「………だ」
「何、」
「てめえだけだ、っつってんだよ」
「は……」
一度目は本当に聞こえなかったから聞き返して、二度目は聞こえた気がしたけど、信じられなくて。どういう意味だって聞き返そうとしたら、三度目は言ってくれなくて、その代わり唇にやわい感触があって、呼吸が止まった。それがキスだと気付く頃には唇を割って爆豪の舌が俺のそれを捕まえていた。
壁に縫い付けられていたと思っていた両腕はいつの間にか解放されていて、でも爆豪の手が俺の後頭部と腰に回って密着しているせいか引き剥がせない。どうにか掴めるのは爆豪のシャツ、それも背中の一部だけで、それを力任せに引っ張ろうが爆豪は離れない。
香水の甘い匂いがする。俺じゃない奴の、他の女の匂い。それが泣きそうなほど嫌で離れたいのにキスを気持ちいいと感じてる、浅ましくて馬鹿な自分がいて嫌になる。
角度を変えて何度も重なる唇に酸素が追いつかなくて、身体に力が入らなくなる。合間の抵抗は丸ごと無視されるのでとうとう色んな感情が決壊して、最終的には爆豪の舌を噛んだ。
少し痛そうな声がして、そこでようやく腕の力が緩くなった。思い切り手のひらで胸を押す。結構力を入れたはずなのに、爆豪はすこしよろけた程度だったことが悔しい。
「なに、すんの」
「……てめぇといると、おかしく、なんだよ」
「何が、」
「全部」
珍しく抽象的なことを遠回しに言うから、酸欠気味の回らない頭でその意味を考えなくちゃならない。ぜんぶ。全部って何。どこからどこまで。
「心臓はいてぇし、身体熱くなるし、制御できねぇんだよ。優しくしてぇけど、同じぐらいめちゃくちゃにしてえ。ちょっと触ると際限なく抱きてぇし、だから、てめぇに触んのは夜だけって決めてた」
「………」
「けど、……あの日は、てめぇがンな、キス、なんか、しやがるから、………」
そこでようやく息が整ってきて視線を合わせる。爆豪をまともに視界に入れてみたとき、耳が赤いな、とまず思った。人間の耳ってこんなに赤かったっけ。
そうしたら、やがてそもそも顔が赤いということに気付く。なんなんだ。考えうることとすれば照れや羞恥だけど、爆豪に限って、それは。
「……良い言い方すると、照れ隠しだったってこと?」
「……うるせえ」
「だからってアレは無いと思うけど」
「………うるせぇ………」
どうやら正解だったらしい。ますます理解が追いつかなくて、あの日拒絶されたキスという行為を、今されたってことしか分からない。
:
呼吸が落ち着いた頃、俯く爆豪の横を通り過ぎて今度こそキッチンへ向かった。爆豪は追っては来なかったけど代わりにリビングへと歩いていった。ぺたぺたとフローリングを歩く足音に、どうしてか今更緊張する。
とりあえず水でも飲まないと頭が回らない。いやそんなものは建前で、あけすけに言ってしまえばあやうく勃つところだった。爆豪のキスはそれほど上手くて、今まで何人の女と付き合ってきたのか想像もつかない。また心臓が擦り切れた。
もう色々と思考が追いつかずキャパオーバーで、ここまで来ると、俺の目や耳がおかしいのかと思ってしまう。現実と夢との区別もつかないとか、もしそうなら間違いなく頭がおかしい。だけどさすがにこれは現実のはずで、だとしたら本当に爆豪はまるで俺のことを随分と好きみたいで、いや、でも、まさか。
コーヒーを持ってリビングに行けば、爆豪はソファの端の方に座っていた。二人分のマグカップをテーブルに置いて、自分もソファに座る。コーヒーの香りが漂うと少し冷静になれた気がして、ようやく落ち着いて話ができそうだと思った。
「……さっきは、でかい声出してごめん」
「……別に」
いつだってその横顔から目が離せなくて、それが今でも変わらないことが悔しい。
「……謝んねぇぞ」
「え?」
「前のは、悪かっ、た、けど、さっきキスしたことは、謝んねぇ」
「……爆豪は、俺を、どうしたいの」
コーヒーの苦味が口の中で溶ける。さっきのキスの生々しい感触と爆豪から香る誰かの匂いを上書きしたくて、早々に飲み干した。
「……俺のモンに、なれや」
「自分だけのセフレってこと?」
「ッ、違ぇわ! てめぇが俺を好きっつったんだろが!!」
