男を捕らえた。
 今回のお目当てだったお宝、そこで鉢合わせた男だ。その男は暗殺者だったようで、鮮やかな手際でターゲットと思しき女を殺し、そのまま去ろうとした。

 普段なら、自分たちに害をなさない限り、顔を見られたぐらいでは追わず放っておく。しかし俺は気付いたらそいつを追いかけていた。逃げ足はかなり速かったがこちらは蜘蛛の数人で今回のミッションに来ていたため数の有利もあり、最終的には男の腕を掴んで壁に押し付けた。
 男は美しく整った顔をしていた。この顔で近付かれ誘われれば大抵の女は二人きりになることを厭わないだろうなと思う。先ほどの女の末路を考えると笑えた。捉えたその腕は鍛えられているものの、細くしなやかだった。
 男からの抵抗らしい抵抗といえば、捕らえる時に左足の蹴りをくらったことくらいだろうか。







「どうだ、フェイタン。何か吐いたか?」
「何も。あの男、普通じゃないよ」
「ほう」
「拷問慣れてるね。訓練されてる奴の顔ね」

 結論から言うと、男は捕らえた以降は一切の抵抗を見せず、おとなしくアジトまでついて来た。元が相当の実力者であるためマチの糸で縛り付け、さらに以前手に入れたお宝のひとつである、強制的に絶状態にする腕輪を嵌めた。

 ただただ、興味があった。男が何者なのかということも、そもそも自分が何故この男に興味を持ったのかということも。それを知るためにもまずは情報からだとフェイタンに拷問をさせてみたが、何一つ口を割らない。それどころか、悲鳴も上げず、果ては眉ひとつ動かさないときた。痛みは少なからずあるはずで、しかし、それをまるで感じていないかのように平然としている。

「爪は2枚剥がしてやめたよ。続けても無意味ね。酸も平気、電流も無駄、致死量ギリギリの毒なんかはそもそも効いてないね。おそらく耐性あるよ」
「ふむ……」
「あとはもう飢餓か快楽、それ試して無理なら打つ手なしよ」

ますます興味が湧いたのでフェイタンを一旦下がらせて、男を幽閉している部屋へ向かった。フェイタンの報告通りの拷問を受けたにしては確かにあまりにも平然としていた。というか、穏やかな寝息をたてて眠ってすらいる。俺の気配で目を覚ましたが、成る程、確かに普通ではない。

「初めまして。俺はクロロという。お前の名は?」
「………」
「名前くらい良いだろう」
「……、死ね」

 男は興味なさそうにため息を吐くとそれだけ言って、また目を閉じた。何をされても取り合う気がないというのが手に取るように分かる。無関心。それは数々の拷問についてだけでなく目の前の俺にも、そして自分の生き死ににもきっと。

 少し俯いた男の顎に手をかける。先ほど蹴りをくらったこの左手はさっきまで折れていた。マチに縫ってもらったが、この左手で男に触れるのは、とても良いと思った。

 無理矢理視線を上げさせられたことで、迷惑そうに俺を見る目はあまり見慣れない視線であり、少しぞくりとした。改めて顔を見ると本当に整った容姿をしている。ファイタンに顔には傷つけるなと言っておいたから、首から上は無傷だ。

 上等なスーツ、それに着られない程度の容姿。眼はくるりと大きく、伏せれば睫毛が影を成す目元はきっと、多くの人間の視線を集めただろうと思った。──いやきっと、女だけでなく、男からも。
 暗殺にはいっそ不向きかと思えるほどの華やかさは今回の仕事がパーティー会場での潜入だからか、それとも着飾らずともそうなのか。

 吸い寄せられるようにしてそのまま唇を食んだ。瞬間に走る、鋭い痛み。

「ふ、そう邪険にしなくてもいいだろう? ただの挨拶だ。それとも童貞か?」
「その見目でその性根、とても残念だな。周囲に囃し立てられて育ってきただけの自意識過剰男とは」

 そうして男は、ぺろりと自身の舌を舐めた。そうしてまた無関心にも瞼を降ろそうとするため、俺はすかさずその目尻を撫でた。

「喋れたんだな。ただの人形を捕らえたのかと思っていたが」
「それはどうも。まだ何か?」
「この眼はとても反抗的で良い眼だが、情報を吐きはしないのに自害もせずに捕まったままとは、もしかしてまだ俺たちから逃げられるとでも思っているのか?」

 男はまた呆れたような表情で俺を見上げた。言葉を聞かなくとも、言いたいことはすぐに分かった。隠し通すこともできただろうに、わざわざ目で言っている。「どうせ何も喋らせることはできないから殺してみろ」と。

