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「けーいすっけくーん! あーそびーましょー!」
「帰れ」

 がらりと引き戸を開いて叫んだ瞬間、食い気味で拒否の返事がきた。まあそんなのご挨拶である。彼の言う、わたしに対しての「帰れ」は「いらっしゃいませ」と同義だと勝手に思っている。あくまで勝手にである。眉間に皺を寄せてわたしを見る場地の横には、何とも言えないような表情をした千冬が漫画を片手に座っていた。千冬も来てたんだ〜とずけずけと部屋に入り込めば、「ッス」と彼は何を略したのか微妙にわかるようなわからないような短い言葉を発した。

「あーマジでこいつ来た時点で追い返せよオフクロ……!」
「場地ママ、あらなまえちゃんいらっしゃい〜! ってめっちゃ笑顔で迎えてくれたよ。カステラ渡しといた」
「いやオマエオレが甘いモノ嫌いなの知ってるだろ」
「うんだから場地以外の皆で食べてね」
「オマエマジでコロされたいの?」

 ぎろりとわたしを睨む場地は、中学生と思えないほど人相が悪い。普通の女子だったら泣き出すレベルだろう。しかしそんな彼の表情なんて見飽きているわたしは、何も気にせずに千冬の隣にどっかりと座り込む。あ、千冬が持ってるその漫画、わたしが読みたかったやつじゃん。あとで読ませてもらおう。そんなことを思いながらコンビニの袋を開いて、がさがさと中身を漁る。そうして先ほど買ったばかりのお花型のプリンを取り出した。

「これ手土産ね。プッチンするプリン」
「どこまでも甘いモノじゃねぇか」
「でもふたつしかないからわたしと千冬で食べるね」
「エッそれでも場地さんとなまえちゃん用で買ってきたものじゃないんすか?」
「いいよ〜千冬にあげる」
「あーもう好きにしろ」

 わたしのことなんて心底どうでもいいというように、場地は持っていた雑誌に目を向ける。わたしははい、と千冬にプリンをひとつ渡すと、彼は持っていた漫画を脇に置いて、恐る恐るそれを受け取った。

「あの、本当にオレが食べていいんですか」
「いいに決まってるじゃん。だって千冬と一緒に食べようと思って買ってきたんだよ?」
「は、え? なんかさっきと言ってること違いません?」

 訳が分からないといった千冬の表情が可笑しくて、理由、もとい言い訳を言おうとした口が止まって、ぷっと小さく吹き出してしまう。それを見てさらに怪訝そうな顔をした彼に、ごめんごめんと謝りながらわたしは袋の中からもうひとつのものを取り出して、今度はすっかり雑誌で顔を隠してしまった場地にそれを差し出した。

「さっきのウソだよ。多分千冬がいるだろうなーって思って元々千冬とわたし用にプリン買ったの。場地用はこっち」

 真四角の、プリンとは似ても似つかないパッケージ。ペヤングと書かれたそのカップ焼きそばは、何を隠そう場地の大好物であった。さすがに友達の家に行くのに、その友達が嫌いなものばっかり手土産に持っていくほど常識ない女じゃないよ。いや、前に買っていくことすら面倒くさくて、家にあった適当なお菓子を持ち出して場地ママに渡した記憶がいくつもあるけど。
 場地は開いた雑誌から少し顔を覗かせ、じっと私の手にあるそれを見る。しばらくわたしの顔と交互にそれを見比べたあと、やがてはあ、と大きくため息をついた。

