※何から何まで捏造注意






「なまえ、俺から離れんなよ」
「うんっ」

これは幼い時の、たぶん俺が4歳ぐらいのときの、俺と悟。なるほど夢か、と思うのに時間はかからなかった。

俺たちは異母兄弟で、二つ上の兄──悟は、敷地内の裏山へ一緒に遊びに行く時にはいつもそう言って、手を繋いでくれていた。宇宙を閉じ込めたような眼がきらきらしていて、俺は小さい時、その眼が好きだった。親の顔はもうあまり記憶にない。それぐらい淡白な家族が構成するあの家で、兄だけは俺に優しくしてくれた。

そういえばその頃に一度、不思議なことがあった。朧げにしか思い出せないけど、幼い時に『何か』に会ったのだ。


▽▲▽▲▽


「……あれ?」

そう、あれは確か、俺が松ぼっくりを拾いたいと言って、兄がそれについて来てくれた日だ。いつも繋いでいた手も、その日ばかりは両手ともに松ぼっくりを抱えていた。

そうしてまたひとつ松ぼっくりを拾って、次に顔を上げたら、兄がいなかった。というよりも、自分が知らない場所にいた。どうしてなんてわからない。その空間は、暗い部屋にひたりと水が貼ってあって、大きな動物の骨がいくつも転がっていた。にいちゃん、と呟いた声は少しだけ響いて溶けた。

「何者だ?」

言われた声に振り向くと、大柄なW誰かWが立っていた。顔は見えない。見たのかもしれないが覚えていない。今思えばその呪霊の生得領域だったのだろうが、当時の俺にそんな知識はなく、ただいつもと違う場所に迷い込んだということだけしか分からなかった。

「小童、どうやって此処へ来た」
「え、と。兄ちゃんと、松ぼっくり、ひろってて……」
「迷い込んだということか。こちらが呼び寄せるなどせん限りはあり得んことだが……、まあいい」

そのW誰かWは、子どもである俺を抱え上げた。そして「その兄とやらの元へ帰りたいか?」と問うた。その頃の俺はまだ兄のことが好きだったので、当然こくりと頷いた記憶がある。

「ククッ、そうか。では帰してやらんでもないが、お前も呪術師の端くれだろう」
「じゅじゅつし……?」
「ああ。何かを得るためには、何かを捨てるか、賭けねばならん」
「でも松ぼっくりしか、もってないよ」
「持っている。……まァ、他より遅咲きだろうがな」

そいつは俺の左胸に触れ、何かを呟いた。

「次に会った時、もしもお前が───……」

何か。W誰かWにW何かWを言われた気がする。だが思い出せない。

気付いたら足元に松ぼっくりが散らばっていて、見覚えのある景色の中にいた。気付けば夕方になっている。さっきまでのことはよく分からないが、とにかく帰らないといけない。一緒に来ていた兄はどこだろうと周りを見回したとき、「なまえ!!」と慌てた声で名前を呼ばれた。はっと振り向くと、酷く動揺した兄が走って俺の元へ来て、ぎゅっと抱きしめられた。

「おまえ、なに、なんで、」
「兄ちゃん、いたい、」
「5日間もどこいってたんだよ、おまえ、急にいなく、なって、どこ探してもいないし、っ」
「……に、にいちゃ、ごめんね、ごめんなさい」

必死で謝る俺を暫く抱きしめたあと、兄はぴたりと狼狽えるのをやめた。俺の身体にぺたぺたと触れ、眉間に皺を寄せた。

「──これ、誰にやられた?」
「これ……?」
「ふざけんな、俺はおまえが、……、───」
「兄ちゃん、今なんて……?」

何と言われたのか覚えていない。というか、聞こえなかった。兄はとにかく、かつてないほど取り乱し、俺に纏わりついているらしいW何かWを忌々しそうに視ていた。きっと、視えていたのはその眼を持っていた兄だけだったんだろう。他の親族や屋敷の者たちは皆、俺の無事だったことに安堵し、ただ胸を撫で下ろしていただけだったから。

