▼ ▲ ▼
そのことを知ったのは、その場所にいた人たちを除けば、わたしが一番早かったんじゃないかと思う。
その夜、夕飯を食べ終えて洗い物をしていていれば、ぴんぽーん、と無機質なチャイムの音が家の中に鳴り響いた。こんな時間に誰だろうと少し怪しんでしまうが、とりあえずチャイムに出ないわけにはいかない。出ようとするおばあちゃんに私が出るよ、と一声かけてから、台所を出る。もう既に就寝してしまったおじいちゃんに気を遣いつつ、はい、と受話器を取れば、聞こえてきたのは聞き慣れたそれより幾分か低めの声だった。
「いきなりどうしたの、万次郎」
玄関のドアを開けて現れた万次郎は、わたしの声にも反応せず、どこか遠くを見つめたままぼうっとしているよう。先ほどの声、そしてこの様子。彼に何かがあったと察するには十分すぎるくらいだった。
万次郎、ともう一度小さく名前を呼ぶと、彼はようやく、わたしとゆっくりと目を合わせる。そうして、何か大事なものを取り零してしまったかのように呟いたのだ。パーちんが捕まった、と。
信じられなかった。捕まったということは、それ相応のことをしたということだ。もちろん普段の彼らの行動はそもそも補導されるべき対象ではあるけれど、注意だけに留まらず、実際に捕まったというならば話は別だ。パーちんは何をしたの、と聞く声が震える。わたしの頭の中に、友人二人が連行されている数年前の光景が過ぎった。
「愛美愛主の、長内を刺した」
簡潔に、淡々と。彼はそう呟いた。出てしまいそうになる声を抑え、感情を押し殺しながらわたしは彼に問いかける。今日、うちに泊まってく? その問いかけに、万次郎は小さく頷いた。
彼がうちにくることはあまりない故に、おばあちゃんが万次郎を見たのは幼少期以来だったかもしれない。それでも何の疑問を持たず、「アラ、万次郎くんこんばんは」とにこやかに笑って招き入れてくれたおばあちゃんが、正直とてもありがたかった。
別に、何を話すわけでもないのだ。パーちんが捕まった。それは紛れもない事実であって、けれどわたしは今この状況で、彼にこれ以上追求しちゃいけない。
部屋に着いた途端、ぎゅ、と万次郎に抱きしめられる。まるで彼の部屋にある、薄汚れたタオルケットのように。わたしはゆっくりと右手を上げて、その綺麗なピンクゴールドをさらりと撫でた。一体誰がこんなちいさな彼を、暴走族の総長だと思うだろう。「無敵」のマイキー、だなんて。
「今日泊まるって、エマにはちゃんと連絡した?」
「これから、する」
「ドラケンには? 明日の朝も来るんでしょ?」
「……知らねーよ、あんなヤツ」
「……またケンカした?」
小さく尋ねると、万次郎はあっさりとわたしの身体を離す。あー、これは図星だなあ。
フロ入る、と自分の借りる着替えを探そうと勝手に引き出しを開けた万次郎の頭をはたく。いやそこ下着入ってるから。別の引き出しから大きめのスウェットを取り出して彼に押し付けると、さんきゅー、と先ほどの弱々しい様子はどこへ行ったのか。万次郎はあっさりとわたしの部屋を出ていった。……まあ、ドラケンとのケンカはいつものことだから勝手にすぐに仲直りするだろうと思うけど。パーちんのことは明日三ツ谷にでも聞いてみるかなあ。
ため息をついて、ベッドに飛び込む。あ、ていうかエマに連絡するって言ってしてないじゃん。エマが夕飯用意してたらどうすんのさ。この時間じゃもう遅いかもしれないけど。ぱかりと携帯を開く。メールボックスの一番上にあるエマの名前を選択して、わたしはメールの新規作成ボタンを押した。
翌朝はタオルケット代わりにされて、万次郎の腕の中にいた状態からなんとか抜け出すところから始まった。相変わらずの寝起きの悪さの万次郎をなんとか起こして、急いで朝の支度を進める。寝ぼけ眼の万次郎に制服取りに家帰ってから学校に行けと促すと、じゃあ付いてきてとか言われた。当然だけど断った。あの弱々しかった昨晩の一瞬はなんだったのか。うだうだ言う彼を置いて、わたしはいつも通り自分の学校へと向かった。
教室に着いてさっそく三ツ谷に昨日の詳細を聞こうとしたが、彼もメールで簡潔に伝えられただけのようで、わたしと同じことしか知らなかった。今日の夜に緊急で集会があるらしいから、それなら明日聞こうということで話は終わる。
「あっ来たなまえッ!!」
教室に着くなりそう言われたのは、それからまる一日後。まさにその「明日」の朝のことだった。
「おはよ三ツ谷。どうしたの?」
「どうしたもこうしたも、オマエメール見ろよ!」
「え、メール……あれ、ごめんセンター局留めになってたっぽい。てかエマも、場地と千冬からも来てるけど……何かあったの?」
「いや何ってマイキーとドラケンが、」
そこまで言った三ツ谷は、わたしの一瞬にして歪んだ表情に気付いたのだろう。ここは教室で、周りの目と耳があって、そしてわたしは一応、東卍の総長と付き合っていることを隠している。三ツ谷とはあくまでも、ただのクラスの友達なのだ。
「アー……場所変えっぞ」
そう言った彼にぐっと腕を引かれ、わたしは引きずられるように入ってきたばかりの教室を出ていく。朝礼は? なんて呑気なこと、今の三ツ谷には到底聞けそうになかった。
