典型的な起承転結をなぞる展開とその過程のすべてがキラキラしたラブストーリーは、いつからか見ることができなくなった。いつからか、なんて考えるまでもない。
これこそまさに覚えていないが、気付いたら幼馴染の竜胆のことが好きだった。竜胆には兄がいて、その兄の蘭も名前の指すままにとても綺麗で強かったけれど、俺の視線を絡め取るのはいつも竜胆の方だった。
だけどこんな思いを知られて、たとえば友達でいられなくなるのは嫌だった。それに気持ち悪いと思われるのだってさすがに傷つくし、友達でいられないどころか二度と視界に入るなと言われるかもしれないと思うと、耐え難いほど怖かった。
「何考えてんの?」
「……、ごめん、蘭」
「別にいいけど、今はこっち集中しろ〜?」
れろ、と唇を舐められて口を開けるのを促される。大人しく口を開けば我が物顔で忍び込んでくる舌に背骨が震える。
俺は竜胆のことが好きなはずなのに、どうしてこんなことになったのか。
端的に言うなら、W誘惑に負けたWという一言に尽きる。
竜胆の特別になりたい。愛されたい。
一度でいいから竜胆に抱かれたい。
だけど竜胆にはたとえ一度だけでもそんなこと言えない。それでもどうしても触れられたいと思っていた矢先、蘭が俺に触れるだけのキスをしたのだ。
「こんな物欲しそうな顔して見つめてんのに、アイツ全然気付かねぇもんなあ?」
可哀想だからオレが代わりに慰めてやるよ、と腰を抱かれてホテルへと誘われた。どうせ竜胆に抱いてもらう日が来ないならと、蘭を利用するような形でベッドにもつれ込んだ。
童貞より先に処女を卒業するなんか予想もしていなかったけど、思っていたより虚しさは無かった。
自分を抱いたこの男が、竜胆が何より大切にしている片割れだからかもしれない。
それからもこの関係は続いた。もしも竜胆にバレたら、なんてことを考えたのは最初だけ。たとえバレたとしても行為の負担がかかっているのは俺の方だから、蘭の身体を心配して「兄ちゃんを傷つけるな」なんて怒られる事はまずないし、そもそも竜胆は蘭の行動に本気で口出しすることはない。
きっと、少し驚いてから「ほどほどにしろよ」とでも言って、むしろ蘭の方を咎めてくれるんだろう。
容易く想像できるそれが頭をよぎって、あぁなんだ、平気じゃないかと思った。竜胆じゃなくたって、蘭と居たって満たされている。蘭は基本的に冷酷だけど一度懐に入れた人間には優しいタイプだから、例に漏れず俺にも優しい。
ただ寝るだけの関係だけど、蘭と竜胆と3人で出かけた時には常に腕を引かれたり肩を抱かれたりして蘭の傍に引き寄せられたし、買い食いをした時には俺の手首を掴んでクレープをかじっていた。二人きりでもないからデートかと言われればそうじゃないけれど、でも紛い物にはなっていそうだ。
そんな風にデートの真似事をして、熱くて溶けるようなセックスをする。最初に少しだけ感じた虚しさはだんだんと減っていって、ゼロに限りなく近づいていった。
それと同時に、蘭の特別にもなりたいと思い始めたのでいよいよ末期だ。大切な弟に邪な思いを向け続けていたこんな馬鹿な俺のことなんか、そしてそこから心変わりするような浅ましい男のことなんか、蘭が本気にするわけがないのに。
「どした、ナマエ。やっぱりオレとコイビトになるかー?」
「……うん」
「……は?」
「飽きるまででいいから、オレを蘭の恋人にして」
何度目かの茶化すような告白を受ければ、ほんの一瞬だけ珍しく驚いた顔をした蘭のその表情は、今でも鮮明に思い出せる。その後はにやりと楽しそうに笑ってキスを寄越しただけだったけど。
蘭は暇潰し程度にしか思っていないだろうが、俺は結果としてその奔放さに救われた。
蘭はその日の行為で、俺の身体に数えきれないほどの痕を残した。キスマークなんてかわいいものだけじゃなく、血も滲むような噛み跡まで。自分の刺青が入っているのと同じ、左半身にだけ。
その日は雨が降っていた。蘭は大将という立ち位置の人に呼ばれたのだと言って、竜胆に俺を家に送って行って先に帰っておくよう命じた。俺もそれに礼を言って頷いた。いつもなら逆だったのに少し不思議に感じながらも、まあそんなこともあるか、とそう思って。