「どこにも行くな。ずっと、一生、おれのそばにいろ」
「う、ん」

ぎゅうぎゅうと自身を抱き締める兄の背中に手を回した記憶は朧げにある。

後から聞いた話によると、俺は神隠しにでも遭ったように忽然と姿を消し、家中の人間が総出で捜索しても見つからず、兄──悟は顔面蒼白で狼狽えて、俺が帰るまでろくに食事を取らなかったらしい。自分のせいだと、自分が手を繋いでいなかったからだと、しきりに自責の念に苛まれ、俺の安否を心配して、果ては夜に誰にも言わず屋敷を抜け出し、寝る間も惜しんで俺を探しに行ったりもしていたそうだ。

その日から更に兄は過保護になり、そして事あるごとに俺に触れた。その眼に何が映っているのかは分からないが、俺の顔を見て優しげに目を細めるものの、時折抱き締めては俺の左胸に額を寄せて、祈るような声で「お前は俺のだ」というようなことを何度も言った。今思えば、まるで呪いだ。

そうして兄の過保護が悪化してからというもの、自由というものがなくなった。檻猿籠鳥とはよく言ったものだと今になって思う。

俺は自由に外を歩ける兄とは違い、裏山にももちろん行けず、本当に敷地の中の、更に強固な結界内を散歩することしか許されていなかった。だけどその頃は別にそれでも良かった。兄のことが好きだったし、屋敷の世話係もよく俺と遊んでくれていたから、少し退屈を感じることはあっても、それ以上の何かを感じることはなかった。





兄のことが──宇宙を閉じ込めたようなその眼を見るのが嫌いになったのは、俺が7歳のとき。六眼だけでなく相伝の術式も発現できなかった俺は、優秀な兄と全てにおいて比べられ、親はその兄にだけ目をかける。兄は変わらず俺に優しく接したけれど、俺にはそれがまた煩わしかった。何でも持っている兄が疎ましく、妬ましかった。

10歳のとき、五条家の分家の末端へ養子に出るかという話が出た時、俺はすぐに頷いた。使えないからせめて飯代だけでも浮かせて、子どものいない家に売って金にできればという父親の考えは、まだ幼いと言える年齢の俺にも理解できるほど、透けて見えていた。売られるのだということは最初から分かっていて、誰にも──もちろん兄にも──内緒で、その話を受けた。

俺は、兄のいないところへ行けるなら何でもよかった。

▽▲▽▲▽


そうして五条家を出て兄の元を去り、高専にも行かず普通の高校へ通い、呪術の鍛錬をしながら時々こっそりと任務を斡旋してもらって金を稼ぐ。俺を本当の子どものように育ててくれている両親に金を入れようとすると、自分のために貯金をしろと言うので、それなりの額が貯まっていた。
そうして20歳になる頃には、準一級術師になっていた。一人暮らしをし、育ての両親には時々連絡をしながら、思いつきで海外へ行って、呪霊を祓った。日本に帰ってくるのは年1〜2回程度で、家が必要なのかと我ながら思うほどだった。

そんな風に本当に何事もなく自由に生きていると、俺はまるで出自などすべて忘れたような感覚になった。そもそも、誰も俺の元々の苗字を知らない。戸籍もすべて変わっているし、誰かにそんな話をしたことはないから、俺は生まれた時からみょうじなまえだと思って生きるようになっていた。そうだ。思い出す必要はない。過去のことだ。人生の始めの3分の1程度のこと。このまま生きていれば、あの家にいた人生なんて、もっと割合が減っていく。あの頃のことは全て、フィクションだと思えばいい。

「みょうじさんは、立ち振る舞いのその雰囲気が、少し五条さんと似ていますね」

そんなある日、たまたま帰国している時に任務を受け、組むことになった七海さんという一級術師がふとそんなことを言うので、一瞬呼吸を忘れた。「五条さん、ですか」そう一言こぼしただけで、喉がカラカラになった。その名を久しぶりに聞いたし、その苗字を久しぶりに言葉にした。当たり前だ。特級術師、その中でも群を抜いて最強であるその人間と、ただのフリーの準一級術師が関わることなんかない。

