人間誰しも苦手なものは存在する。パクチーが食べられないとか高いところが無理とか、数学とは一生分かり合える気がしないだとか。

 俺の場合、それが元同期である一人の人間だったというだけのことだ。




「ミョウジくん、久しぶりやなぁ」
「……ご無沙汰してます、保科副隊長」
「保科でえぇのに。僕ら同期やんか」
「いや、そういう訳にはいかないんで」

 おつかいで久しぶりにやってきた第3部隊の立川基地で会いたくなかった人物に遭遇した今、俺の心の内が表情に出てはいないだろうかと心配になる。

 同期。保科は事あるごとにそう言うが、一部隊の副隊長を務める男と小隊長にもなれない俺とではまったく立場が違うという事をそろそろ理解して話しかけてほしい。

 俺は保科のことが苦手だ。パクチーが食べられないことで人生に然程の支障が無いように、保科のことをどう思っていようとも差し支え無い。俺の個人的な考えだから誰かに共感を得ようというつもりもない。ただひっそりとその存在を避けて生きていきたいとは思ったから、早々に第一部隊へ異動願いを出したけれど。

 保科は何でもできる男だった。ペーパーテストではその年の選別試験でトップ、体力検査も最上位クラスの成績で、当時の最終試験は討伐と解体だったけどその年は保科だけで6割程度の怪獣が討伐された。あまりにも圧倒的な実力だったので、次の年から試験には解体のみが課されるようになった。

 たとえば保科が才能を鼻にかけたり、鳴海隊長のように戦闘時以外はポンコツだったりしたら多少は人間味を感じてもう少し歩み寄れたかもしれない。だけど保科はなんでも一人でこなし、強さに胡座をかかず常に自主的に訓練を行なうような男だ。そもそも狙撃武器の解放戦力が低いことは本来致命的なことらしいが、それを努力して刀で捻じ伏せているという苦労人な一面もあるのだからある意味隙がない。

 こうも真面目で直向きに努力してその努力を周囲に感じさせず、そしてそれが報われている人間を見ていると自分が惨めに思えてくる。だから保科のことは一方的に苦手だった。

「第1部隊はどない?」
「別に、普通に良くしてもらってます」
「えー、いつ戻ってくるん? 僕待っとるんやけど」
「………」
「寂しくて死にそうや」

 保科はこういう、本気なのか嘘なのかよく分からないことを時々言う。まあ今のはだいぶ大袈裟なので普通に冗談なんだろうが、返答に困るのでやめてほしい。

「保科は大丈夫だろ」
「……大丈夫て、なにが?」
「鳴海隊長とかはあんなんだから手ぇかかるけど、保科も亜白隊長もなんでもできるんだから」

 そう言ったら、少しの沈黙の後に「鳴海隊長は相変わらずなんやなあ」と笑っていた。別に、隊長や副隊長の力量如何で隊を決めているわけじゃないからただの言い訳だけど、ただ鳴海隊長みたいな人の側にいるのが落ち着くのは事実だ。

「……僕、なんでもできる訳やあらへんよ」
「……え、?」
「喋りすぎたわ。仕事中にすまんかった」

 保科はいつものにぱっとした笑顔になって手を振った。方向的に後輩たちの訓練の様子でも見に行くんだろう。

 なんでも出来る訳じゃ無い。保科はそう言ったが、外から見ると十分できている。
 鳴海隊長は圧倒的な才能と実力こそあるけれどその他のことは誰かが世話を焼かなければいけないような人だ。周囲にはその欠点すらひっくるめて鳴海隊長を尊敬している隊員が多いけど、それはたぶん「まああれだけ強ければ出来ないことがあっても仕方ない」という人間味を感じている部分も大きいのだと思う。どれだけ努力をしても解放戦力40%そこそこな自分としては、何もかもが出来すぎる保科のそばにいるよりも鳴海隊長率いる第1部隊の方が少し息がしやすい。なんて、そんなことまで保科に言う義理は無いけれど。





 非番の日は当然、基地ではなく家に居る。鳴海隊長はもはやあの部屋に住んでいるようなものなので例外だが。
 今日明日はオフだから、よほどの緊急招集がかからない限り家でのんびり過ごす予定だった。普通の1LDKのマンション、当たり前だが一人暮らし。だからネットショッピングの配達などが無い限り滅多に鳴ることが無いインターフォンが鳴り、カメラを見る。

「はい」
『ミョウジ、僕や』
「……は? 保科?」
『うん。なぁ、ちょっとだけ家入れてくれん?』

 口調は穏やかだが、1週間ほど前に会った時と少し声色が違うような気がする。そして突然家に来るなんて只事ではないと思い、とりあえずエントランスを解錠する。ウチのインターフォンを押せたということは部屋番号も知っているらしいのでそのまま待っていると、程なくしてドア前のインターフォンが鳴らされた。

 ドアを開けると、すかさず部屋に入ってきた人物ががばりと俺に抱きついてきた。それは言わずもがな保科なんだけど、ちょっと酒臭いし体温が高い。飲んだ帰りかと合点がいったが何故ここに来たかは分からない。

「保科……? マジでどうした?」
「……や」
「とりあえずリビングに、」
「好きや」
「は……」
「せやから、好きや」

 は? と何度も同じ一つの単語しか呟けないのも仕方ないと思う。抱きつかれたままなので顔は見えないがいつものような余裕綽々で飄々とした態度ではなく、縋るように溢したそれをふざけるなの一言で済ませていいものか返答に困る。誰と間違えているのか知らないが、酔って男に告白なんて黒歴史だろう。

