それから数週間後のある日、インターホンが鳴った。通話のボタンを押そうとして、カメラに写った顔を見て固まった。帽子と、顎まで下げたマスクをしていて少し見えづらいけど、間違いなく爆豪だった。家に来たことなんかないはずなのに、なんで俺の家を知ってるんだろうか。

 居留守で押し通すつもりだったけど、何度も何度も鳴らされるインターホンが、俺が家にいる確信を得ているようで、諦めてインターホンの通話ボタンを押した。

「……はい」
『俺だ。……家、入れろ』
「なんで?」
『ッ、』
「電話とか無視したことは悪かったけど、……もう放っておいてよ」
『うるせぇ……ッ、とにかく入れろ。てめぇが家入れるまで帰らねえ』

 爆豪は基本的には頭が良くて、考え方も割と大人びている方だと思う。だからこうやって子供っぽいことを言うときは絶対に折れない。分かってるけど、だからって、どうすれば良い。家に入れて、それから?もう自分とは関わるなって言うの? 俺から? むしろ、あの日したキスのことを謝りでもすれば良いのか?

 考えても分からないけど、今の爆豪なら本当にずっと居座りそうで、ため息という名の深呼吸をしてから解錠のボタンを押す。エントランスのドアが開いたら、俺の部屋まではすぐだ。心の準備をするには、色々と時間がなさすぎる。



 ドア前のインターホンが鳴って、もう一度深く呼吸をした。妙に足音を気にしながら玄関に立つ。会いたくない、会いたい、会いたく、ない。呪文みたいに繰り返しながら、鍵を開けてドアを開ける。当然そこには、久しぶりに見る爆豪の姿があった。ギリギリ聞き取れる程度の声でお邪魔しますとぎこちなく言った爆豪に、どうぞと返した声は思いのほか素っ気なく響いて、ほんの僅かな罪悪感。

 だけどそんなことを思ったのは一瞬で、ふわりと女物の香水の匂いがしたとき、ああそうか、と思った。心臓が冷え切って世界が黒く暗くなっていく。本当、なんで来たんだよ。口止めか何かか? それとも、他に恋人ができたって、俺との身体の関係はそのまま続くものと思ってる?

 心配しなくたって、俺は何もしないのに。どこかに情報を横流しすることも、お前の経歴に傷をつけることも、絶対にしないのに。だから放っておいてほしいのに、なんで俺は、別の女のモノになった好きな奴を、こんな形で部屋に上げてんだ。何もかもが笑えない。



「……なんで、電話でねぇんだよ」

 なんで? そんなの、俺の台詞なんだけど。抱ければ誰でも良かったくせに、なんで俺を我が物顔で束縛するみたいな素ぶり見せてんの?

 奥歯を噛み締めて、ただ押し黙る。今聞かれる質問に対してどんなことを言っても、自分の胸の内も爆豪のことも納得させられる気がしなかった。結果、「コーヒーでいい?」と的外れなことを言ってキッチンへ向かうことを選択した。

 だけど、後ろから腕を掴まれて、反転して壁に押し付けられる。打った背中は大して痛くない。掴まれた腕だってそうだ。ただ、心臓が痛いだけ。そういえば前にも、こんな風に思ったことがあった気がする。
 触れられた部分が熱い。なんで今更触れるんだろうか。あの日はだめだったくせに。

「離して、爆豪」
「んで、てめぇは、」
「離せよ」
「ッ、うるせえよ……!」

 なんで泣きそうな顔すんの。泣きたいのは、俺じゃないの。お前が何を求めてるか分からないから、俺は。

「急に避けやがって、なんなんだよ。今まで、勝手に連絡してきて、勝手に家来て、物欲しそうな目で俺を、見て、なのに、どういうつもりだよ……ッ」

 どういうつもり。そんなの俺がお前に聞きたい。どういうつもりで俺を抱いて、そこにどういう感情や気持ちがあって、終わった後はどんな心境だった? 俺にとってはお前に触られる日はどれも特別で、お前に抱かれる時間は幸せなんてもんじゃなくて、だけどお前にとってはただ性欲を処理するだけの時間で365日分の一の普通の日常なんだと思ったとき、俺がどれだけ心臓を殺したかきっと知らないだろう。それなのにまた俺の前に現れて、それこそ、どういうつもりなわけ。

「……ただのセフレに、そんな執着してどうすんの」
「………は?」
「ニュース、見たよ。まあ、どこまでホントの報道かは分かんないけど。あの女優、かわいいじゃん。お似合いだと思うけど」

 わざわざ言葉にするには、精神衛生に悪い話題だ。お前の中での俺の存在が、どれだけちっぽけか思い知るから。お前の横にあの女優が並んだ姿が本当にお似合いで、それに比べて俺はヒーローのくせに、そんな女一人にすら嫉妬で頭がおかしくなりそうで。


「今、まで、俺のこと、セフレだと思っとったんか」

 だからこの言葉に一瞬、呼吸を忘れた。ブチ、そんな音が頭の中で響いた気がした。自分の中の何かがキレる音ってやつを初めて聞いた。

「───セフレだと思ってた? 誰が? 俺が? 俺は、俺だけが、恋人同士だと思ってたんだよ。お前に少しでも愛されてると思ってた馬鹿な俺を、拒絶したのはお前の方だろ。お前の目には、勘違いしてる俺は面白おかしく映っただろうな?」
「ンなこと思って、」
「思ってないって? そうでなくても、俺が行動しなきゃ会えなくて、恋人らしい関わり合いがあるのはベッドの上だけで、挙句に焦れてキスした俺を、突き飛ばして軽蔑したのは、お前の方だろうが……!」

 縋るような情けない声になるのはなんでだろうか。どうあがいてもまだ、爆豪のことが好きだからか。人を好きになるのがこんなに苦しいこととは知らなかった。
 珍しくがなる俺を、目を丸くした爆豪が見ている。その瞳を独占したいって今でも思ってることには気付かれたくないのに、一切目が離せない。

「会う連絡はいつも俺からで、家に行くのも俺で、お前が自分から何かするのなんて、セックスしたいときだけだろ……! 俺は本当の意味でお前が、……だからキスだって、けどあの日、あんな形で嫌がって、お前にとって俺は、ただヤれりゃそれでよくて、そんなん、セフレと何が違うんだよ……!」

 好きな奴の特別になりたい。一番近くにいる人間でありたい。他では替えの利かないような、そういう存在になりたい。俺たちはもうそれなりに一緒にいて、何度も身体を重ねてて、その上でだ。

 俺にとってお前はもうとっくにそうなってるのに、お前にとっての俺はそうじゃない。これがどれだけ虚しいことか、どうせお前には分からないだろ。