「ええ。まあ、貴方は真面目でまともなので、内面は似ても似つきませんが」
「……そうですか」
「雑談が過ぎました、申し訳ありません」
「いえ」

16年会っていないのだ。俺は一方的に知っているものの、向こうはもう俺のことなど忘れているだろう。そもそも、また来月には海外の長期任務へ発つのだから、多忙な特級術師と会うことなんかない。

だから油断していた。あまり誰かと雑談を交わすイメージではなかったから、七海さんに「五条悟に自分のことを話さないでくれ」というようなことを、言っていなかった。








「久しぶり、なまえ」
「……お久しぶり、です、W五条さんW」

七海さんと宿儺の器となった虎杖という少年と、たまたま任務の現場が近かった。風の噂で聞いていた宿儺の器なんていうとんでもない話は気にはなっていて、一体どんな人間かと思いきや、根が優しそうな真っ直ぐな子だったので、あまり何も考えず、少し話をしていた。すると高専の話題になり、担任の話になり、そうしているうちに現れた、16年ぶりに会う兄。目隠しに黒一色の格好でも目立つその人を俺は幼少期以来初めて見たけれど、一目でその人物だと分かる、圧倒的な存在感を持っていた。

二人がいる手前、邪険に扱うことも出来ず、どうにか挨拶はしたものの、今すぐにでも立ち去りたいと思ってしまう。

そんな時、低く響いた声。

『お前、あの時の小童か』
「え……」
「……は?」
「宿儺! お前また勝手に、」
『中途半端に縛られてはいるようだが、完全ではないな』

虎杖という少年の、その頬に口が現れ、その言葉を呟かれたのを合図に、意識が引き摺り込まれる感覚があった。浅く水が張られた骨だらけの領域。見覚えのあるその場所の記憶を呼び起こそうとした頃には、目の前にW其れWは居た。咄嗟に距離を取ろうとするが、瞬時に腕を掴まれて叶わなかった。

『何処へ行く?』
「……おまえ、あの時の……?」
『なんだ、俺を覚えているのか?』
「……此処に、来たことがあるってこと、だけは」
『くくっ、そうか』

腕の力云々よりも、その雰囲気に圧倒される。これが呪いの王。少なくとも、俺がどうこうできる相手ではない。

ふいに腰が引き寄せられ、距離が近づく。不思議と恐怖はなかったが、困惑は止まない。宿儺は俺の心臓の辺りに触れ、「なるほど」と呟いた。

「っおい、離せ、」
『そう急くな。あの時に俺が言ったことは憶えておらんのか?』
「あの時……?」
『次に会った時、もしもお前が誰のものでもなければ俺のモノにすると、そう言った筈だ』

言葉の意味が分からなくて、背中を嫌な汗が伝う。それが幼い自分としたW縛りWなのだということは明白で、それがどれほど大層な相手と交わしたのかということを思うと、さてこれは死んだ方がましな事態なのでは、と真剣に考える。
しかし宿儺は暫くして顔を顰め、呆れたような顔をした。その表情の意味がまた分からない。

興味を無くしたのならありがたいことだが、とにかく沈黙を破ることは出来ず、しばらく静寂を保っていると、宿儺が面倒臭そうに口を開いた。

「……フン、彼奴か。俺の術式を何度も中和しているな」
「え、」
「あの男──あれが兄、とやらか? まあ何にせよ、感謝することだ。本来であれば、今日再び俺に会った時点でW縛りWが発動し、お前は俺のモノになる予定だった。お前を手に入れれば、その気になれば小僧を乗っ取ることも出来るかもしれんのでな」

話の大筋しか分からないが、兄が何かをしたことで、俺は今、宿儺のものにならなくて済むらしい。ついでに、宿儺も虎杖悠仁の肉体を乗っ取れない。
そもそも何故、俺なんかを手に入れたいのか、そんな初歩的なところで躓いている。

「なんで、俺なんかに、そんな縛り……」
「強い呪力を持った者からすると、お前の呪力とは相当、甘美だということだ。簡単に言えば、側に置いておくだけで、俺の呪力が乗算される。……あの男も、嫌に貴様に執着してはいなかったか?」

