1年が経った頃、毎夜泣く事がなくなった。
5年が経った頃、新隊長を副隊長と呼び間違えなくなった。
10年が経った頃、漸く前が向けた気がした。
30年が経った頃、居ない背を探さなくなった。
50年が経った頃、髪を少しずつ伸ばし始めた。
80年が経った頃、希望を持つのはやめた。
そして100年と少し経ったこの前、どこかに捨てたはずの希望が足元から小さな芽を出した。
十三番隊の朽木さんを救う為の旅禍一行による瀞霊廷侵入から始まった一連の騒動。藍染元隊長や破面、十刃、仮面の軍勢、護廷隊による虚圏や空座町での決戦。この短い期間で色んなことがありすぎた。この100年よりもずっと濃い日々は普段ぼけっと過ごしてきた私には文字通り怒涛の様に過ぎ去った。お陰で事の起こりからここまで一年足らずだった筈なのに旅禍君達がこの瀞霊廷に来たのがもう何年も前の様な気もする。
なんて、現実逃避はいい加減厳しいものがある。
「...お久しぶりです、平子隊長。あんまりにも記憶と違っていたのでまさか本人だとは思いませんでした」
「お前もなァ。昔はおかっぱ頭やったんに、なんでそないに髪伸ばしたん。全然わからへんかったわ」
やってしまった。復隊したとは聞いていたけれど、会う勇気も会う気も無かった私は心の準備なんて全く出来ていなかったのに。おまけに五番隊には決して近寄らない様徹底してきた日々。それが一瞬で無駄になった。こんな所で出会うなんて書類配達なんて引き受けなければよかった。
「まぁ100年もあれば髪なんていくらでも伸びますからね、別におかしな事ではないでしょう」
手元の書類に落としたままの視線を上げる事はできなかった。
「『真子さんが居なくて寂しかったから真似して伸ばしたんですぅ』位のもん言える様になっとったら可愛げもあったやろうに、ホンマに変わってへんなァ自分」
ひっくり返った声で妙なことを口走る隊長に
『なにアホな事言ってるんですか』
反射で返しかけた言葉を咄嗟に飲み込んだ。飲み込んで失策だったと気付く。そう返せていればどうにかこの場くらいは切り抜けられかもしれなかったのに。
反論しようとしてあげてしまった視線が記憶の底にある瞳とぶつかる。姿形が多少変わってもそれだけは何も変わっていない。途端に逸らせなくなってしまってついには何も言えなくなってしまった。
平子隊長の言葉は図星だった。50年ほど前、一縷の望みをかけて、あの金糸を忘れたくなくて、縋る思いで形だけでも真似た。それからまた時が経って、会う事も生きている事すら希望を持つのは辞めようと思った時でさえ私はこの髪を切れなかった。どうしても、切れなかったのだ。
それからずるずると伸ばしたままにした髪は確かに形だけは100年前の彼に似ている、と思う。
結局何も言えないままにまた下がった視線に頭上から小さく息を吐く音がした。
「なんや、なんか言いたそうやったやんけ。なんも言わへんのか」
するりと平子隊長の指が髪を一房攫っていく。
「見慣れへんから違和感はあっても長いんも悪ないなァ」
くるくると弄んでゆるりと梳く。
「本当だと、言ったら笑いますか」
我ながら随分と小さな声だった。風の音にも負ける様な声。隊長にすら届くか分からなかったけれどもう一度言う勇気はなかった。
「別にィ。笑う様な事ちゃうやろ、さっき言うたやんけ『そんな言える様になっとったら可愛げもある』って」
髪に触れていた手がそっと顔に触れた。瞬間両の頬を掴まれて強制的に顔をあげられる。
「んむ、なにふるんでふか」
頬が潰れて可愛くない顔をした私を無表情の隊長が見下ろしていた。前の様な金糸が垂れる事は無いけれど相変わらず光を透かす煌めきがちかちかと眩しかった。
「折角100年ぶりに戻ってきてんねんぞ。顔くらいまともに見せに来いや」
「なんれふか、なんにも言わじゅに居なくなったくへに、今更ほんなこと言って」
また可愛さの欠片もない事が尖った口から溢れていく。隊長に非は無かった事象なんて引き合いに出して、ほらあの顔は多分呆れてる。
一際大きなため息が隊長の口から漏れて抵抗のつもりで視線だけでもまた逸らした。
なにも言えなかった。また隊長を責めてしまいそうだったから。このまま何処かに行って欲しかったけど次は頬を潰す手が離れて顎を固定される。それが不思議で逸らしたままの視線を一瞬戻すと遠かった金糸が一気に近付いて不意に唇を何かが掠めた。
瞬間思考が停止して離れていく隊長の顔をぼんやりと眺めていた。
「なに見とんねん。目ぇくらい閉じろや」
平気そうな顔をしてそんな事を言う隊長にハッとして回らない頭でなんとか口を開こうとする。
「な、ん...目って...え、なにして...?」
はくはくと口を動かす私を他所に正面にある隊長の顔がふ、と笑みを作る。
「可愛いない事言いよったからちょっと仕置きや」
本音くらい言える様になっとき、との言葉だけを残して平子隊長の手が離れる。
翻った隊長羽織が視界の端に写る。ひら、と右手を振った後ろ姿が遠ざかっていく。
「なん、な、なんなんですか!!!」
思わず叫んだ私の声に、ゆっくりと振り返った隊長の顔は悪戯っぽく笑っていて口元が何かの音を形作る。
それがなんなのか分からない私は結局隊長の真意など掴めないまま思わず力の入った手の所為で配る書類はくしゃくしゃだった。
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