不死川は俺のことが嫌いらしい。

「ヘラヘラしやがって、誰彼構わず愛想振りまいてだらだら喋ってんじゃねぇぞクソが」

ある日突然言われたのがこの科白である。

鬼殺隊でほぼ同時期に柱になったので、ちょっとでも仲良くできたらなと思い、機会があれば時々自分から話しかけていた。不死川は鬼への嫌悪感の強さからなのか、普段から表情も纏う雰囲気もおっかなく見えて、更に目つきが鋭いのと傷だらけなのも相まって、第一印象はかなり怖い人物だと思う。

ただ、話してみると結構常識的というか、兄貴肌で面倒見がよく、割と優しい。だから無意識のうちに調子に乗ってしまっていたのかもしれない。


そうして言われた言葉。俺のことが目障りなのだと思い、その日から話しかけるのを辞めた。もちろん業務連絡などは必要なので、その時は極力笑顔を控えるようにした。

俺が周りにどういう風に(不死川曰くヘラヘラした顔で)笑いかけようが、流石にそれは俺の自由だけど、不死川に対してはまあ本人が嫌がるのであれば、多少対応を変えれば波風が立たないのなら、その方が良いと考えたからだ。



「あれ、義勇。今から任務? 気をつけてな」
「ああ。お前も、……」
「うん?」
「……お前も気をつけろ。俺より先に死んだら承知しない」
「ふは、了解」

この水柱は最初こそ無愛想で無表情で無口だったけれど、慣れてくると結構分かりやすい。人嫌いの猫が懐いたみたいな感覚で、ついつい構ってしまう。人付き合いが下手すぎるのと言葉が足り無さすぎるところはどうかと思うが、今ではそれも面白いと思えるようになった。まあ、不死川や伊黒との相性の悪さは相変わらずだけど。

にしても、不死川は俺みたいな笑ってる奴も駄目で、義勇みたいな喋らない笑わない奴も駄目なんだなあと思った。なかなか難儀な性格だと思うが、まあそんなのは人それぞれなので仕方ない。


▽▲▽▲▽


意識がぼんやりと戻ってきてまず思ったのは、とりあえず背中やら胸やら左肩やら左腕やらが痛いということだった。瞼が重過ぎて目が開けられないが、これはもしかして死んだんだろうか? 記憶を引っ張り出してみると、鬼の出る山に一般隊士を送り込んだが苦戦している、加勢するようにという任務が入り、雑魚鬼は倒したがそのあと、下弦の参やら陸やらが何故か一緒に来た。最終、そいつらの頸を切ったことは覚えているけど、いつ怪我をしたのだったか。

ああ、なんか上弦の何かが来て、間も無く夜明けだったからそいつは帰っていったのだったか。そのときにそいつの一撃から隊士を庇ったような気がしないでもない。もし俺が死んでいるとして、庇われたそいつが責任を感じていなければ良いが。

そういえば、義勇に言われていたな。先に死んだら承知しないと。俺が死んだらあいつがまた一人で飯を食ったりすることになるかもしれないし、じゃあ生きなきゃいけないんだけど、身体がうまく動かせない。真っ暗だから目が開いているのかも分からない。

そのとき、頬に何かが触れた。色々な感覚が曖昧だけど、たぶん頬で間違いないと思う。そして触れたのはたぶん、誰かの手だ。少しごつごつしてるように感じるのはきっと豆だらけの指。ただなぞっているだけだから、手当とかではなさそうだし、だったら胡蝶ではないな。死んだ両親が迎えに来たのかとも思ったが、こんなに鍛錬が積まれた指では無かった筈だ。

もしかして、俺が約束破りそうだから、義勇が怒りに来たんだろうか?

「……ぎ、ゆ……?」

頬を辿っていた指はそこでぴたりと止まり、触れたままになった。温かい。義勇はなんとなく体温が低そうな気がしていたが、俺の体が冷たいからそう感じるのかもしれない。



真っ暗だった視界が薄くゆっくりと開けて、まず映ったのは見覚えのある天井。もしかして生きてるのかと最初に思い、何度か世話になっている蝶屋敷だ、と分かると同時に、傍らに誰かがいることに気付いた。

蹲るような体勢で顔は分からないが、その白い羽織と傷だらけの腕をもつ隊士なんて他にいない。

「……冨岡じゃなくて悪かったなァ」
「……」

およそ誰かに話しかける声音ではなく、独り言のような呟き。不死川は俺が起きたことに気付いていないらしかった。身体を動かそうとしても鉛のように重く、何か言いたいが声も出ない、というか口がそもそも動かない。これは肺をやられているせいだけじゃないな。喉が痺れる感覚もあるから、毒か何かを食らったのかもしれない。

色々混乱したままではあったが、ふと右腕の感覚が左と違うので見てみれば、どうやら不死川が俺の手を握っているようだった。俺の手を握って、それに額がつくくらい身体を折り曲げて、何かを俺に訴えている。目を閉じて聴覚を集中させれば、その微かな声が聞こえるようになる。

「自分が蒔いた種とはいえ、俺にだけ笑わねえなんざ、お前ェ案外器用な奴だったんだなァ」

「つーか、いつの間に冨岡のこと名前で呼んでやがんだ。お陰で益々アイツが気に食わなくなっただろうがァ」

「……もう、あんなこと言わねェから、俺にも笑ってくれや」

「いや、ンな図々しい言葉は要らねえな、」

「ミョウジ、目ェ覚ませ。……他には何も望まねェから」


ゆっくり目を開ける。ところどころ意味がよく分からなくて詳しく聞こうとしたが、やはり声は出ないので、精一杯の力で右手を動かした。結果、指の先ががほんの少し揺れただけだったが、不死川は勢いよく顔を上げた。相変わらず傷だらけの顔。ぱちりと目が合う。

