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「で? どういうこと? エマ」

 何処から持ってきたのだろう、バットを持ったヒナちゃんが怒りのままにタケミチくんをボコボコにしている。こんなかわいい女の子が金髪(見た目だけ)不良をぶん殴っている絵面はなかなか面白いけど、同時に強烈なインパクトを与えた。
 そんな様子を腕を組みながら眺めたあと、すっかり顔を腫らしたタケミっちに、エマは一言二言声を掛ける。とても端的なもの。けれどその少ない言葉数でも、彼女が何をしたのか、そしてその行動原理はどこから来たのかわたしが察するには十分すぎるくらいのものだった。
 追撃というのは聞こえが悪いけど、単純にわたしは彼女を心配したのだ。冒頭の言葉で静かに尋ねると、彼女は来た、とでも言わんばかりにびくりと肩を揺らした。

「……違うよ、言うタイミングがなかっただけで、隠そうとしてたわけじゃないし」
「わたしは事の顛末を聞いてるんだけど」

 昔、わたしが怒っても全く迫力がないと誰かに言われた。実際自分でもそうだと思う。たとえわたしの怒りが頂点に達したとしても、きっとつい先ほどのヒナちゃんのようにはなれないだろう。だから今エマの肩を揺らしたのは、恐らく恐怖ではなく気まずさ、故の申し訳なさ。

「あの一時間でアイツをカラオケに連れ込んだの。……だって、気にかけてほしくて」
「それでもやって良いことと悪いことがあるでしょ。自分の身体は大事にしなきゃだめ!」

 ぶう、と口を窄めるエマに、こればっかりは言わないと、と声をあげる。
 エマはとてもしっかり者で賢い。作るご飯はどれもおいしいし、あの万次郎のお世話をしながら佐野家の家事をすべて担っている。わたしのほうがひとつ年上とは思えないくらい、普段の彼女は発する言葉も、その心情も、同じ年の他の子に比べたら達観していた。
 それが幼さを飛び越えて、一般的な「普通」の枠を逸脱してしまうのが、彼女の想い人であるドラケンが関わったときだ。思いついたら即行動するエマのことだ、恐らく昨日考えたことをすぐに実践したくて、でもわたしと遊ぶ約束も捨てたくなくて、結果あの一時間という僅かな時間を犠牲にしたのだろう。彼女は本当に、ドラケンのことが好きなのだ。
 けれどふたりはどう考えても両片思いで、その様子を見るのはわたし自身結構楽しいというところはある。恋は人を狂わせるというけれど、しかしこんな狂い方をするくらいなら早くくっついてほしいと思った。

「どーせ愛されてるなまえにはわかんないよ、ウチの気持ち」
「あのねえ……」
「幼稚だって思った? しょーがないじゃん、ウチはなまえみたいに全部吞み込めるほどオトナじゃないし」

 しかしそれを言い終えた瞬間、彼女ははっとしたように息を呑む。勢いで出てきてしまったその言葉は、きっと彼女の中ではわたしの地雷に値すると思っていたものだったんだろう。

「……ごめん」

 呟かれた言葉は、今日の彼女の行動についてか、それとも今の発言についてか。恐らくどちらともだろう、エマが少し顔を俯けると、さらさらの金髪が肩からするりと下に伸びていった。
 地雷というほどじゃない。エマが考えていることを、わたしはさほど気にしていない。わたしはすべて受け入れ切っているんだから、何も思うことはないのだ。だからこそ自然と生まれた「大丈夫だよ」という言葉をつかう。それでも言ってしまった事実が彼女の中で消えないようで、しゅんとした彼女を見て、わたしも少し切なくなる。エマだって幼いころ感じたものが色々あったはずだから、そんなに気を遣わなくてもいいのに。

「そろそろ始まるだろうからあっち行ってる」
「あ、いいなわたしも行きたい」
「なまえはダメでしょ」

 しかし一瞬にして先ほどまでの空気を翻すことができるのは、やはり長年の付き合いだと思う。向こうに歩いていく前に見せたエマの笑顔はほんの少しだけぎこちなかったから、まだ気を遣わせちゃっているのかもしれないけれど、きっと集会が終わるころにはいつも通りになっていることだろう。
 そんなわたしたちのやり取りを一部始終見ていたタケミっちになんかごめんね、と謝ると、彼はぶんぶんと首を横に振った。素直で真っすぐ、という言葉が誰よりも似合うような彼は、やっぱりとても良い人なんだろう。