「言ったよ。言ったけど、爆豪が俺のことどう思ってるかは知らないから」
たまに会って身体を重ねるだけならセフレで良いだろう。この関係に恋人なんて名前がつくと人間は欲張りになるから。俺もきっと恋人同士なんてものに憧れなければこんなことにはならなかった。
いや、違うな。俺は初めから、セフレの方がいいならそれでも良い、なんて健気なことは思えない。お前が他の女のものになるのを、身体だけ重ねて隣にいてあとはただ見てるだけなんて、たぶん俺には無理だ。俺を好きになれそうにないなら最初から関わらないでほしいとさえ思う。
「好き、に、決まっとんだろが」
「え……?」
「てめぇはどうやったら、もう一回俺のモンになんだよ」
俺を好きになれないなら。そう思ってたのに、何言ってんだ。そもそもお前、他の女のこと抱いてきたんじゃないの。他の女に触った腕で俺のこと捕まえて、他の女に触れた唇で、俺にキスしたんじゃないの。
「……ンで、泣くんだよ」
「……女抱いたら、俺のこと、もう本気で抱けないだろ」
「はぁあ?」
「だって今日、香水の匂いするし」
「は……、……これは、てめぇが、」
「俺が、なに」
追求すると爆豪が言いにくそうに口を噤んだ。俺が連絡しなかった間、何回くらい女を抱いたんだろうか。それが疚しくて、だから言いづらいんだろうか。俺はもうお前以外とは無理なのにと思ったら、自分がひどく女々しく思えた。
「てめぇがあのモブ女のこと、可愛いとか言うからだろが」
「………え?」
「前に、何かのドラマん時、可愛いなっつってただろ。あと俺は女なんざ抱いてねえ」
だから予想の斜め上の回答に、数秒沈黙せずにいられなかった。間の抜けた声を出した俺は、そのままの間抜け顔だっただろうけど、それにしても何の話だ。一つ目が分からなさすぎて、その後の話は入ってこなかった。
俺の言わんとしてることが分かったのか吹っ切れただけなのか、いっそ諦めたような表情になった爆豪は言う。
「あのモブ、てめぇの大ファンなんだとよ」
「……あー、爆豪が一緒に撮られてた女優?」
「ああ。てめぇに近付こうとしやがるから死ねと思って、俺に惚れさせて捨ててやろうと思った」
いやまあヒーロー活動云々のときも含め前々から思ってはいたけど、時々とんでもないことをするな、と他人事みたいに思った。
「……ヒーローのやることじゃないな」
「うるせえ、……ただでさえ、てめぇのタイプの女がアプローチかけてきやがったら、俺ァ勝てねえだろうが。抱いても抱かれてもガキは産めねぇし、世間体も良くはねえ。てめぇの親だって望んじゃいねえ」
「………」
「けど、みすみす手放すなんざ御免なんだよ。だからクソほど興味ねえが、相手してやった」
「じゃあ、やっぱ抱いて、」
「ンでそうなんだよ! ヤってねぇし、今日は会うつもりもなかったのにあのモブ女、勝手に待ち伏せしやがったんだよ。んで抱きついてきたから、興味ねえっつって引き剥がしてきた」
臭ェ匂い染み付いてんのか、と自分の服の袖を嗅ぐ爆豪は心底嫌そうな顔をしている。その横顔から目を逸らして、とっくに空になっていたコーヒーカップを指でなぞる。顔が熱い。自分の頬に手の甲を当てて冷まそうとするも上手くいかなくて、カップはそこらに置いて、立てた膝に顔を半分埋めた。
「……あざといことしてんじゃねえわ」
「してない」
「してんだろ」
隣にいる爆豪との距離はいつの間にか、肩が触れるぐらいの距離になっていた。まるで付き合いたてのカップルみたいなその空気が俺たちには場違いだ。
「……爆豪、今日はヤらないから」
「………ん」
「けど、このまま居て、今日何もしないで一緒に寝て」
「はぁ?」
「そしたら、もっかい爆豪のモノになってもいいよ」
「………言ったな」
訂正は聞かねえぞ言質取ったからな、とやけに確かめようとする爆豪に、またクスリと笑いそうになる。これで夜、その胸元にすり寄って迫ったら、どんな顔をするだろうか。
愛では済まされないものの幾つか
愛と言うには重くて痛くて、終わりがないほど心地よい。まるで互いが麻薬みたいだ
title by BACCA
2019.06.05