「オマエオレにペヤング渡せばいいって思ってんだろ」
「うん。え、いらないの?」
「いるに決まってんだろ!」

 そんな言葉と共に、彼は勢いよくわたしの手からペヤングを奪い取る。確かにペヤング渡せばいいとは思ってるけど、だって間違いないじゃん。間違いなく、場地が喜んでくれるものだし。
 彼は読んでいたはずの雑誌をそのまま閉じて、たったいまわたしから奪い取ったペヤングを持って立ち上がる。どこ行くの? と尋ねれば、湯入れに行く、と答えて、わたしが部屋に入ってきたときよりもよっぽど静かに戸を開けて、廊下へと出ていってしまった。
 それを見届けてから、わたしは袋に入ったままだったプラスチックのスプーンをひとつ、同じく取り残された千冬に渡す。プリンが正真正銘自分のものだとわかって安心したのか、「じゃあいただきます」とわたしの顔を見て言う千冬は、不良と思えないくらい良い子に思えた。

 わたしと千冬の横にはすっかり空になったプリンの容器。場地の横には綺麗に食べ終えたペヤングのゴミ。それらを片付けることもせずに、わたしたちはただただ無言でこの時間を過ごしていた。先ほどまであんなにうるさく喋っていたのに、あまりにも状況が変わりすぎている。数十分前の自分が見たら相当びっくりするだろう。だって仕方ない、それほど面白いんだもん、この漫画。
 わたしが部屋に来た時に千冬が持っていた漫画を、彼が読み終わり次第わたしも読ませてもらっていたのだけれど、それが本当に面白い。展開が全く読めなくて、次のページをめくる手がとまらない。気が付いたら一気に読んでしまっていて、漫画を閉じたわたしは思わずはあ、と大きく息を吐いた。

「なまえちゃんめっちゃ集中してましたね」
「うん、めちゃくちゃ面白かった。続き出たらまた読ませて」
「いっすよ」

 場地はこういう系統の漫画を読まないだろうから、ここが場地の部屋であっても、これは千冬のものだ。そう断定してお願いすれば、携帯をいじっていた彼からすぐさま快い返事がくる。良い友達をもって幸せだなあ。
 んーっと凝り固まった身体をほぐすように伸びをすれば、パキパキッと身体の奥の方で小さな音が鳴る。今のちょっとおばさんっぽくて嫌だな。そんな自己嫌悪に陥ってた瞬間、わたしのポケットから聞き慣れた電子音が鳴った。マナーモードにしていないこれはメールの音だ。ぱかりと携帯を開いてメールを開ければ、そこには見慣れた名前と、完結なメッセージが表示されていた。

「万次郎から『今日ウチでメシ食う?』だって」
「今すぐ行けもう二度とウチに来んな」
「えーっと、『ご飯食べる! 今場地の家にいるからあともう少ししたら行くね』っと」
「オイオイオイ聞け聞け聞け」
「おばあちゃんに連絡しておこ」

 ぎゃんぎゃん騒ぐ場地を無視して、わたしはぽちぽちと高速でメールを打つ。その指の動き早すぎてキモイ、と聞こえた言葉にばしりとすかさず場地の頭をはたけば、そこだけ反応すんな! と不機嫌満載の声で怒鳴られた。

「あの、」

 そんなわたしたちの間に恐る恐るというように割ってきた千冬の声。わたしと場地、ふたりに同時に見られた彼はええと、と何か言葉を探すようにしながら再び口を開いた。

「ずっと気になってたんすけど、なまえちゃん、ここに来ても大丈夫なんですか?」
「え?」

 わたしの素でしかない疑問に、千冬はまたあー……と何かを探すように空中に目を泳がす。ここ、って場地の家? 大丈夫って何が? そんなわたしの頭の中を読んだかのように、彼はゆっくりと、その疑問を解消していく。

「いや、なまえちゃんってその、めちゃくちゃマイキーくんに愛されてるじゃないですか」
「そーだね」
「キモいくらいにな」
「……だからその、他の男の家にこうして来たりして、いいのかなって」

