何も答えない俺に、腕の力が強くなった。背中を撫でられ、か細い声で「おしえてくれ」と言われた。強く気高い水柱の、こんな声は聞いたことがない。

「俺が嫌いになったなら、何がいけなかったのかを聞きたい。俺はひとの感情の機微に疎いから、……後生だ、教えてくれ」
「俺は、……」

 俺は、俺の望みは、きっとこの人が俺に向けるより遥かに重く、融通の利かないものなのだろう。自分がこの人の特別でないことが耐え難く、そして同時に、そんな感情をもつ自分がいることが遣る瀬無い。

 何から伝えたらいいか分からない。自分が何を欲しているのかも曖昧で分からない。

 何故、誰かの為に腹を明け渡したりしたのかと詰め寄りたいけれど、ただ夜を共にするだけの俺にそれを聞く権利はない。では命を懸けてしまった後、俺にそれを教えてほしかったと縋りたいが、それも同じくだ。義勇さんが俺に話す義理はない。

「善処する。もう一度、おまえの全てに触れていいと言ってもらえるまで」

 触れてはいけないなんてそもそも言わない。むしろ、好いた人に触れてもらえるだけで幸福だ。──少し前まではそう思っていたのに。

「俺、我儘なんです」
「……わがまま」
「そうです。そして、自分でも図々しいと思うほど、浅ましくて欲深い」

 貴方に触れられるだけで良かった。貴方に口付けをされるだけで満たされた。抱かれているときなどは、たとえそこに特別な感情がなくても、ただの性欲の捌け口だとしても、幸せでどうにかなりそうだった。

 ところが、どうだ。自分の知らないところで、義勇さんが誰かの為に命を懸けていたことを知って、心臓が焼け付くように痛かった。その時、貴方の唯一の存在になりたかったのだと、自分自身の愚かな考えを知った。






 外で抱き合うのは目立つからと、義勇さんを家の中へ招き入れた。なかなか俺から離れようとせず、ようやく説得して玄関まで進んだものの、玄関でまたゆるく抱きつかれて動けなくなった。更に説き伏せて居間にたどり着いたところで、いよいよ堪えられなくなったらしい。押し倒され、そのまま覆いかぶさるように、全身でぴたりと俺にくっつかれた。

 欲深いと俺が伝えたからなのだろうか。俺を抱いてやって、それでもう一度、今までの関係を続けようという事だろうか。

 少し前まではそれを幸福に感じていたのに、今では虚しくて、気付いたら目尻が濡れていた。

「……泣いて、いるのか」
「……ぃて、ません」
「そんなに、嫌か」
「抱くんですか、俺を、今から」
「……ナマエが嫌なら、抱かない」
「………」
「おまえはどうしてほしい」

 どうしてほしい? 明確に答えられなくて、また沈黙を作ってしまう。俺はどうなりたいのだろうか。何が知りたいのだろうか。

「あと何度、貴方に抱かれれば、特別になれますか」
「……は、」
「貴方の、特別になりたいんです。それこそ、貴方に命を懸けてもらえるくらい」

 義勇さんの息を呑む音だけが聞こえて、再び訪れる静寂。元々、口数はめっぽう少ない人だ。だからこういう雰囲気も珍しくない筈なのに、今はこの無音が耳に痛かった。義勇さんは俺に跨ったままで、俺は顔を見せたくなくて腕で目元を隠したまま。だからどんな顔をしているか分からなくて、何も言えない。

「…………それは、つまり、俺のことは嫌いじゃないということか」

 長い長い沈黙のあと、義勇さんが言ったのはその一言だった。嫌いになれれば楽だった。物理的に離れればその気持ちも切り離せるなら、こんな風に情けなく涙が出ることもない。

 好きとか嫌いとか、そんな次元の話じゃない。

「会いたくなかった」
「………」
「手に入らないのに、会うと全部欲しくなるから」
「………それは」
「貴方にとっては、ただの性欲を処理する手段のひとつであっても、俺は」
「っ待て、なんだそれは」

 義勇さんが俺の身体を起こす。顔を見られたくないので少し離れようと抵抗してみたが、やはり力では敵わない。ものすごく筋肉があるように見えないのに、どこにそんな力があるのか疑問だ。無理矢理に目を合わせられ、深い海の色と見つめ合う。

「ずっと、そう思っていたのか」
「? ……はい」
「……最中に何度か、伝えているつもりだった」
「……? 何を、でしょうか」

 義勇さんは抱き起こした体勢そのままに俺を抱きしめて、深くため息をついた。呆れましたかと聞けば、自分に呆れているんだと返ってきた。

「……俺は、貴方が誰かのために命を懸けていることを知って、苦しくなりました」
「……知っていたのか」
「知らなかったんです。胡蝶さまに教えていただくまで。知らなかったから、それが悲しかった」

