※平和if






 意中の相手とのサシ飲み。世間一般で言えばまあ喜ぶべきシチュエーションなんだろうが、俺と千冬の間にはそんなもんより色々と越えられない壁があるので、楽しさと同じぐらいの憂鬱が心に侵食していく。

「……んでさぁ、そんとき場地さんがさあ」
「はいはい」

 男同士。長年の腐れ縁。中学からは学校が離れたけどそれでも家が近いからよく会っていた、幼稚園からの幼馴染。
 そして千冬が酔っ払った時、その口から出る話題を一色に染め上げる『場地さん』の存在。

 千冬は昔そこそこガチの不良で、ちょっとした喧嘩じゃ済まないような本気の大怪我をしたことが何度もあることは知っている。そして、『場地さん』はその時から千冬の憧れの人だ。普段はそこまで場地さんの話ばかりという訳じゃないけど、酔っ払うといつもこうだ。さすがに慣れたけど、心臓がじくじくと痛んで息がしづらくなるのは変わらない。

 その場地さんと千冬は今や同じペットショップで働いていて、勇気を出して一度だけ立ち寄ったらその日は場地さんは居なくて『一虎くん』っていう顔の綺麗な人に絡まれただけだった。でも千冬とその人だって十分に仲が良さそうで、こんな感じで千冬と場地さんのやり取りなんかを見たら色々駄目になりそうだと思って、それ以来その千冬の就業先のペットショップには行ってない。

 場地さんが格好いい、という話は体感で100万回聞いた。過去の話、現在の話、いつでも千冬の思い出には場地さんがいて、一度も会ったことがないのに何度か会っているような心地だった。
 本当は別に聞きたくないけど、一緒に居たいから笑顔で話を聞く。好きな人の好きなものの話を笑って聞けないなんてダメだと思う反面、聞いたらしんどくなるならもう会うこと自体やめておこうかなんて考えも時々頭を過ぎる。

 完全に酔っ払って同じ話を繰り返す千冬に、「そろそろ出ようか」と言ったその言葉が、自分の心情のままに響いて少し冷たく聞こえた気がした。今のはさすがに感じ悪かったかなと気になったけど、千冬はさして気にしていないようだった、というかもう意識が曖昧だ。まあ相手は酔っ払いだと気にせず、二人分の会計をして肩を支えて店を出た。
 フラつく千冬を支えて歩く。アルコールの匂いに混じってほのかに感じる香りは香水か何かだろうか。そんなことも感じられるほど近くにいるのに、この気持ちは一生交わることがない。もうそろそろ、潮時なんだろう。

 恋人同士の男女ならまだしも男同士で友達なだけの俺たちなら、距離を取るのは簡単だ。今まで月に2,3回は飲みに行っていた頻度を少し減らす。飲みでも普通に遊ぶのでも誘われたら必ず応じていたのを、時々断るようにする。きっとそれだけで千冬の中の俺の存在は薄れて、何もなくても会う間柄から用事があれば会うだけの仲になる。ため息を吐き出したが、肺の空気は澱んだままな気がした。

 タクシーを拾って千冬の住むマンションまで帰ってくると、さすがにほぼ意識のない状態では困るなと思って強めに揺さぶるが効果はない。エレベーターはすぐそこだけど、部屋番号を覚えていなくて何階かも分からない。

「千冬、家着いたから起きて」
「……んん」
「家、何階だっけ? あと鍵とか出せる?」
「ん゛ー……」

 3階か4階だった気がするんだけどなと思っていると、後ろから足音がして振り返る。そこには以前ペットショップで会った一虎くんと、黒髪でつり目の男の人がいた。

「あ? 千冬じゃねえか」
「あとあれだ、千冬の……、ダチ」
「あ、一虎くん、ですよね。じゃあもしかして、『場地さん』ですか?」
「オレのこと知ってんのか?」
「あー……。千冬がよく、貴方の話をしてて」

 それから話をしてみると、3人は同じマンションに住んでいるらしい。いくら職場が同じだからって仲良すぎだろ。ちょっと羨ましいと思ったのは内緒である。
 千冬の部屋は304号室だと教えてくれた。「悪ィな、預かるわ」と場地さんが千冬を引き取ってくれて、少しだけもやもやしたけど肩や腰が限界だったのでお言葉に甘えた。

「……あー、オマエもしかしてナマエか?」
「あーそれだ、今思い出した」
「なんで俺の名前……?」
「それこそ、千冬がよく話してんだよなァ」

 一虎くんは一度だけ会ったが場地さんは初対面だ。なのに名前を言い当てられ、名乗っていなかったことに気付いたその申し訳なさよりも驚きが勝った。千冬はよく俺の話をしていたらしい。どんな話か分からないが素直に嬉しかった。