あまりにも突然降り出した雨の降水量はかなりのもので、傘を持っていなかった俺たちは当然ずぶ濡れになった。「雨、止むまで家に上がってったら」と何の気なしに誘ってしまってから、まずかったかもしれないとすぐに後悔した。今は蘭と付き合っているのだ。恋人が昔好きだった男を家に連れ込んでいるなんて、気分は良くないだろう。
「ごめん竜胆、やっぱり──」
「上がる」
「え?」
「家、入れて」
「あ、あぁ、うん」
断られるかと思っていたのに了承され、むしろ乗り気なことに少し驚く。竜胆はあまりオレに我儘を言うイメージはなかったから。
ついそのまま受け入れてしまったので平常心を保つ方向に切り替えた。まあこれは別に我儘なんかじゃないんだけどそうじゃなくて、変なところで遠慮しがちだという評価だったので、あっさりと家に入ってきたのは少し意外だ。
玄関先でがばりと服を脱ぐ竜胆に、頭の中で鈍っていた警鐘が段々と大きな音を立てて鳴る。落ち着け。いつも抱かれている男と同じ刺青だ。それが右半身か左半身かってだけ。そもそも幼馴染なんだから、半裸なんて何度も見たことがある。そう、竜胆はただの男の幼馴染で友達だ。
タオル持ってくるから待ってて、と言ったオレの腕を竜胆が掴む。「お前も先に脱がねえと風邪ひくだろ」と言って俺の上着を剥ぎ取り、Tシャツの裾に手をかけた。
「っ、まて、竜胆……!」
力で敵うはずも無い。だけどそれでも服の下を見られたくなくて必死に抵抗する俺に、竜胆は尚も容赦なくTシャツを捲り上げた。いっそやり過ぎなほどに付けられた行為の爪痕は内腿なんかが一層酷いが、上半身も大概だ。
竜胆は俺の体を見て、ぴくりと眉を寄せた。咎められているような雰囲気が漂うが、冷静になって考えてみれば俺はそんな風に思われる謂れはない。別に何も悪いことはしていない筈なのに、どうにも気まずい空気が漂う。
「……そういうことかよ」
「え?」
ぐん、と担ぎ上げられて情けない声が漏れた。言葉と表情の意味を理解できないまま、どうにか竜胆の名前を呼ぶ頃にはもう、俺は自分のベッドに放り投げられていた。
起きあがろうとする俺の腰下あたりに竜胆が跨り、滑らかな動作でズボンも取っ払われる。濡れたボクサーパンツも一緒にずれそうになりどうにかそれだけ死守したものの、竜胆の眼に俺の身体のほぼ全てが晒された。
「何回抱かれた?」
「え……」
「いつも服の下で、こんなの付けられてたのかよ」
「いや、これは」
「……兄ちゃんはいつもいいとこ取りだ」
最後の一言は、聞き慣れた言葉だった筈だった。だけど思考がフリーズしてしまったのは、そんなにも何かを堪えるような表情で発せられたのは初めてだったから。不機嫌そうだという評価だけでは誤魔化しきれないその眼に映る激情に、つい息をするのを忘れそうになる。
竜胆が俺の下半身にのし掛かった。蘭よりも少しばかり筋肉質な下肢が、雨に濡れた俺の身体の表面の体温を奪っていく。
「……り、」
りんどう、という花の名前は言葉にならなかった。発しようとした声が酸素ごと飲み込まれるように、覆い被さるようにして唇が重なったから。
まるで時間が止まったように動けなくなる。当たり前だ。どれだけ夢に見てきたか分からないぐらい思い描いたことが現実に起こっている。もしくはこれも夢なんじゃないかと思っていると、舌でぬるりと口をこじ開けられて上顎なぞられ、現実に引き戻された。
「ナマエ……」
「ん、ふ……ぅ」
合間に掠れるような声で名前を呼ばれて脳が痺れる。布擦れの音がして目を開けると、器用にもキスをしながら下を脱いでいる竜胆が視界に入った。
これはまずいんじゃないかと今更思う。竜胆とのキスに酔わされながら、頭の片隅でもう一人の幼馴染の、今は恋人である男の顔が浮かんだ。だけど抵抗しようにも、いつの間にか頭の上で一纏めにされた腕は解けないし、口を開けばキスで塞がれる。
