「あ、影山。おはよ」
「……はよ」

今日は体育館の点検だか何だかで朝練が無いらしい蛍と忠と一緒に登校し、それぞれの教室で別れる。席に鞄を置いてふと後ろの席を見ると、珍しく英語の教科書を見る影山。見る、というより睨みつける、という感じだけど。

「珍しいな。英語?和訳してんの?」
「……しかけてるとこだ。今日、当たる……らしい」
「あー」

英語の授業は昼休みの後だ。それなのにこのHR前の時間から手をつけているのは、影山がものすごく勉強が苦手だからだ。英訳など、はっきり言って休み時間を全部使ったって終わらないだろう。けどウチのクラスの英語を担当する先生はなかなかに熱心で、たとえば生徒間の英訳の丸写しを良しとしないので、誰かのを見せてもらうのも得策じゃない。

「あー、手伝おうか? 今日のとこなら一応教えられるし」
「!! ほんとか!!」
「ん、いいよ、」

「──ナマエ」

承諾の意を返答しようとしたら、やや冷たい声が降ってきた。影山があからさまに嫌そうな顔をしたために、振り向かなくても誰か分かってしまう。というか、俺がその声を誰かのものと聞き間違えるわけがない。

「蛍。どした?」
「……別に。今日の昼休み、僕ちょっと呼ばれてるから、山口と先に食べててって伝えにきただけ。……王様に勉強教えてんの?」
「あ、うん。今日当たるとこだけな。俺は蛍みたいに頭よくないし」
「……ふーん」

ここでいつもなら、蛍が影山に嫌味ふっかけて喧嘩勃発、デカい二人に170cmあるかないかの俺が割って入って喧嘩の仲裁……みたいなことになるところだが、今日はそうならなかった。じゃあね、と静かな声で、蛍が背を向けたからだ。
珍しいこともある。影山も少し不思議そうな顔をして、首を傾げていた。まあ、喧嘩しないならもちろん、それに越したことはない。


▽▲▽▲▽


そして迎えた昼休み、忠の待つ4組の教室で、弁当を広げる。3人の中で唯一の4組である蛍が不在なのに、我が物顔で蛍の前後の席を借りるのは流石にちょっと申し訳ないとは思ったけど、4組の人がそれを気にする様子はない。みんな優しいな……。

いつも通り他愛ない話をしながら、弁当のおかずを平らげていく。唐揚げうまい。美味いものを食ってる時が一番幸せだ。今日も平和だなあと思った。この瞬間までは。

「テメーじゃねえよ。アイツに礼するっつってんだ」
「ナマエは昼ごはん食べてる最中デショ? 王様がありがとうって言ってたよ、ってこの庶民が伝えておきますよ」

……教室のドアに並び立つ二つの長身。山口は苦笑いしてるけど、他の生徒は何事かとチラチラ見ている。しかし影山と月島だと分かると、すぐにいつも通りの雰囲気になった。みんな慣れたんだな。慣れるほど喧嘩するあいつらどんだけ。

「あー、蛍、昼ごはん食べな? 影山はどしたの、俺に用ある感じ?」
「! あー、あの、英語、助かった」
「あ、英訳終わったの? 間に合って良かった」
「おう。そんで、」
「ちょっと、ナマエはおとなしくご飯食べてなよ。王様も、もうお礼言ったしいいでしょ。帰りなよ」
「うるせーなてめえには喋ってねえ!」
「影山、落ちついて。蛍もあんま煽んないで……」

未だ睨み合いを続ける二人をなだめていると、蛍が俺の手を握った。……手を握った? 掴んだとかじゃなくて?

「王様は同じクラスなんだから、ずっとナマエと一緒にいられるでしょ。昼休みくらい邪魔しないで」

蛍はすっぱりとそう言いきって、頭の上にはてなマークを浮かべる影山を無理やりくるりと背を向けさせて教室の扉を閉めた。俺はなんだかよく分からないけど、掴まれた手が熱い。え? なんでこんなデレをいきなり発揮されてんの? 蛍の横顔を見つめつつ手を引かれるままに忠の元へ戻ると、手は離された。

「おかえりツッキー!」
「うるさい山口。……いただきます」
「え、いや、蛍……?」
「なに?」
「何って、それは俺の台詞なんだけど」
「同じクラスだからって、王様ばっかりずるいデショ。僕のなんだから」
「……え、誰が?」
「言ったほうがいいの?」
「遠慮しときます」
「あ、そ」

ふっ、と口元を緩めた蛍に、なんだか変に顔が熱くなる感覚を覚えた。忠に助けを求めるけれど、にこにこ笑っているだけで、何も言ってくれそうにない。なんでだよ。なんで俺だけ訳がわかんないんだよ。

黙って口に入れた残りの唐揚げの味は、なんだかよくわからなかった。向かいに座っている蛍の、やけに柔らかい視線の所為だ。
mine

「絶対調子に乗るだろうから、王様とあんまり仲良くしないでよ」と無茶を言う蛍の、その耳だけが真っ赤に染まっていた。




2020.12.19