとってのつむぎくんへの愛情表現だって知ってるから。ファンの前ではそんなことはもちろんしないけれど、夏目は私と話すとき、よくつむぎくんの話題を口にする。悪口みたいなのが大半だけど、それを話す表情から察するに、その言動は紛れもなく彼ら二人にとっての大事なコミュニケーションだ。それに、本当に嫌っていたのならあんなに素敵な『Switch』のパフォーマンスなんて出来るわけないしね。
「デ、何その初対面じゃない感ジ。二人会ったことあるノ?」
「あれ? 俺言ってませんでしたっけ?」
「言ってないていうか今センパイには聞いてなイ」
「うっ」
ぎろりと向けられた夏目の視線から逃げるように、思わずさっと目を逸らす。
そういえば前にもこんなことがあったな、と思い返す。あれは日々樹くんと話していて、天祥院さんの話題が出たときだったか。色んなアイドルに遭遇するたびに、夏目話していた私だけど、天祥院さんに続いて、つむぎくんと会ったことも言及していなかった。なんでって、だって、だって、
「……だって第一印象ブチギレ女になっちゃったから自分から言いたくなかったんだもん!!」
「全然何言ってるかわからないけど多分なまえの印象は最初から最後までうるさいって感じだシ、センパイはどんな言動されてもずっと笑ってると思うヨ」
「ねえそれ私とつむぎくん同時にディスってるよね!?」
全く容赦ない。思わず手に持っている漫画の新刊を折り曲げてしまうところだった。私のツッコミをものともせずハイハイ、と流す夏目はいつも通り。前々から多分私とつむぎくんの対応は似ているんだろうなと思っていたけれど、こうして二人並ぶと本当に似たような対応をされていると改めて思う。いやそれって彼女としてどうなんだ。別に対応を変えてほしいとは思ってないけどさ。
ようやく徐々に進み始めた列に沿ってゆっくり歩けば、何故だかつむぎくんがくすくすと笑っていることに気付いた。え、今の会話に笑う要素あったっけ? 夏目も理解できないようで怪訝そうな目でつむぎくんを見ている。するとつむぎくんはすみません、とその口元を引き上げたまま言った。
「なんか夏目くんがすごく楽しそうで。彼女って聞いたときはびっくりしましたけど、幸せそうで良かったです」
「……エ、いやていうかなんでセンパイが知っテ」
「皆から聞いてたんですよー」
「本ッ当にあのにいさんたちハ!!!」
すごい、皆としか言ってないのにすぐに犯人を言い当てた。五奇人の皆は夏目からの信用があるんだなあ、色んな意味で。ていうかつむぎくん、私と夏目のこと知ってたのか。ああでもそっか、彼らから聞いたのなら私たちが実際友達だったときからそう聞いてたのかもしれないな。前に会ったときは私のことをただ助けてくれた人、としか思っていなかったから「知り合い」という言葉を使っただけで。
そんなとき、突然列の進みがびっくりするほど早くなる。どうやらレジ応援が入ったらしい。人がいるなら早く入ってあげればよかったのに、めっちゃ一人で頑張ってた人可哀想じゃん! と思ったけど、今出勤したばかりの人かもしれないしあまり脳内で色々言うのはやめておこう。ただレジに入ってくれたことへの感謝だけ思っておこう。
「そうそう、零くんたちもなまえちゃんに会いたがってましたよ。あと英智くんも」
「えっなんで天しょ」
「ハァ!? なんであの老害ガ!」
私が言いかけるより先に夏目が声をあげる。いや老害ってさすがにひどい言いようだな。今更夏目の天祥院さんに対しての感情にどうこう言わないけどさ。
でも本当にどうして天祥院さんが……一度会っただけだし、なんならあの時めちゃくちゃ張り詰めた空気だったのに。そんな私の気持ちを汲み取ったのか、「英智くんは案外お茶目な人ですよ」とつむぎくんが笑う。お茶目? あの人が? テレビを見ててもそんな印象はあまり感じなかった。決して高飛車というわけではないけれど、高貴というか、なんというか。……駄目だ、今の私には到底理解できない。
天祥院さんのことについて考えていたとき、ようやくレジの順番が回ってきたようでつむぎくんが前へと進む。まもなく私もつむぎくんとは違うレジに呼ばれて歩を進めた。
「あれ? つむぎくんは?」
ようやく念願の新刊を買えてほくほくとレジを出た私を待っていたのは、同じく本を買ったつむぎくん……ではなく、何も買っていない夏目一人だけだった。
「「ラブラブな二人の邪魔をしたくないので先に戻ってます〜」だってサ」
壁にもたれかかり、腕を組みながら彼はため息をつく。どうやらつむぎくんの当たった店員さんはとても仕事が早い人だったらしくて、私のレジが始まった頃には既に会計が終わっていたらしい。一方私の当たった店員さんは新人っぽい不慣れな手つき。多分一人で頑張ってたのはこっちの店員さんなんだろうな、と思ったらとても応援したくなった。まあそんなわけで、私とつむぎくんの間には順番前後だとは思えないくらいの時間差が生じてしまった。その間につむぎくんは帰って、というかあESビルに戻ってしまったらしい。
何それ、変な気使われちゃったね、と笑えば、ホントにネ、と夏目も小さく笑う。けれどその笑みをすぐに崩すと、彼は壁に預けていた重心を元に戻した。
「でもなまえすぐ帰るでショ。その新刊、前から楽しみにしてたやつだシ」
指摘されて、思わず先ほど漫画をしまった自分のバッグを見る。私がだいぶ前から騒いでいたから覚えていてくれたらしい。
「でも夏目、仕事は?」
「次の仕事がキャンセルになったから次のセンパイとの仕事まで長時間の合間時間」
淡々と答える彼はとっくに私の出す答えなんてわかっている様子だ。うん、確かに新刊は早く読みたい。最近はこのために仕事を頑張っていた感さえある、けど。
「んー……いや、せっかくつむぎくんが作ってくれた時間だもん、お茶しようよ」
「別にセンパイに気なんか遣わなくてモ」
「違うよ、そういうことじゃなくて」
そう言って、少し驚いたような夏目の顔を見てへらりと笑う。
「夏目だって忙しいんだから、そんなにたくさん会えるわけでもないじゃん。ちょっとでも、……その、夏目と一緒にいたくて。言っとくけど私、これでも夏目の彼女なんだからね?」
念を押すように言って、もう一度小さく笑う。拍子抜けしたような夏目のマスクの下は、きっとアイドルだと思えないくらいに間抜けなものなのだろう。そんなに意外だったかな、漫画より彼氏を優先したの。……私だって恥ずかしいのを堪えて誤魔化して言ってるんだから、もうちょっと反応してくれてもいいんじゃないの。
しかしそう思ったのもつかの間、彼はふっと笑うと、その切れ長の目を細めて言った。
「全ク、ワガママな彼女を持つと大変ダ」
まだ耳に馴染まない、自分で言うのとはまた違う彼女というむず痒い響き。にやにやした笑いが止まらないけど、こればっかりは許してほしい。楽しみにしていた新刊よりも私が幸せになれる時間。漫画を読むのは、もうちょっとお預けだ。