ところは立ち入り禁止の屋上。人が来ないここは、パーちん、ペーやん、三ツ谷と、傍から見ても東卍関係としか思えないメンツでよく喋る場所だった。ここに来てようやく腕を離してくれた三ツ谷に、何? ともう一度聞く。彼は先ほどと同じように、しかし比べて少し落ち着いたように口を開いた。
「マイキーとドラケンがケンカしてんの知ってるか?」
その問いに、わたしは二日前の万次郎の言葉を思い出す。知らねーよ、とぶっきらぼうに言ったその様子は明らかに普段と違っていて、二人の関係を察するには十分すぎるくらいだった。まだケンカしてるんだ。普段なら昨日か今日には何事もなかったかのように元通りになってるけど。
「え、うん、まあ何となく。……でもそれっていつものことでしょ? 三ツ谷だって今まで散々見てきたじゃん。別に今更騒ぎ立てるようなことじゃ」
「いや、今回のはマジでやべーっぽいんだよ」
ぺたりと冷たい地面に座り込むわたしに、ひやりとした言葉が投げかけられる。三ツ谷の雰囲気から、ただごとじゃないとは感じ取っていた。基本的に学校は朝から来て、たまに授業をサボるくらいの不良とは思えないほどの品行方正な三ツ谷。そんな彼が朝礼をほっぽり出すなんて、緊急の部類に入ると思う。それでもわたしは信じられなかったのだ、だってあの万次郎とドラケンが、そんなに大きなケンカをするなんて。
未だ信じ切れてないわたしを見て、三ツ谷は一つ一つ、順を追って説明しだした。
「オマエまだマイキーからパーの詳しいこと聞いてねェよな? 昨日集会で詳細を聞いたんだよ。そしたらパーのヤツ、捕まった、というか自首したらしいんだ」
「……自首?」
「罪を償う覚悟をしてでも、アイツは長内のヤローを恨んで行動に移したってことだ。ドラケンはそのパーの気持ちを汲んだ。けどマイキーはパーを見捨てるつもりかってドラケンと対立したんだ。それが集会中に言い争いを始めたから最悪だったな。マイキー派ドラケン派つって、今東卍が割れそうになってる」
「えっ、えっ!? なに、何それ」
大きく頭を掻きながら言った三ツ谷の言葉に、わたしは困惑しか出てこない。けれど今回のケンカが何度も繰り返しされてきたそれらとは違うことは明らかだった。いつもみたいなくだらない理由じゃなくて、それぞれの意志が、思いが絡むこと。だからこそ東卍を巻き込んでまでのケンカに発展したのだろう。……いや、本人たちは巻き込んでるなんて自覚はきっとまったくない。二人はケンカをするとびっくりするほど周りが見えなくなる。昔からそうだった。
「この状況はさすがにマズイ。けど、オレらじゃアイツらのケンカ止められねえんだワ」
「わたしだって止められないよ」
「それでもオレらより望みはあると思ってる。他にオマエにメール寄こしてきたヤツらもそう思ったんだろ」
言われて、スカートのポケットに入れていた携帯を取り出す。先ほど確認したもののまだ開いていなかった三人からのメールを読めば、まるで示し合わせたかのように、エマも、場地も、千冬も、三ツ谷と同じようなことを綴っていた。プラスでエマはとても焦っている様子が伺えたので、あとで電話をしてみることにする。だけど。
「みんなわたしを過信しすぎだよ」
ぽつりと呟く。みんなはわたしの立場的にそう言ってるのかもしれない。確かにわたしは総長の万次郎の幼馴染で、彼女で、ドラケンとも仲が良くて。けれどそれを言ったらエマだって似たような立場だ。むしろエマの方が彼らに近しいような気もする。オマエの言うことだったらマイキーも、だなんて。そんなの有り得ない。わたしは二人を止められない。わたしじゃ万次郎を正せない。いつだってわたしは、万次郎の庇護下にあるのだ。
「……まあ、やってはみるけど。期待しないでね」
「いやそこは期待させてくれ……っつったら負担になるか。まあオレらも色々やってみるからさ」
「りょーかい」
間延びした声で答える。そうは言いつつも、わたしが彼らをどうこうできるなんて一ミリも思ってない。まあ言ったからには行動だけしてみるけれど、わたしはそもそもわたし自身に期待をしていないのだ。情けないかもしれないけれど、ね。
とりあえず周りに聞かれたくない話は終わったと立ち上がろうとすると、屋上ということでいつもより大きくチャイムの音が響いた。先ほど朝礼を無視してここまで来たから、これは間違いなく一時間目が始まるチャイム。三ツ谷も授業が始まるまでには戻るつもりだっただろう。けれどその鐘の音を聞いた途端、彼はごろんとわたしの隣に寝そべった。
「サボるの?」
「もー始まっちゃったし」
「じゃあわたしもいいや」
わたしは不良ではない一般女子生徒。それでもたまには授業をサボることだってある。しゃがんでいた状態から再び腰を下ろし、三ツ谷と同じようにわたしもごろりと寝転がる。七月も後半。夏休みも目の前の時期といえど、この朝の時間帯はまだこうして寝そべるには気持ちいい。
一度閉じた携帯をまた開いて、来ていたメールにひとつひとつ返信していく。すべて送信し終えて、ふう、と一息ついたとき。思い出したように三ツ谷があ、と声を上げた。
「そういやタケミっち入院したらしい」
「……えっ」