▼ ▲ ▼

 やってみるとは言ったものの、そう簡単に上手くいくはずがない。万次郎にその話題を出そうとすればのらりくらりと躱され、全くもって相手にされない。ドラケンなんか聞く耳すら持たない。わたし自身会話が得意な方ではないし、口喧嘩だって弱い。頑張ってはみたものの、二人を仲直りさせるどころか、二人の気持ちすら聞き出せなかった。
 そのまま夏休みが始まり、何もできないまま七月が終わった。未だ見慣れない八月のカレンダーを眺め、わたしはよし、ともう一度意気込む。今日、もう一回頑張ってみよう。それでだめだったら、……その時はもう、わかんないな。そもそもわたし自分があの二人をどうにかできる力を持ってるとは未だに思ってないのだ。もしこのまま東卍が二つに割れてしまったら……それは嫌だけど、わたしはきっと、流されるまま、なのだろう。不幸な結果にならないように祈りながら。

 お昼ご飯を食べてから家を出る。佐野家に行ってじっくり話をしてみようというのが今日の目的だ。話をしたところでうまい言葉がわたしから出るとは思えないし、その台本もろくに考えてきていない。けれどそもそも今までその段階にすら辿り着けていないわたしは、そこまでいってしまえば何とかなるだろうと思っている部分の方が大きかった。
 いつも通りにペダルを踏んで、回して。抜けていく風は気持ちいいけれど、信号で止まった瞬間に汗が止まらなくなるのが夏に自転車に乗りたくないと言わしめる理由だと思う。わたしの家から佐野家までそれほど坂道が多くないのが救いだけれど、もしこれ以上に多かったら、わたしもこの季節は自転車に乗る選択肢は最初から捨てているんだろうな。
 目的地までもうあと少し、といったとき。前からこちらに向かって歩いてくる人が見えた。それが誰かなんて遠目からでもすぐにわかった。それは彼が目立つ髪色をしているからか、オーラを放っているからか、それとも幼馴染として彼の隣にい続けたからか。万次郎! と自転車を走らせながら声を上げればあちらも気づいたようで、おー、と片手をあげてひらひらと振った。

「どっか行くの?」

 立ち止まった万次郎の横でわたしも自転車を停めて尋ねると、彼はウン、と短く返事をしてから言った。

「今からタケミっちの家に見舞いに行こうかと思って」
「タケミっち退院したんだ?」
「今は絶対安静らしいけどね。なまえも来る?」
「あ、えーっと……」

 思わぬお誘いに少しばかり口ごもる。どうしよう、ゆっくりお話しするつもりだったけど……まあでも、ここで断るよりも一緒に行った方が得策か。正直、わたし的にはさっさと話して彼の気持ちを聞けるものなら聞きたい。道すがら聞いてしまうのも悪くはないかもしれないな。それに、タケミっちの様子も気になるしね。
 自分の中で早急に結論づけてわたしも行く、と言うと、万次郎はすぐさま行こうぜーと歩き出した。わたしもすぐに自転車の向きをくるりと変えて、万次郎と一緒に元来た道へと歩き出す。ていうか、タケミっちの家ってこの辺だったんだ。もしかしたら普通に通り過ぎたのかもな、わたし。

「ていうかわたしお見舞いに行くのは良いけど手土産も何も持ってないや。どっかで買おうかな」
「いーよそんなの、オレも手ぶらだし」
「良くないよ……一応礼儀的に……」
「真面目だな〜なまえは」

 からからと笑う彼に、まあ万次郎に比べたらね、と言葉を吐く。決して悪意のあるものではないそれに、彼もそりゃそーだろ、とまた笑った。

「でも今日はマジでいいと思うよ。そもそもオマエは急遽オレに誘われただけなんだし」
「まあそれはそうだけど……ドラケンだったら絶対に持ってくでしょ。わたしドラケンのそういうとこ素直にすごいって思うし、見習いたいって思うんだよね」

 そこまで言って、ハッと気が付いたときにはもう遅い。隣を見れば先ほどまでにこにこと笑っていた万次郎の顔が、一瞬にしてその表情を失っていた。……いや、でも逆に言えばこれはチャンスなんじゃないか。わたしの考えていた切り出し方とは全然違うけれど、このままドラケンとのことを聞き出せるんじゃないか。わたしは今まで考えてきた彼に何を聞くか、何を伝えたいかを頭の中に思い起こして、恐る恐る口を開いた。

「あの、万次郎。ドラケンとのことだけど」
「つーかオレかオマエか、どっちかがチャリで二ケツできれば良かったよな」

 あ、ほらまただ。少しでもドラケンのことを話題に出すと、こうやってぬるりとすり替えられる。いつも通り、だからこそここからが勝負なのだ。

「ねえちゃんと話聞いて」
「でも結局オレのバブがあるし、移動手段には困らないからなー」
「万次郎」
「そもそもオマエん家がオレん家ともっと近ければ」
「万次郎!!」

 ぴしゃりとあげた大声に、彼の動きも止まる。驚いたのだろう、わたしがこうして彼の中に無理やり介入することは滅多にないのだから。カラカラと回っていた自転車のチェーンの音がぴたりと止まる。それに合わせるように、万次郎もわたしの一歩先のところで立ち止まった。
 できた間を使ってわたしはゆっくりと呼吸をしてから、誤らないようにひとつひとつ言葉を吐き出した。