 こんな女々しいことを言うつもりじゃなかった。なのに、錯覚させるから。義勇さんが、俺が嫌っていないのだと分かったとき少し嬉しそうな顔をしていた気がして、もしかして俺に少しでも好意をもっているのではと錯覚させるから。三ヶ月も離れられていたのに、今はもうこの温もりに溺れたくなっている。

 義勇さんは「悪かった」と呟いた。声に感情が乗らないこの人には珍しく、ばつの悪そうな声だった。

「言い訳になるが、おまえに、……余計な心配をかけたくなかった」
「俺の心配は余計なことでしたか」
「違う。……いや、俺の言葉が悪い……。だから、そうではなく、……」
「分かってます。俺なんかが、柱である貴方を心配する必要なんか無いことくらい」
「違う……!!」

 感情の起伏が乏しい義勇さんの大きな声というのをあまり聞いたことがない。抱きしめたままだったから声も近く、少し肩が跳ねた。それに気付いたのか、ぎこちなく頭を撫でられた。

「ナマエのことを、愛している」
「……え、?」
「だから言えなかった。言えば、幻滅されると、思った」
「………」
「鬼殺隊は、鬼を滅するためにある。俺のしたことは鬼殺隊としてあるまじき行為だと分かっているし、だからこそ、万が一の時には腹を切る覚悟だった。命をもって償うのは当然のことだと思ったから、其処には何の抵抗もなかった。

……だが、俺が鬼を庇ったことを知ったら、ナマエはもう俺には会ってくれないかもしれないと思うと、言い出せなかった」

 思考が追いついていない。少し待って欲しくて何かを言いかけるものの、うまく言葉にならない。心臓の鼓動がとても速く動いている気がするし、ひどく緩慢な気もする。全集中の常中を身につけている筈なのに、自分の呼吸がうまく操れず、ばらついている感覚。浅く息を吸って、より微かな空気しか吐き出せない。

「腹を切る覚悟は簡単に出来たのに、おまえに嫌われることは恐ろしかった。俺は自分自身のことしか考えず、勝手なことをした。……本当にすまなかった」

 言葉が出なかった。というより、義勇さんの言葉の意味が理解できなかった。

 俺に嫌われると思った。
 嫌われたくなかったから、言えなかった。
 腹を切るより、俺に嫌われる方が怖かった。
 ──愛している。

 誰を。俺の事を?



「──義勇、さん」

 どうにか声を絞り出して名前を呼べば、腕の力が微かに緩んだ。俺は抱きすくめられたままだったその肩を押し、義勇さんを見る。そしてそのまま、唇をくっつけた。

「お慕いしています。貴方のその信念も、全て」

 唇が離れて瞬きをする間に、そう告げた。次に瞬きをする頃にはもう、目の前の想い人に呼吸を奪われていた。

 くちゅりと早急に舌が侵入し、噛み付くような口付けが続く。息をつく暇もなくて呼吸が続かなくて、義勇さんの羽織を掴んだ。上顎を舌先でなぞられると、自分のものと信じたくないような上ずった声が鼻から抜けた。

 身体のどこかが溶けていてもおかしくないほど長い口付けが終わり、最後に口の端の唾液を舐め取られた。その姿があまりに妖艶で、また心拍数が上がった。

 これだけ触れてもらったのに、もう離れ難くて恥ずかしい。義勇さんの左胸に額を預けた。俺は色事のあと、この人の心臓の音の音を聴いて眠るのが好きだった。

「義勇さん」
「……なんだ」
「俺はもう、貴方の特別ですか」
「当たり前だ。ナマエ以外に触れたいと思う相手などいない」
「俺も、欲しいのは貴方だけです。だから貴方も同じくらい、俺を欲しがってくれたら、他に何もいらないほど幸せです。貴方の命が尽きるその日まで、ずっと」

 義勇さんが俺を抱き寄せた。「三ヶ月も避け続けた罰として、一生俺の傍にいろ」と囁かれた。
哀し愛され、恋い焦がれ



「……あの」
「………」
「義勇さん、当たってます」
「……ナマエがあまりにもいじらしいのがわるいので、俺だけの責任じゃない」
「……今日、泊まられますか」
「疲れているだろう」
「WおもてなしWくらいはできますが」
「……おまえは時々、艶がありすぎる」



2020.11.29