七夜が蜀の将になってから若の機嫌が良くない。馬岱は本人に気付かれないように小さく溜息をついた。

答えは簡単。七夜が側にいないから、だ。

「若〜そんなに怖い顔しないの!七夜も頑張ってるんだし!」
「あいつが頑張る必要なぞ無い」
「どうして?」
「俺がいるからだ」
「さすが若、かっこいいね!」

それを直接七夜に言えればもっともっとかっこいいんだけど。馬岱はそう思っても口には出さない。それが出来ていれば二人はとっくの昔に恋仲、いや、きっと夫婦にだってなっていたかもしれない。

男女の幼馴染。ほぼ同じ様に育ち成長してきた二人が恋に落ちるのは想像に容易い。事実、馬超は七夜が好きだし、七夜は馬超が好きだった。

「七夜は趙雲殿と随分仲が良いな」
「そりゃあ七夜に兵の事を教えてるのは趙雲殿だからね。仲も良くなるよ。歳も同じくらいだし」

馬超の視線の先では趙雲と七夜が表情を変えながら、手振り身振りを動かし話している。気に入らない。馬超は目を伏せ、力強く手を握った。

「…あんな風に表情を変える七夜は久しぶりだ」
「あれは七夜が気使ってるだけじゃないの?」
「昔は良く笑っていたぞ」
「うーん、そうかなあ?俺はあんまり七夜が笑ってるところ、見たことないけど」

そんな事はないだろう、と馬超は七夜の事を話し始める。馬岱は趙雲達から気が逸れた事にホッと胸を撫で下ろす。本当は知っていた。昔の七夜は良く笑って、泣いて、怒って。表情豊かな普通の女の子だった。



「馬超、馬岱」
「おお!七夜!」
「今日はもう終わり?」
「いや、趙雲殿が少し休憩にしようって。馬超達、そこにいるから息抜きに話して来たら?って」
「…そうか。気を遣わせてしまったな」
「趙雲殿って優しいよね」

ピクリと動いた掌に気付いたのは隣にいた馬岱だけだった。けどそれもほんの一瞬で馬超はすぐに穏やかな表情を見せる。普段の馬超からは想像がつかないくらいに柔らかだ。余程七夜と話したかったらしい。馬岱は長椅子に腰を掛けていた趙雲と目が合うと、頭を下げる。

うちの若がすみません。

趙雲はそれに答える様に微笑みながら同様に頭を下げた。

いえいえ、大丈夫ですよ。

そんなやり取りなんて知らずに馬超は七夜に語りかけている。無理はしてないか?困った事はないか?迷惑は掛けていないか?ちゃんと覚えたか?これから一人でやっていけるか?

「心配しすぎじゃない?大丈夫だよ」
「何かあったらすぐに俺に言うんだぞ」
「別に何もないでしょ」
「そうとも言い切れんだろう」
「えーだって趙雲殿と一緒だし、全然平気」
「……お前は趙雲殿が好きなのか?」
「はぁ?何でそうなる訳?」

ピリついた雰囲気に馬岱は冷や汗をかく。七夜が趙雲殿の事好きな訳ないでしょ!なのになんでそんな事いっちゃうかなあ。素直になれば良いのに。

「趙雲殿趙雲殿と煩いからだ。優しくされれば誰でも良いのか?」
「………そうだよ。優しい人が良いよ。ちゃんと私の話を聞いてくれたり欲しい言葉をくれる優しい人が。あぁ、それって趙雲殿じゃん。…じゃあ私、趙雲殿の所に戻るから」

一瞬だけムッとして、そのあとはいつも通り淡々と言い切って馬超達に背を向ける七夜。馬超は手を伸ばそうとして、やめた。今ここで引き止めてもどうせ喧嘩にしかならない。
下らない嫉妬。そのせいで笑顔どころか怒らせてしまった。普通に話をしたかったのに。七夜の姿がほんの数日見えなかったのが随分堪えていたらしい。…不安になってしまう。七夜まで失くしてしまうんじゃないか。いつか自分の前から姿を消してしまうんじゃないか。もう帰ってこないんじゃないか。そんな焦燥に支配される。

「…若はさ、七夜の事が好きなんだよね?」
「あぁ」
「どうして言わないの?」
「昔七夜が言っていた。素敵な人と夫婦になって幸せになりたいと。だがそれは、俺には出来ん事だ」

馬鹿な男だ。馬岱の心がすっと冷えて行く。そんな事律儀に覚えて、叶えてやりたいと思って生きてきたのか。さっさと奪ってしまえば良いのに。それだけの事ができるのに、この男は好きな女の理想になろうとしている。本当に馬鹿みたいに正直で真っ直ぐで、羨ましいとすら感じてしまう。

「七夜は覚えてないかもしれないじゃない?」
「それでもだ」
「…そっか。でも俺は若だったら七夜を幸せに出来ると思うよ」
「根拠も無いな」

あまりにも力なく笑う馬超に馬岱は目を丸くする。それから足元に視線を落とした。

七夜は若が居てくれればそれで幸せだと思うけど。

まぁ、教えてはやらない。


10.06