 言い難そうに。それはもう言い難そうに千冬はぽりぽりと頭を掻く。ああなるほど、そういうことか。つまり千冬が言いたいのはこういうことだ。
 わたしは万次郎と付き合っている。そんで万次郎は物凄く嫉妬深い。それはわたしも、そして周りのみんなもわかりきっていることだ。だからこその問いなのだろう、彼の疑問ももっともだ。三ツ谷のバイクの後ろに乗っていただけであれだけ不機嫌になっていた彼が、他の男、場地の家なんかに行くことは許すはずがないんじゃないかって。
 そんな嫉妬されるべきであろう男、そしてこの部屋の主である場地は、アー、と面倒くさそうに声をあげる。恐らく彼も千冬の言いたいことがわかったのだろう。場地は近くにあったペットボトルの水をぐいっと飲みほすと、そのまま大きく息を吐きつつ言った。

「いーのか悪ィのかは知らねェけどよ、何年もこうしてんのになんも言ってこないなら気にしなくていんじゃね」
「適当だなあ場地は」
「そういうことだろうが」

 ハッ、と軽く笑う場地の言うことは適当であるけれど、あながち間違いでもない、……のかもしれない。いや、今現在では間違っている。けれど過去にはそういう時期もあったという話だ。小さい頃はそれこそ場地ばっかり仲良いのずるい! なんて子どもらしいよくわからない駄々をこねられた、そのあと。今みたいになる、少し前。
 そうなんですか? と見事に場地に丸め込まれそうになっている千冬にわざわざ訂正をする必要はないのかもしれないけれど、なんとなくそのままにしたくなかったわたしは、ひとつ間を開けてからそうだねえ、と呟いた。

「認めてるんだよ、場地のことを」
「そりゃ、同じ東卍メンバーだしそうでしょうけど」
「そうじゃなくて。万次郎は、わたしが好きな場地圭介って男を認めてるってこと」

 ペットボトルを手に取って、そのキャップをくるくると回す。場地の水と違ってまだまだたくさん残っているわたしのお茶は少し傾けただけでも中身が溢れてしまいそうだった。それを一口だけ飲んでまた蓋をする。再び元の位置に戻せば、たぷん、と容器の中で液体が小さく揺れた。

「わたしのことを、万次郎もわかってるってだけだよ」

 オレ、なまえのことならなんでもわかるから。彼の笑顔が脳裏に浮かぶ。そんなことを言うくせに、わたしの気持ちなんて全然汲んでくれないし、いつも肝心なときなんにもわかってない。それでも、場地に対するわたしの想いはちゃんとわかってくれていると思う。それは頭で理解しているというものではなく、彼の心の奥深くのどこかで、感覚的に抱擁してくれているようなものだろう。
 場地はわたしにとってのとくべつだ。幼いころから、それはずっとずっと変わらない。万次郎とは少し違う、わたしにとってかけがえのない人。それは決して恋愛的なものではないし、もしかしたら友情とも少し違うかもしれない。家族、親友……とにかくこの世にある言葉で言い表せない存在。だから、万次郎もこうして場地の家に行くことを許してくれているのだろう。わたしと万次郎の中にお互いがいるように、場地もまた、わたしの中にいるのだ。

「っし、じゃあ本当に帰るかー。また来るね!」

 すくりと立ち上がって持ってきた荷物を掴む。千冬もまたね〜とひらひらと手を振れば、ハイ! と無駄に良い返事。それがあまりに可愛くて、思わずそのふわふわの髪の毛に包まれた頭を撫でたくなった。が、その気持ちをぐっと堪えて引き戸に手を掛ける。来た時よりずっと静かにその扉を開けたとき、なまえ、とこの場で一番低い声がゆっくりと部屋に響いた。

「ペヤング、ありがとな」

 ぶっきらぼうな言い方。言葉を発した場地は一切こちらを見ていない。けれどそんなたった一言のお礼が、彼の本質である優しさという部分を滲みだしていた。きっとたぶん、彼のそういうところが、わたしの中で彼がとくべつになっていった理由のうちのひとつなのだろう。

「いーえ!」

 居心地のいい場所のひとつ、なのだ。ここは。
 笑みを抑えることもせずに、わたしはあたたかい部屋を後にした。