話を持ちかけたのはこちらからだった。ちょうど、轟が女優と週刊誌に撮られたとき。

まあヒーローショートのファンだという女優が、スキャンダルを狙って腕に抱きついてきて、一瞬で振り払ったけどそのタイミングをまんまと週刊誌にすっぱ抜かれた、という経緯らしい。よくある話だけど、ショートはあのエンデヴァー事務所の所属だと言うのに、その週刊誌の記者は随分と度胸があるなと思った。



「ヒーロー活動以外の仕事が増えて面倒くさぇ」

久々に二人で飲んだときに、轟がそう零した。狡い俺は、「じゃあ時々俺の家に来れば?轟が家と職場の往復で話題性なくて面白くないから、記者が火種探そうと必死なんだよ」なんて適当なことを言ったと思う。頭は良いのに変に疎い轟は、「なるほど」と俺の言葉を鵜呑みにした。

そうして、轟が俺の家に遊びに来ることが多くなった。轟が来た時は、好物である蕎麦を中心に、和食をメインで作ったりしながら、他愛もない話をした。
そうしているうちにパパラッチもおさまった。それは正直偶然だと思うが、轟は俺の提案のおかげと思ったのか、そのまま段々と家に来る頻度が増えて、最近は泊まることも多くなった。どうせなら、と合鍵を渡したら、俺が夜勤の日でも、轟は家に来るようになった。

お互いにヒーロー活動をしているから、顔を合わせる時間は多くないけど、家に帰ったら誰かがいる感覚は心地良かった。

誰かが、なんて、白々しい言い方だったかもしれない。轟だからこんなにも幸せを感じるし、胸が苦しい。そんなこと、墓まで持っていくんじゃ足りないくらい、言えないことだけど。




そんな幸福を感じていたって、ヒーローは難しい仕事だ。不安定になるときもある。そして、まだまだヒーローとして未熟な俺は、その不安定になっているところに、轟がいたから、縋ってしまいたくなった。

「ただいま」
「ミョウジ、おかえり。今日の任務、大変だったな」
「………」
「……? ミョウジ?」

今日は少し重めの任務だった。無傷の人、軽傷の人、重傷だったけど一命は取り留めた人。そして、そして───……。

轟が知っていて、大変だと言っているのは、その事件の規模だろう。まだ詳細は報道されていないはずだ。それでも、大きな案件に携わって大変だったことを、労ってくれてる。自分だって普通に任務があったはずなのに、気遣ってくれてる。

だけど、どうしても無理だった。ソファに座る轟に近付き、ただ倒れこむ。俺の突然の行動に少し慌てるも、難なく受け止めてくれた轟に、人の温かさに、じわじわと思考が溶け出していく。
俺がもっと早くに到着していれば、助けられたんじゃないか?もっと強ければ、速ければ、もっと、もっと。

「どうした? もしかして、怪我したのか」
「いや」
「じゃあ体調が、」
「ちがう、くて、……大丈夫だから、轟、」
「ミョウジ……?」
「なあ、セックス、しよ」
「は、」
「抱いて。俺のこと、めちゃくちゃに、してよ」

好きな奴がおかえりって言ってくれて、自分のことを気にかけてくれて、十分じゃないか。なのに、それで満足してればいいのに、今日は自制できなくて、轟を困らせてるのに、言葉が止まらない。
こんなこと、絶対駄目だって思ってたはずなのに、墓まで天国まで地獄まで、誰にも見せずに抱えて死ぬはずだったのに、ああ、ごめんな、轟。


そう、今日は少し重めの任務だった。無傷の人、軽傷の人、重傷だったけど一命は取り留めた人、そして。
たった一人、子どもを庇った母親だけが、もう息をしていなかった。側にいた子どもが泣く声が、頭から離れない。離れないんだよ。「おまえのせいじゃない」ってみんな言ってくれたけど、それでもその子どもの母親を救えなかった俺は、逃げる権利はない。だけど、苦しいんだ。
忘れさせてとは言わないから、だから、今だけ。

「何も考えられないくらい、めちゃくちゃに、して、」
「……っ、クソ」

轟から戦闘中以外でそんな言葉を聞くのは久しぶりで、言わせてごめん、ままならないことをさせてごめん、と何度も心の中で謝った。


▽▲▽▲▽


翌朝、隣で眠る轟を見て、ああここが天国で地獄か、と思った。
綺麗な寝顔を眺めながら、昨日のことを思い出そうとするも、最中のことはほぼほぼ記憶がない。あの細くて長い指が、俺のお願いのままに後ろを解したあたりのことは、ぼんやりと覚えているけど。

轟は男相手なんか初めてだろうし、むしろ一生経験する必要のない奴なのに、俺の望むままに触れて、暴いて、動いてくれた。何回謝っても足りない。キスだけは一度もお願いしなかった、と思う。それだけは、好き合った人間同士がするべきだ、なんて、こんなことを一方的に求めておいて、言えた話じゃないが。

そこらにあったメモとペンで、「巻き込んでごめん」とだけ書いて、俺の寝ていた場所に置いておく。目が覚めた轟は、まず何を思うだろうか。後悔?嫌悪?軽蔑?怒り?そのどれであっても受け止めるし、むしろそれらを自分に向けてほしいけど、きっと轟は優しいから、ぶつけ方が分からないかもしれないと思うと、また一つ申し訳ない気持ちが積もった。

そのままシャワーを浴びようと立ち上がる。鏡を見ると、左胸に一つだけ残る鬱血痕が、妙に寂しかった。それに触れると、昨日の任務で聞いた子どもの泣き声がすこし遠くなる気がした。


ずっと好きだった奴との初めてのセックスで残っているのは、優しすぎる指の感触と、轟の俺の名前を呼ぶ声だった。
鮮明に頭と鼓膜と皮膚に焼き付いて、まるで毒みたいだ。このまま俺の脳も身体も爛れて、無かったことになれば良いのにと、ありえないことを思う。轟のがすぐには離れそうにないことだけが救いだった。