 この男を屈服させたい、と心底思った。これが征服欲というものなのだろうか。価値ある宝を手に入れてみたいと思ったことはあれど、一個人に抱く感情としては本でしか見たことがなかった。もっと柔らかなものであるイメージだったが、こんなにも黒く禍々しいものだったとは。

 知りたい。そうまでして守り抜く情報、秘密、それでいて舌を噛み命を絶つ気配もない、生死をこちらにまざまざと委ねる理由。

 飢餓か快楽、とフェイタンは言ったがおそらくどちらも意味がないだろうなと思った。試すとしたら、より時間のかからない後者か。

 男の腕と脚を椅子から外した。両手を纏めて拘束したままだったので、ごきりと関節が外れたが構わない。絶になる腕輪も残したままなので、逃げる素振りもなくされるがままだった。おそらく、この先の展開を理解しているのだろう。

 男をベッドに投げ、その上に跨った。表情は変わらない。それどころか哀れむような感情すら感じるその瞳は美しく、素直に心惹かれた。

 そうしてただ単純に、男を抱いた。さほど興味もない人間を相手に性欲処理をする際に使ったこともあるローションが残っていたので雑にだがそれなりに後ろを解し、自分としてはそれなりに激しく数回致したつもりだったが、男は終始目を閉じていた。

 そうして最後に、男の額に唇を落とせば、「キスして」とやや甘い声で言う。促されるままに唇を重ね、誘われるがままに舌を入れた。そして舌を数度絡ませたところで、体の僅かな痺れと、急激な眠気に襲われた。やられた、と感じたときには男は俺の下から抜け出しており、「お前なら数分で目覚めるよ」という言葉と、ごきりと骨の擦れる音が聞こえた。自分への外傷ではない。そいつが関節をはめ直した音だったということは、後から分かったことだった。

 男はいつでも逃げられたのだ。わざと捕まったままでいた。その事実も、とても興味をそそられた。








 それからというもの、ありとあらゆる方法で男を探したが見つからなかった。まんまと逃げられた悔しさだとか男のプライドであるとか、そういったものから生まれた行動ではなかった。名を知り能力を知りあの日見せた以外の表情を知り、何の利益不利益も考慮せず、そばに置いてみたい。それはどんな宝石や絵画や歴史的価値のあるものを持ってしても埋められない強欲であり、純粋な願いだった。

 手がかりも掴めないまま時が過ぎるなか、それは突然訪れた。

「で、今回の依頼は? 手短に教えてね、オレ忙しいから」

 イルミに仕事を頼むことはそう多くないが、イルミのこの単刀直入な言い方や話し方、音もなく現れるところ、それらはすでに慣れたものだった。

 違ったのは、今日は一人ではなかったということ。隣にいたのは、ずっと探していた、あの男。

「クロロ?」
「……他の人間を連れてくるのは珍しいな」
「ああうん、スケジュールの調整のためにね」

 答えになっていないような気もしたが、そうか、と返事をして、仕事の依頼を進めた。仕事の内容、ターゲットの情報、その他殺し方の希望に至るまで、こちらが提示したものにはすべて了解の意を示すイルミは、あらゆることに無頓着だが仕事に関しては至極真面目だった。これも慣れたもの。ただオレが、いつも通りイルミと話すなか、意識をその後ろに持っていかれているだけ。

「じゃああとは日時と報酬額だけだね。───ナマエ」

 イルミが、一歩後ろに控えていた男を読んだ。ナマエ。それがこの男の名前。知りたかったことがひとつ知れた、それだけでとても舞い上がる心地だった。まるで昔読んだ恋愛小説の主人公のようだと思うと、自分を嘲笑いたくなる。

「はい、イルミ様」
「オレもう次の仕事行くから、話まとめて後で報告して」
「承知いたしました」
「クロロ、あとはこいつと決めて。じゃあね」

 こちらの了承など有って無いようなものであることはいつもの事で、だから無言だった俺にも特に不審に思わなかったのだろう。それは、俺がポーカーフェイスを保てていたおかげだけでなく、目の前の男があまりにも普通だったことも、要因のひとつだと思われた。

「……ナマエ」
「クロロ様、日程の件ですが」
「ナマエって言うんだな。ずっと探していた」
「来週末、時間は22時から23時で宜しいでしょうか」
「俺のことを覚えているか?」
「お支払いの額につきましては、極力クロロ様の希望の額で受けろと事前に仰せつかっております。ご提示いただける金額は御座いますか」
「……ああ、あるな」
「お伺いしても宜しいでしょうか」
「いくらでも払うから、お前が欲しい」

