※本誌の内容あり






 ナマエに告白された。

「伝えたかっただけだから」

 気持ち悪くてごめんな、と眉を下げるその顔は、十数年友達として過ごしてきた中ではあまり見たことがない表情だった。

「もう会わないようにするからさ。最後にそれだけ言っときたくて」

 ナマエはそんなようなことを色々と言ったけれど、オレは別に気持ち悪いだとかは思わなかった。驚きはしたけど、ただそれだけ。
 それよりも会わないと簡単に言われたのがなんとなくいやで、「少し考えさせてくれ」と言ってこの話を途中で切った。

 だからナマエは俺から離れることなく、週に1回このバイク屋で働いてくれている。オレといる時、オレを好きだという気持ちを隠せないナマエがかわいく思えて、気づけば絆されていた。

 待たせていた告白の返事をして付き合うことになってから、仕事以外で出かけたり側にいるようになって、何気ない仕草や表情に惹かれた。
 何気なく入った店でナマエの目線の先にあったピアスがオレの視界にも映り、似合いそうだったので買って渡した。あまりにも嬉しそうで、ああ落ちたなと自分の中で答えが纏まった。

 あの日の告白以来、ナマエはオレに好きと言わない。だからオレも言えるタイミングがなかったが、間違いなくオレはナマエのことを好きになっていた。







「ごめん、別れよう」

 そんなオレの態度がいけなかったんだろう。何度か色を伴うような甘い空気になったことはあったし、キスをするような距離でそれらしい雰囲気になったこともあった。だけどなんとなくはぐらかしてしまった。

「恋人になれただけで奇跡なのに、どんどん欲張りになる自分が嫌になってさ」

 ナマエの言わんとしていることはすぐに分かった。男同士のそういう行為だって知識としては知っている。ナマエに触れたい、抱きたいと思ったことなら何度もあった。でも怖気付いていた。

 過去にはエマを、──ナマエとは全く違う女の子を好きになったことは事実だったから。

「付き合わせて、時間もらっちゃってごめん」
「ッナマエ、オレは、」
「大丈夫。今まで、側にいさせてくれてありがとう」

 ナマエはこうなることをわかっていたのかもしれないと、どうにか冷静さを保とうとして考える。そんな風に思うほど、一切の綺麗さだけをオレに見せて微笑んだのだ。
 結局オレは、言いかけた言葉の続きを飲み込むことしかできなかった。







 別れてから、ナマエは此処に来なくなった。
 元々、店が軌道に乗るまでの間の手伝いから始まったバイトだ。別にシフトが回らないわけじゃない。だけど付き合う前より格段に会いたくなっている自分がいて呆れる。誰かがこのバイク屋に来るたび、ナマエじゃないかって期待しては落とされる日々。

 メッセージでも入れて連絡を取ってみようと思っても、振られた手前どんな内容で送ればいいか分からない。



 だけどそうして二の足を踏んでいる内に大きくなっていく感情。会いたい。触れたい。声が聞きたい。もう一度名前を呼んで、名前を呼ばれたい。

 そうだ。あの時だってそうだっただろ。伝えときゃ良かったなんて情けない言葉で、何万回と心の中で後悔を積み上げたのに。俺は本当に学習しない。

 もう遅いかもしれないけど、気持ちを伝えて、もう一度オレを恋人にしてくれと懇願しよう。もしも振られたらその時は、何回も好きだと懸命に伝えて手を取ってくれるまで何度でも口説いて、この気持ちを信じさせてみせるから。











 そう決意した時にタケミっちが未来から帰ってきて、バタバタして仕事も何もかもやってる場合じゃなくなって。これが落ち着いたらなんて考えて後回しにして、それがいけなかったのだろうか。

 タケミっちに銃が向けられる。それを庇って前に出る。ちゃんと銃とタケミっちとの軌道に入った、はずだった。
 何かに押されて身体がずれて、目の前で飛び散る赤。

 視界に広がる情報は、よく知っている人間であると俺に訴えてくる。

 それが崩れるようにぐらりと揺れて、雨のせいで薄く水を張った地面にぐしゃりとうつ伏せに倒れ込んだ。

 誰かなんて分かってる。見間違えるはずがない。それでも信じたくなくて、離れたくて逃げたくて、だけど現実逃避なんかするわけにいかなくて。
 オレを庇ったその人物を震える手で抱き起こして、仰向けにした。

「ッミョウジくん……!?」

 タケミっちが呼んだその名前は紛れもなくナマエのことで、顔を見ても疑いようもなくて。
 だけどそれでもまだ信じられない。信じたくない。

 タケミっちが泣きそうな声で何度かナマエのことを呼ぶその声がどこか遠くに聞こえる。
 どうして、愛した奴が腕の中で青白い顔をしてる? どうして身体に穴が開いてる? どうして赤い血がどくどく流れてる?

 どうして、なんで、オレのことなんか庇ったんだよ。

 涙とともに吐き気がせり上がる。不整脈だとはっきり分かるほど心臓が嫌な感覚で脈打つ。こんなのは、10年前のハロウィン以来だった。
 中途半端な気持ちのまま恋人に居座って結局のところ覚悟も決められなかった。そんな最低なオレを許してくれなんて甘いことは考えちゃいなかった。それでも思いを伝えたいと思っていた。まだ、何一つ言えてない。

「どら、け、ん」

 掠れるような小さな声。呼吸混じりで喉がヒュー、ヒューと音を立てる。
 声が聞きたい、名前を呼ばれたいとたしかに思っていたが、こんな消えそうな響きを求めていたわけじゃない。

「けが、は……」
「ねえよ、ねえから、もうしゃべるな……!」
「……よか、た」

 少しも良くなんかない。こんな光景、見たくなかった。自分のせいで自分の愛した奴が赤く染まるところなんて。

 なんで庇ったって問い詰めたい。
 だけどそんなこと言ったって、今更何一つ意味はない。

「ごめん、な」

 消えそうに儚い不規則な呼吸の中で告げられた、謝罪の言葉。ナマエと違って正常なはずのオレの喉がひきつって、頭なんかまともに働かなくて。何か言いたいのに声にならなかった。

 他に何かを言って、ナマエの声を聞き逃すのがこわくて、オレはもうこの時点で分かってた。いつナマエの最後の言葉になってもおかしくないってこと。

 ナマエは微笑んだ。口端を汚す血がなければ、穏やかで優しくて、オレの焦がれた笑顔そのものだ。

「ほん、とに、……だいすき、だった」

 オレへの恨み言もないのかよ。ごめんなんて言うな。オレが言わなきゃならなかったのに、なんでオレはお前に謝らせてばかりいるんだろうな。

 残酷なぐらい優しい愛の言葉を最期に、ナマエは目を閉じた。救急車の音が聞こえる。タケミっちが嗚咽を堪えながら泣く声も聞こえる。だけどそれらすべてが壁一枚隔てられたように、薄く遠い膜で遮られた内と外の世界みたいに感じた。

「オレ、も、……」

 オレはいつも命の終わりを知ってから、この言葉を口にすることになる。いつもいつも、踏み出せないオレ自身のせいで。

「オレは今でも、愛してる」

 涙でぼやけてナマエの顔がうまく映らない視界の中、薄く開かれた唇に、はじめて自分のそれを重ねた。寝込みを襲うなんて、オレは何から何まで最低だよな。

 最初で最期のキスは冷たくて、血の味がした。

やわらかな窒息に溺れて



このキスで、恋にとどめを





2021.11.4
title by 失青