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寝転がりながら開いた雑誌をぱらぱらとめくる。「みんなの目を惹くモテファッション」だとか「夏の着回しコーデ10選」だとか、初めて読んだ時はわくわくしたのに、ファッション雑誌はどうしてこう、二回以上読むと興味をそそられないんだろう。そんなことをわかっていながらも目を通しているわたしは、まあ要するに暇なのである。
昨日の今頃は今日のことを考えてわくわくしていたのにな、と思い返す。八月三日、今日は万次郎と約束した武蔵祭りの日だった。なのにどうして今わたしが一人で家にいるかというと、つまりはドタキャンされたのである。……いや、ドタキャンというのは少し語弊があるかもしれないが、それはわたしの同意があってのキャンセルだった。
昨晩、万次郎の元にペーやんから連絡があった。このタイミングで大事な話があると告げた彼の話は、十中八九パーちんのことについてで間違いないだろう。捕まってしまったパーちんのことを誰よりも慕っていたのはぺーやんだった。そして誰よりも、愛美愛主に復讐したがっていた。もしかしたら今、東卍のことを良く思っていないかもしれない。だからこそ、わたしに打ち明けてきた万次郎に、わたしも考える間もなく「気にせず行ってきて」と口にしたのだ。仲間思いの万次郎のことだ、わたしが言わなくてもきっとそうしていただろうけど。ペーやんのことはわたしも気になっていたし、今日行われるであろう話し合いによってわだかまりがなくなるのであれば、わたしと万次郎のデートが潰されたくらい安いものだ。……なんて。それが本音であることは間違いないけれど、楽しみにしていた予定がなくなったんだ、残念に思っているこの気持ちも当たり前だと思う。
ほとんど読んでなんかいなかった雑誌を閉じて、ぼんやりと窓の外を見る。空は徐々に暗くなっていて、あと少ししたら提灯の明かりが映えるくらいになるだろう。今頃エマたち、楽しんでるかなあ……。わたしが万次郎とお祭りに行けないと知って、エマもヒナちゃんも一緒に行く? と誘ってくれたけど、さすがに二人のデートの邪魔は出来ない。学校の友達は前にわたしから断ってしまって、今更誘うのもなあという気持ちもあり、結局行かない選択肢を選んだわけだけど。
「暇だなあ……」
どうにもならない気持ちは抑えきれなくて、漏れ出た言葉が自分の鼓膜を静かに揺らす。皆お祭りに行っているから携帯は少しも震えないし、かといってやっぱり今更誰かとお祭りに行こうだなんて思えないしなあ。はあ、とため息をついて、うつ伏せのまま両腕に顔を埋める。今日の夕飯はおばあちゃんが作ってくれると言っていたし、このまま寝てしまおうか。そう思ったときには何だかすでに微睡んできていて、わたしはゆっくりと目を閉じた。
*
遠くから微かに聞こえる排気音で目が覚めた。電気のついていなかった部屋はすっかりと暗くなっている。どうやら雨が降っているらしい、窓の外から聞こえる雨音は相当な音量のはずなのに、それより小さいだろう排気音で目が覚めてしまったのはやっぱり相当聞き慣れている音だからだろうか。未だぼんやりする頭を起こしてゆっくりと起き上がり、窓際へと向かう。結構な降水量だ、エマたち大丈夫かな。そう思ったとき、ブオンとまたひとつ、ふたつ、遠くの方で排気音が響く。その瞬間、わたしの中でひとつの疑問がガスのように、しかし恐ろしいほど一気に広がった。
「あれ、そもそもなんでペーやんは、万次郎を呼び出したんだろ……」
改めて考えてみればおかしな話だった。ペーやんは確かに東卍のことを良いとは思っていないかもしれないけれど、それは元々パーちんを助けようとしていた万次郎が、反対派だったドラケンと和解したから東卍自体の方向が決まっただけだ。総長である万次郎に思うところはもちろんあるのかもしれない。けれど、さらにその元を辿ろうとする、ならば。
排気音がいくつも聞こえる。窓から身を乗り出して音のする方を見れば、微かにライトがちらついていた。
「あらなまえちゃん起きたの? 晩御飯は……」
「ごめんおばあちゃんあとで!」
気が付いたら傘も持たずに家を飛び出していた。この雨だ、恐らくドラケンたちは既に神社にはいないだろう。そうなるとわたしが行くべきは神社周辺の道。大雑把だけど手当たり次第に行ってみるしかない。ただただ猛烈に胸がざわつく。水分を含んですっかりぐしょぐしょになったスニーカーは、足を前に踏み出すたびにびちゃびちゃと大きく音を立てた。
ペーやんが何か行動に移すなら、移してしまうなら、その矛先は万次郎ではなくドラケンへ向かうだろう。物理的に助けることではなく、精神的に助けることを最初から選んでいたドラケンの気持ちは、パーちんのことが大好きだったペーやんには伝わりにくかったのだ。何もなければいい、けど何かあったら? 着ていたパーカーのポケットから携帯電話を取り出そうとしたが、しかしわたしの手は何も掴むこともなくポケットの中をさ迷う。慌てて家を出たお陰で携帯すらも忘れてきてしまったらしい。ああもうわたしバカすぎる!