執着。たしかに、兄の自分に対する態度は、おそらく一般的な兄弟や親族よりも強い執着心だった。それは俺への愛情からくるものと思っていたが、宿儺の話を信じるなら、ただ俺のもつ呪力のせいだったらしい。親からの愛情を感じたことがなかった俺にとって、兄が俺に向けるその感情は、唯一のものだった。それすらも紛い物だったとは、馬鹿らしいにも程がある。

気付けば、見覚えのない部屋の、知らないベッドに寝かされていた。慌ててがばりと起き上がったタイミングで、扉が開いた。そこに立っていたのは、今一番会いたくない人間だった。少し驚いているのが、その黒い目隠しをしていても分かった。
どんな顔をすれば良いのかわからなくて、とにかく此処から立ち去るためにベッドを降りようとすると、瞬間的に距離を詰めたその人物がそれを制し、呟いた。

「おはよう。気分はどうかな」
「……おかげさまで」

そう、よかった。
一つも良くはないのだが、それを言葉にできるほど怖いもの知らずにもなれなくて、口を噤む。隠された目元が何を思っているかなんて、分からないし分かりたくもない。

「単刀直入に聞くけど、宿儺に何された?」
「何も、されてない、です」
「僕に嘘つくの? まあ、視たらなんとなく分かるからいいか」

兄が──五条悟が、目元を隠していた黒い布を取り去った。宝石のような眼に捉えられ、目を逸らせない。あの頃と同じ色。昔感じていた劣等感が顔を出す。
此処がどこかは分からないがなんとなく、誰でも出入りできるような場所ではないことは分かる。この空間には俺と兄しかいなくて、それが嫌だ。

「質問を変えようかな。何処触られた?」
「ッ、」
「教えて、なまえ」

あの頃より柔らかい口調とは裏腹に、あの頃よりももっと大きな強者特有の、逆らえない雰囲気。そっと肩を押されて、ベッドに沈められる。そこに覆い被さられても身体にうまく力を込められず、身動きひとつできない。まるで呪い、みたいに。

ふと、宿儺の言葉を思い出す。俺にかけられた術式を、何度も中和していると言った。それはつまり、あの頃の、兄の言葉が──………。

「抵抗しないの? それともできないのかな」
「っ、」
「でもここまでしても消えないのは、流石に宿儺ってところか。忌々しいね」

悟はあの頃と変わらない眼で俺を見て、俺には愛おしげに目を細めるくせに、W何かWを見て顔を顰める。分からないことだらけだが漸く身体が言うことを聞いたのでその肩を押すが、すこしも動かない。この兄は俺より体格も良く、何でも持っていると思っていたあの時よりも更に妬ましく思う。

「っ、五条さん、離れてください」
「悟」
「は、」
「悟って呼んで。敬語もいらない」

兄は、肩を押して抵抗していた俺のその手を掴み、指を絡めた。再び力が入らなくなり、口が勝手に動く。

「さと、る」
「うん」

絡められた手がシーツに縫い付けられる。片手は自由なのに大した抵抗もできず、呆然と兄を見上げる。なんだこの体勢はと思う前に、その空いた手が俺の顔にかかる髪を指でよけた。自分をベッドに閉じ込めている男を見上げる。満足そうなその顔からは、真意が読み取れない。昔は喜怒哀楽が人並みにわかりやすかった兄の、その考えが読めなくて、俺にできることといえば、視界の中心にその二つの蒼を置くのみだ。

「昔、なまえがいなくなった時だね。濃い呪いの気配は感じたけど、まさか宿儺とはね」
「……関係、ないだろ」
「大事に大事に外堀埋めて、ゆっくり関係を修復して、今度こそ手に入れようと思ってた弟が、昔ほんのちょっと味見しただけの奴に横から掻っ攫われるなんて、そんなの許せる訳ないでしょ?」
「は、なに、いって」
「どうして僕から離れたの? どうしてまだ僕を避けるの? どうしたらまた僕と一緒にいてくれる?」