「保科、酔いすぎだって」
「酔うてない」
「酔ってんだろ。俺に告ってどうすんだよ」

 そう言った瞬間、壁を叩く音がして目の前に保科の顔があった。ドアに押しつけられたらしいということだけは自分の視界に映る景色でどうにか理解できたけど、何故こうなっているのか分からない。保科な俺の肩口に顔を埋めて動かない。両腕はいつの間にか壁に縫い付けられて動けない。どうしろと? 壁ドンなんていうものが流行ったのは随分と前の話ではなかっただろうか。

「ミョウジが好きや」

 酔っていないと言われればたしかにそう思えるようなはっきりした言葉で、しかし普段とはまるで違う甘く掠れた声が鼓膜を揺らした。息が喉元に引っかかるような心地がして、吐くのも吸うのも上手くできない。

「は、……え?」
「言うつもりなかってん。ほんまやで。言うたらミョウジが離れる思て、第1行ってからもずっと我慢しとったのに」
「いや、え……?」
「鳴海隊長に、ミョウジはボクのもんやとか言われた時の僕の気持ち分かる? あの人の小学生みたいな絡みはだいたい流せる思っとったのに、めっちゃイラついてんで」

 つらつらと話すその口調はいつも通りなのに、声も仕草も何もかもが違うから混乱が止まない。甘えるようにぐりぐりと額を肩に押し付けながら、拗ねたような声で言う。腕はいつの間にか解放されていたけど、保科の腕が腰に回されていて結局抜け出せない。

 いや、というか、好き?
 誰が誰を? この流れだと保科が俺を好きと言っているようにしか聞こえないけど、是非その他の選択肢を掴み取りたい。嫌悪感とかそういうのは不思議となかったけど、じゃあ好きかと言われれば否だ。苦手なだけで嫌いではないけど、それでも好きとは言い難い。

 「とりあえず離れろ」と言ってもそれは無視される。どうするべきか。無理やり抵抗してもいいけど力強いんだよなこいつ。

「保科は俺にどうしろっつーの」
「……分からん」
「………」
「けど僕が頑張っとんのに、ミョウジがW手ぇかかるからWで鳴海隊長の世話焼いてんのはずるいやん」
「いや、それは」
「僕が完璧やなかったら、ウチにおってくれた?」

 ずるい、の意味もその他の意味もよく分からなくて早々に詰む。同期の男に世話を焼かれたいとか思わないだろ普通。とは思うが、保科はやたら真剣なので何も言えない。とりあえず「世話焼いてるのは長谷川副隊長だけど」とまずは答えておいた。

「けどご飯とか差し入れしてあげてるんやろ」
「あの人ゲームに夢中になったらすぐメシ抜くから」
「朝も起こしたるって聞いた」
「自分ではマジで起きてこないからまあ、時々……」
「書類終わらん時にミョウジ呼んだら来てくれるやとかも自慢された」
「副隊長がいない時だけな。ほっといたら不備だらけの書類になるし」

 テンポよく続く会話が苦にならない。保科のことは何を考えているかよく分からない奴という印象だったけど、今のこいつは感情を素直に声に乗せるので話しやすい気がする。

「……ミョウジは僕のこと、嫌いなんやろ」
「……あー……、嫌いではない、けど」

 嫌いではないけど苦手、という言葉は流石に喉につっかえた。どういう意味かはさておき好きと言われたばかりなので、すぐに嫌いだと言えるほど非情になれない。俺が濁した言葉の内心を読み取ったのか、「分かっとるからええよ」と寂しそうな声で言った。何故か胸が痛む。別に嫌いだとは言ってないのに。

「これから仲良うなって」
「っちょ、おい、ここで寝んな……!」
「ほんでたまには、コッチ遊びにきて。僕にも、構ってや」

 僕、ミョウジが思っとるより完璧やないねん。

 保科はそう言って、ことんと俺に体重を預けた。随分とはっきりとした口調だったからそこまで酒は入っていないのかと思っていた。素面の振りして飲めるが実際はそれなりの酔っ払いか。
 流石に支えきれなくてずるずると座り込む。俺の膝を枕にして眠る保科はなるほど確かに、いつもの隙のない保科副隊長ではないのかもしれない。わざわざ酒を飲んで酔ってこんなところまで来て、そんなにも俺に『完璧ではないこと』を伝えたかったんだろうか。

「……とりあえず寝るか……」

 勝手に押しかけてきたとはいえ、部隊の主力である人間を硬い床に寝かせるわけにはいかない。どうにか保科を肩で支えてリビングまで連れて行く。いくらなんでもベッドは譲れないがソファで寝かせれば文句はないだろう。できれば明日にはこいつの記憶が全部吹っ飛んでいることを祈るばかりだ。

淋しさと余白



 ふと目が覚めたら身体が動かしにくいことに気付いて起きあがろうとするも、身動きが取れない。背後から自分の腹に誰かの腕が回っていて、どうにか振り向けば案の定保科だった。寝たふりをして嫌がらせをしているだけと思ったら本当に眠っているようで、そのくせ無駄に力が強い。そこそこの大きさの声で呼びかけても唸るだけで起きない。

 どうにか腕の中から抜け出し、保科には布団を被せておいた。いつの間にベッドに潜り込まれたのかは知らないし考えても無駄なので思考は止めた。「保科」もう一度呼ぶが返事がない。こうして見るとずいぶんとあどけないような気がして、自分と同じ人間であることを改めて知る。カーテンを開けて部屋を明るくしても起きる様子はない。疲れているとはいえ、ここまで寝起きが悪いらしいことも知らなかった。

 また一つ保科の『完璧』が崩れる音がした。







2022.07.08