 そう言うと、男は無表情のまま初めて俺を見た。さっきまでも一応目は合わせていたが、まるで俺を見ていなかったその男が、ナマエが、俺を。

 その顔は、あの日と変わらないまま滑らかで美しい。手の甲でその肌に触れると意外なことに抵抗を示さなかった。ナマエはなんの感情もない瞳で俺を見ている。

「……金額が決められないようでしたら、こちらからある程度ご提示しても宜しいでしょうか」
「お前が手に入るならいくらでも良いと言ってるだろ」
「口説き落とせなかった奴を金で欲しがるなんて、とんだ屑ですね」
「それが素か?」
「でしたら何か?」
「いや。静かでお淑やかなだけの男よりそっちの方が好みだ」
「そうですか。では特に希望の額はないとお伝えしておきますね」

 顔に触れていたその手をやんわりとどけられて男が一歩下がる。あの日だって捕まえるのには数人がかりでも苦労した。あの逃げ足で出ていかれては再び会うのに骨が折れると、咄嗟に腕を掴んだ。

「まあ待て、さっきの言葉を一言一句違わずイルミ伝えろ」
「伝えたところで何も変わりません」
「ほう。何故?」
「俺の生涯はあの方のものだから」

 男はそう言って俺の髪に触れた。その視線はまるで俺を見ていないくせに、とても穏やかな目をして。

「あの日何もかもを許してあげたのは、あなたの髪と瞳が、たまたまあの方と同じ色だったからです」
「……俺をイルミと思って抱かれたってことか?」
「解釈はお任せします」

 にこりと音がつきそうなほどわざとらしい笑みを貼り付けてナマエは去ろうとした。ここで逃せば次にいつ会えるか分からない。再度その腕を掴んで引き寄せれば、「お支払いいただける金額は決まりましたか?」と平然と言うので、とりあえず2億と伝えた。

「連絡先を聞くのも駄目か?」
「通常は依頼の一次受付窓口として交換する場合もございますが、あなたのようにイルミ様に直接ご依頼をいただいている『お得意様』には聞かないのがルールです」
「なら、イルミに許可を取れば問題ないんだな」

 ナマエは少しだけ眉を顰める。人形のようにすました面よりそっちの方がいいなと思った。

「……ハァ……。何故そんなに俺に拘るのですか? アンタなら他にいくらでもいるでしょう」
「他には興味がない。そもそもおまえみたいな美しくて強い男がそうそういると思うか?」
「よほどの男色家でなければ、前提としまして女を漁ることをお勧めします。その顔ならばたくさん釣れる」
「お前がいい、他の男も女も要らない」

 ナマエはまたひとつあからさまなため息を吐き「書くものはございますか」と問うた。手首を掴んだまま反対の手で差し出せば、邪魔くさそうにしながら紙切れにペンを走らせた。

「……本当に教えてくれるとは思わなかった」
「ここで断ったらイルミ様にご迷惑がかかると思いましたので」
「察しが良くて助かるよ」
「よく言われます」
「……イルミにか?」
「ええ。もちろん」
「そんなにあいつがいいのか?」
「比ぶべくもないですね」

 そろそろ離していただけますか、と少し語気を強めて言われてしまっては離さざるを得ず、掴んでいた腕の力を抜いた。執事服の襟を正すその所作は洗練されていて、暗殺一家などという血生臭い家に仕えているとは思えないほど優雅で美しい。

 これ以上引き止めるのは逆効果だと判断し、おとなしく距離を取る。ナマエは対クライアント用と思われる恭しいお辞儀をし、その場を去った。




 自分は盗賊であり、狙った獲物はモノにする。とはいえゾルディックとなると流石に難攻不落ではあるが、しかし、だからこそ手に入れたい。

 あの日の行為では何の反応も示さなかったが、それは心が伴っていないからだ。たとえば心酔するイルミに抱かれる時はきっとまた違う顔を見せるのだろう。ナマエが他の男に抱かれている様など想像したくはないが、あれはさすがに初めてではない。
 そもそもあの顔ならばハニートラップで男も女も誑かしてしまった方が暗殺は楽だろうし、逆にそういったことを仕掛けてくる同業がいる場合を考えても経験がなければ対応できない。

 とにかく、ナマエにとって、イルミ及びゾルディック家以外は有象無象なのだろう。それでは意味がない。まずはクライアントとしてではなく「クロロ」と呼ばせるところからだろうか。

「……シャルあたりと作戦会議だな」

 シャルやマチあたりには言ってもいいかもしれないが、他のメンバーに大々的に言うと五月蝿そうだ。まずは少数精鋭を募って手に入れるための計画を立てなければ。


トレモロ

 
 この後、別の獲物の件で集合をかけた際にヒソカの口から「ナマエ」という単語が発せられ自分の獲物だと言われ、まずはこいつを始末しなければと思うことになるなど、この時の俺は知る由もない。




2026.07.08