けれどそんなことを思ったって電話が出来るわけでもないし、誰かに連絡を取れるわけでもないのだ。となると今はとにかく走るしかない。
しばらくして、パトカー、救急車。共にサイレンが聞こえた。パトカーならともかく、救急車…? 嫌な予感がどんどん大きくなる。T字路を右に曲がったとき、後ろからそのサイレンと車のエンジン音が迫ってくるのが聞こえた。二台の車はあっという間にわたしの横を通り過ぎ、そのまままっすぐに狭い道を走り抜けていく。同じ行き先じゃないといいと願いながらわたしも走り続ける。しかし見えてきた光景は、先ほどの救急車とパトカーの側で、誰か、が。
「ドラケンっ!!」
叫んだ瞬間、息の吸い方を忘れてしまったみたいに目の前がチカチカした。血だらけのドラケンが、傷だらけのタケミっちとアッくんに肩を貸されている。何か、あってしまったんだやっぱり。きっと事はもう終わっているのだろう、その証拠の警察と救急車だ。すぐさま駆け寄ろうとしたけれど、その足をすぐに止める。救急隊員の人が彼らの元に駆け寄って、慌ただしくドラケンを担架に乗せてしまったからだ。付き添うようにタケミっちも救急車に乗り込んで、そのまま救急車は一気に走り去っていってしまった。パトカーはまるで他の誰かたちを追っているかのようにこの現場を通りすぎてしまって、サイレンが聞こえなくなった辺りは先ほどとは比べ物にならないくらいの静けさだった。
「エマ! 何が、何があったの……!?」
「なまえ……? どうしてここに」
「そんなことはいいから、何があったか教えて!」
可愛い浴衣をびしょ濡れにして佇むエマ。しかし彼女は青ざめた顔ではくはくと口を動かすばかりで、わたしの問いに答えてくれない。……いや、答えられないのだ。自分の感情を優先してしまったバカなわたしは、そこでようやく気づいた。ドラケンに何かがあったことには間違いないのだ、そんな彼を想うエマに直接問いただすなんて。
ぐっと下唇を噛んで、わたしは隣にいるヒナちゃんに視線を移すと、彼女はすぐに口を開いた。
「ドラケンくんが刺されて、でもタケミチくんやみんなで一緒に戦って勝ったの。だけど、でも、救急車で……!」
ヒュ、と喉の奥が鳴る。刺された? ドラケンが? そこでようやく周辺が真っ赤に染まっていることに気付いた。雨と一緒になって赤黒くなった液体が流れて、流れて。
「とにかく、タクシー呼んでオレたちも病院に行くぞ!」
誰かが叫ぶ。どうしてわたしは携帯を忘れてきてしまったんだろうと、また思った。
*
手術室の目の前。清潔で無機質なソファの隅に座ってまだたった数分だというのに、なんだかひどく長い時間に思えた。
溝中の四人、そしてエマとヒナちゃんとわたしで病院に着くと、ドラケンに付き添っていたタケミっちが彼が運ばれたという手術室の前まで案内してくれた。ドラケンは搬送中に心肺停止状態となり非常に危険な状態らしい。そう説明したタケミっちの左手には包帯がぐるぐるに巻かれていた。どうやら彼も手を刺されたらしい。ペーやんではなく、キヨマサという男に。そいつは、確か先月タケミっちを初めてみたときの趣味の悪い喧嘩賭博? とかを主催していた男だ。本当にどうしようもない。けれど、正直刺したのがペーやんではなくてよかった、と思った。これでもしペーやんが刺していたら、どうしようもない負の連鎖が止まらなかっただろうから。だから、だからあとは、ドラケンさえ助かってくれれば、もうなんだっていい。
エマはぐすぐすと泣き続け、そんな彼女をヒナちゃんは慰め続ける。そんな中でばたばたと大きな足音を立ててやってきたのはペーやんと三ツ谷だった。ぼろぼろの彼らを見て、きっと一方では万次郎も含めて抗争が起きていたんだろうなと思った。そして同時に、ペーやんはわかってくれたのだと悟った。