俺は喋れない代わりに、出来る限りで微笑ってみせた。聞いた言葉の数々はもう朧げにしか覚えてないけど、なんとなく笑ってほしいと言ってた気がしたから。

不死川は泣きそうな怒りそうな複雑な表情で、顔を背けて「起きるのが遅ェんだよ」と悪態をついたのち、すぐに胡蝶を呼んできてくれた。


▽▲▽▲▽


「……身体の具合は」
「ああ、もうほぼ治ってるよ。毒も抜けたし、明日退院してちょっと身体慣らして、明後日から復帰する予定」
「そうかい」

不死川は時々見舞いに来て、俺の傷の経過を聞いて帰っていく。その声が優しくてむず痒い気持ちになるのにも、もう慣れた。俺は身体が治ってくると安静にするのも飽きてきたので、最近はお世話になりっぱなしのこの寝台には寝ずに座って、不死川を出迎えていた。明日の朝に退院なので、こんなやり取りもこれが最後だ。

結局、あの日に不死川が言ってたことはぼんやりとしか覚えていないし、不死川も何も言わないので、半分くらいは夢だったのかもしれない。聞いてみてもいいけど、せっかく前より少し友好的になったわけだから、変にややこしい事態にするのは抵抗がある。

「なあ、おまえが目ェ覚ました日、俺が言ってたことだけどよ」

不死川も何度も見舞いに来る中で一度もそれを話題に出すことはなかったから、あの日について突然言われたことで、俺は驚いて固まった。

「おまえ、どの辺から聴こえてたんだよ」
「……忘れた」
「………」
「………」
「本当だろうなァ?」
「嘘だけど」
「てめェ……」

忘れたのは嘘だけど、断片的にしか覚えてないのは本当なんだよな。だからどう言うべきか迷った結果、覚えてる内容をそのまま伝えるしか方法がなかった。

「たぶん『冨岡じゃなくて悪かったな』くらいから聞こえた」
「あーーー……そうかよ……」
「ついでに、俺も少し気になってたことがあるんだけど」
「……何だァ」
「なんか俺の所為でもっと義勇のことが嫌いになる、みたいなこと言ってた?」
「言ったなァ」
「やっぱりそうなの? 俺が原因で仲悪くなってんなら、よく分からないけど善処したいと思ってるんだけど」

不死川の眉間の皺が2割増しになったところで、ああこれは聞かない方が良かったのかと思ったけど、もう遅いのでそのまま答えを待つ。

暫くしてから、深めのため息が聞こえた。割と気が短くて、喜怒哀楽の大体の感情が怒に行き着く不死川の、呆れたような表情はなかなか珍しい。

「平たく言やァ、ムカついたんだよ」
「……俺に?」
「違ェ」

不死川が俺の座る寝床に乗り上げる形で、覆い被さるように近付く。その長い睫毛が俺の鼻先に触れそうになるが、俺は後ろに下がることもできない。

「お前に名前で呼ばれてる冨岡にムカついたっつってんだ」
「……なんで。ていうか、なんでこんなことすんの」
「お前が理解したら退いてやるよ」
「理解って……」

理解。何の理解を求められているのか、そこから分からないから説明を求めたいが、この体勢と距離の近さで思考が疎かになる。

不死川がいつもの瞳孔を開ききったような眼じゃなく、妙に優しく細められた瞳で俺を見るから、ますます分からない。

「まぁ分からねェよなァ」
「っ、」

俺の頬をなぞる手のひら。目を覚ます前に感じた感触と同じ其れに、どうしてか体温が上がる。あの時触れていたのは不死川の手だったらしい。だけどそんなことどうでもいい。額が触れる。俺はどうすれば良いか分からず不死川を見て、不死川もまた俺から目を逸らさないものだから、居たたまれなくなった俺は目を伏せて、着崩した隊服から見える痛ましくも勇ましい、たくさんの大きな傷を見るしかない。

「うわ言ででも漸く反応があったと思ったら、毎日見舞いに来てる俺じゃなくて、違う奴の名前呼びやがってよォ」
「……え、まいにち……?」
「お前が目ぇ覚ますまでは、毎日顔見ねえと落ち着かなかったんでなァ」

どういう意味か分からなくて、一旦落ち着くために不死川と距離を取らねばと思って、俺がその肩を押して離れるよう促すより先に、額に柔らかい感触。

「墓まで持ってくつもりだったが、お前のそんな顔が見れるなら、言ってみるもんだなァ」

どんな顔してんの、俺。

色々分からないけど取り敢えず、不死川が笑ってる。悪戯が成功したみたいな顔だ。笑った顔自体久しぶりに見たし、そもそも以前見てた笑顔だって、こんなに穏やかなものじゃなかった。こんな顔させてるのが俺なのかと考えるだけで、全身の血液が顔に集まってるんじゃないかってくらい熱い。

いや、それよりさっき、何が起きた?額に触れたのはなんだったのか、分からないような分からないような、分かってしまってはいけないような。
額に手の甲で触れる。そんな訳ないのに、やたらと其処が熱い気がして、伏せていた目線を持ち上げて、不死川を見上げる。

「……あーーー、その顔、やべえ……」
「え」
「食っちまいてえなァ」

不死川がそう言って俺の耳を食んだところで、俺はようやく本気で突き飛ばした。難なく受け身を取った不死川は、悪かったと言ってさっさと病室を出て行った。

俺は激しく脈打つ心臓を着物越しに掴んで落ち着かせながら、ただ呆然とその背中を見ていた。
欲を育てて愛と散るまで

「何も望まない」と言ったくせに




2020.11.26