「タケミっち、終わったかー?」

 一区切りつくまで待っててくれたのだろう。その時、ちょうどドラケンが彼に声を掛ける。ドラケンの元に駆け寄るタケミっちをダシに、あわよくばこのままエマたちのところに行けないかな、と一歩後ずさってみた。

「オマエも来んだよ」

 ……まあ、やっぱり先手を取られてしまったわけだけど。

 ドラケンが大きな声で集合をかけた瞬間、まったく統率のとれていなかった男たちがきびきびと動き出す。散らばっていた特攻服がわたしたちの周りにきて、一瞬のうちに神社の階段までの花道をつくってしまった。お疲れ様です総長!! なんて、彼らはわたしの隣にいる万次郎に頭を下げているわけだけど、この状況は何回経験しても慣れない。タケミっちもどうしたらいいのかわからないというように身を縮こまらせていて、わたしも一番最初はそういう反応してたな、と思い出した。今は単に逃げ出したいというだけだけど。
 そんなことを思っていたら、ぎゅ、と万次郎に手を握られた。ちらりと横目で見てみると、視線は真っすぐ、表情は東卍の総長そのもの。自分で選んでここに来たのに逃げるなってことだろう。確かにわたし自身で選択したけど、この立ち位置にはいたくないだけなのに。それでも仕方ないから観念して、逃げないよ、と呟けば、あっさりとその手は離れていった。
 階段を昇り詰めて、わたしはみんなから少し離れたいつもの場所へとたどり着く。そして万次郎は位置についた途端、ピリッと空気が変わった。こうして、東京卍會の集会は始まるのだ。

 今日の集会内容はわたしにとってもう散々わかってることだが、パーちんの友人の件についてだ。メンバーはもちろんそのことは周知の事実である。事情がわかっていないだろうタケミっちに三ツ谷が説明している様子をぼうっと眺める。ああいう役回り、いっつも三ツ谷に回ってきてるよなあ、と放課後の教室ぶりに会った彼のことを思っていれば、その話し相手であるタケミっちが突然視界から消えた。

「え、パーちん」

 思わず少し声が出てしまったが、それもそのはず。パーちんが不意打ちでタケミっちを蹴ったのだ。倒れ込む彼に対して、すかさずペーやんが煽っていく。この二人の連係プレーはなかなかのものだけど、こういうときに発揮されなくてもいいと思う。どうやら話を聞く限り、この間の喧嘩賭博を開催した「キヨマサ」が参番隊だったらしく、その件で怒ってるみたいだった。が、あれは「キヨマサ」の勝手な行動だし、そもそも彼をやったのはタケミっちではなく万次郎だ。ああ、無駄に怒りをぶつけられてかわいそう、タケミっち。
 けれどパーちんだっていつもああなわけではない。虫の居所が悪いといってしまえばそれまでだが、やはり彼はずっと親友がやられたチーム……愛美愛主に腹を立てているのだ。だからこそ、

「“愛美愛朱”潰すゾ!!!」

 だからこそ、こうなることは最初からわかっていた。東卍は誰よりも仲間を大切にする、万次郎が総長のチーム。親友がやられたパーちんが「ヤる」と言えば、それだけでもう方向性は決まってしまう。
 決戦は八月三日の武蔵祭りらしい。てことは、万次郎とお祭り行けないのか。それならそれで仕方ない。
 誰か友達を誘っていこうかな、と先の予定を考えていたとき。なまえ、と活気づいているみんなを背にした万次郎がこちらに近づいてくる。

「つーことで、抗争始めっから」
「うん。その決意を見るためにわたしはここに来たようなものだからね。でも怪我するのはヤダよ」
「何、オマエオレが負けるとでも思ってンの?」
「まさか」