「タケミっち」
聞こえた声に、その場にいる全員が声の方を向く。そこにはいつもの甚平を着てこちらを見る万次郎がいた。その姿は傷がないにしろ泥だらけで、彼らの抗争の勝敗の行方をを物語っていた。
万次郎はひどく冷静で、動揺する皆をなだめてからわたしが座っている位置より一人分くらい空けた場所に座る。その姿に、誰も何も言えなくて。
「……ケンチンはさ、昔っから言った事は絶ッ対ェ守る奴なんだ。こんなトコでくたばんねぇよ、そんな不義理絶ッ対ェしねぇ。アイツ、オレと天下獲るって約束したからな」
にっと笑った万次郎のその表情と言葉に、恐ろしいほど張り詰めていた空気がようやく少し和らいだ気がした。安心したのだろう、エマの涙も少しずつ止まっていく。ケンチンを信じろ、と真っすぐに言い放った彼の言葉に励まされて、皆も徐々に落ち着きを取り戻していった。
どのくらい時間が経ったのだろう。もう誰も喋らなくなっていた時、突然手術中のランプの点灯がぱっと消えた。それに気づいた瞬間、わたしを含め座っていた全員が立ち上がり、その扉を見つめる。やがてその奥から数人のお医者さんが出てきたけれど、その表情を見るのが怖くて足元にしか目がいかない。大丈夫、ドラケンは大丈夫、大丈夫。
「……一命はとりとめました。手術は成功です」
自分に言い聞かせるように頭の中で繰り返していた言葉が、その途端にふわりと浄化された。
「よーっしゃあぁああ!!!」
そんなタケミっちの声が封切りとなり、皆が嬉しさと安心感を全面に出しながら叫び、笑った。エマは色々な感情が入り混じったであろう涙を流していて、またヒナちゃんに、けれど今度は笑顔でなだめられている。……良かった、本当によかった。ドラケン、助かったんだ。安心感から出てきた涙をごしりと拭って、しかしエマたちのほうには行かずにわたしはそっとこの場から抜け出した彼の後をこっそりと追う。誰にも気づかれないように。
灯りのついた室内を抜けて、病院の渡り廊下から少し外れたところに万次郎はいた。暗いところで壁にもたれかかり、何も言わずにじっとしている。彼に見つからないように曲がり角に隠れて、わたしも同じように壁にもたれかかった。
辺りは静かで、誰の声も聞こえない。しかしそんな静寂の中で、タッタッタッと誰かが走るような音が遠くから響く。それは段々と近づいているようで、きっと誰かが探しに来たんだろうなと思った。
「マイ――」
わたしに気付かず万次郎に声をかけようとした彼の腕をぐっと掴み、一気に自分の方へと引き寄せる。
「なっ……!?」
「シーッ! ……前にも同じようなことあったね、タケミっち」
「なまえちゃん!? どうして」
「さあ、どうしてでしょうねえ」
いつかの病院のときみたいに、タケミっちと二人で角に隠れているこの状況。わたしははあ、とひとつ息を吐いて、ゆるゆるとしゃがみこむ。タケミっちはそんなわたしを見てから、今度はゆっくりと静かに、その角からひょこりと顔を出す。そこで彼が見たものは、きっと。
「……よかったっ、ケンチン」
呟かれた万次郎の声と、それよりもっと小さな泣き声が、わたしの鼓膜を震わせた。わたしはしゃがんだまま膝をぐっと抱える。その光景を見たであろうタケミっちは、またゆっくりと自身の姿を角に隠した。
「……万次郎はね、わたしたちの前だとあんまり泣いてくれないの。わたしは、万次郎がちゃんと感情を吐き出すことができてるか、心配になっちゃうんだよね」
よかった、と呟く。本当は傍にいてあげたいけど、それじゃあ意味がないから。彼がそれを見せたくないなら、わたしは見ない。だからこうして声だけ聞いて、ほっと安堵する。そっか、とタケミっちが何かを思うように言葉を吐いた。真夏の夜、ひんやりとした空気が少し気持ちよかった。