「……パーちんのことでドラケンとケンカしてるんでしょ。皆から聞いて知ってる。ねえ、皆二人のこと心配してるんだよ」
「……オレたち二人のことだろ、周りは関係ねェ」

 その声に、わたしは一瞬驚いた。発言内容にではなく、彼が口を割ってくれたことに、だ。これはわたしが今までになく踏み込んで来ようとしたせいなのか、とにかく一歩前進したことに変わりはない。驚いた素振りを見せないようにしてわたしは続ける。

「あのね万次郎。わたしは、正しいとか正しくないとか、そういうのまだよくわからないけど。でも、パーちんが自分でそういう行動をしたんだったら、その気持ちを汲んであげるべきじゃないかなって思う」

 何度も言うが、わたしは台本なんか用意していない。だからするりと出てきてしまったこの言葉は、シンプルにわたしの本心でしかなかった。さっきまでは言葉を誤らないようにと色々考えていたはずなのに、話し始めてしまったらもう止まらなかった。だからわたしは口喧嘩とかそういう類のものが苦手なのかもしれない。自分でどうしてあんなことを言ってしまったんだろうって、あとから考えることもしばしばあるということに、今こんな状況で気づいてしまった。

「…………は?」

 だからそんな冷たい声と視線が向けられる直前に、わたしは自分の発言を間違ったと気づいてしまっていたのだ。

「え、と、」

 心の底をじっとりと舐められるような。何かを映したような、一方で何も映していないような瞳がわたしを突き刺す。数年前、あの人がいなくなってからたまに見せる彼のこの異質な瞳が、雰囲気が、わたしはほんの少し苦手だった。そんな部分も含めてまるごと愛せるなら良かったけど、そんなことが出来るほど、わたしは大人ではなかったのだ。

「さっきからオマエ、何? ケンチンと同じこと言って。オマエ、アイツの味方なの?」

 その言葉に含まれていたのは、怒りか、悲しみか、それとも。

「ちが、そうじゃなくて! 味方とかそういうことじゃなくて、わたしはただ、自分の意見を述べただけで」

 彼のそういう部分を愛せはしない、けれど否定もしない。もしそれが彼にとっての必要不可欠ならば、わたしは受け入れる努力をする。でもきっとわたしは、心のどこかで彼のそれを引き剥がそうとしているような気がした。ぺらぺら勝手に喋るこの口は、不器用ながらもそのわたしの心情の表れなのかもしれない。

「万次郎!」

 歩き出した万次郎の背中に呼びかけた途端、彼は突然向きを変えて右へと曲がった。そこは道ではなく、個人宅の敷地内。恐らくタケミっちの家だろう。こんな近くにあるとは……いや、そんなことを思っている場合ではない。わたしも慌てて彼の後を追う。とにかくもう一度ちゃんと説明しなきゃ。したところできっと万次郎とドラケンは仲直りなんてしないだろうけれど、ここまで来たらもう戻れないのだ。
 花垣という表札を横目で見ながら彼を追って家の敷地内に入る。その瞬間、目に飛び込んできた光景は思いがけないものだった。

「ん?」
「ん?」
「え、」

 そこにいたのは万次郎、だけではなく、彼と向かい合うようにして今まさにケンカ中のドラケンの姿があった。そのさらに後ろ、玄関ドア先にはひどく焦ったようなタケミっちの姿。なんでドラケンがここに、ということを万次郎も思ったのだろう、かなりの喧嘩腰でお互い疑問をぶつけあった結果、どうやらドラケンもタケミっちのお見舞いに来たようだった。なんてバッドタイミング、いや、ある意味ナイスタイミングではあるのかもしれない。わたしに何かできる力が備わっていれば、の話だが。

「は? タケミっちはオレのダチだし。オマエ関係ねえじゃん。なぁ? タケミっち」
「へ? えっと……」
「あ? 何言ってんの? オレのダチだよなぁ!? タケミっち」

 わかっている。こうなってしまった二人は本当に止められないのだ。例えそれが誰であっても。

「なまえ、コイツと一緒に来たのかよ。さっさと離れた方がいいぜ」
「いやあのドラケン、」
「離れるも何も、なまえはオマエの味方らしいしな」
「ちょ、万次郎?」
「へぇ、いい判断じゃねえの。つかとうとうなまえにも見捨てられたとか面白ェ」
「あ?」
「待って待って勝手に話を進めないで」

 わたしは何も話していないのに、勝手に二人の中で会話が進んでいくことが恐ろしい。というか、わたしは決してドラケンの味方ではないし、(この場合万次郎の味方というわけでもないけど)万次郎を見捨ててなんかいない。わたしをダシにして勝手にケンカをヒートアップさせないでほしい。
 けれどわたしの言葉なんか二人には聞こえていないのだろう。そんな中怖いもの知らずのタケミっちが二人に割って入る。……いや、怖いもの知らずなんかじゃない、彼の額にはうっすらと冷や汗が浮かんでいた。そんな彼の胸倉を掴んで脅すような言葉を吐くドラケンは、いつもの冷静さをすっかり欠いているように思えた。そしてそれは、もう一人も同じく、だ。

「さいっあく……」

 気が付けば、わたしはそう呟いていた。目の前を飛び交い、次々と投げ捨てられ破壊されていくタケミっちの私物。病み上がりに加えてこんなことをされるタケミっちがあまりにも不憫すぎる。この二人、本当こういうところ最悪だよ、昔から。
 ようやく静かになって二人が睨み合う。さすがにもう項垂れるタケミっちを見ていられなくて、二人を非難しようと口を開いたその時。

「待てよ。テメぇら、いい加減にしろや……」

 いつもからは考えられないくらいの低い声。動物が威嚇するように息を荒げるタケミっちはもう、完全にキレていた。