清峰葉流火の三大欲求は食欲と睡眠薬と、そして野球欲だと思っていた。そんな俺にとって、成り行きで野球部のマネージャーになった俺と清峰しかいない部室でその清峰が突然言った「キスがしてみたい」という言葉はあまりにも予想外で動けず、そしてそれを何故か了承と捉えたらしい清峰が屈んで顔を近付けた。それらしく顔が傾けられていたことで経験があるのかと思ったが、「初めてした」と言うので感覚的にそうしたらしい。
「え、なに、は……?」
「……よく分からなかったから、もう一回」
「いやいや待て。てか、え、何してんの」
「ダメか」
「いやダメだろ。こういうのは好きな人とやるもんだから」
「……分かった」
清峰は少し不満げな顔をしながらもあっさりと頷き、「また明日」と行って帰っていった。本能的に生きすぎてないか? 俺が言ったことを言葉のまま間に受けて好きな女子にいきなりキスとかしたらどうしよう……。あまりに驚いて何もできなかったけどもしかして一発ぶん殴って教えてやるべきだったのかもしれない。名も知らぬ清峰の想い人を想像して、いくら顔が良くても流石に許可なくキスするのはまずい……などと不安になっていたが、そんな不安は色んな意味で次の日に払拭されることになった。
「やっぱりミョウジとしたいと思った」
「ちょ、お前、ちょっと待て」
次の日、柔軟を手伝っていたら清峰がいきなりそう言った。昨日と違ってここは部員がいるグラウンドである。絶賛朝練開始前なので全員ではないがそれでもそこそこいるのだ。そこまで大きな声ではないので外野の方にいる人には聞こえていないだろうが、肩慣らしにキャッチボールをしている二遊間やヤマと要のコンビには聞こえる可能性がある。
「頼むから人がいるトコでは言うな。マジで」
「なんで」
「なんでも。他の奴に知られたら絶対に二度としない」
「……分かった」
この場を収めるための俺のこの返しが正しかったか否か。結果的に後者だと分かったのは昼休憩の時、空き教室に連れ込まれてからだった。
「ッん……、っ、も、やめろって……!」
「誰もいなかったらいいって言った」
「言ってねえわ……!」
普段あまり使われていない教室は特有の埃っぽさがある。そんなところに連れ込まれただけでなく、ただ一瞬唇を掠めただけだった昨日よりもそれはもう明らかに明確にはっきりとWキスWをされて戸惑う。中学の時に一応彼女はいたからキス自体は初めてじゃないけど、こんな風に何回も触れては離れて、しかも腰と後頭部に回された腕の力の強さと強引さを感じさせられる行為なんて知るわけがない。
圧倒的な腕力の差を感じつつもなんとか清峰と体半分程度の距離を取って考える。懐かれている自覚は多少あった。でもそれだけだ。幼馴染だという要が絶対的に近い存在だし、その次には山田と千早と藤堂がいる。俺はせいぜいその次ぐらいだろう。父親がスポーツトレーナーをしているから人よりちょっと筋トレやストレッチに詳しいので少し助言をしたのと、練習での投げすぎを軽く咎めた程度だ。あとはマネージャーとしてドリンクを作ったりタオルを手渡したりという当たり前の関わり方しかしていない。なのに、どうしてこうなったのか。
そうしている間にまた腰に回った手に力が込められて距離が近付く。あの豪速球を投げるには間違いなくこの馬鹿力が必要なのだと思い知る。
「お、まえマジ、いい加減にしろ……!」
「なにが」
無理やりキスをしておいてこともなげに見つめる清峰の目は今日もやたらと澄んでいる。俺はどう考えても怒っていい場面のはずなのにあまりに真っ直ぐなので呆れることしかできず、俺の口からはついため息が漏れた。
「……こないだ言っただろ、こういうのは好きな子とすんだよ」
「? ミョウジとしたいと思った」
「……いや、だから……。あー、そもそも俺は普通に女の子が好きなんだけど。中学ん時彼女いたし」
「……絶対そいつより俺の方が野球上手い」
「どこで張り合ってんの?」
清峰がどこか拗ねたような不機嫌な表情を見せる。不機嫌になりたいのはどう考えても俺の方なんだけどと言ってやりたいが、野球に全振りしていてその他はてんでアホな清峰に言うだけ無駄だ。
「あー、俺の伝え方が悪かった。『好き合ってる人間同士』がやるもんだから、今回の場合は俺がお前を好きにならないと始まらないわけ」
「……俺のことキライなのか」
「いや、んなことはないけど、そうじゃなくて……。てか、お前こそ俺じゃなくてほら、要とかさ、そっちのが好きだろ?」
「? 圭は友達。あとはキャッチャーとして俺の球を捕る」
「………」
日本人と話してる筈なのにこんなに絶妙に日本語が通じないと感じることってあるのか。絶望しながら「とりあえず昼メシ行くから」と逃げた。今ぶっつけで話しても、両思いとか恋人関係とかそういうことをコイツに伝えられる気がしない。会話を成立させるために下準備が必要なんて初めての経験すぎる。要か二遊間に押し付けたい、切実に。
「ミョウジ」
「うわ、何」
「好きになってもらえるように頑張る」
「は……」
「名前、ナマエで合ってるか」
「え、あぁ、うん……?」
「俺は清峰葉流火だ」
「いや知ってるけど……」
「葉流火でいい」
「………」
好き合っている人間同士がどうのこうのと言ったからか、何故か清峰は頑張るらしい。結局あのキスがしたい発言は、W俺とWという意味だったのか? 謎すぎる。ほぼ宇宙人だ。
しかも何の脈絡もなく名前を確認されて(そして清峰の名前も何故か教えられて)、名前呼びを求められている。けど何故かどこか嬉しそうなコイツを前に断るなんてことはできないしでどうしようもない。
とにかく掴まれた腕のその力はとんでもなく強くて了承するまで離してもらえなさそうだったのでとりあえず「分かったから離して」と、何が分かったのか分からないが伝えると、あっさりと腕は解放された。すると、普段死ぬほど無表情な清峰がほんの少し微笑んだ。
今更キスされた時の感触を思い出したのもやたら心臓の音が煩いのも、コイツが本当に顔だけは良いから。絶対にそれだけだ。
リアルタイム・プロローグ
その日の部活から当然のように名前で呼ばれたが野球部の同学年メンバーは特に驚かずただ目を逸らした。
後からこっそりヤマが教えてくれた話だが、清峰は練習には集中しているものの、合間合間で非常に分かりやすく俺を見ていたらしい。俺は動揺してスポドリの希釈率を間違えるところだったが、清峰はいつも通り調子良さそうに球を投げていた。
忘却バッテリー最新刊まで読破した記念
2024.09.08