兄の言うことが理解できない。難しい言葉を使われているわけじゃないのに、ただただ混乱する。自分に対するどうしようもない感情を持て余しているように感じるけれど、それなら尚更分からない。
なんでも持っているくせに。それ以上何が欲しいっていうんだ。

「……なに、言ってんのか、分からないけど。今はもう他人だろ。戸籍だって何だって全部、俺らを赤の他人だって、証明してんだから」

言い終えてから、後悔した。このW兄だった男Wの纏う雰囲気が変わったからだ。この命にそれほど思い入れはない俺にとって、生命の危険というのはあまり恐怖に繋がらないけれど、それでも背中を這うのは、俺の中の何かが脅かされる予感のせいか。

「ああ、そうだね。他人だ」

兄はするりと頬を俺の頬を撫でた。まるで恋人にするかのようなその仕草に、また戸惑う。

「他人なんだから、愛を囁くのはおかしいことじゃないし、その気をもって出かければデートになるし、好き合えば恋人になることもできるはずだし、キスも、その先だって、許されるよね」
「なに、言ってんの」
「なまえだけなんだよ。あの家で、僕に本当の意味で笑ってくれたのはね。だから昔から決めてたんだ。絶対、君を手に入れる」

愛? 家族愛なんていうものでは済まされない何かを向けられているのを感じ、胸がざわつく。
デート? キス? その先? 手に入れる? 明らかに男に、しかも兄弟に対して言う言葉じゃない。

しかし、そこで思い出す、宿儺の言葉。

「んなの、宿儺と、同じだろ。アンタも、俺のもつ呪力に当てられて、勘違いしてんだよ」
「……へえ、宿儺がそう言ったの」

悟の指がつう、と俺の鎖骨から心臓のあたりを指でなぞった。宿儺につけられた呪印が、その強い呪力に反応した気がする。身体に害を感じないのが、より不気味だ。飲み込んだ唾が自分の喉を通る音が、やたらと聞こえる気がする。

「そんなものと僕のこの気持ちを、一緒にしないでくれる?」
「っ、あ」
「何年かけても解呪するよ。なまえは僕のものなんだから。昔、言ったでしょ?『一生そばにいろ』って」
「意味、わかんね、こと、」
「……鈍いね。愛してるってことだよ」

至極真剣な顔で突然言われたそれに、どくりと心臓が音を立てた。当たり前だ。こんな顔の男に言われたら誰だってこうなる。
それだけじゃないと気付いたのは、心臓の呪印が反応し、そして打ち消されかけていると感じた時。

宿儺の話が本当で、悟と宿儺の呪力と術式が今せめぎ合っているなら、いまこの呪印がなくなったらどうなるのかと、この兄の言葉と想いがすべて呪いになるのではないかと、背中がひやりとするが、為す術がない。

それと同時に、誰にも愛されたことがない自分が、誰かから愛を囁かれたことが、こんなにも心臓を温かくするのかと感じた。思わず、それに縋りかけてしまうほど。

「家の奴らが僕のなまえへの感情を危惧して、なまえを売りに出したことに関しては、詰めの甘かったあの頃の僕の落ち度だし、悪かったと思ってるよ。だからこそ今度は、誰にも文句は言わせない」
「きょ、兄弟なのに、バカなこと言ってんなよ……!」
「腹違いでしょ。そもそも、さっき他人って言ったのはなまえだよ?」

嫌いだった筈のその瞳から、視線を逸らせない。何でも視えるその眼が今、俺だけを映しているということが、むず痒くて、そして少し、恐ろしくて。

「ずっと欲しかったんだ。そろそろ、僕のものになってよ」

整った顔がゆっくりと近付いてくる。その切なそうな表情に息が止まる。このままではいけないと思うのに拒めないのは、兄の──悟のかけた呪いのせいであってくれと、切に願う。

唇が離れて、その手がそっと俺の左胸に添えられた。悟は綺麗な眼を細めて笑って、独り言みたいに呟く。

──ああ良かった。呪いは漸く、外れそうだね。



list


TOP