「なあ、ナマエって酒つええの?」
「あ、まあそこそこ」
「じゃあまだ飲めるか? 俺らと飲み直さねぇ?」

 コイツの家の鍵探すのダルいし起きるまで俺ん家放り込むから、と誘われるまま場地さんの家について行った。二人は元々宅飲みをしていて、酒とつまみを追加しにコンビニに行った帰りだったらしい。

 ワンルームにお邪魔して、場地さんが千冬をベッドへ寝かせて、その前にあるテーブルへそれぞれが座る。俺はベッドに背中を預ける形で座らせてもらうことになった。千冬は完全に寝たのか、起きる気配はなかった。
 缶チューハイをちびちび飲みながら話していると、場地さんも一虎くんも話の面白い人でほぼ初対面とは思えないほど気さくに話してくれて、思った以上に居心地がいい。一虎くんは最初に「俺のこと怖くねぇの」と微妙な表情で問いかけたけど、おそらく首元のタトゥーだったりという見かけの部分ことだろうと思って、別に怖くないと正直に答えた。

「だって千冬の友達でしょう?」

 そう言えば一虎くんは少しぽかんとして、場地さんはカラカラと笑っていた。

 その後も色んな話をした。意識しているのかしないのか場地さんは特に俺に話を振ってくれて、それが押し付けがましくもなくて心地よくて。ああ優しくて格好いい人だなと、千冬の話の通りの人柄を実感した。

「場地さんてカッコいいですね」

 一虎くんがトイレと言って席を立ち、場地さんと二人きりになる。何気ない話が一瞬途切れた時、つい口から溢れた。

「あ? そーか?」
「はい。千冬がずっと貴方の話するの、なんか分かるなぁと思って」

 胸が痛むのを感じながらそう言った瞬間、後ろから伸びてきた腕にぎゅっと抱きつかれた。千冬? と慌てた声が出たが、その腕は離れることなく俺の首元に回ったままだ。

「起きたの?」
「……ナマエ」
「やっと起きたか。千冬ぅ、オマエ飲み過ぎんじゃねーよ。ナマエに礼言っとけよ」
「……なんでナマエ、おれとのんでたのに、ばじさんがいるんすか」
「オマエが潰れたから運んでくれたんだろが」

 言葉の端々に辿々しさが見て取れて、舌ったらずな話し方なこともありまだ酔ってるのは分かるが、耳元で千冬の声が聞こえてくすぐったいので離れてほしい。起きたなら水でもませようと思って立ち上がろうとしたら、さらに強く抱きつかれた。

「いくらばじさんでも、ナマエは、だめ」
「……え?」
「とらねーよ」
「ナマエはおれの、なんですからね」
「は……?」
「知ってるわ」
「おれ、いつこくるか、タイミングみはからってんすよ」
「さっさと告れや。つーか、好きならタイミングとか考える必要なくねぇ?」

 なあ? と場地さんに同意を求められたが、俺はそれどころじゃない。何の話をしてる? 今のナマエっていうのは俺のことで合ってるのか?
 酔っ払いの言うことだ。言葉のままに受け取るなんて馬鹿らしいって、そう思うのに。耳とか首とか顔とかが焼けるみたいに熱くて、アルコールのせいにしたいのにそんなに酔えるほど飲んではなくて、確実に耳に流し込まれた情報の所為だ。

 一虎くんがお手洗いから戻ってきて、ようやく我に帰る。「そろそろお暇します」と言って今度こそ立ち上がろうとすると、経緯を知らない一虎くんに「千冬起きたんなら家、泊めてもらえば?」と言われたけど無理すぎる。さすがに色々限界だった。

「大丈夫です帰れます、お邪魔しました…!」

 キャパオーバーな脳でようやく言葉を絞り出し、鞄を持って玄関に向かう。場地さんが玄関まで見送りに来てくれてそれはありがたかったし良い人だなと思ってたけど、「アイツ告りてぇってずっと言ってっから、そん時は聞いてやってくれや」って普通に気持ちの良い笑顔で言われて、その清々しさに逆に混乱させられた。
 そう言えば場地さんと千冬の出会いは成績不振による中学留年だったと聞いたことを今思い出した。あまり深く考えないタイプなんだろうと思った。

 マンションを飛び出した俺は、顔の熱さを生温い夜風で冷ました。耳の奥に残る千冬の声と告白の計画とが鼓膜にこびりついて離れなかった。

無力なかけひき




「え、あの、場地さん一虎くん、今のってナマエですか」
「あン? そーだよ」
「オマエの大好きなダチのナマエだな」
「……オレ今、ナマエの前で何言いました?」
「告るタイミングかんがえてっからナマエを取るなって」
「………」





2021.9.26
title by 失青