 万次郎が負けるなんて想像できない。負けるとしたら相手はどんなバケモノだろう。わたしに聞いてきた万次郎もまったくそのつもりはなくて、だよな、と顔を綻ばせる。でもまあ、勝ち負けと怪我は別問題だから。万次郎が重症で帰ってきたことは今までないけれど、他のみんなが入院沙汰ってのはたまにあるし。
 とにもかくにも今日の集会はこれで終わり。血気盛んに騒いでいた東卍メンバーも徐々に落ち着いてきて、ちらほらと解散し始めている。わたしたちも帰ろうと階段を降りれば、ちょうど見計らってエマとヒナちゃんがこちらに来た。……なんだかふたり、さっきより仲良くなってるように見える。ずるい。わたしも今度絶対ヒナちゃんとお話ししよう。

「帰っぞなまえ」
「はーい」

 バブにまたがった万次郎に呼ばれて、わたしもすぐに彼の後ろにまたがる。

「あ、そういえば昨日シャンプーなくなりそうだったから帰り買ってったほうがいいかも」
「ン、わかった。ケンチーン、オレら買い物してから帰るわ!」
「おーじゃあ先行ってるわ」

 万次郎の言葉を聞いて、後ろにエマを乗せたドラケンはブロロロロ、と排気音をさせながら神社を出ていく。わたしも万次郎に渡されたメットを被ってさあ帰ろうとしたとき。あの! とひときわ大きな声にわたしたちは振り返った。見るとそこにはタケミっち、そして並んだヒナちゃんが何か言いたげにこちらをじっと見ている。何? と簡潔に尋ねた万次郎に対して、タケミっちは何か言葉を選ぶようにしてええと、としどろもどろになりながら口を開いた。

「その、マイキー君となまえちゃんって……」
「なまえはオレのヨメだよ」
「ヨッ……いや! それはなんかそうかなーって気ィしてたんですけど、えーっと……」
「んだよ何が言いてぇの?」

 万次郎が追及しても、タケミっちはえっと、その、とまったく言葉を続けようとしない。しばらくそのまま、やがて万次郎が明らかにイライラしてきたとき。恐らく隣で見かねただろうヒナちゃんが、先ほどのタケミっちと同じようにあの! と大きな声をあげた。

「二人は一緒に住んでるんですか!?」
「え?」
「だ、だってシャンプーとか……!」
「あー」

 少し顔を赤らめて言う二人はめちゃくちゃ初々しいけれど、当人であるわたしと万次郎は平然顔だ。それもそうだ。だってこういう会話をするのは、わたしが佐野家に行くのは、万次郎の部屋に泊まるのは、わたしたちにとって何年も続いているただの日常でしかないのだから。

「住んでないよ。ただわたしがよく万次郎の家に泊まりに行くってだけ」
「そ、そうなんですね……!」
「わたしの家、連絡さえ入れればいいだけでかなり自由だからさ」

 けれど最後の言葉は、もしかしたら吐き捨てるように言ってしまったかもしれない。ふたりに向かってにこりと笑えば、彼等もつられたようにぎこちなく笑みを返す。

「でも中学生でソレはほんと……スゲェ自由っすね……羨ましい」

 タケミっちの純粋な言葉に、わたしもそうだねえ、と返す。中学生というのは普通は親に縛られ、守られる存在だから、そういう自由に憧れる人は多い。実際わたしも学校の友達からよく言われる。……わたしの場合、放任主義というより、わたしが甘えて外に出てるだけ、なんだけど。

「じゃ、オレら行くわ」
「は、はい! お疲れ様です」

 すると突然、万次郎が言葉を吐いてエンジンをかける。そうしてろくにタケミっちの挨拶も聞かずにバイクを走り出させてしまった。わたしはタケミっちにもヒナちゃんにも挨拶が出来なかったわけだけど、正直万次郎がバイクを発信させてくれて助かった、かもしれない。気を遣ってくれたのかはわからない。けれどわたしは情けないことにひどく安心してしまった。エマには受け入れてる、気を遣うなと心の中で言っておいて、万次郎の前じゃこれだ。我慢したり、無理をしていることは決してない、はずだけど。
 わたしは振動で揺れる彼の背中にぽすんと寄りかかった。

「万次郎」
「ンー」

 彼は振り返らない。間延びしたような小さな返事だけが、わたしの耳をはらりとなぞる。

「……なんでもない」

 呟いた言葉は、排気音と通り過ぎる風の中にのまれて消える。万次郎が何か言った気がしたけれど、伝わる背中の体温があたたかすぎて、何もわからなかった。