太腿のあたりに硬いモノが押し当てられる。竜胆が俺で興奮していると思うと、抵抗しなきゃいけない気持ちとは裏腹に流されてしまいたいという考えが頭を過ぎるけど、竜胆の力が緩んだ一瞬の隙を見て拘束を外して、どうにか腕を突っぱねた。
「っりんど、まて、ってば」
「……何」
「何って、」
「兄貴には触らせたのに、オレは駄目なのかよ」
かろうじて役割を成している下着の上から、俺のモノがそろりと握り込まれる。既に先走りで色が変わったその先端をぐりぐりと指先で刺激され、腰が浮いた。
もう押さえつけられてもいないのに、碌な抵抗ができない。惚れたら負けという言葉は知っていたけれど、現実に直面すると嫌でも理解させられた。もう一度唇が重なる。
さっきの余裕そうなそれと違って、呼吸のタイミングなんかがてんで考えられていない荒々しいキスで余計に頭が茹って思考の糸が切れていく。
もうこのまま身体を重ねてしまいたい。竜胆にも蘭にも愛されたいと頭の片隅で思う。ここで竜胆を拒むこともできないくせに、恋人となった蘭にも嫌われたくない。あまりにも我儘で強欲だと分かっていても、自分ではどうしようもない。
そうして俺と竜胆の息遣いと水音だけが埋め尽くしたこの空間に、ふいにドアが開く音が響いた。ぼやけた視界の中で見慣れた三つ編みを捉えて、不整脈がどくりと嫌な音を立て、皮膚の下で息をした。
「ら、ん」
「ナマエ、気持ち良さそーなカオしてんなぁ」
もしかして怒られるんじゃないかとか、俺に怒らずとも竜胆をぶん殴ったりするんじゃないかとか、即刻別れを告げられるんじゃないかとか。うまく働かない頭でそんなことを考えていた俺は、存外楽しそうな声と言葉に少し困惑した。
俺の思考を置き去りにしたままに、竜胆は蘭を横目に見ながら俺の肌にぬるりと舌を這わせる。待って、なんで、と情けない声が漏れる。蘭に見られている焦燥と羞恥は、肌の内側に一層大きな快感を走らせる。
「ぁ……っ、や、まって、」
「よしよし、俺が手ぇ繋いどいてやるから」
「邪魔しないでよ。抜け駆けしたくせに」
「半分残しといてやったろ〜?」
竜胆に胸の尖りを舌で捏ね回されると、蘭に教え込まれた身体はその通りに素直に快楽を拾ってしまう。だけどこの兄弟の言葉の意味が分からなくて、痺れる脳を繋ぎ止めながら言葉を探す。
「なに、なんで……っ?」
「竜胆だけにやるのも、俺だけもらうのも不公平だろ?」
「え、」
「オレたちは昔から、欲しいモンは半分こしてきたんだよ」
「ずーっと竜胆だけ欲しがるオマエだったら、無理やり酷くしてやろうと思ってたけど。ちゃぁんと俺のことも欲しがれたからナマエは偉いな?」
蘭が綺麗な笑みで俺にキスをした。混乱の終わりが見えない俺に構わず蘭も服を脱いで、俺の眼前には揃いの刺青が晒された。
「ていうか兄貴、半分こって言ったのに先に何回も抱いたの、オレ怒ってるから」
「だってオレのことも欲しいって思ってほしかったし。あとナマエがかわいくてさぁ」
「そういう問題じゃないし」
「つーか、ケツは半分コできねぇもん。あ、今度一緒に挿れてみるかぁ?」
この小せぇケツと薄い腹にオレらの2本入っかなあ、と空恐ろしいことを言いながらオレの臍の下辺りを撫でる蘭、俺のモノを触りながら右半身を中心に舐めたり吸ったり甘噛みしたりを繰り返す竜胆。
ぞわぞわと背骨を這い上がる快感は怖いぐらいで、まだ後ろには何もされていないのに胎の奥が疼くのをはっきりと感じてしまってどうしようもない。
「これから死ぬまでずっと、3人で仲良くしような♡」
「……オレと兄ちゃん以外のヤツに触らせたら、そいつ殺すから」
その言葉を最後に、竜胆に強くのしかかられてベッドが軋んだ。蘭が竜胆にローションを渡していて、その蘭は愛おしそうに俺の顔にキスを降らせる。俺は声を抑えることすらできないまま、狭いベッドの上でシーツがぐちゃぐちゃになるまで刻みつけられた。
W花Wを咲かせた夜の雨は、いつの間にか上がっていた。
花と育てて手折るまで
一度咲いたら枯れるまで、オレたちに愛されることを命ずる
title by 英雄
2021.11.21